第17話

 高橋と坂本がショッピングモールで会った日。坂本はその時既に佐藤に特別対戦の申し込みを済ませていた。佐藤から了承の返事が坂本に届いたのは、それから二日後のことであった。

 正式に佐藤との戦闘が決まり、高橋達は早速作戦会議のために坂本家の近くのカラオケ店で行われることとなった。

「……さて」

 一ヶ月ぶりに入るカラオケボックスで、相変わらず生ビールを口に含み、坂本が改まった口調で口を開いた。

「多分今日か明日にでも正式に発表があると思うけど、俺と佐藤が今月の特別対戦で戦うことになった。ここまで長かったが、ようやく辿り着けたな」

 坂本はビールを煽って深く息を吐いた。確かにここまでの道のりは果てしなく長かった。高橋もこの半年に起こったことを考えると不意にため息が出た。

「とりあえずルール決めなんかはこれから俺と佐藤でやろうと思ってるんだけど、とりあえずどうやって戦うのかを考えなければならない。俺は空手では正々堂々を貫いてきたけど、これに関しては別だ。俺はどんな汚いことでもやろうと思っている。サイトの他の連中みたいに『ルールに則って』なんてことは俺にとっては重要ではない。大事なのは『佐藤を殺して俺達が生き残る』っていうところだからな」

 坂本は一気にそう言って高橋を見た。高橋は小さくうなずく。

「で、だ。残念ながら俺はあんまり佐藤に関する情報を持っていない。昔対戦したって言っても顔も見ずに終わってしまったしな。だからまず一緒に戦っていたお前から、感想を聞きたい。佐藤がどんなヤツで、どんな戦い方をするのか、どんな些細なことでもいいから教えてもらえないか?」

「ああ……」

 高橋はそれまでの戦闘を思い起こした。佐藤に関すること。思いついたことをポツポツと話し始めた。

「まず、知っていると思うけど、尋常でないくらい強い。あの人は普段は普通のおじさんにしか見えないけど、多分身体はかなり絞ってるんじゃないかな。あと、頭もいい。相手方が罠を掛けても、あの人は全部裏をかいてくる。俺もどれだけ自分の考えが読まれているのか解らなかったからな。あとは……」

 高橋は言葉を区切り、その他に何か言うべき事がないか考えた。

「あとは……ともかくルール決めは佐藤さんに任せた方がいいかもしれないな。あの人は妙にフェアなところがあるから、自分が決めたルールでこちら側が不利になることはないと思う」

「まあな。それは俺もそう思う」

 言葉とは裏腹に、坂本は納得していないように鼻を鳴らした。佐藤を褒めることが面白くないようだ。

「まあ、ルールはある程度は佐藤に任せるつもりだ。で、そんなところか?」

「そうだな」

「加奈子の件はどうなった? 共闘の打診をしていたんだろ?」

 坂本のその問いに、高橋は深いため息をついた。

「いや、まだ連絡はない」

 結局佐藤との戦闘が確定しても、加奈子からの連絡はない。最近はサイトを開いて連絡がないのを確認するのも辛いので、閉鎖時間ギリギリにメッセージのチェックをするだけになっていた。

「そうか。ま、俺達に協力するってことは実の父親を殺すってことだからな。じゃあどうしようかな……とりあえず一回催促してみよう。何か行き違いがあるのかもしれないし。それでも返事がなければ、二人でやろう。それでいいな?」

 高橋は小さくうなずいた。

「……ま、出来れば加奈子に協力してほしいけどな。……ああ、こないだまで毛嫌いしていたのにって思っているだろ?」

 どうやら高橋が思っていたことが顔に出ていたようである。坂本は先手を取って自嘲ぎみに笑った。

「こないだは悪かったよ。自分で言うのも何だが、俺は基本的に単細胞だからな。頭に血が上るとああなっちまうんだ。それは反省している。反省した上で改めて考えてみたんだよ。お前の言う通り、俺らだけじゃ佐藤には勝てないだろうな。葛西もそれを見越して加奈子の名前を出したんだろうし。……それにさ、加奈子と共闘するのが葛西の最後の意志だからな。あいつの意向には沿いたいんだよな」

 坂本は後半を少し照れくさそうに言った。確かにあの手紙は葛西の最後の意志である。葛西の立てた作戦に沿うことで、彼も一緒に闘っているという事になるのかもしれない。

「それで、加奈子とは今どんな感じなんだ?」

 坂本は場に流れたしんみりとした空気を払拭するためか、とりわけ元気良くそう言ってきた。

「仲間になりそうなのか?」

「いや、それが……」

 高橋は現在加奈子の返答を待っていることを伝えた。加奈子と交わした条件や、高橋が導き出した答えは、何となく言いたくなくてぼかした。そのため坂本にはなぜ加奈子が急に協力する気になったのかが解らないようだったが、彼はさほど気にしていなかった。

「うーん。どうしようかな。とりあえず何かしらの行き違いがあるかもしれないから、一回催促してくれないか?」

 坂本の言葉に高橋はうなずいた。もしかしたらメッセージ機能に不備があって届いていないだけなのかもしれない。

「催促して、それでも連絡がなかったら加奈子の共闘は諦めよう。とりあえずもう少ししたらルール決めしなきゃいけないから、それまでははっきりさせたいよな」

 そうしてその日の作戦会議が終わった。

 翌日の夜、サイトに接続してみると今月の対戦カードが発表されていた。通常の対戦の下に特別対戦として坂本達の名前が記されていた。


 佐藤秋雄(70勝0敗0引き分け) - 坂本祐司(3勝0敗0引き分け)


 まだ申請していないため、高橋の名前はない。連名の共闘にするか、見えない共闘にするかがまだ決まっていないためである。加奈子が協力するようなら、彼女を対戦に参加させるために高橋は見えない共闘にする。加奈子が協力を拒否した場合は、加奈子を戦闘に参加させないために連名による共闘にする。相手に見えない共闘がいるときのみ加奈子が参加する点から、坂本と話し合ってそうすることにしたのだ。

 すべては加奈子からの返答次第である。結果がどうあれ彼女の意思が解らない事にはこれ以上動きようがない。

 しかし加奈子からの返事はない。今日も期待と不安を抱きながらメッセージボックスを開いてみたが、彼女からのメッセージは届いていなかった。

 どうすべきか。高橋としては出来れば彼女から連絡が来るまで、根気よく待ちたかった。いくら葛西のため彼女自身のためとはいえ、父を殺す事に手を貸すのだ。簡単に決められる事ではない。出来ることなら彼女の気持ちが固まるまで、何も言わずに待ちたい。しかし坂本が言う通りシステム上何かの不備があって届いていないだけかもしれない。それでなくても時間も限られているのだ。高橋は悩んだ末、メッセージの行き違いがないかだけでも訊いてみることにした。


 もしサイトのシステムに不備があって、加奈子さんがメッセージを送ったのにこちらに届いていないということがあったら大変なのでメッセージしました。

 急がないのでいつでも良いのですが、出来たら先日の返信をいただきたいです。


 色々考えた末にその文章を書き上げた。相手に負担とならずに、もし加奈子が既にメッセージを出していた場合は届いていないということに気付くことが出来る。

 彼女からの返信は早かった。最初坂本の言う通り送ったけど届いていない状態であったのかと思ったが、開いてみたらどうやら違うようだった。


 会って話がしたいです。


 それだけが書かれていた。こちら側に協力するかどうかは一切書かれていない。一体どういう意図があるのだろうか。高橋はそう気になったが、あえて訊く事はせずに了承の返事を送った。

 加奈子とは二日後の木曜日の午後に彼女が通う大学近くのカラオケ店で会うことになった。今回は佐藤には内緒にしなければいけないため、夜はできるだけ避けたいとのことだった。そのため、高橋は午後半休を取って対応することになった。

 二日後の木曜日、高橋は予定通り午後半休を取った。自分の仕事は前日夜遅くまでやって済ませ、朝は部下である佐藤の仕事を作り、午後一時には会社を出られる状態になった。

「じゃあ後はよろしくお願いします」

「ええ。任せてください」

 佐藤は仕事の手を完全に止め、高橋の方を向いて笑顔で応えていた。そんな仕草は以前からと変わらない。佐藤は坂本との戦闘が決まってからも、何ら変わることなく今まで通り仕事の出来ないおじさんを演じていた。ただ、最近は少しずつ仕事の出来ないフリを抑え目にしているようで、あまり高橋が指摘しなければならないような状況が少なくなっていった。周りもそんな空気を読み取ったのか、「最近二人の雰囲気いいですね」と言われるようになってきた。上司の佐々木にも、「佐藤を任せて正解だった」と言われた。

 しかしこんな関係ももう少しで終わると思うと、高橋は複雑な気分になった。

 会社を後にして、加奈子にメールを送った。「今終わりました。一度家に戻るので、一時間後にそちら行きます」すると間髪入れずに「わかりました。カラオケボックスの前で待っています」と返信が来た。どうやら加奈子も授業が終わったようだ。

 高橋は電車に乗り、一度アパートに戻って私服に着替えると、車で彼女の大学の方向へ向かった。

 彼女の通う大学は、高橋のアパートから車で二〇分くらいの所にある。国公立の大学で、偏差値もそこそこ高い。高橋も若かりし頃その大学を目指してはいたが、志半ばで別の大学を受けることになったのだ。

 しばらく車を走らせると、右手に大学のキャンパスが見えてきた。歩道を歩く人影も、学生ばかりになってきた。皆一様に笑顔が輝いている。大学生活を謳歌しているような顔ばかりで、高橋は不意にため息が漏れた。社内ではまだ若手の部類に入るが、この様に青春の真っ只中の笑顔を見ると、さすがに自分も若くはないと自覚してしまう。若さに嫉妬するということは、自分は既に若くはないということなのだ。

 そのままキャンパスを右手に走り続ける。加奈子が指定してきたカラオケボックスはキャンパスを抜けてすぐのところにある。それなりに繁盛しているようで、外観はとても綺麗だった。

 加奈子は駐車場の隅に立っていた。高橋は車を停め、加奈子の方に歩いていった。

 彼女は高橋に気づくと小さく頭を下げてきた。いつものように無表情の硬い顔をしていたが、着ていた服は周りの大学生と同様の華やかなものだった。高橋はアパートで着替えてきてよかったと思った。ここにスーツ姿では明らかに浮いてしまう。

 加奈子は無言で店内へと入っていった。高橋もそれに続く。店内には平日昼間だというのに賑わっていた。そこかしこから歌声が聞こえてくる。お前ら勉強しろよと高橋は心の中で毒づいたが、自分の大学時代を振り返っても似たようなものだったことを思い出し、考えを改めた。まあ、学生はこんなものだ。

 加奈子はフロントで手際よく受付を行っている。既に会員らしく、いつもの対外的な笑顔で部屋と料金システムを決めていた。

 店員に連れていかれ、加奈子が指定した部屋に向かった。坂本の家の近くにあるカラオケボックスとはまったく違う。L字のソファと大型のテレビは一緒だが、内装も明るめで、高橋が見たことのないようなリモコンが置いてあった。

 加奈子は慣れた手つきでその見たことのないリモコンを操作し、適当に何曲か入れていった。

「……こういうところに結構来るの?」

 手慣れた動きに、思わず高橋はそう訊いてしまった。どうも無表情の加奈子と、カラオケがうまくリンクできない。

「ええ。まあ大学生はこういうものが好きなのが一般的だと思いますので」

 加奈子はつまらないそうにそう言った。これも一般人を装うためのツールなのか。そう思うと、社会人である佐藤よりも、ずっと大変なのかもしれないと思った。カラオケもするし携帯メールもする。コンパでは、はしゃぐ同級生に合わせなければならない。それを無理にしなければならないというのは、どれだけ大変なことなのだろうか。高橋は少し考えてみたいが想像も出来なかった。

 やがて加奈子が選んだ曲の前奏が流れてきた。高橋の知らない曲である。高橋は知らないが、若者の間では常識の曲なのかもしれない。

「さて、それでは早速本題に入りましょう」

 加奈子は前置きなく切り出してきた。この様な無駄な世間話がない加奈子に最初は戸惑っていたが、今はもう慣れてしまった。高橋も話を聞く体勢を作る。

「話したい事があるんだったね」

「ええ。一応父との戦闘の前に高橋さんに話しておこうと思いまして」

「何を?」

「葛西さんと明日美さんの事」

 そう言われ、高橋は身を揺らした。

「……急にどうしたの?」

「次の戦闘は、誰が命を落とすか解りません。もしかしたらこういうことを高橋さんに話が出来るのは最後になるかもしれないと思いまして」

「…………」

 確かに次の戦闘はどうなるのか解らない。もしかしたら高橋が死ぬかもしれない。加奈子が協力してくれなかったら、この手で彼女を殺さなければならなくなるのかもしれない。こうして彼女と二人で話すのも最後かもしれない。そう心の中でつぶやくと、少し身体が震えた。

「……知りたくないのですか?」

 長い沈黙が拒絶と取ったのだろう。加奈子はそう言って少し顔を伏せていた。

「いや、急な話でびっくりしただけだよ。出来れば教えてほしい」

「解りました。では一応確認ですが、もしかしたら高橋さんの知っている葛西さんとかけ離れているかもしれません。それでまた高橋さんが悩むことになるかもしれませんが、よろしいですか?」

「うん。もう十分悩んだよ。それでも葛西の事を知りたいんだ」

 高橋がそう言って彼女を見据えると、

「解りました」

 彼女はそう言って、高橋を見返してきた。その顔は、一瞬だけ表情を緩めたように見えたが、高橋が気付いた頃にはすでにいつもの無表情に戻っていた。


 一応、今話すことは高橋さんだから話すことです。そのため、出来れば坂本さんには言わないでください。

 そんな言葉を枕詞に、加奈子は少しずつ当時の状況を話し始めた。

 まず、加奈子と明日美が初めて会ったのは、今からおよそ八年ほど前の東京である。その頃父は東京本社に単身赴任中で、「会わせたい人がいる」ということで休日に東京に行ったところ、佐藤の隣に明日美がいたのである。

 私が仕事で行く先で働いている、皆川明日美さんだ。最初の紹介はそんな感じだったようだ。当時まだ仕事の出来ないフリをしていなかった佐藤は、官公庁系のシステムを担当していたようで、皆川明日美は佐藤と同じグループに派遣社員として関わっていた。同じ仕事をする内に恋愛関係に陥ったようだった。

 当時加奈子はまだ幼かったが、二人が不倫関係にあるのだろうと直感的に感じていた。特にどうというわけではないが、何となく雰囲気から、女の勘で察知したらしい。

 佐藤は別に自分の愛人を娘に自慢するために呼び寄せたわけではなかった。それにはきちんとした理由があった。明日美も殺人に興味があり、当時まだ立ち上がったばかりのサイトに入会したとのことだった。

「あのサイトはまだ未熟だが、いずれ使えるようになる。我々も主な活動の拠点をそちらに移行することになるかもしれない。彼女にはその評価をしてもらう」

 ちなみにその時既に佐藤は入会済みだったが、まだどのようなものかがはっきりしないので、活動を控えていた所だったのだ。

 その時加奈子はまたも女の直感が働いた。明日美は殺人が好きなわけではない。殺人を好んでいる佐藤を好きなのだ。だから多少無理をしてでも彼に合わせているのだろう。加奈子はそう思ったが、特に何もしなかった。別に興味がなかったからである。

 それからしばらく明日美の戦闘の補佐をすることになった。とはいえ当時の加奈子はまだ人を殺す術を知っていても、それを実践するための身体能力が備わっていなかった。そのため主に動くのは佐藤で、加奈子は補佐の補佐を行っていたらしい。

 明日美はとても優しい女性だった。基本的に普通の女性であり、加奈子のようにやさぐれることもなく、親の愛情をたっぷりと浴びて育ってきたのだろう。当時からひねくれていた加奈子にも優しく接してくれた。

 それまで加奈子は父親以外の人に、素の自分を見せたことがなかった。明日美は初めて自分が素を見せられる他人で、加奈子は少しずつ彼女に好意的な印象を持つようになった。

 明日美も女性同士で共感する所があったのだろう。ある日加奈子はこっそりと「携帯のアドレスを交換しよう」と言われた。当時加奈子は佐藤との連絡用として携帯電話を持たされていたので、加奈子は快諾して連絡先を交換をした。加奈子もとても嬉しかったらしい。

 しかし、やはり殺人は色恋で続けられるような甘いものではない。次第に明日美と佐藤の関係は綻びが見えてくる。明日美は戦闘に積極的には参加しなくなり、佐藤も彼女のことを話題に出さなくなった。佐藤と明日美の関係は一年ほどで終わったようだ。

 佐藤と明日美の関係が解消されても、加奈子と明日美の関係は続いていた。加奈子は父親に内緒で明日美と連絡を取り合っていた。

 そしてしばらく時が経ち、明日美から「紹介したい人がいる」という連絡とともに、東京までの往復チケットが郵送されてきた。

 きっと別に好きな人が出来たのだろうと思った。三度目の「女の勘」である。その勘は当たっていた。

 明日美の隣にいたのは、彼女にお似合いの、とても優しそうな青年だった。彼女の大学時代の知り合いだという。名前は葛西高志と自己紹介してくれた。

 彼は明日美の過去を受け入れた上で付き合ったと言っていた。「僕みたいなのが彼女の支えになれるかは解らないけど」と葛西は恐縮していたが、加奈子はとてもお似合いのカップルだと思った。やはり佐藤と付き合っていた頃は、無理をしていたのだろう。葛西とはとても自然体で、そんな二人を加奈子は好意的に見ることが出来た。

 その日は三人で東京で遊んだ。加奈子にとって、それまでの人生で一番楽しかった日だという。別れる直前に、明日美は加奈子に耳打ちをしてきた。「私はもうあの時の事は忘れる。加奈子ちゃんも、出来ればあの人から離れた方がいいわ」しかし加奈子はそれに応じなかった。当時の加奈子には父親が全てだった。それ以外の事象は、全て「どうでもよいこと」という認識だった。しかし明日美にそう言われて、少しだけ心に響くものがあったという。

 それから時折東京に行き、明日美と会ったりしていた。葛西は忙しいらしく、あまり会うことはなかったが、時間が合えば三人で会うこともあった。

 あの時耳打ちをした通り、明日美は加奈子と佐藤を引き離したかったようだ。殺人という非生産的な行為に青春時代の全てを捧げる加奈子に、明日美は不憫に思ったようだ。しかし加奈子はそれに対しては頑なに拒否した。どうあっても自分と明日美とでは住んでいる世界が違う。加奈子は本当の姉のように慕っており、着ている服や嗜好などは明日美に勧められるままに加奈子も変えていったが、殺人に関しては一歩も譲らなかった。それは加奈子にとって生きている全てであり、簡単に捨てられるものではなかったのだ。

 その頃にはサイトは軌道に乗り、佐藤も信頼して殺人の事後処理を任せるようになり、「掃除屋」としての仕事よりも、サイトでの報酬なき殺人に活動をシフトしていった。加奈子も佐藤に勧められ、サイトに入会する事になった。その時には単身赴任が終わり、加奈子の元に佐藤は帰ってきた。

 サイトに入会したことを知ると、明日美は悲しそうな顔をした。「加奈子ちゃんにはもっといい人生があると思うの」そう言われはしたが、加奈子は明日美の気持ちに応えることはなく、淡々と父の殺人のサポートを行っていた。

 当時もう彼女はサイトでの活動を行っていなかった。おそらくログインもしていなかったのだろう。明日美の名前がサイト内で出てくることはなかった。

 しかししばらくして、対戦カードに彼女の名前が挙がったのである。それは加奈子が予想していなかったカードである。

 佐藤秋雄 ー 皆川明日美、葛西高志

 葛西はそれが初戦であった。カードが決まる二日前に入会したらしい。

 加奈子はそのカードの意味が解らなかった。理由は何となく解る、しかしそれに至る意味が解らない。明日美に連絡を取ると、「あの人を殺して過去と決着を付けたかった」ということだった。しかし加奈子は解っていた。すでに明日美達は過去と決着は付いている。理由はただ一つ。加奈子と佐藤を引き離すため。

 加奈子はどうすれば良いのか解らなかった。父に死なれては困る。しかし同時に明日美達にも死んでほしくない。悩んで悩んで悩み抜いた結果、加奈子は戦闘当日まで目と耳を塞ぐことにした。携帯電話の電源を切り、部屋から一歩も出ないでその時が過ぎるのを待った。父親も、今回ばかりはサポートを頼まなかったという。

 そして戦闘の日を迎えた。何も見ず何も聞かず、時が経つのを待った。そして翌朝、父が帰ってきて、加奈子は全てが終わったことを知った。佐藤は自らの手で明日美を殺したのだ。

 後から、葛西は生き延びたことを知った。戦闘中に逃げたらしく、サイト内では珍しく、生存していながら「一敗」であった。元々彼は初戦である。逃げるのも無理はない。加奈子はそう思ったが、葛西に連絡を取ろうという気にはならなかった。彼もまた、加奈子に接触してくることはなかった。

 それから時が経った。加奈子は相変わらず佐藤の戦闘の補佐を行う日々をこなしていた。

 そして明日美が死んでからちょうど一年経ち、葛西の存在も記憶の片隅にかすかに残っているほどになった時に、葛西から連絡があったのである。


 正直な所、その時加奈子はメッセージの送信者「葛西高志」が誰なのか、すぐには思い出せなかった。葛西とは明日美が生前に数回しか会っていないのだから仕方のないことである。

 しかしメッセージの「一年前の皆川さんの件で話があります」という内容で明日美の恋人だった人だったと思い出した。

 加奈子は悩んだ末に会うことにした。加奈子は当時の戦闘には参加しておらず、父にも聞くのがはばかれるため、何があったのかは解らなかったのである。

 葛西とは郊外のカラオケ店で会うことになった。

「来てくれてありがとう」

 葛西は既に部屋の中にいた。小さく笑っていたが、その瞳の奥には深い闇を感じた。

「まず、ごめんね。あの時君を開放するって言ったのに出来なかったね」

「いえ、気にしないでください」

 加奈子は首を振った。あの時の事は特に気にしていなかった。

「それより、今日はどうしました?」

「……うん」

 葛西は言葉を止め、幾度か躊躇した後に意を決したように口を開いた。

「君のお父さんに、もう一度挑もうと思う。そこで、君に協力して欲しいんだ」

「協力、ですか?」

「うん。単刀直入に言うよ。佐藤さんの見えない共闘で参加して、後ろから刺して欲しいんだ」

 葛西は加奈子を正面から見据えてそう言った。その顔は辛そうであるが迷いは感じられなかった。

「…………」

 加奈子は無言でフリードリンクのジュースを飲んだ。

 そのまま長い沈黙が流れた。加奈子は無表情のまま少しずつジュースを飲み続け、葛西はそれを静かに見つめていた。

 そして加奈子のジュースが尽きた時、彼女はゆっくりと口を開いた。

「いいですよ。でもその代わり、一つ教えてくれませんか?」

「……うん。僕が答えられることだったらなんでもいいよ」

「なぜ、父と闘う必要があるのですか? 私と葛西さんは命を掛けるほどの義理はないかと思いますが」

 加奈子は疑惑の目を向けた。いくら明日美の恋人だった人だとしても、急に会って「君のお父さんを殺す手伝いをしてくれ」と言われて、手放しに信じられるわけはない。明日美は加奈子を父の呪縛から解放させるために闘った。この葛西もまったく同じ理由であるとは思えなかった。もしも、名声のために父を狙っているのだとしたら、協力するわけにいはいかない。

 そんな加奈子の気持ちに気付いたのか、葛西は自嘲ぎみに笑った。

「確かに疑うのも無理もないね。確かに皆川さんみたいに完全に君のためってわけじゃないよ」

「では、なんのため?」

「自分自身のためかな。皆川さんとの約束を果たしたいんだ」

 それから葛西は、それまでの事をゆっくりと語り始めた。

 あの日、葛西は明日美と共に佐藤に戦闘を挑んだ。それなりに勝算はあったが、佐藤は二人が想定しているよりも強く、狡猾だった。葛西が考えた罠など何一つ役に立たず、開始後すぐに明日美が佐藤の手に掛かった。

「すぐに向こうの青年も同じ所に連れてやる」

  佐藤は明日美の首にパラシュートコードを巻きつけたまま、そう言った。その時葛西はすぐ目の前でその光景を見ていた。

 もう手遅れだった。葛西がどうあがいても明日美を助けることは出来ない。一応手にはナイフを持っていたが、そんなもので敵うとは思えない。葛西はその時死の恐怖で動けなくなっていた。

 葛西さん。

 その時明日美が消え入りそうな声を葛西に向けた。

 生き延びて、いつか必ず。

 葛西はその言葉を聞き終える前に逃げ出した。もうどうあがいても明日美は助からない。ならば生き残って明日美の思いを継がなければならない。そう心の中で繰り返し唱えたが、何のことはない。ただ死ぬのが怖くて逃げ出したのだ。自分だけでも生き延びたかったのだ。例え愛する人が目の前で殺されそうだったとしても。

 そして葛西は生き残り、明日美は死んだ。

「あの日から、僕はすべてのやる気を失って、逃げるようにこっちに戻ってきたんだ。向こうにいるとどうしてもあの時の恐怖と惨めな気持ちが抜けなくてね。しばらくこっちでサイトとのことは忘れて過ごしていたんだ」

 葛西はそこで言葉を止め、遠い目をした。過去を懐かしんでいるのか、一瞬だけ笑顔を見せた。しかしすぐに表情を落とし、力なく首を振った。

「でもね、どうしてもあの日の事が頭から離れないんだ。生き延びて、いつか必ず。皆川さんの最後の言葉もね、気を抜くと耳の奥で聴こえてくるんだ。それがすごく辛くてね。なんでなんだろう。どうすればいいんだろうってずっと考えたら、思い出したんだ。皆川さんとの約束を」

「約束?」

「うん。どちらか一人になっても、必ず君を救うんだ、ってね。その約束をしたときはまさか僕一人だけ生き残るなんて思わなかったけどね。ともかく、その約束を果たすために佐藤さんと闘うことにしたんだ。……ごめんね。皆川さんと違って純粋に君のためってわけじゃないんだ」

「いえ、そちらの方が信用できます。でも、私は対戦相手に見えない共闘がいない限りは参加しないことになっています。葛西さん一人では私は協力することはできないのですが、その点はどうするのですか?」

「ああ。その点は大丈夫。見えない共闘は用意できる。そのために半年かかったんだけどね」

 それから葛西は佐藤討伐を思い立ってからの半年間を話し始めた。

 佐藤と闘うために葛西がまず行ったことは、前回の戦闘の総括だった。前回の戦闘がなぜ失敗したのか。自分達の作戦に足りなかったものは何だったのか。できれば思い出したくない忌まわしいことであったが、葛西は考え続けた。

 そして考えた結果、頭で考えすぎたことが原因ではないかという結論に達した。確かに自分は策を練ることを得意としている。しかし、佐藤はそれ以上に頭が良い。いくら小細工を積み重ねたところで、佐藤は難なく看破してくる。

 ではどうすれば良いか。葛西は考えた末に出した結論は、最小限の策と圧倒的な腕力でねじ伏せるというものだった。

 まず葛西が考えたのは戦力の補強である。この時すでに加奈子を仲間に引き入れる構想があったが、その作戦は葛西一人では実現できない。見えない共闘を行う協力者が必要なのである。

 しかしサイト内から協力者を探すことはしたくなかった。葛西はサイト内の会員とはほとんど交流がない。作戦を遂行するためには、命を預けても良いと思えるほど信頼できる人でなければならない。ではどうすべきか。

 葛西が心の底から信頼出来る者は両親を除けば二人しかいなかった。高橋と坂本である。葛西は熟考の結果坂本を仲間に引き入れることにした。坂本は昔空手を習っていたし、今も時々道場に通っているらしいので、腕力は問題ない。

 そして何よりも、彼ならこの血生臭い世界にも順応できそうな気がした。高橋と違って頭で考えるよりもまず身体が動くタイプである。うまく誘導すれば信頼できるパートナーとなり得ると考えたのだ。

 親友に対して超えてはいけない一線だということは解っていた。解っていたが、葛西にはこの道しか見えていなかった。

 坂本をサイトに引き入れるのはさほど難しくなかった。何かを隠しているようなそぶりを見せて、戦闘当日に尾行させるように仕向ける。ただそれだけだった。

 葛西の思惑はうまくいった。戦闘の夜坂本に尾行させ、殺害している現場を目撃させることができた。

 殺害の現場を目撃した坂本は驚いていたが、その後は順調にサイトに入会し、葛西の補佐という形で戦闘に参加するようになっていった。

「……それから半年かけて『使える』ようにしたんだ。単独では佐藤さんに勝てなくとも、僕の頭と加奈子ちゃんの裏切りさえあれば、なんとかなると思うんだ」

 葛西はとても辛そうな顔をしながらそこまでを話した。その顔があまりに苦しそうだったのが加奈子には疑問に思えたが、ともかく葛西に協力することにした。特に深く考えたわけではないが、父親の補佐をやり続けるのも飽きてきたころだったし、何よりも明日美の意思を継いでいるという言葉に多少惹かれるものがあった。翌月の戦闘で葛西対佐藤のカードが決まり、加奈子は葛西側として行動することになった。

 葛西の作戦はいたってシンプルだった。坂本の潜伏先に加奈子が向かい、坂本を始末したということで加奈子は佐藤と合流。その後葛西と対峙している佐藤を加奈子が後ろから刺し、驚いている所を潜伏していた坂本が押さえつけ、葛西か坂本が討つ。作戦を簡素化して、それぞれが臨機応変に動けるようにした。

 準備は着々と進んでいった。日程とルールが決まり、加奈子との打ち合わせも順調に進んでいった。

「一つ、ルールを追加したいんだ」

 対戦前の最後の会合。坂本不在で葛西と加奈子の二人で集まった際に、葛西が改まったようにそう言ってきた。

「開始五分の事でしょうか?」

「うん。お父さんから聞いたのかな?」

 加奈子は小さくうなずいた。加奈子は先日父親から、「サイトには明記されないけどルールが追加された」という報告を受けた。

 葛西から直接接触があり、暗黙のルールの追加を依頼されたらしい。

 戦闘開始後五分間は非戦闘時間とし、お互いスタート地点から移動せず、攻撃もしない。

 佐藤がそのルールを追加する理由を聞くと、「こちら側の問題を解決したい」と言っていたらしい。

「坂本と僕との間にある問題を解決したいんだ。残念ながら僕達は戦場じゃないと腹を割って話が出来ないんだ。……もちろん今回の件には影響がないようにするつもりだし、加奈子ちゃんに迷惑が掛からないようにするつもり。だから、いいかな?」

 葛西は恐る恐るといった顔でそう訊いてきた。

 別に加奈子にとってはどうでもいい事だった。葛西達になにか問題があったとして、加奈子の行動には影響はない。自分は粛々と明日美の想いを遂げるために父親を後ろから刺すだけである。加奈子はその「問題」が何なのかを聞くことなく了承した。

 そして戦闘当日。加奈子は佐藤側の人間として戦場に向かった。

 当日は葛西とは連絡を取らなかったが、特に支障はなかった。佐藤の見えない共闘として参加し、相手側の見えない共闘である坂本を殺害することになっている。ここまでは葛西の想定通り、作戦にブレはなかった。

 父と共にいつも通り準備を済ませ、戦闘前の葛西達の動向を確認して潜伏予定場所の特定を済ませた。

 そして戦闘が始まった。佐藤は葛西と交わした暗黙のルールに従って、戦闘開始直後はスタート地点から一歩も動かず、静かに時が経つのを待っていた。

「加奈子」

 佐藤の後ろで待機していた加奈子は、突然呼ばれて顔を上げた。戦闘開始後に佐藤が声を掛けてくることは、いつもならありえない。開始前に全ての意志の疎通は完了しており、言葉を発する必要などないからである。

「なに?」

 加奈子はそう疑問に思いながらも声を上げた。すると佐藤は振り返ってきた。辺りは真っ暗な闇が支配しているため、彼の表情は確認出来ない。

「フィールドの外に出なさい」

 急にそう言われたため、加奈子は一瞬言葉が出なかった。

「……それはどういうことですか?」

「気が変わりました。今日の所は私一人で闘います。加奈子は外で待機しなさい」

「…………」

 今まで何年も佐藤の戦闘の補佐を行っているが、戦闘開始後にこのような事を言われたのは初めてだった。

 どうすればいい? 加奈子は無表情のまま混乱しそうな頭を必死に回転させた。先ほど行った最終確認では、確かに見えない共闘として参加することになっていた。それが戦闘開始してからこうして外に出るように命じると言うことは……。

 加奈子は急に身体が熱く感じた。葛西さん達との作戦がバレてる。加奈子はほんの少しだけ唇を噛んだ。

 そうとしか考えられない。戦闘が始まってから言ってきたのは、葛西と連絡を取らせないためだ。今加奈子が抜ければ、それを葛西側に知らせる手段がない。葛西達は当然加奈子が協力していると思い込んでいる。そうなるとどうなるのか。考えるまでもない。

「……どうした? 早くここから出なさい。それとも、何かここにいなければならない理由でもあるのかな?」

 佐藤は口調こそは丁寧で穏やかだったが、有無を言わせぬ空気を出していた。

 反射的に逆らったら殺されると加奈子は思った。自分の父は他人の命を奪うことを何とも思わない。例えその相手が実の娘だったとしても、それは変わらないだろう。

「……解りました」

 加奈子は頭を下げてフィールドを後にした。

 それから五分と経たないうちに佐藤が戻ってきた。

 終わったよ。

 佐藤は小さくそう言っていた。

 加奈子が急いでフィールドに戻ると、佐藤のスタート地点付近に葛西の遺体があった。彼の周りには大きな血だまりが出来ていた。まだ身体にぬくもりを感じられたが、既に絶命していることは明らかだった。その表情は苦しそうであったが、少しだけ微笑んでいたような気がした。

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