第4章 対決へ(3)
(もう一度、あの竪穴住居が現れてくれないと、俺は一生縄文人のままだ……)
煩悶とした現代青年の気持ちなど慮ってくれるはずもなく、木立の中は春らしく軽やかに蝶が舞い、可憐な花が一面に競うように咲いている。
この日もまた、いつものように適当に火を起こして野宿をした。ここで待ち続けたら奇跡が起きるかもしれないという完全に他力本願の希望だけを抱いて、雪也は眠った。
そして、二日目の夜が朝に変わろうとする頃、雪也は起きかけた夢の中で、アセビ爺に話しかけられた。アセビ爺は何の憂いもない表情で近寄り、どうして村を出ていったのかと尋ねてきた。雪也が口ごもっていると、アセビ爺は以前と同じことを言った。
――帰るべき場所があれば、自ずから帰る道は開かれるだろうよ。ここにいるということは、お前さんがこの世界に必要とされたからやってきたんだからね。
でも、と反論しかけたものの、そこであっさりと夢は途切れ、雪也は急激に現実の世界に覚醒してしまった。やはり、ここで時空の扉が再び開くのを待っているのは馬鹿馬鹿しいことなのだろうかと思いながら、雪也は明日以降の食糧探しに出掛けた。縄文社会でのサバイバル術なるものは、なんとなく習得していたから豊かな季節に放浪していても、餓死する恐れはない。
木の実やキノコ、罠に掛けた小動物、鳥の巣から失敬した卵、川魚そういう食べ物をかき集めて戻ってくると、ジャングルに取り残された兵士ってこんなだったのだろうかと考えてしまう。
キノコと川魚を適当に焼いて食べてしまうと、雪也はごろりと横になった。そろそろ移動して、例えば別の集落に向かうべきかなどと考えていると、小さな獣の気配が近づいてくる。ハッ、ハッという短い息が聞こえ、雪也は警戒して身を起こそうとした。とその瞬間、獣は雪也に飛び掛かり、思い切り鼻を舐め始めた。
「ミウじゃないか! おい、止めてくれ、くすぐったいよ!」
薄茶色の尻尾がまんまるの犬がそこにいた。
「ごめん、ミウ。もう俺はお前の仲間じゃないんだ。ほら、あいつの……エナのところに戻りな」
かわいい相棒の頭を撫でると、ミウは甘えた声を出したが、すぐに悲しそうな鳴き声を上げた。久しぶりにエナという名を口にした雪也も、言ってしまってからもの悲しさを感じた。
ミウはまだ悲哀に満ちた鳴き声を出し、元・相棒に何かを訴えかけるように瞳を見つめている。雪也がわかってくれないことを悟ると、ミウは甲高い声で吠えながら駆け出した。
「どこ行くの、ミウ?」
数メートル進んで止まり、雪也がついて来るのを確かめ、ということを何回か繰り返すと、ようやく雪也はミウが何かを自分に伝えたがっているのだと理解した。ミウの後を追った雪也はほどなく阿武隈川の支流に突き当たり、予想外の光景を目撃することになった。
川に浮かんだ舟の真ん中に三人の男女と共に立っている派手な装飾の女の子。それは紛れもなくエナだった。
巫女を守るべき勇士が謎の失踪を遂げた事件がすぐに村人の知るところとなり、沢霧の村に動揺が走ったことは言うまでもない。雪也が村を去った理由は、本人と巫女と村長しか知らず、残された二人は堅い貝のように口を閉ざしたため、村人たちは余計に不安に駆られた。アセビ爺だけが、三人の男女の間に感情の亀裂が生じたのだろうという憶測を持ったが、敢えて自己の見解を示すことはしなかった。
そして、沢霧から勇士が逃げたという噂は交易場を通じて、瞬く間に近隣の集落に尾ひれをつけて広まった。あまりに強すぎる男は怖いと村人が追い出したのだという話もあれば、いや、勇士が巫女を見捨てたのだと言う人もいた。
カケルは一人、村長としての己と男としての己の間に生じた葛藤に苦しむ日々を過ごした。欠けてしまった勇士の座をまた他の屈強な男によって埋めなければならないと、候補者を探す一方で、このままエナを独占してしまいたいという個人的な情熱もまた消し去ることができなかった。
公平なカケルにしては珍しく二人の妻を放置して、毎晩、巫女の家に通い、エナに募る愛を訴えたのだが、結果はいつも同じだ。あたしは元々、小滝の村の巫女で孤高の存在だった、だから、一人にしてほしい、と。
カケルは辛抱強かったが、妻のキララは別の意味でエナに忠告をした。
「巫女様、勇士がいなくなってしまった今、村長の愛を受け入れてください。より強くなってほしいからです。村の大切な子供のコウミを死なせてしまったことを、お忘れですか?」
そう言われると反論に詰まるエナだったが、キララの目も見ずに、あたしは一人でも強い、今にわかる、とだけ言い返した。
それから、沢霧の村に異変が起きた。突然、三人の見知らぬ男女が村にやってきたのだ。
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