第2章 巫女と勇士と犬(3)

「それを神の使いというのです! どうりで奇妙な姿をしているとは思ったのですが、違う世界の方だったとは」

 カケルはがしっと力強く雪也の手を握ってきた。完全に雪也は神が遣わした勇士扱いだ。雪也は話の方向をちょっと変えてみることにした。こちらが否定しても、カケルやエナは心の底から雪也が勇士であると信じ込んでいるのだから何も言っても無駄なのだ。

「えっと、とりあえず俺が勇士だっていうのは、まぁ、否定しないでおくよ。でも、俺は速やかに元の世界に戻りたい。困ったことがあるなら喜んで手を貸すけど、俺が元の世界に帰れるようにそっちも協力してくれないかな」

 交換条件を出したところで、背後から第三者の足音が聞こえた。振り向くと、一人の中年男性が立っている。

「お前さんがあの勇士かね」

「ああ、アセビ爺様! 久しぶりですね」

 その男性は初老の少し手前に見えたが、カケルは爺様と呼んだ。確かに、この集落は二十代と三十代が多く、中年になると現代でいうところの「老人」扱いされてもおかしくはないし、そもそも縄文時代の平均寿命が三十歳程度というのだから、かなり長生きなのだ。

「長老! 今日は調子が良いのですか? 冷えますよ」

 カケルとアキは長老と呼ばれた男性に丁寧にお辞儀をした。

「巫女と勇士がやってきたと聞いて、会わずにいられるかね。帰るべき場所があれば、自ずから帰る道は開かれるだろうよ。ここにいるということは、お前さんがこの世界に必要とされたからやってきたんだからね」

 長老のアセビ爺は悠長な見通しを告げたが、具体的にどうすれば道が開かれるかまでは教えてくれなかった。

 ともかく、雪也たちは沢霧の村から歓迎され、早速、翌日に宴会が開かれることになった。

 その日、エナの家を見せてもらうと、奥には小さな祭壇が設置され、毛皮の敷物や物を入れるための籠や漆器、そして水差しの土器が置かれていた。シンプルなワンルームマンションみたいだと雪也は思った。すっかりエナになついたミウも、家を好き勝手に出入りしている。

 雪也はアキに呼び出され、勇士として巫女を守るよう念押しされた。

「女として必要なことは、私がお世話するけど、他の日常的なことはあなたの役目よ、ユキヤ」

 村の危機を救う勇士とは言え、巫女のエナに比べれば雪也はかしずかれる対象ではなく、エナのボディーガード兼世話係扱いになってしまった。

 縄文時代の生活は確かに二十一世紀の文明の利器はないものの、快適とは言えない状況に身を置く訓練をしてきた自衛官の雪也にとっては、そこまでひどいものではなさそうに思える。とりあえず、屋根付きの家があり、食事はアキがエナの分と一緒に持ってきてくれる。ここが戦国時代ならもっともっと緊張感にあふれ、うかうか出歩けなかったかもしれない。

「あなたの服はなんだかすごいわね。どうやって編んだのかしら」

 雪也の服は量販店で売っているような普通のパーカーとジーパンであるが、こういう繊維製品はもちろん縄文時代には存在しない。アキは雪也に縄文時代の服を渡して、雪也の服をよく見たいからと貸してもらった。

(俺、このまま縄文人になっちゃうのか……)

 夜、家の中で敷物の上に寝転がりながら、雪也は自分の身に起こったことについて思いを馳せた。

 縄文人と会話ができるのも驚きだし、そもそもなぜ自分がこんな遠い過去に飛ばされてしまったのか皆目わからない。そういえば、宮畑遺跡にはいくつかの謎があった。

(確か意図的に家を燃やした跡がたくさん見つかってるんだっけ。それも、他では見ないほど、高い割合で)

 ということは、沢霧の村のどこかにそういう住居が残っているかもしれない。宮畑遺跡に特徴的な焼失住居は、縄文時代中期、つまり現代から約五千年前後前のものなのだが、雪也がやってきたこの時期が中期に当たるかどうかはわからない。他にも色々考えたいことは山ほどあったが、雪也はいつの間にか夢の中へ落ちていった。

 翌日、夕方から始まるという宴までの空いている時間に、雪也はエナを誘って集落の探検をすることにした。

「おいで、ミウ」

 まだ成犬になりきれていない小柄のミウは、柴犬のように真ん丸としていて愛嬌があり、見知らぬ世界にやってきてしまった雪也も、その姿を見ると心が和むのだった。今日は宴日和ね、とエナが言った。本当に空気が澄んでいて、村から見える周囲の山や森の色付いている風景は絵画的ですらあった。

「この村、危機に直面してるって言ってたけど、そうは見えないな」

「いいえ、あたしの出身の小滝の村と同じ。人口が減るってことは集落の存亡に関わることだし、何よりも巫女が死んでしまったというのは不吉よ。だから、新しい巫女として偶然彷徨ってたあたしが迎えられた」

 アキがエナに教えた情報によると、ここ数年間の沢霧の村の死者数は出生数を大きく上回っていて、子供の割合も他の村よりも少ない。子を産める女の数も限られているため、なかなか人口が増加しないとのことだ。

「巫女ってどんなことをするの? 俺が住んでた世界にも、神を祀ることはあるけど、巫女がいないと都市の、えっと、村の力が衰えてしまうってことはないんだ」

「巫女よりすごい力を持った人がいるの? まぁ、とにかく巫女は毎日神に祈って、時々、儀式を行うのよ。今夜の宴もそう。でも……」

 そこまで言うと、エナは雪也から視線を外した。横を向いた表情そのものが曇ったのを見ると、太陽の光が眩しかったからではなさそうだ。気の強いエナが悲しそうな瞳を見せたことに、雪也は少なからず驚いた。

 出会ってから日は浅いけれど、エナが何かを不安がったり、沈みこんだりするような女の子だとは思えない。飲み込んだ言葉の続きを訊こうとした時、ミウがくぅんと鳴きながら激しく動き出した。

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