第7話 声
少しずつ歯車が回り出すように、私の世界は変わり始めた。
それに併せて、嫌な過去がじわりじわりと、傷口からにじみ出してきた。
治りかけの傷が、開くように痛く、辛く、開く。
今日も私は花のお世話の最中。
原石や鉱石の収穫は、機械が勝手にやってくれるからたまにしかみれない。
何もしない日々より、少し彩りがましたように見えた。
話せることはほとんどないから、暇だから見ている動画や流している音楽の話ばかりになるけども。
彼はそのことについて、何もいってこない。
元々外出が未だに必要最低限しかないから、私が外が怖いから無理に外にだそうということをしないのはとても嬉しい。
でも、今日はそうはいかない。
今日は病院の診察日。
病院は予約制。
なので、世話を切り上げていく準備を始める。
彼はもう一緒にくる準備を終えていた。
いつも一緒に来て、歩いてくれるのが本当に嬉しい。
「さぁ、行くぞ」
「は、はい」
きつい口調にも少しだけなれた、だって口調はきつくても私を待っててくれて本当に嬉しい。
手を差し出してくれて嬉しい。
歩調をあわせてくれて嬉しい。
ああ、恋人ってこういうものなんだ、って思うと嬉しい気持ちであふれる。
壊れた心でも、幸せを感じられる。
病院での診察は、いつもよりよかった。
今の薬を引き続き続けていく方向で進めることになった。
カオル先生は相変わらず、明るくて、でもちゃんとお話を聞いてくれて嬉しい。
彼がうまく言えないことを代弁してくれるのも本当に嬉しい。
私はまだ、自分の言いたいことをうまく言えない時がある、先生は待ってくれるがそれでも次の人とかに迷惑をかけてしまうから、言えないと自分を責めてしまう。
今は、彼がうまく言えない部分を言ってくれるから、本当に助かってる、申し訳ない位に。
病院終わりには、いつも通り薬局へ向かって買い物に向かうはずだった。
病院をでて、会いたくない人に、出会った。
私の『元』恋人。
初めての、『彼氏』。
私を裏切った『人』。
吐き気がする。
たまらずその場で、うずくまって嘔吐、した。
ダークは嘔吐し、うずくまっているマイを抱きしめた。
思考の声ですぐ解る。
かつて、過去を読みとった影響ですぐ解る目の前で、立ち尽くしている男こそが、マイの『初めての恋人』だった男だと。
マイを病ませている元凶の一つだと。
「マイ……!」
「寄るな汚らわしい」
今にも壊れそうなマイの耳をふさぎ、彼女に聞こえないようにした上でぞっとするような残酷な声を男に向ける。
その声と視線、表情に男は思わず青ざめひるんだ。
「散々甘い言葉をはきまくったあげく裏切った男がなぜ姿を現す、恥を知れ」
空気がビリビリとはりつく。
異変を感じて、飛び出てきたカオルがダークとマイ、そして男を視認すると一瞬で状況を把握したらしく、男を笑っていない笑顔で見る。
「あーら、葛谷隆一君? 何? マイちゃんとよりを戻そうとか考えるなって私いったよね? それに姿も表すなっていったよね? 今のマイちゃん見ても解るよね、君は彼女を傷つける以外の何者でもないの」
男に何一ついいわけさせないようにした上でカオルは続ける。
「早くうせろ。私の患者を傷つける奴は許さない」
今までにないような冷たい声と、冷たい表情で男を追い返した。
「……貴様、そういう声も出せるんだな」
「あー普段はださないよー? 今回患者さん上に全員逃げてきたし、大丈夫そうだって思ったからやっただけー」
少し驚いた表情をするダークに、元の笑顔に戻ってからからと笑いながらカオルは答えた。
「マイちゃんは」
「安心しろ、何も聞こえてないし、見てもいないが」
ダークが抱き抱えているマイに視線を落とす。
もはや胃液しかでない状態なのに、ずっと吐き続けていた。
首にも何度もひっかいたような傷ができており、赤く無数のひっかき傷ができていた。
「悪い、聞かせないことに集中しすぎた」
「いや、いいよ」
マイの腕を首からはなし、これ以上傷つけないように握りしめながらダークは答えた。
「マイちゃん、たてる」
「……」
うまくしゃべれないのか、目や口から液体をこぼしながら小さく首をふる。
「……」
「ベッドを借りたいが、可能か」
「うん、空いてるから可能だね」
ダークは、マイの鞄からタオルをだし、彼女の顔を少しだけ拭ってから戻し、彼女を抱き抱えて病院の中に戻った。
カオルもいったん戻り、看護士に指示を出してダークを院内のベッドがある部屋まで案内するようにいうのと併せて、吐瀉物の清掃と、警察への電話をするように伝えた。
ダークがマイをベッドに寝かせると、看護士達がマイが自分を傷つけないように腕を覆ってベッドに寝かせた。
「ダークさん、今のうちに薬局にいって。今新しい処方箋書いたからこっちだして」
「解った。私が戻るまで任せるぞ」
「まかされたー」
いつもの口調に戻ったカオルを見て、ダークは小さな息を吐いた。
「――助かった、でなければあの男八つ裂きにしてたところだ」
「そうだねー……ばっちいから八つ裂きはだめよー」
くすくすと笑って言うカオルを見て、ダークもニヤリといつもの笑みを浮かべた。
「確かに」
そういうと、ダークは部屋からでていった。
薬の影響で眠るマイを見て、カオルはそっと額を撫でる。
「ほーんと、しつこい男だね……厄介なのが未練がましく、腹立たしい」
やや、ムカついた口調だった。
「しでかしたことを後悔して、後で謝っても遅いんだよ、失ったものが帰ってくるわけでもあるまいし」
苛立ったような口調で一人呟き、ダークが戻ってくるまで眠るマイを見守り続けた。
目を覚ますと、見慣れたいつもの寝室の天井があった。
「ようやく目を覚ましたか」
一部の記憶が曖昧だ、なんでこんな状態なのだろうか。
うまく喋れない、首に巻かれた医療テープはなんなのだろう。
そうだ、私はあの声――
鮮明によみがえる。
二度と、会いたくない人との遭遇の記憶。
ああ、だから、私は今こうなってるんだ。
思い出したとたん、気分が若干悪くなった。
吐きそうになると、彼がすでに用意してくれた袋の中に透明な液体を吐き出す。
すっぱい匂いと味が口をひりひりさせる。
「思い出す必要はなかったのだ、あんな時のことなど」
いつもの口調で、彼は私の背中をさする。
ああ、彼に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
まだ、昔の「最低の恋人」に引きずれている、振り回されているんだもの。
他の女性なら、未練なく振り切れているのかな。
女性の方が普通未練なく、前を向いて歩けると聞いたのに、私はそれができていない。
変なヒロイズムに浸ってるのか、私は。
馬鹿な状態になってないで、さっさと前をみないと、今は今は彼がいるんだ、もうあんな惨めな思いしなくていいんだって――
言い聞かせても、涙がとまらない。
「おい、貴様」
彼が呼ぶ。
ああ、失礼なことばかり考えてしまった。
謝らなきゃ、ごめんなさいって。
でも、許してもらえる気がしない、怖い。
けれど、怒られなかった、ただ抱きしめられたと思ったら、首の近くに熱い感触があった。
どこか、痛いけど、いとおしいような熱い感触。
「いいから、黙ってろ、余計なことも考えるな」
体から力が抜ける、頭がぼーっとしてうまく考えられない。
「暫くは外出も控えよう、あいつと会ってお前が気分を害するのは見ていてよいものではない」
「薬も今回は多めにもらった、だからしばらくは休むとしよう、不用意に家からもでるな、施設への道は別のを使え、教えてやる」
「今の貴様は私のものだ、覚えておけ」
ようやく解放され、そして寝かせられる。
「今日はもう休め、明日からはまたゆっくりやっていけばいい」
彼の言葉に、ひどい眠気を感じ、私の意識は再度暗転した。
再び眠りについたマイをみて、ダークは彼女の肩をそっと撫でる。
甘く噛んだ痕跡がそこにうっすらと残っていた。
「……あまりひどいと実力行使をするから覚悟しておけ……」
ぼそりと誰にも聞こえないように呟いた。
聞こえない声が耳に届く。
でも、少しずつ聞いていたい声で、覆い尽くしてくれるのだ。
ゆるやかに、浸食するように、それが私には心地よかった――
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