第4章 対決へ(2)

 翌日の夜。眠りに就こうとしていた雪也の耳が、物音を捉えた。空耳かと思ったが、やはり間違いなく巫女の家から聞こえてくる。このまま無視して寝てしまおうかという気持ちにもなったが、もしエナの身に何か起きれば勇士としての立場がない。雪也はまだこの村の厄介になっているのだ。

 弓矢を構えながら巫女の家に入り、エナの無事を確かめようと目を凝らすと――。

「あ……」

 暗がりの部屋で、六つの瞳の視線が交差した。エナは部屋の中央の敷物の上に座り、カケルの両腕の中にすっぽりと収まっていた。状況を察した雪也は、構えた弓をのろのろと下げ、「見なかったことにするよ」と告げて、回れ右をした。

 戸の外で口説くことに飽き足らなかったカケルが、今日は実力行使に出たのだろう。最初からこうしなかったのが、真面目なカケルらしい。しかし、今の自分にはこの二人がどうなろうと関係なかった。二十一世紀の航空自衛官が、一体どうやって縄文時代の巫女だの村長だのに関われというのだ。

 雪也が縄文人たちに背を向けると、エナは元々振り払おうとしていたカケルの両腕から脱出しようともがいた。

「待って、ユキヤ! 助けてよ! あたしを護衛してくれるんでしょ?!」

「……巫女は村長の妻になるのが慣例なんだってね。カケルは男の俺から見ても、不足ないヤツだよ」

「あたし、誰の妻にもならないんだから!」

「勇士の力も必要ないって、昨日言ってたね」

 それなりに頼られていると思っていた。気まぐれにも我が儘にも、根気強く付き合ったじゃないか。それなのに、勇士はいらないという宣告を受けて、結局、現代に戻る道すら教えてもらえていない。

 やりきれない気持ちは、更に怒りに変わった。というのも、背後から土器が飛んできて、雪也が立っていた戸口の横の柱にぶつかって、カシャンという乾いた音を立てたのだ。

「エナ、勇士になんてことをするんだ。彼は君の大切な片割れだろう?」

 これから口説こうとしていた女の子が怒りにまかせた行動に出て、カケルは面食らったが、冷静沈着な村長らしく、子供を諭すように言い聞かせた。

 エナは大粒の涙を静かに流していた。

 以前、雪也に帰り道を示してほしいと頼まれ、精霊と交信をしたことがあった。その時に見えた光景はただただ苦しく辛く、避けられることができるなら避けたいものだった。このまま雪也が勇士としてエナの側に居続けることで、精霊が見せた未来が現実となってしまう。

 だったら、もう巫女が一人で十分ではないか。精霊の御告げは村長に報告することになっていたが、エナはあの時に見たことは固く口を閉ざして、胸の内にしまうことにした。自分と雪也の身に起こる運命を変えたいなら、彼を自分から、そして村から遠ざけるしかない。

「護衛もしてくれない、力を与えてくれもしない。そんな勇士は、必要ないわ」

 言い終わる前に、二つ目の土器が飛んできた。雪也は寸でのところでかわすと、弓矢を握り直し、後ろを振り返らずに言った。

「言われなくても出ていくよ。俺は元いた場所に帰るから」

「村から出るのか?! 沢霧の村を見捨てないでくれ」

「……悪いけど、縄文時代は俺のいる世界じゃないんだ」

 雪也は簡素な自分の家に戻ると、急いで保存食やナイフやその他の必要な道具をバックパックに詰め込み、その足で沢霧の村の境界を跨いだ。絶えず焚いていた竈の炎から明かりを取って、なんとか闇の中を進み、林の開けた場所で野宿をすることにした。朝日が昇ったら、出発だ。

 急いで村を出たせいか、追ってくる者はいなかった。エナとカケルがあの後、どうなったのかは知らないし、もはや雪也には関係のないことに思えた。

 これから向かおうとしている場所は、阿武隈川の下流方向なので川船があれば楽に移動できる。しかし、雪也はなるべく森林や山沿いを歩くことにした。縄文時代の村人は意外と行動範囲が広く、決まった場所で交易をしたり、村を行き来しているので、見知った顔に出くわすと面倒だ。勇士が逃亡したとなれば、居場所が知らされてしまうだろうし、強制的に連れて返されるかもしれない。

 幸い天気は麗らかで雨の心配もなく、気楽な旅だった。数日間かけて初めてエナと出会ったあの場所にたどり着くと、雪也は周囲を探索し始めた。確かにここに竪穴住居があったはずなのに、騒いでいるエナに気を取られた一瞬でどういうわけか住居は消えていた。それはまるで時空の扉が完全に閉ざされてしまったかのようで、後から考えるとぞっとする光景だった。

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