第2章 巫女と勇士と犬(4)

「元気がいいなぁ」

 ミウを軽く撫でたのは、カケルだった。その数歩後ろには見かけたことのない青年が随行している。現代日本人としては小柄な雪也よりも少し背の低いカケルだが、村長に相応しい堂々とした態度のお陰で雪也よりも大きく見える。

「エナ、調子はどうだ?」

 犬から視線を上げたカケルは微笑みながら問い掛けた。しかし、エナはぎこちなく口角を上げて、お陰様で快適よと返す。そして心なしか、雪也はエナが自分の方へ僅かに近付いたような気配を感じた。

 以前、エナが話した大鵥の村の村長キビタキと違って、カケルは人徳がありそうに見えたし、怖がる理由も思いつかない。それとも巫女として何かを感じ取って、警戒しているのだろうか。

 微妙な空気が流れかけたが、それはミウの愛らしさで打ち消された。軽やかに鳴き、尻尾を振ってエナに纏わりつくミウを見れば誰もが頬を緩めるに違いない。

「今夜の宴は歓迎の場でもあるし、祈りの場でもある。エナは精霊の儀式をよろしく頼む」

「ええ」

「ところで、ここで何をしてたんだ?」

「村の中を早いとこ知っておきたいなと思って散歩してたんだよ」

 それなら、とカケルは自身が案内しようと、二人に村の隅々まで見せてくれることになった。環状に住居が立ち並び、中心となる広場には小さいながらも石を敷き詰めた祭祀場が設けられている。そして、周囲の森林はある程度人為的に整備された食糧調達の空間である。北側には清らかな川が流れており、春から秋には川魚が釣れるし、美味しい水がいくらでも飲めた。

 だが、沢霧の村にはどこにも焼けて失われた住居が見当たらなかった。ここが宮畑遺跡でないのか、それとも同じ縄文時代でも全く別の時期に来てしまったのか、今はまだ雪也には知る由がなかった。

 日が傾き始めると一気に夕闇が迫る。雪也の家にも、かすかに今日の宴に出されると思われる料理の香りが風に運ばれてきた。様子を窺っていると、村人たちが集まっている。村には一つだけ広い家があり、それがカケルの家なのだが、集会を開く時にも使われる。

「準備、できた?」

 エナの家の戸口で声を掛けると、中から先に行っててという返事が聞こえた。雪也はその通りに、エナを置いて一足先に宴の輪に加わることにした。

「沢霧を救う神の使い、勇士のご登場だ。ユキヤは遠い未来から来たと言っている」

 村長がそう紹介すると、二十名弱の村人たちはどよめき、手を叩いた。ざっと見渡したところ、やはり若者が多く、初老に近いのはアセビ爺しかいなかった。

 雪也が空いている場所に座ると、すぐに女の子が飲み物を持ってきてくれた。赤ワインのようだが、味は違った。ただ、酒であることは間違いなさそうだ。宴のメインディッシュは、大きな鹿の燻製と鮭だった。固めのパンのようなものや栗、新鮮な果物も運ばれてくる。

「さて、みんな。勇士には巫女の警護をしてもらっているが、沢霧の一員になったのだから、妻を与えたいと思う」

 ここでまたどよめきが発生したが、雪也は何か聞き間違いをしたのではないかと目をしばたいた。今、カケルは妻を与えると言った気がする。

「ちょっと待った。俺、今のところ彼女すらいないし、嫁なんて――」

「遠慮するな。勇士には特別に、私の妻たちを共有する権利を与えよう。アキ、キララ、よろしく頼むよ」

「ええっ?!」

 雪也の驚愕をよそに、アキと雪也に飲み物を持ってきてくれたキララは、当たり前のようにはいと頷く。

 村長に妻が複数いること自体は別に驚かない。昔の人はそういうものだと、歴史のことをよく知らない雪也でも何となく理解できる。しかし、妻たちを共有するなんて習慣は聞いたことがなかった。

 断るのもいかがなものかと思ったが、やはりいきなり知らない女の子たちを妻として扱うのは、非常に抵抗がある。あまり異性と出会う機会がない自衛官の仲間には、雪也が置かれた状況を羨む者がいるかもしれないが、それでも他の男の恋人を共有して心から嬉しいとは思えないだろう。

「始めに言ったことだが、ユキヤ、沢霧の村は人口が減っているんだ。アキやキララに勇士の子供が生まれたら村全体の喜びになる。だから、村長の妻だからと気にするな。もちろん、他に気に入った女がいれば、妻にして構わないよ」

「はぁ」

 理解の範疇を超えていると思ったが、うまく対処しないと面倒なことになりかねない。歓迎の宴は、気もそぞろになってしまった。

 そうこうしているうちに、宴がお開きに近づいてきた。しかし、一向にエナが姿を見せない。様子を見に行くべきかと立ち上がろうとした時、カケルが皆を外へ出るよう促した。

 秋の夜は全体がひんやりとして、眩いばかりの大きな月が天に貼りついている。その月明かりの下に、仮面を被った人物が佇んでいた。他には筒状の何かを腰のあたりに下げている。

(あれはエナ……?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る