第5章 ふたつ星の誕生(2)

 だが、エナの気持ちはとっくに雪也から離れているのではなかったか。離れているというより、元からどう思っていたのか実はわからない。一つの空間に寝泊まりしていて、必要な会話は交わすけれど、エナは雪也の目を見て話そうとはしてくれない。雪也が村を出る原因となったエナとカケルのやりとりが、雪也を悩ませる。

(一度もあたしを抱こうとしないのよ、か。それって、俺に抱かれる気でいたってことだよな。でも、いざ俺が迫ったら、カケルの時みたいに全力で拒否するつもりだったのかも。……はぁ、何考えてるんだか、ちっともわかんねえよ)

 そう、エナに関しては恋愛感情どころか普段の思考回路すら掴むことが難しいのだ。厄介すぎる女に惚れてしまったものだが、動き出した気持ちを止めることは今更できない。

 雪也は答えの出せない問いかけを一時中断して、仕切りの向こう側で横になっているエナに話しかけた。

「エナ、起きてる?」

「ん……」

「そういえばさ、巫女ってことは、ホオヅキもちょっと変わったところがあって、精霊から選ばれたってこと?」

「たぶん。子供の頃、何かに憑りつかれてて、それを撥ね退けて大人になったって場合もあるし、あたしみたいにずっとおかしなままの人もいるから、正確なことはわからないわ。ホオヅキに初めて会った時から今まで、おかしな言動は見聞きしてないから、昔、苦しんでいたのかも」

「そっか。一様じゃないんだね」

 ただ薄い布で隔てられただけでこんなにも近くにいるのに、雪也は手を伸ばして触れることもせず、エナを遠くに感じていた。

 触れなくていいから話を続けようと、雪也が再び声をかけた時、仕切りの向こう側からは規則正しい寝息が聞こえてきた。それでもいい、と雪也は思った。勇士は必要ないと突っぱねてはいるが、こうやって無防備な姿で眠り込んでしまうのだから、雪也に対して警戒心を持っていないということが嬉しかった。


 大鵥の村の祭りは残すところあと一日である。もうその日が幕を開けたというのに、未だに巫女の対決の内容は知らされていない。

 朝日が竪穴住居の天井から中に入ると、雪也は目を覚ました。とても体が熱い。

「うっ……」

 何か変だ。雪也は起き上がろうとして、すぐに吐き気と眩暈を覚え、力尽きて頭を地面に落とした。

「ユキヤ、何してるの? 今日は川の精霊に祈りを捧げる日よ」

 支度を整えたエナが、そっと仕切りから顔を覗かせる。いつもは耳に心地よいかわいらしいエナの声が、まるでがなるような金属音のように脳内に響いて、雪也を苦しめた。

「ど、どうしたの?! 大丈夫?」

「すごく、気分が悪くて、熱いし、吐き気がするし、頭も痛い」

 小声で呻きながら訴える雪也は、額に汗をびっしょりとかき、明らかに変調をきたしていた。一度も体調を崩したことのなかった雪也の変わり様にエナは驚いて、待っててと言い残して外に飛び出した。

 村の広場は朝早くから人が行き交い、笑い声に溢れている。エナは子供たちの遊び場を突っ切り、山菜が入ったいくつかの籠を蹴散らして、キビタキの家に向かった。

「ユキヤの具合がおかしいの!」

 朝食の片付けの最中だったが、構わずエナはキビタキに報告した。キビタキの隣には正妻とホオヅキが座っており、両者は正反対の表情で夫を見つめている。正妻は客人の体調が悪いと聞いて不安げに、そしてホオヅキは無表情、いや、ほんの僅かにくちびるの端に笑いを含ませて、キビタキの反応を窺う。

「巫女の対決の前に、勇士が病とは。さて、どうしたものでしょう」

 そう言って、ホオヅキの顎に手を添える。大鵥の巫女はだるそうに夫の手を振り払い、エナを真っ直ぐに見据えた。

「沢霧の巫女、今日が祭りの最後なのはわかっているな。巫女の力を競い合うのは今日しかない。そこでだ、沢霧の勇士の病を治療した方を勝者とするのはどうだ?」

「バカなこと言わないでよ。呪術の競い合いにユキヤを使うなんて…… それより早く新しい精霊像を貸して」

 エナはホオヅキを無視してキビタキに訴えたが、彼は妻の提案をよい考えだと受け入れることにし、エナにはこう告げた。

「また逃げるのですか? ユキヤはあなたの大事な勇士でしょう。僕の元から逃げて、沢霧のしきたりに服することにしたあなたが、病の勇士を前にして力を発揮しないとは。村の子供をみすみす死なせてしまったように、今度も、力を使わなかったせいで勇士の命が消えてしまうかもしれませんよ」

「だから、対決なんかしないで、あたし一人の力でユキヤを救うって言ってるの!」

「キビタキ、ひとまずは沢霧の巫女に治療させてみればいいのでは? それができなければ、私が。そういうやり方でも、優劣はつけられる」

「それもそうですね。では、沢霧の巫女に精霊像を貸してあげましょう」

 キビタキが巫女の世話人たちに指示をすると、呪術に必要な道具が一通り揃い、エナに渡された。新しい土偶、太鼓、それに精霊の血と呼ばれる酸化鉄でできた赤い粉の固まりを持ち帰り、雪也の様子を確認する。

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