第9話 距離縮まる
夜は明ける、目覚めは訪れる。
一夜のできごとも、私にとっては夢に近い。
けれども痕跡があるならば、それは夢でないと思い出すんだと思う。
一夜あけて、私は目を覚ました。
見慣れない部屋ではなく、いつもの自分の部屋。
まどろみの中でみた部屋と、隣で寝ていた彼もいない自分の部屋。
昨夜のできごとは夢だったんじゃないかと思った。
ああ、あんな夢みるなんて、年だけとって、中身は乙女みたいで馬鹿みたい……
そう思って、着替えようとする。
目を疑った。
あちこちに、うっすらと噛まれたような痕や、ひっかき傷のような痕が体のあちこちについていた。
おかげで、あれが夢ではないと認識し、座り込む。
顔が真っ赤になって、動けない。
全身が熱い、恥ずかしくて、なんとも言えなくて動けない。
「……」
痛みはほとんど残ってない、多分彼が何かしたんだと思う。
でも、痕跡はばっちりと残っていて、本当に夢でなくて、やってしまったんだというのを自覚させるには十分だった。
こわごわと、痕跡をなぞると、その形を指でははっきりとたどれた。
甘くしびれる感じがする。
「おい、起き……」
「あびゃああああ!?」
奇声を上げて、倒れ、転がる。
慌ててベッドのほうに隠れると、彼は一瞬目を丸くした表情を見せてから、意地悪く笑って近寄ってきた。
「随分と愉快な格好をしてるではないか」
「ゆ、愉快な格好?!」
今混乱中なので、変なことをいうのはやめてほしい、いや本当に。
「いつまでもその格好でいるなら――」
「二回目を、今ここで行うぞ」
耳元でささやかれ、顔がかーっと熱く、真っ赤になる。
「い、今は明るいから無理です――!!」
慌ててタンスから服を取り出して必死になって着込む。
傷を見せたら恥ずかしいから、見られたら恥ずかしくて死ねそうだから。
後ろで何かニヤニヤしているのが解るけど、がんばって気にしない不利をし続けた。
本当に、恥ずかしい。
「き、着替え終わりましたよ……ですから、お仕事……」
「何を言ってる今日は診察日だろうが、いくぞ」
「え、え、え――?!」
こんな日に限って診察日だと言われた。
神様、私はあなたになにもしていません、天に唾を吐く行為もしていませんが何でですか――!!
内心誰も気づきませんように、と呟きながら彼にひっぱられるようにして病院について行く。
本当にあちこちつきすぎてて、自分の見えないところにも付いてるんじゃないかと不安になる。
第一どれくらい、痕をつけられたのか覚えてない。
知らない。
大人しく、かついつも以上に静かに目立たないように、診察を待つ。
彼のほうは上機嫌の様子で、いつも以上にニヤニヤと意地悪げな笑みを浮かべている。
「43番の姫野さん――第四診察室にお入りください」
「は、はい……」
立ち上がると彼が腰に、手を回してきた。
どういう意図かさっぱり解らないから混乱の度合いが増す。
混乱しながら診察室に入ると、やっぱりいつもと変わらないカオル先生がいた。
混乱していてうまく話せない私に代わって、彼が全部カオル先生に病状の変化とかを話してくれた。
「……なんかいつもよりマイちゃんだんまりだね、何かあったの?」
「聞きたい――」
「わー! わー! わー! 何もありません、何でもありません、大丈夫ですー! では失礼しますー!!」
珍しく私がずるずると彼をひっぱる形ででていく。
「あー……なるほど、そういうこと」
何かを納得したような呟きは聞かないことにした。
「……」
ちょっと気まずい空気が流れる、やや彼が不機嫌になった。
実際不機嫌そうな顔をしている。
会計も終わって、薬も出してもらって、買い物も終わってもなお不機嫌で気まずい空気が流れている。
なんでここまで不機嫌なのか解らない。
「いずれバレるような間柄ではないか、何で隠す!」
家につくなり、頬を抓って不機嫌そうに言う。
「らって、はずかひいんでしゅもん……!!」
それ以外何が言えるだろうか。
そもそも、そういう事を言うなんてもっての他だ。
できることなら、私は、そういうことをしたのは二人だけの秘密にしたいタイプの人間なんだもの。
第一、元彼の押しが苦手で待ってもらったから今まで経験なかったというあれなだけだし、そもそも恋人初めてできたのが遅くてこわかったのもあるし。
昨日の行為とかそれまでの流れが、まるで夢物語というか、乙女の夢を凝縮させたというか妄想炸裂のような気がしてこっぱずかしいというか。
あー!
ともかく恥ずかしいの!!
いろんな自分のあれこれバレたくないの!!
恋人とかなら秘密にしてほしいのが私の願望なんですごめんなさい!!
とか、いろいろ考え込んでいたら。
不機嫌な彼の顔がみるみる嬉しそうな、愉快そうな顔に変化していく
。
相変わらず、どこか邪悪だけど、本当嬉しそうな笑顔だ。
「――なるほど、そうか。そういうことか」
楽しげに言う。
「そこまで貴様が考えてるなら仕方ない、あれは私と貴様の秘密といこうかマイ」
最後に名前を甘く呼ばれて、ぞくっとする。
そして一気に顔が赤くなる。
「お、お願いします……」
「さて、では食事といこうか、今日はまだとれていなかっただろう?」
玄関から居間へと戻ると、また湯気がたっている温かな食事がソファー前のテーブルに並べられていた。
本当この原理というかいつ作ったとか並べたとか、未だに全然解らない。
ソファーにすわり、遅めの朝食兼昼食を口にする。
最初のころよりも固形物がすこしずつ増えていった。
そして、私はそれを食べられるようになっていた。
固形物が食べられるようになってくると、彼の料理のバリエーションがどんどん増えていった。
私は、料理はそこまで得意なほうではないから本当にありがたい限りだし、嬉しいと思う。
でも未だに、この考えが首をもたげる。
自分にそれだけの価値があるのだろうか。
こんなことを考えてると、また抓られると思い、彼のほうを見ると呆れのため息をついて、私の髪を撫でた。
抓られないことに、私は少し驚いた。
「貴様は、相変わらずだな。だが、そういうところも含めて貴様という存在なのかもしれんな」
その言葉に、目から涙がこぼれた。
ぼろぼろとこぼれて、止まらない。
何故なんだろう、どうしてだろう、悲しいわけじゃないのに、涙がとまらない。
彼の顔が涙でぼやけて見えない。
涙を止めなきゃいけないのに、止まらない。
必死に止めようとしていると、目元を拭っていると、手を捕まれて、そして額を、撫でられた。
涙で視界が歪んで見えないが、彼の顔は多分、怒っていない。
先ほどと、変わっていない。
「もっと早くこう言えばよかったのか、こんな簡単なことに気づかないなんて――否、当時ではこうもいかなかっただろう」
彼の言葉が、とても優しい声色で耳に届く。
「……」
そしてそのまま抱きしめられる。
「焦ることはない、ゆっくり良くなっていけばいい。私がその時間を作ろう」
彼の言葉が、胸にしみる。
家族が言ってくれた言葉だった、でも、私はそれがうまく受け止めれず、ここで地獄のような毎日を送っていたのだ。
彼が来るまで、何度母が「戻ってきてくれ」と泣いて頼んできたけど、かたくなに拒否した。
みすぼらしい、みっともない自分を、地元の人に見られたくないという最後の見栄。
醜い自分の最後のプライド、それを守りたくて一人この家で過ごしていた、でも、彼のおかげで一人じゃなくなった。
あの日、何度も家に戻らない選択をしたのは間違いじゃなかったんじゃないかと今は思う。
だって、そうしないと、彼と出会えなかったかもしれないから。
彼とこうして、ふれあって病状がよくなることなんてなかったかもしれないから。
彼と出会って、新しい世界を見せてもらえるなんて体験なかったかもしれないから。
ただ、これはあくまで私の回答であって、本当なら、実家に戻って療養するのが正しいんだと思う。
私だけの、回答。
私だけの、正解の道順。
長く、遠回りに見えたけども、やっと救われたような気もした。
涙がとまってから、彼はいつものように少し塗れた冷たいタオルで目を冷やしてくれた。
泣きすぎて、ちょっとだけ目が痛い。
「……目痛い」
「あれだけ泣いたらな」
頬をなでながら、少し呆れたような、安心したような口調で彼が言う。
「……私、はやく病気とか治して……もっと役にたちたい」
「早く治したいなら、焦らずゆっくりいけ。貴様は焦って自分を責めがちだからな」
彼の言葉が、とても優しく胸にしみこんでくる。
頬をなでてくれる感触が手袋だけども、優しく思ってくるのが伝わって心地いい。
「……うん」
そんな心地よい空間を壊すかのように、チャイムがなる。
宅配便も予定はないし、母からそんな伝言も聞いてない。
先生だって、事前に来る前はメールがくるし、そのメールもない。
私は怖くなってしまい、彼の服をつかんだ。
「貴様は、ここにいろ私が見てくる」
そういうと、彼は玄関の方へと向かって行ってしまった。
「はい、どちら――」
「マイ? じゃない……あの、あなたは?」
ダークがでると50代ほどに見える女性が立っていた。
大きな荷物も持っている。
どことなく、マイに似た面影を持つ女性だった。
玄関から聞こえた声。
懐かしい、声に私は慌てて飛び出した。
「お母さん?!」
「あら、マイ! よかった、元気そうになって……!!」
玄関まで行くと、お母さんが私を抱きしめた。
まって、私聞いてない。
お母さんくるなんて留守電もメールも何ももらってない!!
「お、お母さん、おばあちゃんは大丈夫なの??」
「大丈夫、ちゃんとお願いしてあるから。 それよりこの人は?」
母がいぶかしげに彼を見てる。
やばい、なんて紹介しよう、いきなりすぎて紹介文章なんて考えてない。
「――マイさんのお母様でいらっしゃいましたか」
「へ?」
突然の丁寧な口調に、私は目を白黒させる。
「初めまして、私ダークという者です。マイさんとは、彼女の担当医のカオルの付き添いをしていた時に出会い、そこからおつきあい基警備をさせていただいてます」
「警備?」
母が首を傾げる。
「マイさんを鬱に追いこんだ元凶――元彼や元上司と出会ったさいの対応などをいたしております、元彼とのみ一度対応したことがありますが」
「まぁ……!」
母には鬱の原因をしゃべってた分、いろいろと驚きだったと思う。
「もしかして、マイのお世話を?」
「はい」
「あらあら……申し訳ございません。本当は私達がこの子の療養の手伝いをしなくてはならないのですが、この子はここから離れたがらず……でも、何度も薬を服用していると聞いてもう我慢できなくなり来てしまいました」
だったらせめて一言メールくれよ、お母さん。
心の準備、できてない。
内心ぼやくと、彼は私を見てなんとも言えない笑みを浮かべた。
「なら、ご家族と一緒が今日はよろしいでしょう、私は別にすんでいる場所があるので、そちらに――」
「……」
ぎゅっと彼の服をつかんでしまった。
「……部屋、空き部屋にベッドもあるから、お母さんそこでお願い……ダークさんは帰らないで……いつも通り、いっしょがいい……」
彼の顔がみれない、恥ずかしくて。
我ながら思い切った行動にでたものだと思う。
でも、ちらりと見れば彼の顔が少し赤く見えた。
「ということですので、ダークさんお願いできますか? 大事な娘のわがまま聞いていただけますか?」
「――わかりました、お聞きしましょう」
母は、嬉しそうにでも少しだけ不安そうな顔で、私を見る。
前の恋人の件もあるから、少し不安なのだろう、母を客人用の寝室に案内しながら口を開いた。
「……カオル先生の知り合いだから、大丈夫」
「そうなんだけども、やっぱり、ねぇ」
「……気持ち解るけど、ダークさん、信じて、ほしい。私の病気ここまでよくなったの、ダークさんがいたから」
「まぁ……そうね、大事な娘だもの信じなきゃね」
「うん、ありがとうお母さん」
早寝早起きな母が寝付くと、私はリビングで漸く息を吐いた。
「ああ、心臓に悪かった……本当、母がいきなりごめんなさい……」
「私もさすがに一瞬肝が冷えるかと思ったぞ、母親が突然くるとは……だが、今までもなんどかきたのだろう?」
「うん……でも今までは一週間以内でかえってもらったの……それに、今も地元に帰って療養する気はないの……地元の先生がいい先生とは限らないし、カオル先生がいいし……それに」
「地元の知り合いと、会いたくない、か?」
「うん……会うのが怖いの、ほら、私あんな状態だったから、みっともないから……みじめになるから」
「そうか――」
「なら、これからも私が貴様の面倒を見てやる。地元に帰るといってもついていってやる、覚悟しておけ」
彼が邪悪で嬉しそうな笑みに、私も嬉しくて笑ってしまう。
「――はい、覚悟しておきます」
そういうと、何か面白くなって、二人して笑ってしまった。
まだまだ解らないことはたくさんあるけども。
彼との距離が、確実に縮まったような気がした。
いや、縮まっていたのだ。
縮まるのがとても嬉しかった――
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