第1話 3章
8
19年前の2019年、詩鶴は都内の産婦人科で産声を上げた。
彼女の両親は大学の文学部で知り合った。互いに別々の企業に就職したが交際は続いており、後に二人はめでたく結婚し、1年後、詩鶴が生まれた。
詩鶴という名前は、多くの文学を親しみ、音楽など文芸を愛する知的な子に育つようにという両親の願いが込められていた。その想いは空しくも、男子に劣らない、やんちゃな子となってしまったが、両親は、親の目論見が外れたからといって、それが悪いということにはならないと考えた。そして、元気いっぱいな娘を愛した。
詩鶴が「空手を習いたい」とせがんだとき、母は喉まで出かかっていた「それよりピアノなんかどうかしら?」という言葉を飲み込んで、娘の願いを聞き入れた。
詩鶴が中学生になっても、彼女は空手を続け、ますます武人らしくなった。彼女が黒帯を手にしたときや都内の大会で優勝したときには、両親は娘を誇りに思った。
詩鶴が高校一年生のときだった。彼女は都の大会で敗北を味わった。決勝戦で対峙した相手の名前は鹿島紅葉。試合のあと、二人はとても仲良くなった。詩鶴は、幼馴染のくくるとは違う、尊敬と嫉妬の混じった唯一無二の存在で、拳で語り合って得た友であった。ライバルに『好敵手』という文字を当て嵌める理由を理解した。
詩鶴が高校二年生のとき、詩鶴は、またしても優勝を逃した。決勝戦で当たった相手は、またもや紅葉だった。二度目の敗北は計り知れないほど悔しかった。紅葉は「善い試合だった」と言った。それはお世辞ではなく本心であり、実際に接戦であった。彼女も詩鶴に負けないよう、鍛錬を重ねていたのだ。
詩鶴は思った。「この人がいれば自分はまだ上を目指せる」そう前向きに考えた。そして、ラストの高校生大会こそは紅葉に勝ち、自分が優勝すると決意した。
詩鶴が生涯で最も屈辱を味わったのは、二年生の終わりのころだった。空手道場で、紅葉に関するある噂を聞いた。
『鹿島紅葉は芸能事務所にスカウトされ、芸能界に入った』
詩鶴は、その言葉が信じられずに詳細を聞き出したが、それは紛れもない事実であると知ってショックを受けた。彼女は根っからの武人であり、芸能に現を抜かすような軟派な人間ではないと思っていたからだった。数ヶ月後、新生アイドルグループの一人として、煌びやかな衣装を着た紅葉がテレビに映っているのを見てしまった。このときライバルに裏切られたと感じ、頗る絶望した。
詩鶴は三年生になり、最後の大会が行われたが紅葉は出場しなかった。彼女は持ち前の美貌とカリスマ性で、有名アイドルになっていたから、時間の余裕がなかったのだ。詩鶴は、都の大会で念願の優勝を果たしたが、心はまったく満たされなかった。
「私にとって、空手とはなんだったんだろう」
自然とこのような疑問が沸いた。しかし、自問自答しても、うまく答えられなかった。そもそも、何故、空手をはじめたのだろうか? そんなことを考えるうちに、とても不安になった。そのようなことを考えたら、自分の中の何かが瓦解してしまうように感じたのだ。
詩鶴は全国大会出場を辞退した。理由は自分でもわからなかったが、これ以上戦う気になれなかったのだ。周囲は、ストイックな精神が災いしたと好き勝手に評した。
詩鶴の精神は病み、不安定なものとなった。詩鶴の素行は徐々に荒れ始めた。俗に言う不良になった。それに伴い、空手とも疎遠になっていった。嫌いになったわけではない。ただ心の整理がつかぬままに、習えるものではないということを知っていたから、距離を置いたのだった。彼女は長年通っていた空手道場もやめてしまった。
素行の悪い友人との付き合いの中で、彼女は違法な格闘ショーの存在を知った。バイオレンスと賭博が目的の格闘場である。昔だったら軽蔑して寄り付きもしなかっただろう。しかし、このとき彼女は普通ではなかった。興味本位で覗いてしまったのだ。
そこで戦っている女性たちは、とても活き活きしてみえた。空手の大会で見られるような真剣さとは別の魅力があった。色々なものを捨て去って、俗世に塗れたからこそ感受できる安らぎというのだろうか。欲望をさらけ出すことを躊躇わない精神……卑しさと表裏一体の誇り。詩鶴は、彼女たちに、どことなくシンパシーを感じた。気づけば、彼女はこの俗物的競技にエントリーしていた。誇りある武人から、ただの乱暴者に堕ちた。彼女は堕ちるごとに、安らぎと快楽があることを知ってしまった。
やさぐれていた彼女は、両親や知人に対して、そっけなくなったが、幼馴染のくくるに関しては今まで以上に依存していった。くくるのそばにいるだけで、詩鶴の心は落ち着いた。
「私は、どんな詩鶴ちゃんでも応援するからね」そう言われるだけで救われるような気がした。詩鶴の精神は長い間、不安定だった。ネガティブになるたび彼女はくくるの優しさを求めていた。
9
ドイツ人の訪問が、詩鶴の人生を一変させた。それがファイターになるきっかけだった。
チャイムが鳴り、詩鶴はドアを開けた。そこにいたのは金髪碧眼の美女だった。歳は20代前半だろう。自分はまったく知らない人だし、家族も、彼女と繋がりがあるとは思えなかった。
「アイ ドント スピーク イングリッシュ」それが、詩鶴が亜子・クリンゲルに対して放った第一声だった。
「日本語は話せますよ。それに私はドイツ人です」というのが、そのときの反応だった。
彼女は、詩鶴に対し大事な話があると言った。内容は空手のことだと言った。詩鶴は、胡散臭いドイツ人を部屋に招きいれた。親は外出中で家には二人きりだった。
「私は亜子・クリンゲル。母は日本人ですが、ドイツで、とある研究をしていました」と、女性は自己紹介した。
詩鶴は驚いた。自分とあまり歳が変わらないというのに、彼女にとって外国語である日本語を流暢に話しているからだった。それだけでなく、何かしらの研究をしているというのだ。これが天才児というやつだろうか?
「ところで、鹿島紅葉がアイドル活動をしていることは知っていますか?」
「……はい」彼女の名前を直に聞いたのは久しぶりだった。テレビをつければ、彼女の名前を聞かない日のほうが少なかったが。
「友人……でした」と、ためらいがちに答えた。彼女は私のことを覚えているだろうか、と考えながら。
「では、彼女が最近話題となっている、闘波を扱うファイターであるということも?」
彼女がファイターであることは知っていたし、テレビ番組『アイドルファイト』のことも知っていた。彼女の主戦場はそこであるということも。彼女は空手大会よりもアイドルファイトを選び、そこで栄光に浴していた。
詩鶴は闘波が気に入らなかった。闘波は神の力だと言われることがあるが、神がいるのならば、何故、このような力を、困っている人や努力している人ではなく、カメラの前で愛想よく振舞っているだけの小娘だけに与えるのだろうかと思ったほどだ。
「彼女にアイドルになることを薦めたのは、私なんです」と、亜子は驚くべきことを言った。
詩鶴は驚きを隠せなかったが、続きが知りたいために黙っていた。
「いや、勧めたのではなく頼んだのです。そして貴方には、このことを話すべきだと思いました」ここで亜子は一息いれ、周囲を確認した。
「しかし、私がこの先話すことは秘密の内容なのです。信頼のおける人物にしか、話してはならないのです。決して他言しないことを誓いますか?」
詩鶴は即答した。亜子は、それを確認して話を切り出した。
「私は、闘波の研究をしていました。いえ、私の一族が……です」
一族? 詩鶴は、それは変な話だと思った。闘波が生まれ、認知されたのは2034年……3年前の出来事だったからだ。
「貴方は何者です?」と詩鶴は訊ねた。一瞬、詐欺を疑ったのだ。
「私は悪魔の力を解明することで、世界に調和をもたらすことを使命としています」亜子の口から、『世界』というスケールの大きい話が出たので、詩鶴は驚いてしまった。次の瞬間、さらに驚くべきことが起きた。
亜子の右手には、黒いオーラが纏わりついていた。
「……闘波」詩鶴が闘波を生で見たのは、これが生まれて初めてだった。
「はい。これが闘波です。戦闘意思を持ち、力を込めることで、このようなオーラを身に纏うことができます。相手に不殺生を強いる暴力的な道徳装置。そして、偶像の力を高め、洗脳による支配を促す悪魔の力です」
詩鶴は、闘波がこのような言い方されるのを初めて聞いた。世間では、人類を新たなステージに上げる力、新エネルギーへの期待、精神世界への突入の象徴、あるいは仏教復興の兆しなどと言われていたからだった。
「貴方は、アイドル?」
「……ドイツで、それに近い活動をしていました。歌とダンスは好きでしたから。でも、私の使命は、先ほどもいったとおりです」
「詳しく、教えてくれますか?」詩鶴は食いついた。
「はい。私の曽祖父は、『ニーベルンゲン』でした」
「ニーベルンゲン?」聞いたことはあった。父が好きなドイツ中世叙事詩に、そのような名前があったのを思い出した。日本のファンタジー系の漫画やゲームなどでもよく使われる名前だ。
「第38SS擲弾兵師団 ニーベルンゲン。曽祖父は、その霊感を総統から認められ、直々に特殊任務に就きました」
「総統って……」
「はい。ドイツ総統、そして魔術師……アドルフ・ヒトラーです」
10
1935年 ドイツ ベルリン
スヴェン・ヘディンは、厳重に警備された部屋で、受け取った書類に目を通した。
「これは驚くべきことですね」と、率直な感想を述べた。書類はアジア神秘に関する資料だった。総統のオカルト好きは有名であったし、チベットに調査団を送り込んだことはよく知られていた。チベットの調査団は、目的の地シャングリラを見つけることはできなかったが、全く骨折りというわけではなかったようだと、ヘディンは思った。
ヘディンは、長年に渡りウィグル・チベットを研究した。チベット密教の修行僧と交流する中で、とある噂を聞いた。「チベットには秘宝がある。それは『気』を放出しており、人間に不思議な力を与える」という。ヘディンは、そのことに一番詳しそうな修行僧に問い質した。彼はそれについて教えることを躊躇ったが、ほかならぬヘディンの頼みであったため、真実を伝えた。
「その僧は、このように言っていました」ヘディンは、自分がチベットで知ったことを包み欠かさず長官に語った。「『西方より、この”気”を盗み取る者がいる。まるでつまみ食いをするように。何百年か一人、超人的な霊感を頼りに、この気を奪い取るの者がいるのだ。心当たりはないのか?』とね。私は間違いなく総統のことだと思いました」
ちょうど、その秘宝に異変が現れたときと、アドルフ・ヒトラーが民衆の支持を得だした時期が重なった。チベット教徒の出鱈目ではない、宗教的な夢物語でもない。ナチス探検隊の報告書と合わせて考えても信憑性が増す。蓋し、ヘディンは、これが真実であると確信した。
「私は、どうこう言うつもりはありません。総統閣下に秘宝の利用を辞めろだなんて言えませんし、そもそも、その秘宝の存在を知っているかも疑わしい」
「そうだろうよ」と長官は言った。「総統は無意識に行っているのだろう。私だってそんな力、聞いたこともない。だが、その摩訶不思議な力を奪っているとすれば、あのカリスマ性も納得がいくよ。国民は、恐ろしいまでに総統を崇拝している」長官は一息を入れて、ヘディンを見た。
「それより、君はこれから、どうするつもりだね?」
「私はストックホルムに帰ります。チベットの方々は、親切な方ばかりで、良い調査ができました。彼らは大戦による被害も少ないだろうし、安心して祖国に戻れます。しかし、総統が3日前に霊感に襲われ予言したことは……」
「そこは気がかりかね?」
「ええ。それが心残りなのです。時代は繰り返します。そして世界は終焉に向かうでしょう。『100年後に、何者かが神の力を得て、かの人物は崇拝の対象となる偶像をかき集める』その『神の力』とはおそらくチベットの秘宝でしょう。総統の予言が確かならば、西洋は・・・・・・いや世界はデカダンスです」
「では、そうならぬように、対策をせねばな。引き続きチベットに調査団を送り、それと同時に新人類の軍隊『ニーベルンゲン』を育成せねばな」
「うまくいくことを祈ってますよ。ヒムラー長官」
ヘディンは、帰り際にメモ用紙を眺めた。総統がインスピレーションを働かせ呻いた予言だ。そこにはこう書かれていた。
『2039年 経済の要は東南アジアだが、神秘の要は日本にある』
親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーは、チベットにある秘宝を『シャングリラの光』と名づけた。シャングリラとは、1933年に、ジェームズ・ヒルトンの書いた小説『失われた地平線』に登場するチベットの秘境のことである。それはチベット奥深くに位置する、チベット仏教の僧院を擁した美しい谷である。ナチス・ドイツ調査団を派遣したのは、この地を探すためであった。
ヘディンが言っていたその秘宝がシャングリラに存在しているとは限らないし、その不思議な力がチベット仏教に起因するものである保障もなかったが、彼は、そう名づけることにためらいはなかった。
当時の欧米において、チベットは神秘の象徴であった。『失われた地平線』は、ラマ僧院を舞台にしているにも関わらず、チベット仏教における描写はなく、主人公が恋に落ちる相手は満州人である。ジェームズ・ヒルトンが、チベットにシャングリラをおいた理由は、厳密な調査によるものではなく、チベットの得体の知れぬ神秘感によるものだったと推測されている。ヒムラーも、もし、そのような秘宝がチベットのどこかに存在するのであれば、そこが、実際になんと呼ばれていようと、我々の捜し求めているシャングリラに間違いないのだろうと思ったのだ。
「これが私が知る闘波の始まりです」亜子は、チベットの秘宝『シャングリラの光』なるものが存在すること、その恩恵に与ったヒトラーが、ある予言を残していたこと、その予言を阻止するための秘密結社が、今もドイツにあるということを簡潔に伝えた。
突拍子もない昔話の内容を詩鶴は信じられなかったが、彼女は詐欺師ではないようだし、目の前で闘波を見せられたら、どんなオカルトも認めなくてはならないように思えた。
「でも、ヒトラーが闘波を使ったって話は聞かないし、使えるのは女性だけですよね?」
「『闘波』と『シャングリラの光』は、別物ですよ」亜子は言った。「『シャングリラの光』は、偶像崇拝を促す効果があります。それの放出する気を浴びれば信仰心が芽生えます。ヒトラーが自身に取り入れたのは、その力でしょう。一方、『闘波』は、そのオーラを元に西洋魔術などのアレンジを加えたもの……おそらく試行錯誤の上、出来上がった『まがい物』なのでしょう。それは何故か、偶像化された特定の崇拝対象に特殊な力を与えています」
その『偶像化された特定の崇拝対象』とは、芸能アイドルを意味するのだろうと詩鶴は思った。
歌ったり、踊ったりして、大衆の人気を得る職を『アイドル』と名づけたのは日本人だった。西洋でアイドルといえばイデア――偶像を指すが、日本では、その認識が広まっていなかったために、アイドルといえば、世間を賑やかす人気の少年少女をイメージする。偶像と日本のアイドルは、同義ではないものの、当たらずとも遠からずだったわけだ。それにしても、中身が空っぽな偶像だけを対象に、とてつもない力を与える『闘波』というのは、なんと皮肉な力なのだろうか。
「でも、それが何か問題あったりするんですか?」詩鶴は訊ねた。凶悪な核兵器ならともかく、不殺生の精神が蔓延するとしたら、むしろ、人間はどんどんと道徳的になっていくのではないだろうか?
「問題はあります」亜子は即答した。「闘波は、元は『シャングリラの光』。その力は微弱ながら常に闘波使いから放出されています。闘波使いとなれば、必然的に支持、崇拝されることになります」
「人気者になれるわけね」ミニ・ヒトラーというわけか。詩鶴は心の中でそう言った。
「はい。しかし、それは洗脳を意味します。大衆は無意識のうちに思考が操られることを意味します。偶像対象を意味もなく支持してしまったり、崇高な存在だと認識してしまうことになるのです」
「それは悪いことですか?」
「理論や魅力に惹かれて崇拝するならまだしも、洗脳によって、このようなことが行われ続けたら、人間は単純化の一途を辿ることになるでしょう」
「そんなもんかな」詩鶴は、ナチス政権が熱烈な支持を受けていたことを連想した。
「ええ。多くの人間がこの力に気づいたら大変なことになるでしょう。恣意的に大衆を動かすことだってできるのですから」
なんだか話のスケールが大きくなりすぎているような……詩鶴はそう思った。
「そして、ここが重要なのです」亜子が強調した。「『シャングリラの光』の性質上、偶像のみならず、偶像が所属している組織、たとえば宗教や国家も優位性を保つことができるのです。これらの組織は、魔力によってカリスマを得ることになるのです。この将来が、どうなるか予想できるでしょう。このような組織に属している人々が『新人類』。残りは全て単純な人間、『蓄群』となっていきます」
とんでもない話だと詩鶴は思った。しかし、ありえない話ではない。現に闘波は世論を巻き込み、ひとつの大国を窮地に追いやっているのだから。
闘波が認識され始めた頃、将来、歴史の教科書に載るであろうほどの大事件が起きていた。2033年のチベットの独立である。大国の承認を得られなかったために、チベットが国家として認められることはなかったが、かの領土は中国政府から独立を勝ち取ったのだ。
その原因となったのが、中国全土で起きた大規模なデモ活動である。デモの中心人物となったのは7人の少女たちだった。チベット人、東トルキスタン人、そして中国人。彼女たちはネットを通じて世界に自由を訴えかけた。それは大陸全土に広がる大きな反乱となっていた。仏教ブームや軍備拡大を続ける中国共産党に対する不満が募っていたことも拍車をかけた。中国政府はこのデモを鎮圧することはできず、チベットは念願の独立を勝ち取ったのだ。
物語はここで終わらなかった。これは序章に過ぎなかった。7人の少女たちは、人類最初の闘波の使い手であり、彼女たちが師父と呼んでいたのが、件のチベット術士だった。
その後、闘波は世界各地の女性にも宿るようになり、世界中を震撼させた。
詩鶴は亜子の話を聞いて納得した。チベットの術士が使った『禁じ手』とは、『シャングリラの光』の悪用のことだったのだ。それで生まれたのが『闘波』だったのだ。
マルクスとエンゲルスは「資本主義社会は、搾取する側ブルジョワジーと搾取される側プロレタリアに分かれる」と警鐘を鳴らしたが、ファイターと大衆は、それ以上に恐ろしい次元において、搾取する側と搾取される側に分かれてしまうのだろうか? 詩鶴はそう思うと恐ろしくなった。
あらゆることが一つの線で繋がったが、詩鶴にはまだわからないことがあった。その世界規模の秘密事項と、私自身、そして鹿島紅葉に何の関係があるのだろうか? 詩鶴は、その素朴な疑問を口にした。
「ナチスが崩壊したとき、私たちは二つの勢力に分かれました」亜子が言った。
「一つは、総統の意思を継ぎ、アーリア民族至上主義を守ろうとする者……これはネオナチと名乗り、既に時代遅れで無いようなものです」その言葉には侮蔑が込められていた。亜子も多くのドイツ人と同じく、徹底的にナチズムを否定する教育を受けて育っていることが見て取れた。
「私たちはヒトラーの政治思想を一切引き継ぐことなく、ただ魔術師としての彼の意思を受け継ぎ、その魔力を平和のために役立てることにしました。そして、最初に言ったとおり、『シャングリラの光』が政争の道具に使われないよう、監視するのが私たち『ノイス・ニーベルンゲン』の使命なのです」
「でも、結局、チベットの術士に悪用されたあげく、闘波が世界中に蔓延しちゃったのですね」
「確かに……それが『闘波』を生み出し、世界を一変させてしまったことは、私たちの落ち度です。秘宝を取り戻して術を施せば、元の世界に戻ると思うのですが……厄介なことに、そんな簡単な話ではなくなったのです」
「それは、どうしてですか?」
「盗まれたからです。あの秘宝は、私たちが気づいたときには、チベットから運び出されていたのです」
「誰が犯人なのか、わかっているのですか?」
「十中八九、彼女でしょう。東南アジア海上都市、最高管理責任者の一人・・・・・・八橋菖蒲。そして、あの女に近づくために必要な協力者が、鹿島紅葉だったのです」
11
八橋菖蒲。元アイドルにして元国会議員。「バカ男に色目を使い票を得た」と野党から陰口を叩かれた彼女は、一年目にして、どの野党党首よりも有能であることを示した。8年間衆議院で活躍し、外務大臣を務めたのち離党する。彼女の活躍の場は、芸能界や政界に留まらなかった。
東南アジアの海上都市建設計画が、彼女の次の戦場だった。その頃、建築技術の発達と新素材の開発により、建築業は著しい発展をしていた。技術やコストの関係でいままで建設不可能だと思われた建物も、聳え立つビジョンが見えた。
そのビジョンのひとつが、海上に都市を建設するという、その名のとおり『海上都市建設』だった。海上に足場を、その上に建物を建設し、電気ガス水道のインフラ設備も取り付けることも可能であった。最初に選ばれた場所はフィリピン島の北に位置していた海上だった。この場所は、領海侵犯を繰り返す中国船を威嚇するのに絶好の位置であったため、軍事関係者の多くが基地を設置することを望んでいた。
当然ながら、地球上に新たな土地を作り出すことは、単純なことではなかった。人工島に都市が作られたとしても、その後の課題は山ほどあった。ここに移住する者に対する法的手続き、都市の治安維持、政治外交を含め、海上都市を管理する責任者が必要となった。そして東南アジア海上都市委員会が作られた。このメンバーの唯一の日本人が八橋菖蒲だった。外務大臣時代に、ASEANと友好的な関係を築いたうえに、今回の計画に対し、資金や技術を惜しみなくつぎ込んだのだから、最高権力者となるのは道理だった。
「あの異端者が自殺したとき、八橋はチベットにいました」と、亜子は言った。「そして仲間の術士はこう言いました。『そのとき偉大なる気が、チベットから東南アジアに移った』と……」
その仲間の術士のオカルト発言が、どれほど信頼たるかは、詩鶴にとって判断しかねるところだった。少なくとも裁判では有力な証拠にならないだろうと、冷静に考えた。しかし詩鶴は、亜子の真剣さを見て冷ややかな発言をすることを躊躇った。彼女は間違いなく本当のことを言っている。少なくとも本気で信じているのだ。
「それにしても」詩鶴は言った。「どうして、八橋がそのチベットの秘密を知ってたの?」
「そこまではわかりませんが……政治家は色々な繋がりがありますから。とにかく、彼女は優秀なファイターを招いて、気に入ったファイターは手駒にしています」
東南アジア海上都市にあるスタジアムは、歴史は遥かに浅いものの、高校野球でいうところの甲子園に当たるということは詩鶴も知っていた。そこで優秀な成績を集めたファイターは、菖蒲からの招待を受けるという。強いファイターは表彰され、VIP待遇される。いままで3回大会が開かれ、3人のファイターが優勝を勝ち取っている。
VIP待遇が気に入った者の中には、アイドル活動を辞め、事務所との契約解消し、彼女の『お気に入り』として、その地に留まる人もいた。いまや、海上都市に住む日本人は『上級国民』という認識されているのだから、詩鶴も、その気持ちがわからなくもなかった。
ちなみに八橋菖蒲は元アイドルであり、彼女自身もアイドルが好きだと豪語していた。そもそも彼女がアイドルを辞めてしまったのは、若き頃、同じグループの女性アイドルに、しつこく関係を迫ったのがスキャンダルになったからだった。彼女の失脚を覚えている者は、彼女がファイターにご熱心なことに対し『権力乱用した大掛かりな悪趣味』と評していた。
「そして、今・・・・・・鹿島紅葉は、そのスタジアムにいます」
「え?」いきなり友人の名前を出されて詩鶴は驚いた。
「今日は、そのスタジアムで大会がある日。テレビ局の関係者の中には、私たちの組織や雇った人々が紛れ込んでます。鹿島紅葉さんには、その人たちと連携してもらっています。鹿島さんが優勝できれば、彼女はVIPゾーンに入る資格を得ることができます。そして彼女が内側から手引きをし、VIPゾーンに私たちの仲間を侵入させます。……彼らは八橋菖蒲を拘束。そして『シャングリラの光』を奪還する計画なのです」
さらっと国家犯罪を宣言する亜子に詩鶴は戸惑った。国際社会の大物を誘拐しようというのだ。しかも鹿島紅葉を潜入させることで。詩鶴には、そんなに上手く行くとは思えなかった。
しかし、上手くいけば、願ったり叶ったりではないだろうか?
闘波という格闘家を馬鹿にするような魔法は消えうせ、『ファイター』という調子に乗ったアイドル共を引きずりおろすことができるのだから。ただ、それは『上手く行けば』の話だ。失敗すれば、鹿島さんの身が危ないではないか! いや、成功したとしても……
「それで、鹿島さんを貴方たちの計画に巻き込んで、どうするつもりなんですか?」詩鶴は怒り気味に言った。「確かに、八橋に近づくためには、ファイターが必要かもしれないけど、スパイだと知られたら、ただじゃ済まないでしょう?」
「もちろん、リスクがあることもわかっています。それについては彼女の了承も得てます。そして、何があっても、彼女の命は守るつもりです。それが私たちの義務なのです。彼女は……こんな無理難題を快く引き受けてくれたのですから」
すべては覚悟の上……それを知って詩鶴は胸を痛めた。事情も知らずにアイドルになった紅葉を見下してしまっていた自分を恥じたのだ。
鹿島紅葉は、周囲の評価を犠牲にして、軟派なアイドルへの道を進んだのだ。世界の危機を救うために、自分の生き方を捨てたのだ。偶像たちが天下を取り、民衆が搾取されるだけの木偶になる世界を阻止しようとしたのだ。なんてストイックで、正義感に溢れた人なんだろうか。
亜子も紅葉を尊敬していた。八橋菖蒲と、彼女が可愛がっているファイターたちに勝る存在など、そうそう要るものでもない。鹿島紅葉は、最高の闘波の素質と格闘センス、さらにカリスマ性とアイドルとして申し分ないビジュアルを持っていた。彼女ほどの人材は、もうどこを探してもいないだろうと思った。
亜子は、チベットで修行を積んでいた経験があり、特殊な能力を持っていた。夢から受け取った啓示によって、最強のファイターに成りうる紅葉を探し当てたのだ。
それでも分の悪い賭けであった。断られて当然。最悪、通報される覚悟で紅葉に頼み込んだところ、彼女は熟慮した上で協力してくれたのだ。亜子は彼女の人生を大きく変えてしまったことに重い責任を感じていた。彼女のために自分ができることは、なんでもしたいと思っていた。
「ただ……一つだけ、鹿島紅葉には心残りがありました。それが君です」
「私?」
「そう。最後……君と戦えないことを、彼女はとても悔やんでいました。彼女がアイドルとして成功するたびに、空手家からはかけ離れ、どんどんとファイターとなっていきました。溢れる闘波を押さえ込むことはできないほど、彼女はカリスマ性を高めていったのです。まともに君と空手で、正々堂々と戦うことはできないだろう……そうとも言っていました」
詩鶴は泣きそうになった。彼女は、何一つ、変わっていなかったのだ。彼女は今でも武人なのだ。
それに比べて私は……勝手に絶望したあげく、空手から離れたうえに、ただの不良に堕してしまった。
「私は、君にこれを伝える義務がありました。そして、謝罪もしなければなりません。私が思うに、君も彼女に会いたくて仕方なかっただろうから」
詩鶴は、小さく頷いた。そして呟いた。「はい。ずっと望んでいました」
その日の『アイドルファイト』は、特別編だった。この日ばかりは生放送で、東南アジアシースタジアムからの中継だった。本来は、8月ごろに決勝戦が訪れるはずだったのだが、出場するファイターの数が急増したこともあって、2ヶ月以上先延ばしにされていた。延期された期間は、詩鶴が不良になっていた時期と重なった。詩鶴は、亜子の来訪がもっと早ければ、自分は堕落しなくて済んだかもしれないと悔やんだ。しかし、堕落したことで新たな友、新たな刺激と楽しみ、精神の安寧を得たのも事実だった。無駄のようで、大切な期間でもあった。
「詩鶴、こういう番組苦手じゃなかった?」詩鶴の母は、不思議そうに訊ねた。
「鹿島さんが出てるの」と静かに答えた。
母は不思議そうな顔をした。彼女がアイドルになって以来、その名前を聞くたびに不機嫌になってた娘が、どうして今日に限って彼女のことを気にするのだろうか。
黄金に輝くオーラ。それが紅葉の闘波だった。彼女の鍛え抜かれた肉体、キレのある技、そして闘波を身に纏うことで得た超人的な身体能力は、どれも桁違いであり、彼女は、多くの視聴者が予想したとおり試合に勝利した。この大会の4回目優勝者は鹿島紅葉に決まった。海上都市からの中継は感動のフィナーレで幕を閉じたが、彼女にとって本当の闘いはこれからであると、詩鶴は知っていた。9時のニュースが始まった。明日のニュースでは、どんな放送が流れるのだろうか?
鹿島さんは早々に八橋の管轄するVIPゾーンを捜索し『シャングリラの光』を見つけるのだろうか。それとも数日、様子見をするのだろうか。
翌日の新聞は鹿島紅葉の優勝が載っていた。詩鶴は、計画は上手くいったかどうかが気がかりだった。亜子・クリンゲルの言葉が真実であり、それが速やかに実行されていたのならば、この国際犯罪が記事にならないわけはなかった。
詩鶴はテレビのスイッチを押した。ニュース番組がやっていた。海上都市のことは話題になっていなかった。当たり前か。詩鶴は冷静になって考えた。昨日の今日でアクションを起こせるわけがない。鹿島さんだって、疲れているだろうし。
詩鶴は、紅葉の身を心配しながらも、作戦が成功したあとのことを考えていた。闘波が消え去った世界は、とても健全な世界だ。ファイターとかいう小娘が、ビジュアルが良いだけの無能に戻り、慌てふためくことになるだろう。まったく、いい気味だった。
そして、私は鹿島さんに謝罪をしなければならない。貴方を疑ってしまった。貴方は、やはり私のライバルなのだと言わなければならない。彼女のようなストイックな人とライバルになれるなんて、私は、なんて誇らしいのだろうか。そう思えば、今の堕落した己を改めなくてはならない。まずは、くくるに報告しよう。私の心が荒んでいたせいで、彼女には迷惑をかけてしまった。今日にでも、くくるに会って、彼女の傍にいるに相応しい武人でありたいと、そう伝えなくては!
でも……せっかく仲良くなれた不良仲間と、縁を切るのも忍びない。彼女たちは彼女たちで……大切なことを教えてもらった恩人なのだ。そして、その気持ちは、今も変わらないのだから。
詩鶴は、その日、一日を獲らぬ狸の皮算用してすごした。私にとってのヒーロー、鹿島さんなら、絶対に世界を救ってくれる。そして、元通りになった世界で、私は堕落から抜け出して、立派な武人になるのだ。
そう信じて、改心する自分に酔いながら、眠りについた。
翌日の朝、詩鶴はテレビをつけた。ニュース番組が放送されていた。画面に映っていたのは東南アジア海上都市だった。
画面下には『国民的アイドル 謎の失踪』のテロップがあった。
12
「本当に、なんて言ったらいいか……」亜子は、その日の昼に詩鶴の家を訪れた。
「仕方ないよ。仕方ない……」詩鶴は怒りを抑えて繰り返した。ここで亜子に八つ当たりしても意味がなかった。そもそも何の情報もないから怒りようがないのだ。
鹿島紅葉は、『アイドルファイト』で優勝したあと、一日を海上都市で過ごし、その最中に行方不明となった。海の外に出た話はなく、海上都市中を探しても見当たらないとニュースでは流れていた。
「全員ではないけど……組織が雇った日本人は、かなり消されたようね」と亜子が言った。VIPルームに潜入したプロの傭兵の消息が掴めなかった。潜入したはいいものの、それから捕まってしまったのだろう。
無事だった彼女の仲間は、血眼になって紅葉の行方を捜しているが、VIPゾーンで何かがあったとしたら、こちらとしてはどうしようもなかった。
「現地の警察は?」
「あそこはフィリピン領だけど、警察は皆、八橋の息のかかった連中。期待はできない」
「彼女は……鹿島さんは殺されたの?」詩鶴はおそるおそる訊ねた。
亜子は何も言わなかった。その可能性が高いことだけは疑いようもなかった。運がよくて、尋問のための監禁状態だろう。
しばらく沈黙が続いたあと、亜子が口を開いた。「今度は……今度は私が潜入する。それが私の使命だから」
無謀だろうと構わなかった。こんなことがあって、のうのうと生きているだけでも心苦しいのだ。ちゃんと計画を立てて、忍び込むつもりだった。それで殺されたとしても、何もしないよりマシだと思った。
心苦しくて、何かしないではいられないのは亜子だけではなかった。
「大丈夫……ですか?」詩鶴が言った。「もし……敵が、鹿島さん達を尋問して全てを知ったなら、真っ先に潰されるのは貴方の組織では?」
「その可能性は……ある。彼女の身を守るために、小細工は仕掛けといたけど……バレない保証はないし……」
「ねえ!」詩鶴が震える声で呼びかけた。
「私の顔ってどう思いますか?」詩鶴は真剣な顔で亜子を見つめた。
「どう……って?」
「真剣に……正直に答えてほしいんです。私の顔はアイドルのように可愛いかどうか!」
亜子は、その言葉の意図を読み取った。彼女も鹿島紅葉と同じ方法で、協力してくれるということだ。
「……ちょっと無骨ね。でも、君が笑ったら、とても素敵でしょうね」それが、掛け値なしの言葉だった。
「しかし、君はファイターになるつもりですか? 鹿島紅葉と同じ結果になるかも……いや世間に知られることすらままならないというのに……」
亜子は眉をひそめた。鹿島紅葉ほどの逸材を探し出すことができたのは、超常的な啓示の賜物であった。その上で自分が直接、彼女を見て感じ取ったのだ。彼女は、アイドルにさえなれば、とてつもない闘波を発揮するだろうと。その読みは当たり、紅葉はトップファイターとなった。
しかし作戦は失敗し、結果は最悪の結果となった。一度使った作戦が失敗した以上、もう一度同じ作戦は、通用しづらいだろう。この先、詩鶴がファイターになったところで、果たして意味があるのだろうか?
そもそも、そう簡単に誰でもファイターになれたら苦労はしないのだ。自分の容姿に自信のある山ほどの女性が、毎年、オーディションで落ちていることを、この目の前の女性は知っているのだろうか?
「戦闘には自信があるの。『アイドルファイト』だか何だか知らないけど、殴り合いでは負けるつもりはないよ」
「そう……じゃあ、正直に言います。私はチベットで修行を積んだこともあって、闘波の素質を持つ体質かどうかが、少しわかるのです。君は闘波を使うことができるでしょう。しかし、闘波を身に宿すにはアイドルとして認められ、ある程度、大衆から愛される必要があります。それができるかどうかについては、私にはわかりません」
「正直、馬鹿らしいと自分でも思います。無謀だとも思います。けど、このまま何もしないのは、許せないんです」
詩鶴はファイターを志した。一番の目的は鹿島紅葉の消息を掴むことだった。次に『シャングリラの光』を奪い返し、世界に蔓延した闘波を消失させることだ。アイドルが格闘技において天下を取ってしまうような、ぶざけた世界を終わらせるために。
13
詩鶴は目を覚ました。
「寝ちゃってたのか・・・・・・」
見覚えのない掛け布団。またくくるの世話になってしまったと苦笑した。ぼんやりとした目には、幼馴染の姿があった。
「くくる!」
「おはよう。よく眠れた?」
「うん」
「でも、まだ1時。私はこれから寝るところ。詩鶴ちゃんも、お風呂入って寝よう」
彼女の優しい微笑みに、詩鶴は安心した。
「鹿島さん……高2の秋にアイドルデビュー……ファイターとして異例のスピードで活躍……」詩鶴は、風呂で湯に漬かりながら、これからのことを考えていた。
「約一年で、大会に出場して優勝……私の場合……」
私の場合、あと何年で『アイドルファイト』の大会にエントリーができるのだろうか。変な話ではあるが、アイドルとして一定の人気を得なければ、格闘においても強くなれず、予選で敗退してしまうのだ。
現在、私のアイドルとしての主な活動は、関東地方のイベントが中心。CDも出していなければ『アイドルファイト』以外の全国放送に出たこともない。本当に、ただの新人なのだ。
あのとき……鹿島さんの失踪を知った日、私は、怒りや使命感、その他もろもろの感情に突き動かされた。それで芸能事務所に赴いたのだ。幸運なことに素質はあったようで、比較的早く闘波を扱えるようになり、見習いファイターをすぐに卒業して、プロのファイターになれた。しかし、プロになることで、芸能界の厳しい現実を思い知らされた。一番身にしみたのは、私がファイターを志した理由のうち、一番大きなものは『自惚れていた』ということだった。アイドル業界は、華やかな舞台ではなく、弱肉強食のジャングルであることも早くも知らされた。
「そんなに簡単に有名アイドルになれるわけないよね……」詩鶴はため息をついた。
ファイターには大きく分けて二種類いた。
『アイドル畑のファイター』と『格闘技畑のファイター』である。前者はリングに立って戦うこともできるアイドルである。アイドル活動をしているうちに闘波が高まり、戦闘が可能になったアイドルである。
後者は反対に、たまにアイドル活動をする格闘家というスタンスだった。格闘技を嗜んでいる女性の中で、そこそこ容姿に優れていたり、一芸秀でた女性がなる。
詩鶴は『格闘技畑のファイター』だった。『闘波』という素質が――彼女にとっては心技体を根本から否定する邪道な素質だった――己にあるという事実は、彼女にとって不快以外の何ものでもなかったが、目的を果たすためには、この素質を活かすしかなかった。
このジレンマを抱えながら、今日まで彼女は戦ってきた。己の筋肉と技を過信するあまり、あえて闘波を抑えて戦ったこともあったが、そこそこ名の売れたファイターには通用せず、持てるだけの闘波を身に宿して戦わなければ適わなかった。それでも圧倒的闘波の差により、負けてしまったこともあった。「格闘技術さえ持っていれば、闘波が無くとも小娘など容易く倒せる」そう意気込んでいた詩鶴の企みは、ファイター歴1ヶ月目で潰えてしまった。
彼女は、不承不承で”闘波使い”として戦い続けなければならなかったが『不満』はもとより『不安』も大きかった。これからの将来が心配だった。
『格闘技畑のファイター』は『アイドル畑のファイター』より視聴率が取れなかった。『格闘技畑のファイター』は、元が格闘家ということもあり、芸能人としては、それほど高い評価を得ることができないのだ。もちろん、『アイドルファイト』を楽しみとするファンの中には、売れているアイドルよりも、リングを主戦場とするファイターに好意を寄せるものもいたが、それもやはり、物好きか天邪鬼に限られた。
平凡なファイターは、知らず知らずのうちに芸能界から消えていくのだった。そして、詩鶴は自覚していた。自分には、今のところ、人を惹きつけるだけの魅力を持っていないということを。
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