第22話
一夜明けて、ついに佐藤との戦闘の日がやってきた。決戦の日の朝は予報通り、穏やかに晴れ渡っている。今夜殺し合いがあるというのが嘘かと思うくらい清々しい朝だった。
高橋は窓を開けて空気の入れ替えをした。普段よりも睡眠時間が少ないはずだが、すっきりと目が覚めてしまった。頭も冴えている。
久しぶりに葛西の夢を見たからかな。高橋は先ほど夢で見た葛西の顔を思い描いた。
夢の中での彼は穏やかに笑っていた。何を語っても答えてくれなかったが、それでもあの穏やかな笑顔を見られて良かったと思った。
そんなことを考えていると、ゆかりからメールが来た。「今起きた。昼前くらいに行く」との内容が、可愛らしい絵文字とともに送られてきた。のどかなメールに、高橋は小さく苦笑した。
明日もこうしてゆかりのメールに笑っていられるだろうか。ふとそう思った。昨日から、どうしてもそんな風に思ってしまう。行うこと全てが最後になるのではないか。次はあるのだろうか。生き残ってまた、こうして何でもない日を送ることができるのだろうか。縁起でもないことだと解っているのだが、ついそう考えてしまう。
そしてそう思う度に、「普通」であることがどれだけ素晴らしいのかと思ってしまうのだ。
冷蔵庫にあるもので朝食を摂り、ゆかりが来るまでゆったりと過ごした。テレビをつけてみたが、土曜の午前中などどうでも良いような内容の薄い番組しかやっていない。しかしそれが逆に良かったようで、何も考えずに過ごすことが出来た。
ゆかりは宣言通り昼前の、午前一一時ちょうどに来た。彼女は手土産に駅前の「あずきや」のみたらし団子を買ってきた。
「あ、うまそう」
「ご飯の前に一個食べちゃおうよ」
ゆかりは玄関からキッチンに直行し、お茶を煎れてリビングに持ってきた。ソファに座り、先ほどまで一人で見ていた内容の薄い番組を見ながら、団子を頬張った。
「今日は坂本さんと呑むんだっけ?」
「うん。多分明日の朝まで呑むことになるかな」
高橋は静かな顔で言った。今日は坂本と呑むことになっている。最近こんな風に嘘を吐くのにも慣れてしまった。ゆかりが勘の鋭い女性ではなくてよかった。
それからゆかりが作った昼食を食べ、二人で静かな時間を過ごした。元々活動的なカップルではない。いつものように二人で本を読んだりテレビを見たり、ゆっくりと二人で流れる時間を過ごした。
もう二度と訪れる事がないかもしれない。そんな言葉が高橋の頭の中に浮かんでは消えた。なるべく考えないようにと思っていたが、どうしても考えてしまった。その度に顔に悲しみが浮かび、ゆかりから見えないようにするのに苦労した。
ゆかりは夕方には帰っていった。今日は県内ということもあり、夜中に出発しても間に合うのだが、坂本と二人で呑むというつじつまを合わせるため、七時に集合する事になっているのだ。
再び一人になり、静まりかえったリビングで、高橋は心の中で気合を入れた。またこの部屋に帰ってくる。そう心に誓って高橋はアパートを後にした。
高橋は長袖Tシャツとジーンズの動きやすい恰好にした。汚れた場合に捨ててもいい格好である。それに財布と携帯電話、あといくつかの私物をリュックに詰めた。置き手紙などは残さない。サイト内ではそれが決まりになっていた。
少し冷たい風が高橋の頬を撫でた。先ほどまで街を赤く染めていた夕日も、今は落ちかけている。歩くにつれ次第に暗くなっていくのがよく解った。
高橋は電車に乗り、坂本と待ち合わせの駅へと向かった。不思議と心は落ち着き、余計な事は頭に入らなくなっていた。
駅に着き時計を見ると午後六時を指していた。坂本との約束の時間まであと一時間ある。ちょうど良かった。
高橋は駅を抜け、雑多な駅前を歩いていった。しばらく歩くと閑静な通りに出て、さらに歩くと国道の大通りに出た。車の往来が多いその通りは、様々な店が点在している。そのどれも車での乗り入れを想定しているらしく、駐車場が多めに取られていた。
高橋はその通りをしばらく歩き、登山用品店で足を止めた。登山用品店「ハルスポーツ」。ここは坂本曰く、「優良店」らしい。
店に入ると近くにいた店員が作業したまま「いらっしゃいませ」と声を出してきた。その声が響くくらい、店の中は閑散としていた。申し訳程度に流れているBGMが余計静けさを強調している。一応それなりに客はいるようだが、盛況というほどではない。登山用品店など入ったことのない高橋には、今この状態が店にとっていいことなのか悪いことなのかの判断はつかなかった。
高橋は入ってすぐにあるスキー用品のコーナーを横切り、この店のメインとなっている登山用品も通り過ぎ、奥のレジカウンターの所まで歩いていった。レジカウンターはガラスケースとなっており、様々なナイフが飾ってあった。中には登山に使えそうなものもあるが、そのほとんどが登山とは関係のなさそうなナイフであった。
坂本が言う「優良店」の理由。最近はどんな店でも刃物を購入した際に身分証の提示と住所氏名の記帳が必要なのだが、ここでは必要ないらしい。駅から近くて好立地のわりに客の入りが悪いらしく、ナイフを購入したいが身分を明かしたくないという客を取りこぼしたくないのだろう。もちろんなにか問題が発生したらすぐに撤回されるのだろうが。
高橋はしばらくショーケースの中のナイフを品定めした。様々な形状のナイフがある。大まかに分けると、前に加奈子から渡されたような鞘付きの、いわゆるシースナイフと、坂本からもらったような折りたためるナイフ、ハサミやドライバー、レンチなどがセットになったツールナイフの三種類なのだが、それぞれ微妙な形状の違いで数多くの種類が存在する。そしてその形状の微妙な違いにより値段が全然違ってくる。一番安い折りたたみナイフで二千円からあるが、一番高いシースナイフは四万円するようだった。
高橋はどれが良いのか解らなかった。が、あまり長い時間悩んでもいられない。今はレジカウンターに店員はいないが、視線の端で作業している店員がどうもこちらを見ているような気がした。あまりゆっくりもしてられない。
高橋は折りたたみナイフの一つを選び、先ほど視線の端にいた店員を呼んだ。若い学生風のアルバイトである。やる気のない返事をしてレジカウンターに来た。
「これが欲しいのですが」
店員はやはりやる気のないそぶりでケースからその折りたたみナイフを取り出し、「これっすか?」と高橋に示した。細長く薄い折りたたみナイフである。特に理由はないが、これなら軽くて扱いやすそうだった。
「はい」と頷くと、店員はぎこちない手つきでブレイドを折りたたみ、カウンター下から箱を取り出して中に仕舞った。レジを操作し、「五二五〇円です」と言ってきた。坂本の言う通り、身分を明かさなくても良いようだ。高橋は支払いを済ませナイフを受けとると、足早に店を後にした。「ありがとうございました」そんな挨拶を背中に受けながら店を出ると、高橋は再び駅を目指した。
背負っているリュックの中には財布と携帯電話、あといくつかの私物と、痩身のナイフが入っている。小さなナイフが一本加わっただけなのに、妙に重く感じた。
もう、後戻りは出来ない気がした。
坂本との待ち合わせ場所は、駅前にある噴水前である。待ち合わせ時間より一〇分早かったが、既に坂本の姿があった。彼は噴水の近くに設置してあるベンチに腰を下ろしていた。
「遅えぞ」
坂本は高橋の姿を確認すると、そう悪態をついた。言葉とは裏腹に小さく笑っている。
「お前が早いんだよ」
「馬鹿野郎。俺は仕事と飲み会にはきっちり来るんだよ」
そんないつものやりとりに高橋は少しだけ楽になった。後戻りは出来ないけど、今ここにいる坂本は、いつもの坂本なのだ。
「じゃあ行くか」
坂本はベンチから腰を上げ、歩き始めた。高橋もそれに続き、並んで歩いた。
駅から少し離れた所に所にあるコインパーキングに、運営委員が車を用意しているはずである。今回はお互い酒を呑むという口実にしているため、自分達の車は使えないのだ。
指定されたコインパーキングに行くと、打ち合わせ通り運営委員らしき人が道の隅に立っていた。いつものように身分証を提示して、車を借りた。青い軽のワゴンである。
坂本が運転席に乗り込み、高橋は助手席に乗る。示し合わせたわけではないが、何となく下見の時からの流れでそうなった。
「とりあえず飯でも食べながら作戦会議でもしようか。コンビニの飯でもいいか?」
坂本の言葉に高橋は首を振り、「マクドナルド」と伝えた。
「……マクドナルドね。了解」
坂本は首を傾げながらも車を近くのマクドナルドに向けた。
別に何が食べたかったわけではなかった。ただ、一瞬「最後の晩餐」という言葉が口に付きそうになり、慌てて言葉をそらした結果出た単語だった。
マクドナルドに立ち寄り、ドライブスルーで適当に食料を買った。飲料はペットボトルの方が何かと良いのでコンビニも経由した。そして車は夜の国道を突き進み、廃工場に行く道すがらにある道の駅の駐車場に車を向けた。街の外れにあるその道の駅は、人の気配が全く感じられない。街灯も少なく、辺りは静寂と闇が支配していた。一台も停まっていない広い駐車場に、坂本は街灯を避けて駐めた。
「さて、もう少しだな」
坂本はため息をついてそう言った。坂本も緊張しているようだ。何でもない顔をしているが、若干頬が強張っている。恐らく自分自身も同じような表情なのだろう。高橋は自分の頬に触れた。
それからしばらく二人は無言で買ってきたハンバーガーを胃に入れた。高橋はあまり味を感じられなかったが、食べられるだけ前よりも進歩したのだと思った。もっともこの進歩が良いことなのかどうかは解らないが。
「……さて」
坂本は顔をしかめて不味そうにハンバーガーを食べ終え、一息ついたのちに口を開いた。
「とりあえず武器は持ってきたか? 一応俺も余分に持ってきたんだけど」
坂本に言われ、高橋は先ほど購入したナイフを取り出して見せた。坂本はナイフを受け取り、車内灯を点けた。
「ああ……スティレットか」
坂本のつぶやきに高橋は首を捻った。
「このナイフの名前だ。シチリアンスティレット。斬るよりも突くためのナイフだな。
刃が薄いから、突けば深くまで刺さる。扱いやすいだろうけど、これだと慣れてないと対峙しての格闘では不利だな。一応これも持っていけよ」
坂本はそう言って自分のカバンからナイフを取り出し、高橋に差し出した。痩身のシースナイフである。強化プラスチック製の鞘に収まったそのナイフは使い込んだ形跡がある。
「こんな大仰なナイフいらないよ。俺にはこれで十分だ」
「そう言うなよ。それは葛西のナイフだ」
「あ……」
葛西の部屋の掃除をした時のことを思い出した。もう一年以上前になるのか。あの時確かに葛西の部屋から使い込まれたナイフが出てきた。これがそうなのか。
高橋は「解ったよ」とナイフを受け取り鞘から抜いてみた。ブレイドはよく研いであり、車内灯の光を反射している。そのナイフには硬質なイメージがあり、やはり穏やかに笑う葛西には全く似合わないような気がした。
「じゃあ最後の確認やるぞ」
坂本はカバンからノートとペンを取り出した。手早く工場の見取り図を描いてゆく。
「俺は正面玄関から入って、お前はこの搬入路で加奈子と合流する」
坂本は見取り図をペンで示しながら説明を始めた。高橋は一つ一つの動きを確認して頷いた。
「裏口から入った佐藤が通り過ぎたらお前と加奈子が資材庫から出る。で、お前はみつからないように横に回り込んで加奈子は佐藤の後ろに行く。俺と佐藤は加工室の入り口辺りでぶつかるから、戦闘中に加奈子が後ろから刺して、お前が飛び込んだ隙に俺がやる、と。こんな感じだな」
「……うまくいくかな」
「うまくやるんだよ。それしか俺達に道はないんだから」
そういう坂本も、少しだけ震えていることに気付いた。口には出さないが、坂本も怖いのだろう。
「まあ、そうだな」
高橋は小さく頷いた。
「よし。じゃあそろそろ行くか。まだちょっと早いけど」
坂本はそう言って車を発進させた。現在午後八時半。決戦まであと三時間半である。
もはや何が正しくて何が間違っているのかを考えている段階は通りすぎてしまった。
やらなければいけないのだ。
戦場となる廃工場は、昼間見たときとは全く印象が違って見えた。真っ暗な闇の中に重厚な存在感を持って建っている。昼間は廃墟とは思えないほど綺麗だと思ったが、細部の見えない夜では、他の廃墟と変わらぬ不気味さを持っていた。
中はルールの通り明かりがついているようだが、全ての窓に遮光カーテンが取り付けてあり、外からは一切の明かりが漏れていなかった。それが一層不気味さを醸し出していた。
「佐藤さんは既に到着しています。少し早いですが、開戦手続きをいたしましょうか?」
車を駐め、戦場となる廃工場を見上げていると、運営委員が近づいてそう言ってきた。
「どうする?」
「ああ。いいんじゃないかな。俺も行っていいか?」
高橋の言葉に、坂本は一瞬戸惑った表情を見せた。無理もない。今回高橋は見えない共闘になっている。開戦手続きの時に顔を出したら見えない共闘としての意味がない。
「戦闘前に佐藤さんの顔を見ておきたいんだ。どうせ俺達は共闘していることはバレているんだし、いいだろ?」
「そうだなあ……」
高橋が手を合わせて頼むと、坂本は腕組みをしてしばらく眉をひそめて考えた。しばらくうんうんと唸った後に、
「……まあ大丈夫だろう。よし。じゃあ一緒に佐藤拝んでくるか」
「ああ。ありがとう」
「……それではよろしいでしょうか」
二人の傍らで空気のように存在感を消していた運営委員が、控えめに訊いてきた。
「はい。お願いします」
二人は運営委員に促され、駐車場の外れに設営されたテントに足を向けた。普通なら建物の入り口付近に本部を設営するのだが、今回は建物全体がフィールドとなっているので、比較的にスペースがある駐車場になったようだった。一応搬入路からは見えないほどの距離は取ってあった。
テントには既に佐藤がいた。彼はそばにいる運営委員と談笑していた。いつも通りの、リラックスしたような感じだった。
「あれ? 高橋主任。今日は連名の共闘ではなかったような気がしますが?」
高橋の姿に気付き、佐藤が首を傾げた。佐藤側の見えない共闘である加奈子は姿を見せていない。そちらの方が正しい姿なのだ。
「もうバレてるからいいと思いまして」
「え? 高橋主任は見えない共闘だったんですか?」
佐藤が白々しくそう言ってきた。舌打ちしそうになったが何とか堪えた。挑発に乗っても仕方がない。坂本を見ると同じように苦虫を噛んだ顔をしていた。
「さて、よろしいでしょうか」
佐藤と共にいた運営委員が小さく咳払いをした後に口を開いた。
「では平成二二年一〇月の特別戦闘を執り行います。なお、私は本戦闘の執行委員長である横山です。よろしくお願いします」
男はそう言って小さく頭を下げた。
「それでは最終確認を行います。本対戦は一対一の対戦となります。坂本祐司対、佐藤秋雄。会場はこの工場跡地となります。本戦闘のルールは……」
横山は今回のルールについて読み上げていった。今回はルールはあってないようなものである。すぐに読み終わった。
「……以上です。何か変更点、質問等はありませんか?」
横山の言葉に三人は沈黙で応えた。
「それでは最後に緊急事態が起こった場合です。警察や第三者に発見されたなどの不測事態により運営委員が戦闘中止を決めた場合、サイレンが鳴るようになっております。その場合は速やかに戦闘を中止し、逃走を図ってください」
その口上は聞き覚えがある。初戦の時だろうか。そう言えばこうして開戦手続きに立ち会ったのはあれから二度目である。
「以上です。何か質問はありますでしょうか?」
横山は三人を見回して言った。皆首を横に振る。
「了解しました。それでは戦闘開始は午前〇時です。開始一〇分前には所定の階に待機しておいてください」
そう言って小さく礼をし、横山は去っていった。高橋達をここまで連れてきた運営委員も立ち去り、テントの中に三人が取り残された。
「それでは、よろしくお願いします」
佐藤はそう言って小さく頭を下げ、再び高橋達の方を見据えた。
一気に雰囲気が変わったような気がした。表情はなにも変わっていない。先ほどまでと同じ薄く笑っている。しかしまとっている空気が全く違った。この気持ちは今までのように仲間として戦闘に参加していた時にも感じたことはない。
高橋はその空気の意味に気づき、小さく身震いをした。これは佐藤が明確に殺意を持ったということだ。佐藤さんは自分達を今すぐにでも殺そうとしている。高橋は恐怖に震えが止まらなくなった。
「ははっ、二人共そんなに緊張しなくてもいいですよ」
佐藤が笑顔で高橋の肩を軽く叩いた。そんな小さなことにも、高橋は大きく身体を揺らせた。
「ま、楽しくやりましょう。せっかくですし。では」
そう言うと、佐藤はきびすを返して闇の中へと消えていった。完全に見えなくなった所で坂本が大きく舌打ちをした。
「畜生……」
坂本は顔を歪めて乱暴に頭を掻いた。彼もまた、佐藤の目の奥にあった殺意を感じたのだろう。
「……作戦通りにやれば絶対勝てるからな」
坂本はまるで自分に言いきかせるようにそうつぶやいた。高橋もそれにうなずく。そう考えなければやっていられなかった。気を抜けば恐怖で一歩も先に進めないような気がした。
そんな高橋の気持ちを坂本は察したのだろう。背中を思い切り叩き、努めて元気な表情を高橋に向けた。
「ま、うまいことやって明日は祝勝会だ。って、歩美的には二日連続になるのか。大丈夫かな。ま、なんとかなるだろう。明日は歩美がなに言おうが肝臓潰れるまで呑むぞ」
「……ああ。解ったよ」
その言葉に少し身が軽くなった。やはり友達は大事だ。相変わらず恐怖感は拭えないが、それでも頑張ろうという気にはなった。佐藤は我々の親友である葛西を殺したのだ。今ここで怖気づいて逃げたら何にもならない。先日命を落とした緒方のためにも、今夜佐藤を殺さなければならないのだ。
高橋はそうやって己を鼓舞して前を向いた。
坂本とテントで別れて、決めていたスタート地点についた。搬入路脇にある木の近くである。佐藤のいる裏口からは死角になり見ることが出来ない。そこに腰を下ろし、時間が過ぎるのを待った。
ふと、今日はまだ加奈子の姿を見ていないことに気付いた。見えない共闘だから直前までどこかに隠れているのだろう。当たり前のことだが、わずかにそれが気になった。
もし佐藤がこの作戦に気づき、彼女を作戦から外していたら。高橋はそんな不安が心によぎり、すぐに思い直した。その時は彼女から何らかのアクションがあるはずだ。大丈夫。彼女を信じよう。
それから高橋は様々なことが頭をよぎった。これまでの半年間に起こったこと。加奈子の過去、葛西のこと、そして自分が殺した緒方のこと。決して短くない期間に色んなことがあった。それらの全ては今から始まる佐藤との戦闘につながっていたような気がする。もうこれで最後なのだ。これが終われば自分も坂本も、ただのサラリーマンとして平坦で少しつまらないが、概ね幸せな生活に戻ることが出来る。そして加奈子も、これで父親の呪縛から逃れて普通の女の子としての生活を送ることが出来るのだ。
そのためにも、今日佐藤を殺さなければならない。
高橋は瞳を閉じ、加奈子が考えた今日の作戦を頭の中で何度も繰り替えした。以前彼女にいわれた通り、佐藤を殺すイメージを強烈に自分の中で思い描いた。なかなかイメージするのは難しかったが。
ふと時計を見ると、一一時五五分を指していた。開始五分前である。高橋は深呼吸をして腰を上げた。
ふと右の腰に重みを感じた。ベルトラインに吊っている葛西のナイフが木のへこみに引っかかったらしい。引っかかりを外し、立ち上がった。再び葛西のナイフに手を掛ける。硬く冷たい感触に、やはり葛西のイメージには合わないと思った。
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