第5話 近づく
ぐるりと世界は変貌した。
ただ、苦痛、幻聴、嘔吐、病院、自殺願望、そればかりで彩られた私のの世界は、別の色が上書きするように塗りつぶしていく。
でも、そうそう簡単に消えないもので、発作的に今までの生活がでてきて、心の悲鳴が今までと違う形で顔を出す。
それでも、私は前に向かって歩かなければいけない、いけないのだ。
発作的に、カッターナイフを取り出す。
この日は体を無償に傷つけたくてしょうがなかった。
幻聴がひどい。
――できそこない――
――――こんなこともできないのか――――
――なんでいきてる――
――――さっさと死ねばいい――――
頭がガンガンする。
いつもの調子で切り刻もうとした――
黒手袋をした手が私の手をつかみ、カッターナイフを手から消滅させた。
不機嫌そうな顔をしている、ああ、やっぱりだめなんだ私。
「今のは私が預かっておく、さっさと仕事にいくぞ」
そう言って、彼は私を待っている。
そうだ、私は寝間着姿だ、せめて動きやすい服装にしなきゃと、汚れてもよさそうな服をひっぱりだして着替える。
醜く痩せたままの背中は、彼にはどう見えるのだろう。
聞くのは怖くてできない、だから考えるだけにしている私を彼はどう感じているのだろう。
「その美醜はどうにでもなる、ともかく早く行くぞ」
ああ、私にとっては優しすぎる。
やっぱり残酷な位優しいから、私にはもったいない位。
泣き顔を隠しながら彼の後ろをついていく。
仕事場は、植物達のお世話。
お気に入りの音楽が入った再生機をもっていく。
部屋中に音楽が流れる私が好きな、お話のある歌が。
大事なものを捨ててしまい、それに後悔をした男の物語が流れる。
好きな音楽の一つだ。
最後に取り戻せる救いの歌だから。
本当は、取り戻せてなんかいないのだけど。
触っても問題ないといわれているから、植物の葉を指で撫でながら話しかける。
「貴方たちはきれいになって、人を喜ばせれる素敵な存在だけど、私はそうなれない、うらやましいな」
ああ、本当にうらやましい。
でも、傷つける対象に植物達はならない、傷つける対象は自分だ。
がりがりと爪で手をひっかく。
赤くなり、何度も繰り返すと皮膚がじわじわと裂けていく。
「あなた達はきれいになれるけど、私はなれないの。きれいになって、きれいな人に着飾られてね」
宝石が似合うような見た目なんて、してないから。
「貴様、手をだせ」
「え?」
いつの間にか後ろにいた、彼が私の手をつかむと、両手に手袋をかぶせた。
「仕事中ははずすな、いいな?」
「でも……」
「いい、な?」
顔をがっと捕まれ、目を直視させられる。
ああ、拒否できない。
「は、はい……」
背中を向けて歩き出すのを確認すると、その場にへたり込む。
彼は時折強制力の強い、何かを使う。
基本私が自傷行為に近いものを行う時にしか行使しない。
彼は何も求めない、何をしてほしいとか言わない。
やっぱり、私には何もないから、いわないのかな。
「やっぱり気になりますかねぇ」
「ひぃっ?!」
後ろからの突然の声に、聞き慣れない声に、心ががたがた震える。
あわてて振り向けば、全身つぎはぎだらけのDr.さんがいた。
「いやいや、そんなに怯えなくても大丈夫だよぉ?」
そういわれても、慣れない人は怖い。
この人とはロクに会話もしていないのだもの、怖い以外になにがある。
「あ、あの、わ、私に、な、何か、ご用、で、ですか?」
「うんうん、会ったのあの一瞬だけだったからねぇ。ちゃんとお話してみたかったんだよぉ」
確かに、あの一瞬以来会話もせず、会うこともせずにいた。
私は会いたいとは特に思わなかった、だって初対面に等しい人と会話ができるほど、いまの私は体も心には負担すぎる事柄だ。
「ところでさー、君はダーク様とどうして恋人なろうとおもったの?」
「え? そ、その、えと」
「ダーク様が一方的に決めたとかぁ、ああそれがあり得るねぇ、でもどうしてだろぉ?」
「わ、私の過去、読みとった、ら、らしくて、それで」
「もしかして、過去に恋人関係で何かあったの?」
ああ、この人苦手だ。
カオル先生はトラウマ刺激しない形でしか聞いてこないから、いいけど、この人は私のトラウマを刺激する言い方しかない。
ああ、いや、だれか、だれでもいいから助けて、もう話したくない。
「おい、Dr.。 誰が研究をやめろと言った? 誰がこいつの仕事の邪魔をしろと言った?」
「いでででで!! ダーク様首もげますもげます!!」
「今すぐもいで椅子と縫いつけてやろうか? 嫌ならさっさと仕事に戻れこの馬鹿者!!」
彼は鬼のような形相でDr.を蹴り飛ばすと、Dr.はその衝撃で床と衝突したが、すぐ様立ち上がり、逃げるように走っていってしまった。
「全く、あの研究馬鹿には貴様との接触控えるようにあとできつく言っておかんとな」
呆れたような口調が耳に届く。
安心しきったのか解らないけど、急に胃から吐き気がこみ上げてきた。
耐えきれず。
吐き出した。
そして、意識も一緒に暗転した。
酸っぱい匂いと不快な感触だけは、最後に解った。
ダークは嘔吐し、気絶したマイを抱き上げると急いでシャワールームへと向かった。
マイの服を脱がし、裸にすると汚れた服を洗浄機につっこみ、吐瀉物で汚れた顔や髪を丹念に洗った。
また、その際口や鼻にお湯が入って窒息することのないように気をつけた。
こうして意識のない状態でみると、目の下のクマや、若干こけた頬など、不健康に痩せているのがよく解る。
土気色の死人のような肌、かさついた唇、長い期間よく眠れなかったのかこびりついた黒ずんだ目の下のクマ、普段はしゃべったりしてて気づきにくいが意識がない状態だとよくわかる頬のこけ具合。
体も肉づきはわるく、時々40キロ台になるだけという話が嘘だと解るほどだった。
現在がその状態なのだと解るほど、体は細かった。
体を洗浄し終えると、暖かなタオルで体や髪をふき、ドライヤーで髪の毛を乾かす。
一向に目を覚まさないマイを、そのまま抱き抱えて、わずかに歩くと、そこはマイの寝室になっていた。
マイの寝室に瞬時に移動していた。
ダークはタンスから下着やらを取り出して着せてから寝間着を着せた。
そして、ベッドの上に寝かせ、毛布をかける。
「……」
はぁ、とため息をつく。
「ダーク様、私からかいすぎましたかねぇ?」
「……貴様、これをみてその言葉だけとはいい度胸だな」
ダークの言葉にひっと、Dr.は悲鳴を上げる。
長年のつきあい故、どれほどの憤怒を起こしているか解るのだ。
「次やったら、もう一回死ぬ恐怖を味わうことになるのを覚悟しておけ、いいな?」
見向きもせずいうダークに、Dr.は何度も頷いた。
「……貴様いつからここにいた」
「つい先ほど、もうそろそろ寝室いくかなーと緊急用の通路を家につなげさせていただいたので、それを利用して」
「やはり作ってたか……」
憤怒を鎮め、呆れるような口調とため息を返す。
「じゃあ、その子に聞かないのでダーク様に質問ですが、なにされたんですか?」
「……会社では上司のひどいセクハラ、恋人はそれをセクハラと認識せずかわいがってくれているからと一点張りで話を深く聞かず、自分のことを大事にしてくれているのか疑問に思った矢先に、風俗店通いやセフレをつくっているのをしり、精神の支えが一気に崩壊。精神科通いになり、そこでカオルと知り合い弁護士の力なども遣って、恋人、会社とも縁を切る。簡単に言えばこんな感じだ」
「……わぉ」
「しかも初めての恋人ということもあり、自分の見る目のなさなどいろいろ自分のだめさ加減に一気にダメージがきた。ダメージにダメージを重ねて、今いきるのがぎりぎりできている精神状態だ。正直私がここに到着した時もODして自殺未遂状態だったぞ」
ダークははぁ、とため息をついて、血色が少しだけよくなったマイの頬を手袋をはずして撫でる。
鋭い爪で頬が傷つかないようにきわめて優しく。
「普段は手袋なのに、今日は素手なんですねぇ」
「普段から素手ではマイが怯えるだろうが、阿呆か貴様」
ダークの言葉に、Dr.はそれもそうかという顔をする。
「才能はある、だが環境がそれを殺した。環境に才能が殺されるというのは苦痛なのはお前とて解るだろう」
「それはもう、まぁおかげで一度死ぬ羽目になりましたけどね……」
過去を思い出したのか疲れたような顔をDr.もした。
「世界の基準であれこれ言われるほど苦痛なものはない。だから、私は向こうの次元の基準を、作りを木っ端みじんにしてやった。おかげで世界は混沌となったが、それでいい」
マイの頬を撫でながらダークは続ける。
「こちらの世界は最初から『混沌』だ。 決まり事が変に混じり合って大変不愉快な状態だ、だから、好きに作り替えてやろう、『混沌』なら私達好みの『混沌』に」
「『平穏・調和』ならどうします?」
「――」
ダークは少し無言になって、マイの唇を爪で傷つけぬようにふれる。
「この娘が穏やかに過ごせるように変えてやろう。生きにくい者が生きやすいようにな」
私が目を覚ますと、見慣れた寝室と――
「ようやく起きたか、この愚か者が」
不機嫌そうな彼の顔だった。
「あばばばば?!」
思わず奇声をあげて飛び起きる。
彼の顔と直撃することがなかったのだけは救いだ。
「全く、気絶するとは思わなかった――が、仕方あるまい、あの研究馬鹿は無神経だからな」
「ご、ごめんなさい……」
「謝罪はいらん、あの馬鹿が近づく可能性を考慮できなかった私の責任だ」
「は、はぁ……」
私はなにを言えばいいかさっぱり検討がつかなかった。
再度寝かせられ、手袋をつけた手で、額を撫でられる。
「今日はもう休んでいろ、私も仕事が終わったからな」
「あ、あの……」
失礼だけど、ううん失礼かもしれないけど言いたくなった。
「て、手袋をはずした手を、握っても、いい、です、か?」
私の言葉に彼は目を丸くした。
暫く考えた後、ため息をついて。
「怪我をしてもしらんぞ」
そういって手袋を外した手を私の手元に移動させた。
鋭い爪が解る、最初に見せて以来私には見せたことのない手を握る。
手袋ごしでは解らない彼の体温がひどく心地いい。
「おやすみ、なさい」
うれしくて、笑ってそういうと、彼は見たことがない表情で、穏やかな顔で言った。
「ああ、お休み。マイ」
先ほど、起きたばかりだけども、とても幸せな気分でもう一度眠ることができた――
完全に眠りに入ったマイの手から、そっと自分の素手を傷つけないように離す。
どこか満足げな表情をしてから彼女がふれた部分に口づけをして、そして手袋で手を隠す。
「上出来だな、私の恋人にふさわしくなりつつある」
嬉しそうに、そういうと再び、瞬間で移動し、研究室へと赴く。
「Dr.」
「何ですか?」
「少しヴィランらしく活動してみるか?」
「おお、それは?」
Dr.のきらきらとした笑みを見て、ダークは凶悪的な笑みを浮かべる。
「――国を――」
「一つ、潰すとかな」
私と彼の距離が少しずつ縮まるように。
彼と彼が世界へ行う行動の過激さが、一歩ずつ、激しくなっていくのに、このときは気づかなかった。
でも、それが悪いことだったとは私は思わない。
一生、思わないだろう。
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