第4章 対決へ(4)

 彼らは村長に面会を求め、カケルはそれを許した。

 三人の男女は、あの大鵥の村の人間で、一人は村長代理の男、別の男は護衛、そして女はホオヅキと名乗る巫女だった。

「巫女の力比べ……?」

「はい、我が村の巫女が、一度、沢霧の巫女と呪術で競い合いたいと申しまして」

 話の筋はこうだ。近隣の村を合併して大きくなった大鵥の村が、年に一度の祭りを開き、その一環として、強力な精霊の守護を与えられているという噂のエナを招いて、力比べをしたいということだった。

 その場に同席していたエナは、ホオヅキという巫女をよく観察してみた。全体的にバランスがとれた肢体、女性らしい体つき、そして相当な美しい顔立ち。精霊にも男にも愛されるだろうと、エナは思った。ホオヅキは感情を表に出さないようにしているのか、それが素なのか、話の途中、表情を変えず、にこりともしなかった。

「申し出はありがたいが、我らの巫女は勇士を探している最中で――」

「その力比べ、受けて立つわ」

 カケルがエナを守ろうとしたにもかかわらず、エナは自分でそれを遮り、勝負を承諾した。

 勇士がいなければ何もできない巫女ではないと、人々に示したかったし、仮面を被ったようなホオヅキには秘めた意図があるように思えたからだ。

 巫女同士で話をすると、案の定、ホオヅキは自分の真の意図をあからさまにエナに明かした。

「お前が大鵥の村から逃げたお蔭で、私が代わりにあの大集落の巫女に選ばれた。私は天風の村の巫女で、そこも小滝の村と同じように大鵥の村に吸収された。お前さえ大人しく大鵥の村に出向いていたら、私は天風の村で何も変わらずに生きていたものを。村長のキビタキがどんな男か、お前も知っているね? 情がない代わりに、欲だけ人一倍備わっている。なまじ統率力があるのが恨めしい。私には、天風の村に優しくかしずいてくれる夫がいた。だが、夫はキビタキが仕向けた使者に殺されてしまった」

「……それはひどい仕打ちだわ」

「私が逆らえば、次は村長を殺すと脅され、私は大鵥の村の巫女になるしかなかった。力比べは、私のお前に対する復讐だ。伝説の勇士がいない今、お前は並みの巫女以下だろう? そうでなくても、精霊の声を聞き逃して子供を死なせてしまったそうじゃないか。私の力をもってすれば、お前など巫女として沢霧の村にいられなくしてやることができる」

 あくまでも冷徹に言い放つホオヅキとは対照的に、エナはコウミの死因が自分にあることを指摘されて動揺した。違う、確かに前の巫女であるサザメからの注意喚起は聞こえていた。けれど、精霊はその後、子供が危険な目に遭うことについては何も語りかけてくれなかったのだ。

 ともかく、呪術の力を比べ合うことによって、ホオヅキはエナの優位に立ち、彼女を現在の地位から蹴落としたいという露骨な願望を、本人に対して宣言したわけだ。そして、エナは改めて挑まれた勝負を飲んだ。今のエナの居場所である沢霧の村の命運がエナにかかっていると言っても過言ではなく、軽々しく断ることもできない。

 巫女同士の話し合いが終わると、エナは村長に告げた。

「――というわけで、あたしは大鵥の村に乗り込んでくるわ」

「では、私も共に行く」

 カケルが想いを寄せる巫女が単身で敵地に赴くことを許すはずがなかった。勇士がいない分を自分以外の誰が埋めるのだ。それにしても、エナがユキヤと喧嘩別れしてしまったことは不可解だと、カケルは思っていた。エナはカケルには一度も見せたことのない姿を、ユキヤには見せていたからだ。

 以前のある夜、カケルがエナの元を訪れると、巫女の家にはユキヤもいた。耳をそばだてていると、エナはサザメと交信したことを話していた。そして、しばらくすると、こんな会話が交わされた。

「じゃあ、いずれエナはカケルの妻になるんだね。カケルなら男らしいし、いいやつだから――」

「嫌よ! ……好きじゃない人と結婚するなんて」

 その後、エナは泣き出し、ユキヤがなだめるというやりとりが聞こえた。この時、既にカケルはエナから拒否されていて、しかも、巫女が涙を流しながら感情をさらけ出すという場面に出くわしてしまったのだ。

(この二人はもう強い絆で結ばれてるんだな)

 カケルはそう信じ、この夜の求婚は諦めて帰ってしまった。

 しかし、カケルがどう思おうと、エナは誰の手助けも求めようとは考えていなかった。

「お願いだから、一人で行かせて。あんたは村長としてここで村人たちを守らなきゃ」

 エナの意思は固く、カケルはその主張を受け入れざるを得なかった。

 こうしてエナはただ一人、大鵥の村からの使者やホオヅキたちと共に、沢霧の村を後にしたのだった。


 雪也は船上のエナがこちらに気付いたことを確認すると、大きく両手を振った。ミウも一生懸命に吠えて、エナに戻ってくるよう訴えた。

「誰かあなたに手を振ってるけど?」

「知らないわ。早く船を出して」

 エナは雪也に見つかってしまったことに驚き、使者を急かした。ホオヅキはさてはあれが勇士なのだろうと見当をつけて、エナを観察している。船が川岸を離れようとしたその瞬間、大きな水飛沫が二回上がった。すぐに叫び声が後に続く。

 雪也の放った矢が二人の使者に命中し、あっけなく川の中へ落ちたのだ。ホオヅキとエナは慌てて使者たちを助けようとしたが、川の流れには逆らえず、使者たちは自然の摂理に従って下流へと運ばれていった。

「エナ! どこへ行くんだ?!」

 駆け寄ってきた雪也はミウと共に船に乗り込んできた。エナを見つけ、何か事情があると察した時には既に体が動き、弓矢を放ち、そして、エナまでの距離を一気に縮めたのだった。

 怒りと悲しみをもって心から追い出したエナその人が、細かに揺れる長い丸太をくり抜いた船の上に、すらりと背筋を伸ばして立っている姿をこの目で見た時、雪也の胸は勢いよく開かれた扉のように目覚めた。

 顔を上げて紺碧の空を見つめるエナの表情は、悲哀を帯びて艶かしく、風が吹けばほどけてしまいそうな絹織物の人形に思えた。

 愛おしいというよりも、狂おしい激しい感情が雪也を支配したのはこの時だ。

 たとえ再び拒否されたとしても、勇士として離れることはすまい。巫女と対になる勇士でいることが妨げになるなら、エナを守りたいと思うただの男でいい。

 エナがなぜ頑なに村長だけでなく勇士の存在をも拒むのか、雪也には解せなかった。守られることすら否定したのには、深い理由がある気がしてならない。それはもしかしたら、以前、雪也が帰り道をエナから聞き出そうとして、エナが何か悪いものを見てしまったことと関係があるのだろうか。

 エナの隣には見知らぬ巫女がいる。

 彼女は無表情で雪也を見つめ、空いている場所を指でさした。ホオヅキはこの展開を面白がって、勇士を大鵥の村に連れて行こうと考えた。

「どうしてあんたがここにいるのよ。自分の世界に帰るって言ったくせに!」

「そのつもりだったし、今でもそうだよ。ミウが現れて、ここに連れてきたんだ。そしたら君が――」

「お前が沢霧の勇士だな。私は大鵥の巫女。いわばエナの身代わりとして大鵥に送られ、キビタキの妻にさせられた者だ。我々はこれから祭りが行われる村で、呪術の対決をすることにした。どちらが強い巫女か、皆の前で証明するためにね」

 ホオヅキは一瞬だけ雪也に微笑んだが、今の言葉からはエナに対する憎悪の渦が溢れんばかりだった。

「それで一人で大鵥の村に行こうとしたのか……」

「心配しないで。もう勇士は不要だって宣言してるでしょ? でも、ついて来たいならどうぞ。櫂を動かしてあたしたちを大鵥の村まで運びなさい」

 エナは雪也から視線を逸らしたまま、女王様のごとく命じた。ミウは雪也を見上げながら、くうんと困ったように鳴いた。雪也がエナを見捨てたらどうしようと心配しているようだ。

「俺はもう彼女から離れたりしないよ、ミウ」

 雪也は二人の巫女に聞こえないよう、くちびるだけ動かして犬に告げてみせた。

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