第6章 再生の時(1)
あの愛おしい声をもう一度聞こうと、雪也は目を閉じて耳を澄ませた。
しかし、いくら待っても無音の時間が過ぎていく。雪也は諦めて、ゆっくりと瞳を開けた。もう白い光は消えている。随分長い間、雪の降る野外に出ていたので体が凍えてしまったのではないかと思ったが、不思議なことに、寒さは感じない。
「え……?」
雪也は家の中にいた。
自分とエナが住んでいた竪穴住居が現れたのかと思ったが、似ているようで全体的に異なる空間だ。なぜか視界に、縄文時代にはないはずの青いビニールシートやステンレス製のスコップなどが飛び込んできた。
「嘘だろ、ここは……」
雪也は竪穴住居の戸に駆け寄り、扉を外に押し開けた。
見たことのある公園の風景。その向こう側の山の手前に工業団地の建物があり、無骨な電信柱が立っている。
辺りはかなり暗くなり、当然、人気もない。
雪也は再び宮畑遺跡に戻っていた。
つい先ほどまで、毛皮のコートを肩から羽織り、焼失住居の上でエナの翡翠の大珠をてのひらに乗せていたはずなのに、今の雪也は初めてこの遺跡にやってきた時と同じ姿をしている。
戻った、現代に……! 嬉しいとか、安心したとかいう気持ちが湧き起こるものだと思っていたが、実際には何も感情は湧いてこなかった。ただ、今日はいつだろうという疑問が真っ先に思い浮かび、雪也は最寄りの向鎌田のバス停へ向かった。時刻は腕時計で、午後四時半だとわかったが、スマホは電池が切れてしまっていて日付やニュースを確認できない。
運よく数分後に、福島駅行きのバスがやってきた。財布は無事だ。
そして、運転席に備え付けられていたデジタル時計を見ると、まさしく雪也が宮畑遺跡の見学に来たその日だった。
目の前に出されたたくさんの皿や器からは温かい湯気が立ち込め、刻んだ柚子の皮が良い香りを放っている。
「とりあえず、お正月は何もなくてよかったわね」
「いっぱい食べなさいよ」
雪也の母親と祖母が、次から次へとおせち料理や雑煮を運んできた。形式通りに、ありがとう、いただきますと言ったものの、雪也は新年を祝う気分にはなれなかった。
宮畑遺跡の旅程を終えると、雪也は毎年そうしているように東京の実家に戻った。突然、数千年の時を経て現代に戻ってしまい、当たり前のようにいつもの生活が再開された。
今まで夢を見ていたのか、あれは本当に自分の身に起こった出来事なのか。
エナという女の子に恋をした。それが嘘だとは決して認めたくない。
我が儘で、上から目線で、気紛れで、時々、狂気を見せた真紅の薔薇のように美しい少女を愛した記憶は、夢だと言って消し去るには、強烈過ぎた。
「ごちそうさま。残りはまた明日の朝食べるから」
雪也はそう言って、リビングを後にした。
半分ほど物置部屋と化している自室のベッドに腰を下すと、すぐにスマホに着信があった。
「よ、新年おめでとう!」
「今年もよろしく」
「ん? 何かあったのか? 元気なさそうだけど」
電話の相手は飛瑛だった。
「ちょっと新年を祝う気分になれないっていうか……。あ、電話くれたのは嬉しいけど」
「仕事で何かあったのか? まあ、いいや。ところで、福島の旅行どうだったんだよ。弥生時代の遺跡だっけ?」
「縄文時代だよ」
実家に戻って暇なのか、飛瑛はあれこれ訊いてきて話をしたそうだ。雪也はタイムスリップをしたことを、飛瑛に打ち明けるかどうか迷っていた。
飛瑛は信用できる男だが、それにしても、さすがにタイムスリップしてきたなどと言ったら、心配されるに違いない。
「白い光の正体、わからなかったのか」
「そのことだけど……今から話すことは全部ほんとで、実際に見聞きしてきたんだけどさ」
「おー、前フリまであるのか」
飛瑛は妙に期待しているようだが、雪也は構わずに続けた。
「なぁ、現代人の若者が縄文時代の女性と恋に落ちたって話、お前は信じてくれるか?」
* * *
慌ただしく正月が過ぎ、バレンタインデーが過ぎ、気付けば桃の節句も終わっていた。
そろそろ桜の開花の話題が巷に出始める頃だ。
飛瑛は雪也の体験したことを、黙って聞いてくれた。たっぷり一時間ちょっとを使って、雪也はあの日、宮畑遺跡で起きたことから始まり、エナの死までを淡々と語った。
途中、エナと双子のことを考えると言葉に詰まり、電話越しの飛瑛はぎょっとしたが、そのせいで信憑性が増して、飛瑛は雪也の話を信じざるを得なくなった。
それからというものの、飛瑛から合コンの誘いはなくなった。しばらくは雪也の心から、エナとかいう女の子の面影が消えることはないだろうという、飛瑛の気遣いだ。
時間がある時は、以前よりも熱心に縄文時代や宮畑遺跡のことを調べるようになった。スマホだけでは限界があるので、何度か図書館にも出掛けている。
同じ部屋の仲間や先輩から、お前、勉強熱心だな、変わったなとからかわれるが、飛瑛にしかその変化の原因は明かしていない。そして、飛瑛はあんまり興味ないけどなと言いつつ、図書館に同行し、雪也からの説明を聞くのだった。
宮畑遺跡ではこれまでに四十七棟の家の調査が行われているが、半数近くの二十一棟が焼失したものだとわかっている。同じ福島県の別の遺跡では百棟以上の家が発見されているものの、家が焼けた痕跡はないという。
家を故意に焼くことは珍しくはないが、全国的にみてもこれほどの頻度で焼失住居が見つかる例は、宮畑遺跡だけなのだ。
(やっぱり、沢霧の村だけだったんだ)
雪也は確信した。それは自分がエナの死後にカケルに頼んだことが、カケルが死んだ後も長きにわたって沢霧の村で続けられたということを。
「で、その宮畑遺跡の焼失住居の謎は何なんだよ」
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