第19話

 加奈子の提案により、高橋と坂本、加奈子の三人による会合は、金曜の夜に行われることになった。その日加奈子は大学の飲み会があり、加奈子は最初だけ顔を出して、高橋達に合流することになった。加奈子は佐藤と同居しており、高橋は佐藤の隣で働いている。出来る限り佐藤に気付かれないようにするためには、そのような小細工を使わなければならなかった。

 会合場所は坂本の家の近くのカラオケ店に決まった。大学近くは知り合いが多いのでやめた方が良いとのことであった。坂本はいつものように生ビールを頼み、一気に半分ほど飲み干した。その表情は少し硬い。

「……まだ気にしているのかよ」

「ああ。俺はまだ加奈子を完全には信用していないからな」

 坂本は口をへの字にして腕を組んでいた。そんな姿に高橋は小さくため息をついた。

 加奈子から返事が来た翌日に坂本に連絡を入れたが、彼の反応は今ひとつだった。

 ルール策定後に連絡が来るのがどうも気に喰わん。もしかしたら俺達をハメているのかもしれない。それが坂本の主張だった。

 大丈夫だ。俺を信用しろ。高橋が何とかそう説得して会合まで取り付けることが出来たが、それでもまだ坂本は疑っているようだった。

「一応言っておくが、俺も出来れば信じてやりたいんだ。でも、後ろから刺されるのだけはごめんだからな。だからこれからの会合で判断する」

「判断した結果、信用できなかったら?」

「斬り捨てるかな」

 坂本はポツリとそう言った。口調は冗談混じりのようだったが、その目は笑っていない。

「おい……冗談だよな?」

「…………」

 坂本は黙ってビールをあおっている。高橋は背筋に寒気を感じた。この感覚、高橋にも覚えがあった。坂本は佐藤との戦闘に備えて心を研ぎ澄ましているのだ。今の坂本なら、本当に後先考えずに殺してしまうかもしれない。

 高橋がそう考えていると、加奈子からメールが入った。「もうすぐ着きます」と書かれてあった。

「もうすぐだって。ちょっと迎えに行ってくるよ」

 高橋は場の空気に耐えられず腰を上げた。坂本を部屋の中に残し、一人で駅に向かった。そのカラオケボックスは住宅街の入り組んだ所にあり、加奈子には場所が解らないということもあって、高橋が迎えに行くことになっていたのだ。

 金曜の駅前は賑わいを見せている。まだ八時前という時間からか、これから飲みに行こうとしているサラリーマンや、彼らを取り込もうとしている飲み屋の客引きが入り混じっている。高橋はそんな飲み屋街を抜け、駅の正面改札を目指した。加奈子は改札の前に立っていた。大学の飲み会があったからだろうか。メイクも服装もいつも以上に華やかな印象を受ける。

 彼女は高橋の姿に気がつくと、笑顔で手を挙げて駆け寄ってきた。恐らく通行人が多いので外向けの顔をしているのだろう。高橋はそれが解っていても、少しドキッとしてしまった。

「もう、遅いじゃない」

 加奈子は頬を軽く膨らまし、甘えるような声を挙げてきた。高橋にも演技を強要しているようだ。さしずめ設定は恋人同士なのだろう。

「ごめんごめん。じゃあ行こうか」

 高橋は適当に短い言葉でやり過ごし、二人で並んでカラオケ店へと向かった。

 彼女の反応は解りやすかった。繁華街にいるときは明るく恋人同士のように話しかけてきていたのだが、住宅街に入り人の気配がなくなると、途端に黙ってしまった。顔からも表情は抜け落ち、いつもの加奈子になってしまった。

「案外人が多かったですね」

「ああ、まあ金曜だしね。……それよりありがとう。協力してくれて。君がいればかなり心強いよ」

「いえ、別に構いません。何となく協力したくなっただけですので。それに……」

 加奈子は急に足を止めた。何事かと高橋もその場で立ち止まって加奈子を見た。彼女は相変わらずの無表情で空を仰ぎ見ていた。しばらくそのまま空を眺めた後に小さく、

「葛西さんに借りがあるのを思い出しました」

 そう言って再び歩き出した。

「借り?」

「ええ。昔会ったときにアイスをおごってもらいました」

「…………」

 表情を変えずにそう言う加奈子に、高橋はどう返答すれば良いのか解らなかった。彼女なりの冗談なのか、本心なのか。しかし何となく葛西が加奈子にアイスをおごったという事は本当にあったのだろう。何となく、その光景は想像がついた。

 二人はカラオケ店に着いた。先日加奈子と会った大学近くのカラオケ店とは大違いの、寂れた場所である。中から漏れてくる歌声も高齢で演歌が多い。そんなカラオケ店であったが、加奈子は表情を変えることなく入ってゆく。

「あ……」

 ドアを開けようとする加奈子を制した。

「坂本はまだ君が本当に仲間になるかどうか、疑っているから気をつけて」

「何を、気をつければいいのですか?」

 振り返ってそう言われ、高橋は言葉に詰まった。確かに何に気をつければ良いのだろうか。

「……大丈夫ですよ」

 加奈子はそう言ってためらうことなくドアを開けて部屋の中へと入っていった。

 坂本は先ほどと同じ所に座っていた。彼の手には彼の手には二杯目のビールジョッキが握られている。高橋がいない間に注文したのだろう。一杯空にしたにもかかわらず、彼の顔は険しいままだった。

「坂本、加奈子さんを連れてきたよ」

「おう。まあ座れや」

 坂本に促され、加奈子が部屋の中に入っていった。小さく頭を下げ、L字のソファの端に腰を下ろした。坂本とは斜めに向き合う形になり、「佐藤加奈子です」と頭を下げた。

「ああ。よろしく」

 坂本は口をへの字に曲げたままそれに応える。

「…………」

 部屋には重苦しい空気が流れた。坂本は口をつぐみ、加奈子も黙って座っている。二人は自ら話を切り出さずに、お互いを牽制しているようだった。

「……えっと、とりあえず三人でやるって事でいいのかな?」

 ひとまず三人分の飲み物を頼み、一段落したところで高橋はそう切り出した。このまま黙っていても先に進まない。高橋が仕切るしかなかった。

「えっと、加奈子さんはそれで問題ないかな?」

「はい。いいですよ」

「坂本は?」

「ああ。いいよ」

 坂本は相変わらずふくれ面をしているが、一応うなずいていた。

「じゃあ、えっと、どこから話し合おう……」

「……じゃあ早速本題に入ろうか」

 言葉を遮るように坂本が割って入ってきた。

「加奈子は今回の戦闘をどうすれば佐藤に勝てると思っている? 具体的な作戦は考えているのか?」

 坂本の言葉に加奈子は小さくうなずき、カバンから折り畳まれた紙を取り出した。広げると結構大きい。A3サイズくらいだろうか。白い紙に図面のように線が引かれてある。

「これは今回の戦場の図面です。ウチにあったものをコピーして持ってきました」

 確かに加奈子の言う通りそれは工場の図面のようだった。佐藤の手作りだろうか。きちんとどこにどのような障害物があるのかが詳細に記されている。

 図面の中央左端が正面入口、右端の下部分が裏口のようだ。正面入口から入るとエントランスがあり、左側に事務所、右側に食堂があるようだ。受付が設置してあるエントランスを抜けると、かなり広い空間となっている。加工場と書かれており、機械が残されているようだ。加工場の左側に制御室と呼ばれる小さな部屋がいくつか並んでおり、右奥に資材庫、その先に扉があり、その先が裏口となっている。資材庫は外からの搬入路にもなっているようで、部屋の奥がシャッターになっており、外の駐車場に停めたトラックから直接資材を搬入できるようになっている。これがこの工場の全域のようだ。

「今回、父はお二人の作戦をこう読んでいます。まず、坂本さんはルール通り正面入口から侵入します」

 加奈子は図面の左側正面口と書かれた場所を指差した。

「父は裏口から侵入します」

 次に右下の裏口と書かれた部分を指差した。

「そして高橋さんはこの物品搬入路から侵入します」

 加奈子は裏口近くにある資材庫の中、搬入路と書かれた場所を指差した。

「この搬入路はシャッター降りてますが、一部壊れていて侵入出来るようになってます。高橋さんは父が通り過ぎた後にここから侵入して、挟み撃ちにするだろうと父は読んでおります。恐らく、お二人が私抜きで話し合っても、この案になるだろうと思います」

「その根拠は? 普通だったら俺達二人で正面入口から入るんじゃないのか?」

 坂本は眉をひそめて口を挟んだ。

「バディを組むということですか? それはありえません」

「なぜ?」

「高橋さんが了承しませんから」

 急に話を振られて、高橋は身を揺らせた。加奈子と坂本両方から見つめられる。

「俺?」

「ええ。恐らく坂本さんから二人で組になって行動しようと提案されたとしても、反対しますよね?」

「…………」

 なぜ反対しなければならないのだろうか。高橋は一瞬理解出来なかったが、少し考えて加奈子の言っていることが解った。

「……そうだね。二人で行動しても勝てない。一人一人分断されて殺されるのがオチだな」

 高橋はそんな佐藤の戦闘を幾度となく見てきた。闇に紛れて一人一人そっと殺す。そして相手が混乱して分断した所を突く。佐藤は闇に紛れることと人心掌握に長けているのだ。人数の利は佐藤には通用しない。

「父に勝つためには、早い段階で父の居場所を把握する必要があります。そこで一番適している侵入口が、この搬入路なのです」

 悔しいが、加奈子の言っていることは的を射ている。恐らく二人で話し合ってもそのような結論に落ち着くような気がする。坂本も同じように考え、眉をひそめながらも感心したような顔をしていた。

「私はこの搬入路の近くに待機して、高橋さんが侵入した後に後ろから絞殺することになっております。そして坂本さんを父が殺す。そんな作戦で考えております」

 「殺す」という単語に、高橋は小さく身震いをした。最初に比べて幾分は慣れたつもりだが、それでもその単語には抵抗を感じる。

 それから加奈子は自身が考える、「佐藤の考えている作戦を覆す作戦」を話し始めた。

 まず、高橋と加奈子は搬入路から入り、資材庫で合流する。佐藤の作戦ではここで加奈子が高橋を殺すことになっているのだが、当然そのようなことはない。

 佐藤が裏口から加工室に入ると、加奈子は佐藤と合流する。高橋は殺したと伝え、それ以降は佐藤と共に行動する。その時高橋は資材庫に潜んでいる。

 佐藤と加奈子が資材庫から離れたタイミングで高橋は資材庫から出て加工室に入る。佐藤と加奈子の姿を確認して二人に気付かれないように距離を保って回り込む。

 今回加奈子は佐藤に「ナイフ戦闘の勉強のために戦闘を見学したい」と申し出ている。そのため、佐藤は坂本を加工室の入り口付近、少し開けた場所で待ち受けることになっている。坂本はその位置まで前進し、高橋は見つからないように佐藤の斜後方にある機械の陰に隠れている。

 坂本と佐藤のナイフ戦闘が始まった所で、加奈子は高橋に何かしらの合図を送った後に佐藤を後ろから刺す。それで出来た隙を狙って、高橋が飛び出す。高橋の攻撃は避けられるかもしれないが、確実に佐藤は大きく体勢を崩すので、そこを坂本が突く。

 加奈子が淡々と語るそんな作戦を、高橋と坂本は黙って聞いていた。

「ふむ……」

 最初に声を挙げたのは坂本だった。彼は顎に手を掛け、彼女の作戦を吟味しているようだった。その顔はなにか引っかかるところがあるのか、少しだけ眉を寄せて崩していた。

 高橋は、悪い作戦ではないと思った。もちろん確実に成功するかどうかというと高橋も解らないが、それでも坂本と二人で決行するよりはずっと成功率は高まる。身を預けてもよい作戦だと思った。しかし坂本は難しい表情を崩さない。何を悩んでいるのだろうか。高橋がそう思ったとき、ようやく坂本は重苦しい口を開いた。

「いや、いい案だと思うよ。多分高橋は賛成だろうし、俺も悪くないと思う」

 うんうん、と腕を組んで二三度うなずいた。

「でもさ、その作戦を確実に実行するには、加奈子が確実にこちらを裏切らないという保証がないと難しいな。その作戦だと高橋と加奈子が二人きりになるから、裏切られた時のことを考えるとな」

 坂本は鋭い目で加奈子を見据えていた。高橋はすぐに坂本が危惧していることが解った。つまり、加奈子の裏切りによって高橋が殺されないかということだ。そんなことはありえない。

「大丈夫だよ。そんなことはないから」

「お前は黙ってろ。さあ、どうなんだ? 裏切らないという保証はあるのか?」

 坂本は身を乗り出して加奈子に詰め寄った。対する加奈子は表情一つ変えずに坂本を見返している。

「……保証はありません」

 加奈子は無表情のまま口だけを動かした。

「裏切らない保証なんて、どうあっても示すことは出来ません。こればかりはお互いを信じるしかないと思います。しかし、少し考えてみてください。私がこんな小細工をしなければならないほど、あなた方は父にとって脅威ではありません。お二人がどんな作戦で来たとしても、父にはかないませんから」

「なんだと?」

「ちょっと待てよ。坂本、落ち着けって」

 見かねた高橋が今にも掴みかかりそうだった坂本を押さえ込んだ。坂本は鼻息荒く加奈子を睨んでいる。彼の力は強く、押さえつけている坂本の腕を簡単に振り払われそうになり、高橋も必死で押さえる腕に力を込めた。

「彼女の言っていることは正しいよ。俺達二人じゃ佐藤さんに勝つのは難しい。だから俺達が彼女に協力を求めたんじゃないか。それに、これは葛西の作戦じゃないか。葛西の気持ちを無駄にするのか?」

 葛西の名前を聞いて、坂本の身体からフッと力が抜けた。高橋の押さえつけていた腕からすり抜け、そのままソファに腰を下ろした。

 そこまでのやりとりをいつもの表情を写さない瞳で見ていた加奈子は、ボソリとつぶやいた。

「私だって、仇討ちをしたいのです」

 それからしばらく沈黙が続いた。坂本は乱暴に頭を掻き、何かを考えているようだった。加奈子は相変わらずの表情で坂本を見つめている。

 坂本は加奈子と明日美の関係を知っているので、今の「仇討ち」の意味は解っているだろう。それだけに、今抜き出した刀をどう収めようか思慮しているようだった。

「……まあ、仲良くしよう。な?」

 高橋は取ってつけたようなことしか言えない自分が嫌になった。こういう時に坂本をなだめるのは、葛西の役目なのだ。高橋は葛西に任せて黙っているのが仕事だったのだ。こんな事には慣れていない。

 そんな高橋の気持ちを理解したのかしないのか、坂本は「そうだな」と小さくつぶやき、加奈子に対して深々と頭を下げた。

「疑ったりしてすまなかった。ごめん。俺達はあんたを全面的に信じる。だから、協力してもらえないか?」

 坂本はそう言って顔をあげた。彼女は相変わらずの無表情で坂本を見ている。

「いいですよ。その代わり、二つほどお願いがあります。聞いてもらえませんか?」

「ああ。内容次第だけど。なんだ?」

「まず、実際の殺害はお二人のうちどちらかにお願いします。私は父を驚かすための浅い傷しかつけませんので」

「ああ。トドメは俺が差すから、安心しな」

 坂本は自身の胸を叩いた。

「あともう一つ……」

 加奈子はそこで言葉を止め、相変わらず抑揚のない声でこう言った。

「出来れば、あまり苦しませずに殺してください」

 その言葉に、高橋は顔を上げた。加奈子は相変わらず感情を示さない。

 彼女に声を掛けたのは、果たして正しかったのだろうか。高橋は胸が少し痛み、軽く顔を歪めた。今更考えても仕方がないことだ。もう後戻りは出来ない。

「ああ。任せておけ」

 坂本は真顔で小さくうなずいた。彼が加奈子の言葉をどう捉えたのか。彼の硬い表情からはうかがい知ることは出来なかった。

 二人の間で取引のように話が成立すると、加奈子は帰り支度をし始めた。佐藤が怪しむ可能性があるため、長居は出来ないとのことだった。

「今日はありがう。多分あと何回か俺達で作戦を練ると思うけど、来られそう?」

 高橋がそう言うと、加奈子は首を横に振った。

「難しいですね。父は本当に勘が鋭いですので。ひとまず今日お話しした作戦をベースにして、何か変更がありましたらメッセージで連絡しましょう。その上で会う必要がありましたら、こちらも何とかしますので」

 加奈子は時間を気にしながらそう言った。電車の時間が近づいているようだ。

「まあ、よろしく頼むな」

 坂本が座ったまま手を上げた。彼はまだ帰る気がないようだ。彼女が帰った後に二人で話をしたいようなのだろう。高橋はそれを察知して同じように座ったまま彼女に手を振る。しかし、

「高橋さん、出来れば駅まで送ってもらえませんか? ちゃんと帰れるかどうか不安ですので」

 そう言われて、高橋は坂本の顔を伺った。

「行ってきな。俺はビール飲んでるから」

 新しいビールを注文する坂本を置いて、高橋達はカラオケボックスを後にした。

 先程は時間を気にしていたが、実際には電車の時間まだ少し余裕があるようだった。二人はゆっくりと駅を目指すことにした。

 二人はしばらく無言で歩き続けた。高橋は先ほどの彼女の「苦しませずに殺してほしい」という言葉を思い出していた。彼女は父を殺す作戦に加担することに後悔していないのか。本当にこれで良いのか。他にも道はなかったのか。様々な言葉が浮かんだが、高橋はあえて訊くようなことはしなかった。加奈子は自分の意志でこのカラオケボックスに来たのだ。今更そんなことを聞いても仕方がない。聞いたとしても、自分の罪悪感が少し和らぐだけだ。高橋はそう思って口をつぐんだ。

 やがて住宅街を抜け、辺りが賑やかになってきた。ここまで来ればもう駅までの道は解るだろうが、酔客の多い通りであるし、そのまま駅まで送ることにした。

「ありがとうございます」

「いや、女の子の一人歩きは危険だしね」

「おもしろいことを言いますね」

 加奈子はいつも通りの無表情で言う。ちっとも面白くなさそうな顔である。

 しかし確かに加奈子の言う通りだ。彼女ならそこら辺の酔客に絡まれたとしても、適当に受け流せるだろう。もしかしたら高橋が一人で歩いているよりも安全かもしれない。高橋は一人で納得した。

「高橋さんは素直な方なんですね」

「ん? ああ、まあ人生にあんまりひねくれる要素がなかったたからなあ」

 高橋はそれまでの人生を思い返した。この件に関わるまでは振幅の少ない人生だった。確かに楽しいことも悲しいこともあった。が、飛び抜けて楽しいことも、死にたくなるほどに悲しいこともなかった気がする。思い返して見れば反抗期もそんなに激しくなかったような気がする。

「高橋さんは思慮深いですが、根底では人を信用しているようですね。でも、気をつけた方がいいです」

「何を?」

「坂本さん」

 加奈子はその場で立ち止まった。高橋が振り返ると、静かに加奈子が見つめてきた。

「あの人、目の奥に闇を感じます。あまり手放しに信用しない方が良いかもしれません」

 その言葉は以前にも言われた記憶がある。佐藤だ。坂本を信用しない方がいい。佐藤にもそう言われたことを思い出し、小さく身震いをした。

「……やだな。坂本は普通の男だよ。昔から何も変わってないし」

「ならいいのですが」

 加奈子はきびすを返し、再び歩き始めた。高橋もそれについてゆく。

「……あのさ。似たようなことを佐藤さんからも言われたんだけど、なんか坂本について話があったの?」

 どうしてもその点が気になって、別れる前に訊いてみた。

「いえ、なにも。まあ、私個人が抱いた印象ですので、忘れてもらってもいいです。友人を悪く言ってしまって、すみませんでした」

「いいけど、じゃあ、そんな坂本と、なんで組もうと思ったの? あの場でも止められたのに」

 二人は改札前まで来てしまった。もう電車の発車まであまり時間はない。しかし加奈子は特に慌てた様子も見せずに高橋に耳を貸すように指で示した。

 高橋が屈むと、加奈子は彼の耳元で小さくつぶやいた。

 あなた方と組めば、ちゃんと父を殺してくれると思ったからです。

 そして加奈子は改札の中へと歩いていった。一度も振り返ることなく、彼女はホームに消えていった。

 高橋はしばらくその場で立ち尽くしていたが、坂本から「まだか」というメールが来て、慌ててカラオケボックスへ戻っていった。

 カラオケボックスでは、坂本はビールジョッキを傾けていた。中身が八割ほど残っているので、恐らく一杯飲み干してさらに注文したのだろう。

「随分と遅かったけど、何かあったのか?」

 坂本の顔が少し赤みを見せている。彼の目を見たが、特にその奥に闇などは感じられない。

「……どうしたんだよ」

「いや、なんでも」

 それでも、高橋は先ほど加奈子に言われたことを、坂本に伝えることは出来なかった。

 それからしばらく二人で話し合い、加奈子の作戦を採択し、そこから細かな動きを決めていった。

 そうしている間も、加奈子に言われたことが気になって仕方がなかった。

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