第18話

「……あの日、葛西さんは亡くなって坂本さんは逃げ延びたようです。結果は明日美さんの時と同じでした」

 加奈子はその言葉で結ぶと、大きく息を吐いた。

「…………」

 話を聞き終えた高橋も深くため息をついた。一気に疲れがやってきたような気がした。

 加奈子の言葉が正しければ、葛西は自らの作戦遂行のために坂本を仲間に引き入れたことになる。そして「使える」ようになったから佐藤と闘った。

「葛西さんへの見方が変わったでしょうか?」

 加奈子にそう言われ、高橋は首を振った。

「もう、そういうのは考えないことにしたよ。俺も綺麗な人間じゃなくなったしね」

「懸命な判断です」

「それにしても疑問に思うことがいくつかあるんだけど、いいかな?」

 加奈子がうなずくのを確認し、高橋は頭の中を整理して口を開いた。

「まず、坂本との間に抱えていた問題って何なんだろうね。開始五分間の間に何が話されたんだろう」

「私は深く聞いていないので解りません。元々お二人の問題など、興味がなかったですので」

「そっか……まあそうだよね。もう一つ。葛西の周りに血だまりが出来ていたって言ってたけど、当時は佐藤さんはナイフを使っていたの?」

 高橋の言葉に加奈子は首を振った。

「いえ、当時から父はコードを使っていました。その点は私も疑問に思いましたが、父はあの時の事は聞いても話してくれません。まあ、葛西さんはナイフを使っていたようですから、もつれたか何かあったのだと思いますが」

「そっか……ありがとう。これで葛西の事もほとんど解ったよ。葛西がそんなに苦しんでいるのに、解ってやれなかったんだな」

 高橋は深くため息をついた。存命中、彼の苦しみを何も解ってあげることが出来なかった。仕方ないこととはいえ、その事実は少し辛かった。

「それでは、これを踏まえて高橋さんはどうするつもりですか?」

「……俺が?」

「ええ。恐らく高橋さんがここまでやってきたのは、葛西さんの事を理解したいという所が大きかったと思います。恐らくこれで葛西さんの事は概ね理解できたかと思いますが。それでも父と闘いますか?」

 加奈子は表情を変えずに静かにそう言ってきた。確かにここまで高橋は葛西の事が知りたくて進めてきた。佐藤の戦闘の見学も、加奈子の殺害の補佐も、そして緒方を殺したのも、全てのきっかけは葛西がどんな気持ちで殺しをやっていたのかを知りたかったからである。

 しかし。

「……それとこれとは話は別だよ。もうここまできたんだ。俺もこれが正しいこととは思えないけど、葛西の意志も継ぎたいし、加奈子さんを助けたい。だから佐藤さんと闘うんだよ」

「私は」

 加奈子は言葉を止め、かすかにうつむいた。

「あの戦闘で葛西さんを結果的に裏切ってしまいました。私があの時あの場から離れなければ、もしかしたら結果は変わっていたかもしれません。だから今、こうして葛西さんの意志を継ぐ高橋さんに協力したいとは思っています」

「じゃあ……」

「でも、私は怖いのです。また失敗して死人が出るのではないかと思うと」

 加奈子はそう言いながら表情を歪ませた。それは高橋が初めて見た、加奈子の本当の表情だった。

「……大丈夫。絶対に成功させるから。ちゃんと佐藤さんを殺して自由になろう」

「絶対なんてありませんよ」

「あるさ。俺達には葛西がついているんだから。あいつが君の協力が得られれば勝てると踏んだんだから、絶対だ」

「…………」

 それから二人はしばらくの間無言で見つめあった。見つめ合うというには甘さはない。どちらかといえば睨み合いと言った方が良いかもしれない。加奈子は高橋から目を外さず、高橋もまた、加奈子を見つめ続けた。

「……解りました」

 加奈子は小さく息をついて視線を外すと、席を立った。その顔はいつもの無表情に戻っていた。

「少し時間をください。どちらにせよ必ず返答をしますので、それまで待っていてください」

「……解った。どっちでもいいよ。無理強いはしないから」

「そう言ってもらえると助かります」

 加奈子はそう言って小さく礼をすると、部屋から出て行った。

「…………」

 一人になった高橋は、深くため息をついて立ち上がった。

 いつの間にか、最初に加奈子が入れた曲は全て終わっており、室内には申し訳程度の音量でBGMが流れていた。

 高橋はもう一度ため息をついて会計を済ませた。

 その日の夜、坂本からメッセージが届いた。短く「どうだった?」とだけ書かれている。

 「五分五分だな。とりあえず今は彼女の返答待ち。やることはやった。ダメだったらごめん」高橋がそう送ると、「まあ、いいさ」とだけ返ってきた。

 その日はそれだけのやりとりで接続を止め、早々に休むことにした。午後半休を取ったはずなのに、身体がだるい。加奈子とのやりとりに、無意識であったが力んでいたようである。

 高橋はベッドに入り、真っ暗な寝室で加奈子のことを思い描いた。彼女の今までの人生は、どのようなものだったのだろう。物心つく前から戦闘技術を叩き込まれ、この平和な日本で人殺しばかりに明け暮れる。唯一心を許した女性は、自分を救うために父に戦いを挑み、殺された。どれほどの精神力があればそんな人生を耐え抜くことができるのだろうか。高橋はしばらく想像しようと努力したが、無理だった。ついこの前までレールに敷かれた人生を歩んできた高橋に、想像など出来るはずもない。高橋はため息をついて寝返りを打った。

 やはり、彼女を救うためにも、自分達のためにも、佐藤さんを殺さなければならないな。高橋はそう心の中でつぶやいて、ハッと飛び起きた。今、自分は何を考えていたのだろうか。

 今更ながら思い出す。昼間加奈子に似たような内容のことを言った。佐藤さんを殺さければいけない。加奈子のため、死んだ葛西のため。そして自分達のため。確かに加奈子の問題を解決させるには佐藤を殺さなければならないかもしれない。

 しかし、自分達は? 自分達の問題は本当に佐藤を殺さなければ解決しないのか?

 高橋は顔を歪めて再び布団にもぐった。それ以上は考えないようにした。

 もしかしたら、ただ人を殺したいだけなのかもしれない、そう思いそうになったからだ。


 加奈子からの返事は一週間経っても来なかった。確かに「必ず返信をする」と言われた時に期日を示さなかった。あの時は別にそれでいいと思ってたし、出来ることなら彼女から自発的に返信があるまで待ちたかった。

 しかし状況がそれを許してくれなかった。加奈子と高橋が会った翌週の火曜日。戦闘のルールを決める期日である。それまでなんとか誤魔化してルール決定を先延ばしさせていたが、運営が準備を行うためにはこれ以上待つことが出来ないとの事で、本日のサイトが開放されている一時間でルールを決定させなければならなくなった。

「……じゃあ、俺達だけって事でいいな?」

 坂本からのそんな電話に、高橋は短く「ああ」と答えた。

 加奈子からの返事がこの火曜まで来なかった場合、加奈子は不参加とみなしてルール策定を行う。坂本と高橋の間にそんな取り決めがあった。これは加奈子には言っていない。「期限を設けなければ返答できないような奴に命は預けられない」そうだ。サイトが解放される午後一〇時の段階で彼女からの返答はない。加奈子は協力しないということを前提に、二人でルールを検討することになった。

 この件に関して、坂本は特に反応を示さなかった。元々自分の父親を裏切るというこの作戦自体に無理があるのだ。坂本もそれを理解しているのだろう。

 ともかく、今日佐藤と話し合わなければならない。高橋は対戦者連絡用掲示板を開いた。「2009年10月特別対戦」のスレッドを立ち上げると、前回の対話の内容が表示された。一番下までスクロールさせると、今日の対話が既に始まっていた。発言は佐藤から始まっている。


 坂本さん、準備はよろしいでしょうか?

 いいですよ。

 ではまず、フィールドの範囲と開戦の条件を決めましょう。


 ルール作成は交互に提案することによって決まる。前回は坂本が日程を、佐藤が戦場を提案した。坂本としては前に葛西と戦った場所で仇討ちをしたかったようだが、残念ながら当時の戦場は既に更地になっていると聞き、日程を取った。加奈子が土壇場で協力を申し出るかも知れないという希望的観測から、目一杯遅い一〇月三一日とした。佐藤もそれに合意し、日程が決まった。

 戦場は佐藤の申し出により、県内にある工場跡地に決定した。理由は、「近いから」らしい。確かに関東圏だと一日以上つぶれてしまうので、妻帯者である佐藤と坂本にとって、近距離であることは何よりも重要なことなのだろう。

 そして細かなルールを本日話し合うことになっているのだが、佐藤はこんな書き込みをしてきた。


 できれば、でいいのですが、今回の戦闘はルールを私の方で決めてもよろしいでしょうか?


 その書き込みがされた直後に坂本からメッセージが届いた。「どうする?」高橋は少し考えて、「内容次第」と答えた。元々ルールに関しては佐藤に任せるつもりだった。しかし佐藤からそんな申し出があるとは思わなかった。何か裏があるかもしれないから、「内容次第」なのだ。坂本は高橋の言葉通り、「内容次第です」と書き込んだ。


 ありがとうございます。一度やってみたい事があったんです。なかなか了承してくれる人はいないのですが、坂本くんならやってくれると思いましてね。

 私の考えるルールは以下の通りです。

 ○ルール

  ・戦闘のフィールドは、工場の建物全域。

   ※建物の外は含まれない。

  ・指定の時間になったら、佐藤は裏門から、坂本は正門から侵入する。

  ・それ以外のルールはなし。


 それ以外のルールはなし。つまり、フィールドに入ったらそこから戦闘開始、事前に罠を仕掛けるのも何もかもがOKということである。極端な話、相手方の入り口に爆発物を設置するもの可能ということだ。確かに提案しても了承する人は少ないだろう。

 さて、どうしようか。高橋は顎に手を当て、了承すべきかを考えた。さすがにこのルールではこちら側の分が悪い。佐藤は闇に紛れるのがとても上手い。それは今まで見てきた戦闘でよく解る。彼は敵が二人いようが四人いようが、暗闇の中からそっと、隣に歩いている仲間も気付かないほど静かに殺す。そしてわざと仲間が殺されたことを気付かせ、恐怖を感じている間に、もう一人を殺す。高橋は今まで見てきたそれら鮮やかな殺人を思い出し、小さく身震いをした。

 ともかく、これは危険過ぎる。もう少し考えて、こちら側も何かを要求しなければならない。坂本もそんなことを考えているのか、彼からのメッセージは届いていない。

 どうすべきだろうか。高橋はなかなか考えても切り口が浮かばず、気分転換にお茶でも飲もうかと立ち上がるとき、ふとパソコンのキーに触れてしまった。いくつか触れたキーの中に画面の再読み込みを行うキーに触れてしまったようである。開いていた対戦者連絡用掲示板が最新の状態に置き換わった。

 すると何か書き込みが増えていることに気付いた。坂本の書き込みである。


 そのルールでいいですよ。


 高橋は慌てて坂本にメッセージを送った。「待てよ。内容次第って言っただろ?」見ると佐藤の書き込みの直後に坂本は返事をしたようだった。大して考えていないのだろう。予想通り「あんな言い方されて引き下がれるかよ」というメッセージが返ってきて、高橋は深くため息をついた。あいつは昔から何も変わっていない。いつも一人で考えなしに突っ走っていって、その尻拭いを高橋や葛西がやる。そんな思い出に一瞬懐かしんだが、すぐに気を引き締めた。こんな時にさりげなく軌道修正する葛西はもういないのだ。自分が軌道修正しなければならない。どうすれば良いか。高橋はひとまず「まだ確定させないでくれ」と坂本に送り、策を考えた。こちらが有利にならなくても良い。少しでも不利な状況を回避できるものはないだろうか。

 しかしいくら考えても良い案が浮かんでこない。時間だけが過ぎてゆく。坂本から「もう確定するぞ」とメッセージが来る。「もう少し待ってくれ」。高橋がそのメッセージを返して再び思い悩んでいると、ふと坂本のメッセージの前に一通未開封のメッセージがあることに気付いた。

「……あ」

 その送信者の名前を見て、高橋は声を漏らした。

 そのメッセージは加奈子からだった。


 返信遅くなって申し訳ありません。あの件ですが、可能でしたら協力いたします。


 やった。高橋はガッツポーズで喜んだが、すぐにそんなことをしている場合ではないということに気付いた。今はルールをどうすべきかを考えなければならない。


 協力ありがとう。申し訳ないけど今戦闘のルールを決めているんだ。見てもらって加えるべきルールがあるか考えてもらえないかな?


 高橋は手早くタイピングして加奈子に送った。少なくとも自分一人で考えるよりはマシだと高橋は考えた。

 加奈子からの返信はすぐに届いた。


 坂本さんの了承を得ている暇はありませんので、高橋さんの意見として坂本さんに送ってください。


 そんな書き始めで始まる文言を、冒頭だけ削って坂本に送った。サイト閉鎖まであと五分しかない。吟味する時間がなかった。

 程なくして掲示板に坂本の書き込みが表示される。


 一つだけルールを加えてください。

 運営がOK出したら、ですけど。

 ○付帯条件

  ・戦闘開始当初、フィールド内の全ての電灯を点けて、暗闇をなくす。

   ※外に灯りが漏れて支障がある場合は、遮光カーテンなどを使用する。


 なるほど。高橋は彼女の考えた追加案に、感嘆の声を上げた。佐藤は闇に紛れるのが得意である。闇は彼にとって見えない武器なのである。それならばその武器を取ってやればいい。戦場に電灯があるかどうかは解らないが、遺体処理をするときのために電気は通してあるのだと予想していた。もちろん運営が了承するかは解らないが、悪くない案である。

 佐藤の返信は早かった。「いいですよ。それでいきましょう」。その後に運営からも書き込みがあった。「問題ありません」。

 ともかくこれでルールが決まった。まだあまり実感はないのだが、少しずつ決戦の日が近づいていることを感じはじめてきた。

 勝てるだろうか。高橋はふと湧き出てきた不安を振り払った。勝てなければ、自分達が死んでしまうのだ。何とかするしかない。

 高橋はふと思い立って、葛西の手紙を押入れから取り出した。葛西が坂本に宛てた最後の内容は、佐藤の殺害依頼だった。己が死んだときに備えて、坂本にその役を任せる。それほどまでに、恋人だった明日美への思いが強かったのだろう。やはり自分達が手を汚すしかないのだ。

 高橋は葛西の手紙を元の場所に戻し、サイトをログアウトした。

 それでも、加奈子がこちら側についたのは非常に大きい。自分達のためにも、彼女のためにも。

 高橋はそこまで考えて、気付いたことがあった。

 そう言えばまだ加奈子が協力してくれることを、坂本に報告していない。

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