第1話 4章①

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 ゲームショーが開かれた日。即ち、詩鶴とりぼんの二人が初めて出会った日から二週間が経った。今日、二人はリングで対峙することとなる。『アイドルファイト』のエキシビジョンマッチである。

 この間の二人の生活は対照的だった。りぼんは芸能活動に追われて、高校生活もままならないのに対し、詩鶴は大学生活の合間に、週に1、2回、ほかのアイドルの手助けをする程度であった。詩鶴は芸暦の浅い新入りであり、トップファイターであるりぼんとは、知名度も闘波の量も雲泥の差だった。


 いつの間にか、詩鶴が入り浸っていた違法賭博場は閉鎖されていた。そのことを詩鶴が知ったのは昨日のことだった。誰かのタレコミがあったのだろうか、どうやら警察に見つかったらしい。

 最後にリングで戦った、あの高校生ぐらいの少女はどうしてるだろうか? 詩鶴は思い耽った。あの少女は、あそこが違法な場所であることを知らなかったようだ。ならば、どうして少女はそこにいたのだろうか、なぜ、選手として出場していたのだろうか? それが、とても気になっていた。ともかく、また会いたいと思える少女だった。

 そして、彼女が闘波を扱えたことも気になっていた。それは、彼女が何かしらの活動をしているということを意味していた。つまり、彼女も有名人ではあるらしい。そんな彼女が顔も隠さずに、堂々と試合に出場していたのだ。観客の一人も彼女を知らなかったことは運がよかったのだろう。あるいは局地的に偶像的な扱いを受けているだけなのか。どちらにせよ、警察にバレないことを祈るだけだった。

 他人の心配している場合ではない。あの最後の試合では、つい、自分も闘波を使用してしまったのだ。観客に赤い闘波を見せてしまったことは最大の失態だった。マスクで顔を隠し、たとえ警察が入り込んできたとしても、逃げ道を確保するほど用意周到だったのに、あんなところでミスしてしまうとは……正体がバレないことを祈るばかりだった。あそこは、厳しい荷物持ち込みチェックがあり、カメラやビデオが禁止されていた――映像の流出を防ぐためだろう――のが、安心できる要素だった。


 どの道、あそこが封鎖されたのはいいことかもしれない。詩鶴はそう思った。本気の闘いとスリルを味わえなくなるのは寂しいが、一歩間違えば、プロデューサーや美月だけじゃなく芸能事務所に属する全員のイメージダウンにつながり、迷惑をかけることになったのだ。今になって気づくのは遅いが、自分は、あまりに身勝手だったと反省した。


 「五光プロダクションの松野詩鶴かぁ。いまや、大人気のりぼんちゃんの相手になるものかね」

ファイターのプロフィール集を眺めながら、番組プロデューサーは独り言を呟いた。

 「まあ無骨な格闘家をぶったおす、プリティアイドル・・・・・・絵になるだろうね」

彼は詩鶴のことを『無骨』であると評したが、それでもダークホースであるとも認識していた。しかし、紅露りぼんが相手なのが悪かった。彼女に勝てるファイターなど、そうそういないだろう。況してや、新入りが勝つなど、ありえないと思っていた。


 詩鶴は控え室で精神を集中させていると、誰かの気配を感じた。しばらくするとドアをノックする音がした。りぼんだった。

 「お邪魔します。久しぶりです・・・・・・松野さん」

 「こう・・・・・・いえ、りぼんさん、どうしました?」詩鶴は「りぼん」と呼ぶ許しを得ていたことを思い出した。詩鶴は、考えが甘っちょろい彼女が気に入らなかったが、歩み寄ろうとしているのならば、そこまで邪険に扱うことはないだろうと思った。

 それにしても、彼女は私に何の用だろうか? 以前から自分に対し積極的にアプローチされているようで、少し苦手だった。


 「今回の試合で、誰かから失礼なことを言われませんでした?」

 「いえ、別に……」特に思い当たる節もなく、詩鶴は素直に答えた。

 「……そうですか。それならいいんです。すみません」と、りぼんは謝った。彼女は礼をして帰ろうとしたが詩鶴が引き止めた。これで終わるのは後味が悪い。

 「気になるじゃん。……どうしたの?」

 詩鶴の問いに、りぼんは少しためらった後、かすかに聞こえる声で白状した。

 「実は……」


 

 「ま・ね・え・じゃー?」放送直前、最後の確認を行う前、詩鶴はマネージャーの肩をがっちりと掴んだ。マネージャーは嫌な汗をかいた。詩鶴は力強いだけでなく、頭も働くのだ。その上、鼻が利く。


 「な……何かな?」マネージャーはとぼけた。

 「私になんか隠してない?」

 「ない。ない。ないです」首を左右に振って否定する。明らかに怪しい。

 「例えば八百長を持ちかけられたとか・・・・・・」

 「まさか、あいつら、詩鶴さんに直接言ったの!?」マネージャーは驚き、それから不機嫌な顔をした。

 「やっぱり! 隠してたでしょ!」詩鶴はマネージャーに負けず劣らず不機嫌な顔になった。マネージャーはカマをかけられたと知って、思わず手で自分の口をふさいだが後の祭りだった。


 要するに、こういうことであった。アイドルとして、人気絶好調のりぼんは、ただならぬ闘波を帯びていた。彼女は、ファイターとして、トップレベルの戦闘能力を持っている。

 一方、知名度が無に等しい詩鶴は、持ち前の格闘の才能で、闘波の少なさをカバーしていた。それによって、ファイターとして良い戦いぶりを見せていた。その結果、新入りである彼女が、頂点である、りぼんと合間見えることになった。これはテレビ局側にとって大番狂わせだった。

 現在行われている『春のトーナメント』にて、新人は1、2回戦あたりで、有名アイドルに負けてしまうものだろうと思われていた。詩鶴は、生まれ持った格闘センスと長年培った格闘技術を用いて、勝ち進んでしまった。

 万が一、今日の試合で詩鶴がりぼんに勝ってしまった場合、りぼんがいままで築いてきたカリスマ性が、崩れてしまうかもしれない。『闘波など大したものではないのだ』と軽んじられるかもしれない。そう危惧する者が大勢いた。彼女に関わりのあるドラマ関係者、音楽関係者、そして彼女の所属する事務所である。そして彼らは八百長を思いついたのだ。松野詩鶴は、闘波の差に関係なく、気迫だけで中堅ファイターを戦闘不能に追いやった選手だ。彼女の初陣の試合がそうだったのだ。中身は、普通の女子高生であるりぼんが、詩鶴の凶暴さに気圧されないと、誰が言い切れるだろうか?


 『ギリギリのところで、松野詩鶴は負けるように!』五光プロダクションは、圧力をかけられた。

 

 五光プロダクションのような弱小企業は、すぐに屈するだろう。彼らは、そうタカをくくっていたが、プロデューサーやマネージャーは、彼らの脅しを無視した。二人とも不当な圧力に屈するつもりはなかったのだ。

 「とりあえず、彼女に伝えといてくれよ。君のところのアイドルも、全国に大勢いるりぼんのファンの恨みを買いたくないだろうからね」相手事務所のプロデューサーは、五光プロダクションのプロデューサーとマネージャーを脅迫した。それを聞いたプロデューサーは鼻で笑った。マネージャーが詩鶴にかけた言葉はたった一つだった。

 「俺に言われるまでもないだろうが、全力で戦ってこい!」



 「どうして、私に伝えなかったの?」訝しげに詩鶴が訊ねた。

 「変な気を使わせたくなかったんだよ。それに八百長を受け入れるのか?」

 「そんなわけないじゃん」詩鶴は即答した。

 「そう言うと思ったよ。詩鶴さんが、そんなこと許すわけないから」

 「でも、そういう話があったことぐらい、話してくれてもよかったのに」

 詩鶴は芸能界に入ってまだ日は浅いが、それでも業界が泥でまみれた世界であることは既に思い知らされていた。『人間は人間にとって狼である』と言ったのはトマス・ホッブスであるが『アイドルはアイドルにとって怪物である』というのが詩鶴が学んだことだった。その中で、りぼんは、間違いなく怪物レベルの実力者であるが、彼女は獰猛さから随分とかけ離れているように感じられた。それでいて、恐ろしい存在ではあるのだが。


 「彼女は・・・・・・紅露さんは、くだらない八百長なんか無視して、私に全力で戦ってほしいと言ってました」

詩鶴の言葉にマネージャーは、感心したようだった。

 「くやしいけど、あの人は、スポーツマンシップに則った人です」詩鶴は、それを認めないわけにはいかなかった。まだ若い女子高生ではあるが、アイドル界のトップに君臨するだけの器があることは確かなのだ。

 「それぐらいの人格者じゃなきゃ、これほどのファンはつかなかっただろうね」マネージャーは言った。詩鶴はリング会場の入り口を眺めた。そこには、対戦相手のりぼんが立っていた。彼女はこちらを見つめていた。何か言いたげのようだった。

 「そろそろ時間だ。いってこい」マネージャーは詩鶴を見送った。

 「うん。じゃあ・・・・・・ぶちのめしてくるよ」


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 『赤コーナー! 松野詩鶴ー!!』会場に実況者の声が響き渡った。

 『青コーナー! 紅露りぼーーん!!』

 詩鶴は自虐的に笑った。自分のときと比べて観客の声援が桁違いだったからだ。

 煌びやかなコスチュームを纏った二人は、互いに睨みあい、笑みを浮かべた。

 詩鶴は、この敵をまじまじと見つめた。甘っちょろい小娘と馬鹿にしていたが、やはりオーラがあることを認めずにはいられなかった。真剣勝負の場にも関わらず、余裕を持った笑みを湛えている。詩鶴は、不覚にも見蕩れてしまった。

 

 「ファイト!」


 レフェリーの合図と同時に、詩鶴は空手の構えをした。それと同時に、全身から赤い闘波が湧き上がった。一方、りぼんは、観客に愛想を振りまいていた。緊張感のない態度、それが彼女の器を物語っていた。増幅していくピンク色の闘波。近くにいるだけで不殺生の精神が心を巣食ってしまうようだった。


 「じゃあ、私から行きます」りぼんは弾丸のような速さで跳躍した。今までの人類には不可能な、闘波を用いた移動法である。コーナーポストの頂点に足をかけると、そのままバック転をして、詩鶴めがけてぶつかってきた。

 『ムーンサルトが炸裂!!』ナレーターが叫んだ。

 詩鶴は、優れた動体視力でもってりぼんの動きを捕らえていた。左腕でガードをすることに成功したが、りぼんの闘波を纏った攻撃に、気圧されそうだった。一定量の攻撃をくらってしまうと、戦闘意欲を失ってしまう。その前に決着をつけなければならない。

 詩鶴は右足を軸にして、大げさに翻った。遠心力を利用した回し蹴り! 足に赤い闘波を纏い、それは派手な半月形の起動を描いた。威力も迫力も申し分なかった。

 詩鶴の足が、りぼんのわき腹に直撃した。ファイター同士でなければ、りぼんの肋骨が折れてただろう。りぼんは、場外まで吹き飛んだ。


 歓声が響いた。いきなり迫力ある大技を拝めたからである。しかし、りぼんが、まだケロっとしていたことも、歓声が沸きあがった理由だった。りぼんは場外から大きく跳躍し、コーナーポストの上に立った。


 「今のは・・・・・・効きました」りぼんがコーナーポストの上から見下ろして言った。

 お互いに確信した。これは長丁場になる。



 試合が始まって 7分が経過した。お互い、一歩も引かぬ攻防を続けていた。技の完成度は詩鶴が圧倒的だったが、闘波の量と、その使い方に関してはりぼんの方が一枚上手であった。詩鶴は、相手の急所を突くことに精神を集中させているのに対し、りぼんは画面栄えのする動きをし、観客に対するアピールを忘れなかった。

 詩鶴は、りぼんに対し底知れぬ恐怖を感じていた。自分より巨大な相手と戦ったこともあった。格闘技仲間の男子とガチの勝負したこともあった。台東区にある某施設の地下で行われていた賭博場には、頭がイッてる連中もいた。たった今、対峙しているりぼんは、それらとは別の恐ろしさがあった。格闘家としてのストイックさもなく、戦闘狂としての逸りも見受けられない。そこにあるのは『熱意』だった。パフォーマーとして限界に挑む熱意だった。どれだけ、オリジナルの技を考え出したのだろう。詩鶴はそう思った。彼女の、ファイターだからこそ可能なトリッキーな動きには、空手の型も通用しなかった。


 りぼんが詩鶴の足元にもぐりこんだ。詩鶴が拳を固めるより早く彼女の腰を掴むと、その体を真上に放り投げた。豪快な投げ技だった。伝統ある空手に、3メートルほど上空に投げられたときの対処法などなく、詩鶴は落下しながら咄嗟の判断をしなければならなかった。

 自分の落下する速度を利用して、渾身の一撃を……詩鶴は、宙に浮きながらも相手の姿を捉え、右手に力を込めた。

しかし詩鶴の目論見は外れた。りぼんは大きく両手を振った。そして彼女の腕に纏わりついていたピンク色の闘波が一本の紐となり、空に上っていった。


 「リボン?」

 りぼんの腕から発せられた闘波が、新体操のリボンのような形となり、それが詩鶴の左足に絡み付いたのだ。それは、本物のリボンように、ギュッと詩鶴の足を締め付けた。詩鶴は、闘波で作られたリボンによって身体ごと引っ張られていた。こんな闘波の使い方があるなどと夢にも思わなかった。

 叩きつけられる! 詩鶴が、その思ったときには、もう遅かった。鈍い音が会場にひびいた。


 ファイターたちは、闘波により別次元の力を手に入れた。その身体能力は、オリンピック選手を凌駕していた。毎日、鍛錬を続けてきたオリンピック選手は、この現状をどう思うだろうか? 強靭な肉体を作り上げてきた全世界の格闘家たちはどう感じているだろうか? 基礎訓練すらしていないアイドルのほうが、自分たちよりも強いという悲しい事実に……あまりの理不尽さに自暴自棄にならないのだろうか……これは、詩鶴が常日頃、思っていたことだった。そして今日、闘波は彼女の目の前でさらなる可能性を見せた。


 ……壊れていく……あらゆる価値が壊れていく。アイドルは止まらない……この流れは止まらない……アイドル性は、人間をどのように変えてしまうつもりなのだろうか……リングにつっぷしながら、詩鶴は悲観した。ゴングが鳴らされた。


 「KO! 勝者! 紅露りぼん!」ナレーターの声が会場に響き渡った。



 詩鶴は、一定量の闘波攻撃を浴びたために戦闘意欲を失っていた。おそらく、今、耳元でハエが耳障りな羽音を出していたとしても叩くことはできなかっただろう。あらゆる邪念や憎悪が消え失せ、すがすがしい気分だった。

 「完敗だ」と、詩鶴は言った。

 「こちらこそ、いい試合でした」と、りぼんは満面の笑みで応えた。


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 闘波使いによって攻撃を受ける。すなわち、アヒンサーを無理やり植えつけられるということは、一般には悪しき心が取り払われることであると理解されている。除夜の鐘で煩悩が消えるようなイメージだ。悪さが過ぎた人間に対し「あんたは、一度、ファイターに殴られてこい」という慣用句が出来るぐらいだった。

 しかし、それは一時的なものであった。そもそも、人間は生きるために闘争する生物ゆえに、闘争本能を無理やり抑制されれば、精神に悪影響を及ぼした。アヒンサーにてられた人間は、瘴気に中てられたのと同義である。一時の清々しい気分になるだけで、中てられた闘波が抜け切ると、抑えられてきた攻撃本能や憎悪の反動がぶり返す。

『闘波は人間が扱うには、まだ早すぎる』というのが、この事情を知る人間たちの総意だった。


 アイドル事務所のトレーニングルームと言えば、誰もが通常はダンスのための大きな鏡や、歌のための防音設備を予想するだろう。しかし、五光プロダクションにあるのは、筋肉を鍛えるためのトレーニング器具や、練習試合用のフィールドだった。五光プロには、今のところファイターは二人しかいなかったが、ファイターが、芸能の、これからの主役になるという五光社長の考えによるものだった。

 そこで闘っているのは、詩鶴と美月だった。詩鶴は昨日から精神が落ち着かず、闘うことでイラつきを発散させていた。その相手をできるのは、今のところ同じ事務所のファイター美月だけだった。空手と近接格闘術の異種格闘技戦。互いに闘波を用いた、激しい攻防戦だった。

 詩鶴の攻撃が止んだ。イラつきが収まったのだ。詩鶴も美月も、既に体力を使い果たしていた。


 「それで……この後の仕事は大丈夫かい?」と、プロデューサーが訊ねた。

 「ちょっと休憩さえもらえれば……」

 「同じく……」

 「そもそも、私……今日の予定は、トレーニングだけだし……」詩鶴が息を切らせながら言った。 


 「それにしても、詩鶴くん。昨日は家に帰らなかったようだが……」プロデューサーが心配そうに尋ねた。

 「はい。そんな気分になれなかったので……」

 「ここで話すことではないかもしれないし、もし見当違いのことだったら謝るが」と、彼は前置きをして言った。

 「うちの娘は、君がどんな結果を出そうと君を大事に思ってるはずだ。何も遠慮することなく、頼ってくれよ」

 プロデューサーの一人娘、くくるがそのような人間であることは、幼馴染である詩鶴が一番よく知っていた。自分が勝負に負けても、彼女は変わらず労わってくれただろうと思っていた。しかしながら、そんなことは問題ではなかった。

 問題は、自分が強烈な闘波に中てられて、精神不安定だったことだ。くくるは、あまりにも優しすぎるし、彼女の優しさに溺れてしまうことが怖かったのだ。大嫌いな奴との勝負に負けた苛立ちを抱えたまま、彼女と接する自信がなかった。もしかしたら、彼女の優しさに甘えて、迷惑をかけてしまうのではないか不安だったのだ。拒絶されたらショックとかいうレベルではないし、受け入れてくれたとしても罪悪感に苛まれることになっただろう。

 「くくるは、関係ありませんよ」と、詩鶴は嘘をついた。仮に同居人がいなかったら、そのまま帰ったことだろう。

 「そうか。それは悪かった。でも、母親に似て良い子なんだよ」

 彼女が良い子であることは、言われなくても分かっていた。そして、彼女が素晴らしく魅力的な女性であることを自分が一番知っていると言いたかった。

 「そういえば、妻がね」と、プロデューサーが話を変えた。そこにいた全員は「また始まった」と思った。

 彼に関わった人たちは、耳にタコができるほど、妻の自慢話を聞かされていた。年頃の少女、美女が集まる芸能事務所のプロデューサーは、よく恋愛沙汰に発展しトラブルになるが、ここのプロデューサーに関しては、その心配もなかった。50近い年齢なこともあるが、一番の理由は彼が愛妻家すぎることだった。

 

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 美月とマネージャーは、プロデューサーの惚気話を回避して、仕事場に向かっていた。彼の長いノロケ話さえ無ければ優秀でナイスなオヤジなのに……と噂しながら。


 「それにしても……」美月が言った。「詩鶴も困ったもんだね」

 「詩鶴さんが?」

 「そう。戦闘狂にもほどがあるよ。その情熱を、少しでもアイドル活動に力を入れてくれればいいんだけどね」

 ファイター誕生以前よりアイドル活動をしていた美月にとって、闘いばかりに精を出す詩鶴は、少し気がかりだった。

 美月も美月で、よく問題を起こしているのだが、マネージャーは、そのことについては、あまり触れないようにした。「まあ、彼女は格闘家畑のファイターだから、色々と事情があるんだろうけど・・・・・・」マネージャーは、詩鶴を慮った。

 「だとしても、アイドル業のほうもしっかりしてくれなきゃ」と、美月はマネージャーに念を押した。「そういうのも、マネージャーの仕事でしょ?」

 「ああ、そうだな。あのままじゃ仕事も増えそうにない」

 「それは困るよ。なんとかしてやってよ」

 美月の芸能活動歴はそれなりに長かった。彼女は現在22歳だが、18歳で芸能界入りを果たしていた。

 美月は運が悪かった。これから売り出していこうと事務所が本腰を入れてたときに、相方が問題を起こして全てがご破算になったのだ。巡りめぐって五光プロデュースに移籍し、次の相方が詩鶴というわけだった。

 「詩鶴さんは」マネージャーが眉をひそめて言った。「真面目なんだか、不真面目なんだかよくわからない人だよね」

 「ちょっと私に似てるかもね」美月は言った。

 「そうかもな。すごく頭がよくて、思慮深い面もあるし、でも幼稚っぽいところもある。どのみち『得体の知れない』ってのは、アイドルとしては、マイナスでしかない個性だよ」



 美月の今日の仕事はモデルだった。以前、行われたゲームショーの司会で、目をつけられ仕事が舞い込んだ。このように地道な活動をしていれば、いつかはテレビや雑誌にたくさん出ることができるはずだと、美月は思った。

 美月は、休憩時間にとある噂を聞いた。あの紅露りぼんが別の仕事で、同じ建物内にいるという。美月は、仕事が終わってマネージャーの許可がでれば、彼女に会ってみようと考えた。トップアイドルがどのような人物か気になるし、自分とほぼ互角の戦闘能力を持つ詩鶴を打ち負かした少女を、近くで拝見したかったのだ。何よりも彼女は若くて可愛いのだ。詩鶴は彼女のことを嫌っているが、美月にとっては、口説いてみたい女性の一人だった。彼女は、とことん女性に弱かった。


 休憩が終わり、カメラマンが撮影を再開した。「顔の向きは左でお願いします」カメラマンは言った。美月は言われたとおりに首を動かすと、マネージャーの姿を見つけた。彼は誰かと話をしているようだった。その人物は、あの紅露りぼんだった。


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 「あの・・・・・・」

 美月たちが撮影の休憩をしているときだった。マネージャーは、後ろの声に反応して振り返った。そこには、ファイターの紅露りぼんがいた。なぜ、彼女がここにいるかわからずに、しばらく沈黙が続いた。

 「たしか、松野詩鶴さんの」と、りぼんがいった。

 「はい。松野のマネージャーの坂月です」と言った。

 「やっぱり!」と、彼女の顔が綻んだ。やはり、一流アイドルの笑顔は破壊力があると、マネージャーは冷静を装いながら思った。彼女と直接会ったのは、昨日の『アイドルファイト』が初めてであり、しかも会話したわけでもなかった。詩鶴と話し込んでいるときに、遠くにいるのを確認したに過ぎなかった。『会った』というより、『眺めた』と言ったほうが近い。そうであるにも関わらず、りぼんは、詩鶴のマネージャーの顔まで記憶に留めていたのだ。


 スタジオにいる何人かが、このトップアイドルの姿を確認したようで、マネージャーは多くの視線がこちらに注がれているのを感じた。「では撮影再開します」という声が響き、一部の人を除き、皆の視線は美月に向けられた。


 「松野さんは、ここにはいないのですか?」

 「ええ、今日は、あそこにいる芒崎のお付きですよ」と、マネージャーは、照明の中でポーズを取る美月を指差した。それを聞いて、りぼんの顔が曇った。

 「松野に伝えたいことでも?」

 「いえ……個人的に少し……」と、りぼんは曖昧に答えた。

 「なにかあれば、私のほうから松野に伝えておきます」

 「いえ、様子を知りたかったんです。芒崎さんがいるって聞いて、もしかしたら、一緒かもと思ったんですけど……」

 「様子……ですか」

 「ええ。例えばショックを受けてたり……」

 マネージャーは頭を働かせた。相手は高校生の少女と言えど、ここ一年で芸能界に入り、修羅場を潜り抜けトップに立ったアイドルである。人の心を察するプロだ。この質問に対し言葉が詰まり、少し考え込んでしまったということが、既に、多くのことを語ってしまったに違いない。

 「ええ。そう。ショックだったようですね」言葉を濁さず白状したほうが、かえって上手くとマネージャーは考えた。続けて「そりゃあ、何年も格闘技をやってる人が、貴方ににリングで負けたんですから。ちなみに、八百長を引き受けたわけじゃないですからね」と、詳細を述べた。

 「八百長じゃないところだけは、ほっとしました」りぼんは言った。


 マネージャーは、彼女がいったい何を気にしているか、探りをいれてみた。やはり彼女は、自分の所属する事務所が八百長を持ちかけたことに罪悪感を感じているのだろうか? それとも単に詩鶴が気になるだけなのだろうか?

 「昨日の試合はお見事でしたよ。ライバル事務所ながら天晴れです。あのような闘波は、初めて観ました」

 「ありがとうございます。松野さんなら、もっと素晴らしい闘波を使えるでしょう」りぼんは、相手を持ち上げた。

 「松野はファイターのくせに、闘波自体を邪道と思っている節があるようですが」マネージャーは言った。これが、マネージャーが詩鶴の扱いに困っている理由の一つだった。

 「そう考えるのは無理もないと思います・・・・・・」りぼんは答えた。「でも、私の場合は、この強大な力を使えることを嬉しく思うんですよ」しばらく間があった。そして、りぼんは喋りだした。

 「坂月さんは気になっているようですね。私が詩鶴さんをどう思っているかを」

 マネージャーは、息を呑んだ。こちらをじっくり見つめてくる美しい眼が、とても恐ろしかった。探りを入れるつもりが、こちらの思惑を読まれてしまったのだ。

 「彼女は……」りぼんは言葉を続けた。「……松野さんは、素敵な人だと思います。でも、思慮深いために、どこか窮屈そうに見えます」

 「ここでだから言いますけど、松野は貴方より精神的に幼いんですよ」

 「そうでしょうか? 彼女は自分に『在り方』について、いつも悩み続けているように思えます」と、りぼんが言った。

 昨日、拳を交えただけ人に対し、どうしてそこまでのことが言えてしまうのか、マネージャーは不思議に思った。

 「ありかた? それはどういう意味でしょうか?」

 「いえ……何でもないです。とにかく、松野さんは、なんて言ったらいいんでしょう。……私、彼女に会えて、嬉しく思います」

 マネージャーは、その言葉を聞いた本人は、嬉しがるか嫌な顔をするか、どちらだろうかと疑問に思った。後者の確率のほうが高そうだったので、本人に伝えようとは思わなかった。


 「松野もそう言っていただけると嬉しいでしょうね」マネージャーは、心にもないことを言った。

 「そうだといいのですが、彼女は私のことを苦手に思っているようですので……」

 「そう思われても、なお、松野に会いたがるのには、理由はあるのですか?」マネージャーの素朴な質問に、りぼんは言葉を躊躇った。

 「そうですね。私の大事な人に、雰囲気が似てるんです」徐にそう答えた。

 「さぞかし立派な方なんだろうと思いますが、うちの松野は、色々と問題児ですよ」

 「私の大事な人が、とても立派であることは間違いありません。……でも、松野さんは、そんなにいけない方なのですか?」

 「実を言うと……こんなことを言うべきではないのですが、松野のことで手を焼いていましてね。できることなら直接、貴方に指導してほしいぐらいでしてね」

 「でも、今は、うちのプロデューサーを待たせてるんです。その後もちょっと、会議があって・・・・・・」

 「ものの喩えですよ」マネージャーが笑った。「そんなの冗談ですよ。紅露さんが忙しいことはわかってますから」

 「でも、手紙なら送れると思いますよ」

 「手紙だなんて・・・・・・わざわざ・・・・・・そこまでしてもらわなくてもいいですよ」マネージャーは、少し心が和んだ。『爪の垢を煎じて飲ませたい』レベルの表現を、彼女は本気にしてしまっているのだ。健気にアドバイスしようと考えてくれてるのだ。カリスマ性があろうと、やはり、まだ若い少女なのだと安心した。

 「これは、うちの事務所の問題ですし、そもそも……」マネージャーは考え込んだ。「そもそも……松野が、どうして困り者なのか……それがわからないんです。面倒な性格をしてる奴でして……」

 「心に闇を抱えているんですね。私も昔そうでした。よくわかります」

 マネージャーは、どうしてこのトップアイドルが、アイドル暦半年未満の末端アイドルを、そこまで気をかけるのか疑問に思っていた。雰囲気が大事な人に似てるというが、まさか惚れてしまったのだろうか?

 「もし手紙を送るとしたら」りぼんが言った。「どんな内容がいいでしょうか?」

 「本気なんですね。しかし、松野は、貴方からの手紙を読むほど素直な人間じゃないんです。大人気ない奴でしてね。そこまで手間をかけさせるわけには……」

 「では坂月さんに向けて書いてはいけないでしょうか?」

 「え? なんで私に?」マネージャーは驚いた。弱小事務所の冴えないマネージャーが、トップアイドルから直接手紙を貰えるとは……こうして長話しているのも奇跡に近いというのに。

 「私のこと、怪しく思っているでしょう? どうして、そこまで彼女に入れ込むのか……」

 「それはそうですけど……」また言い当てられてしまった。

 「私の思い過ごしじゃなければ、彼女はとてもつらい思いをしているはずです。それも長い間……」

 「さきほど言った心の闇ですか?」

 「はい。坂月さんは、その闇を取り払えると思いますか?」

 「そうしたいのは山々ですが、あいにくカウンセリングは専門じゃなくて……」

 「私の大事な人は、自力で闇から抜け出しました。アドバイスなど大層なことはできませんが、仕事で彼女の傍にいることの多い坂月さんには、そのことを知っておいてほしいのです。余計なお世話だと思われるかもしれませんが……」


 その後、二人は話題を変えて、闘波のことについて話し合った。マネージャーは言った。

 「松野は空手をやっていたせいか、闘波の存在には懐疑的でした。『これは存在してもよい力なんだろうか』と口にしたこともあります。……わけあってファイターやってますが、気に食わない力を商売道具にしているわけですよ。今、一番の闘波を持つであろう紅露さんからみて、人は闘波と、どう向き合えばいいと思いますか?」

 「それについては、私も助言が欲しいところです」りぼんが正直に答えた。「ただ、一度、現に存在してしまった技術はなかったことにできず、付き合っていかなければならないことは確かだと思います。それを役立てることを考えることこそが、使命なのだと思います」

 高校二年生にしては、教養のあるしっかりとした考えを持っているとマネージャーは驚いた。彼は、マルティン・ハイデッガーの『技術が人間の支配から逃れてしまいそうに思われるなら、なおさらのこと、それをいっそう上手く使いこなそうと意志することが切実になる』という言葉を連想した。

 すっかり話し込んでいて、もう撮影が終わりそうだった。


 紅露りぼんも、そろそろ時間だと言い、事務所に手紙を送りますと伝えた。 

 「貴方からいただいた情報が何であれ」マネージャーが言った。「役立てるのがマネージャーの仕事です。内容は決して他のことには使いませんし、口外もしません。ただ、念のために個人情報を書くことは控えたほうがよいと思いますよ」

 彼の親切な言葉に、りぼんは満足した。嬉しそうなりぼんを見て、マネージャー職も、なかなか板に付いてきたなと、マネージャーはそう思った。

 

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