第16話

 加奈子からの返事は数日中には来るだろうと高橋は思っていた。そのため、戦闘終了後、毎日のようにサイトをチェックしていたが、いつまで経っても彼女からメッセージが来ることはない。

 そして四日過ぎ五日過ぎ、一週間過ぎても一向に来る気配がないところで次第に焦りを感じるようになった。

 あの時はそれなりに手ごたえらしきものを感じた。葛西と同じ理由だったのかは解らないが、彼女の心を動かしたという確信はあった。もう少し佐藤が来るのが遅かったら、あの場で了承をもらえていたのだろう。

 しかし今も加奈子からの返事はない。さすがに自分の父親を殺すということに抵抗があるのか。それとも心を動かしたというのが勘違いで、全く的外れな回答をしてしまったのか。

 問題はそれだけではない。現在坂本とも連絡を取っていない状態にある。カラオケボックスで喧嘩別れをしてから、なんとなく連絡を取ることができず、今までずるずると来てしまった。

 もうすぐ次の月の対戦相手の発表がある。恐らく坂本と佐藤のカードが組まれることになるだろう。今のままでは坂本が一人で佐藤に挑むことになるのだ。恐らく坂本はそれでも闘うのだろうが、それでは万に一つも坂本に勝機はない。何とかしなければ。しかし今坂本に連絡を取ったとして、果たして彼はまともに取り合ってくれるだろうか。しかし何とかしなければならない。高橋は思考の堂々巡りを繰り替えしていた。

「……ねえ。圭介」

 日曜日の昼下がり、ゆかりと一緒にいる間もついそう思い悩んでしまう。そのため、ゆかりにそう声を掛けられても、「うん」と気のない返事で返してしまった。

 それがゆかりの気に障ったようである。

「こら。あんた今他の事を考えていたでしょう」

 そう言われて頭を叩かれて、初めて高橋はゆかりに呼び止められていたことに気付いた。

「あ……ごめん」

 高橋は慌ててゆかりの方を向いた。そういえば今日は何度もこのように生返事をしていたような気がする。怒ったのだろうか。恐る恐るゆかりの顔色を伺ってみると、彼女は頬を膨らませて高橋を睨んでいた。しかしその表情は本気で怒っている訳ではなさそうなので、高橋はホッと胸を撫で下ろした。

「今『こいつ本気で怒ってないな』って安心したでしょ」

 図星を突かれて、大きく動揺した。なぜ解ったのだろうか。高橋がそう考えてオロオロとしていると、ゆかりは小さく苦笑した。

「全部顔に出てるよ。まったく、普段もそんな感じで顔に出していればこっちも気を揉まなくてもいいのに」

「……ごめん」

 高橋はよく解らないが、ひとまず頭を下げた。するとようやくゆかりは矛を収めたようで、「まあいいわ」と小さく息をついていた。

「その代わり、今日は買い物付き合ってよね。もちろん圭介のおごりでね」

「……いいけど、何をおごるの?」

「今はちょうど秋物のバーゲンやってると思うから、気に入ったのがあればね。大丈夫。一応手加減するから」

「じゃあ、どのくらいお金持っていけばいいの?」

「そうねえ。まあ、何枚か銀行から下ろしてきたほうがいいんじゃない?」

「…………」

 高橋は抗議しようとも思ったが、素直に従うことにした。確かに緒方との戦闘前はあまり構っていなかったし、戦闘が終わった後も坂本の事で手一杯で、あまり会話らしい会話をしていなかったような気がする。この程度で彼女の気が済むのなら、いくらでも散財してやろうと思った。

 アパート下の駐車場に停めてある高橋の車に乗り込み、車を発進させた。こうして自分の車を運転するのも随分と久しぶりのような気がした。

 買い物は、ゆかりの要望で郊外のショッピングモールに行くことになった。そこならATMもあり、後で財布の中身が足りなくなっても大丈夫、ということだ。一体いくら使わせる気なのだろう。高橋は少し不安になったが、助手席で笑うゆかりを見るとどうでも良くなってきた。

 外は晴れ渡っていた。惰性で流れていたオーディオを消して窓を開けると、気持ちの良い風が入ってきた。一〇月の初め。気候が安定していてとてもいい時期である。もう少しすれば側道のもみじが紅く染まり、やがて散る。そうすれば季節は冬だ。「今年はあんまり雪降らないといいけど」そんな会話をしていても結局辺りは雪で覆われて。

 そのように四季を感じる自分に、少し違和感を感じた。

 緒方を殺してから、まだ一週間しか経っていないのに。

 緒方は確かに自分が殺した。サイト上では見えない共闘の死の場合、「〇敗」のまま生きているのか死んでいるのか解らない状態になるが、あの時の感触はまだ手に残っている。

 しかしいつの間にか、あの時感じていたヌメリは感じられなくなった。加奈子に勧められてしばらくハンドクリームを塗っていたが、今はそんなことをしなくても良くなった。

 こんな風に慣れてしまうのだろうか。しばらくすればこの緒方を殺した感触もなくなって、いずれは佐藤や加奈子のように表情を変えずに人を殺すようになっていくのだろうか。

 そして、自分も殺しに悦びを得るようになってしまうのだろうか。

「ほら、また考え事をしている」

 隣からそんな声が上がり、高橋はハッと我に返った。

「考え込むのはいいけど、運転中くらいはしっかりしてよ。私まだ死にたくないんだから」

 ため息混じりにそう言われ、高橋は「ごめん」と運転に集中させた。運転しながら、高橋は己の飛躍した考えに苦笑した。なぜ自分が殺しに悦びを得なければならないのか。そんな事はありえない。

 だけど、それでもゆかりだけは大切にしないといけない。高橋はそう考え、赤信号で停車中にゆかりの横顔を眺めた。

「……なに?」

「いや、なんでもない」

 ゆかりと一緒ならば、自分は人間らしい気持ちを忘れないだろうと思った。だから、何が何でも守らなければならないと思った。

 やがて車はショッピングモールに着いた。広大な駐車場には車で溢れかえっている。高橋はしばらく駐車場を回り、なんとか大分離れたスペースに車を駐めた。

「あ、ちょっと待って」

 車を出ようとしたところでゆかりが腕時計を見ながら引き留めた。

「……どうした?」

「ねえ、最近何を悩んでいるの?」

 そう切り出され高橋は坂本の顔が浮かんだが、すぐに「仕事でちょっとね」とごまかした。まさか本当の事を言うわけにはいかない。

「本当?」

 そんな高橋を見透かしているのか、ゆかりは探るように見つめてきた。

「ああ。最近また忙しくなってね。ほら、前も言っていた佐藤さんがまた色々やってくれてね」

「……ふうん」

 ゆかりはあまり納得していないような顔をしていたが、会話をそこで終わらせた。

 しばらく経ち、ゆかりが車から出たので高橋も後を追った。先程のゆかりの探るような視線が気になったが、高橋はあえて訊くこともなくゆかりの後を追っていった。

 日曜昼のショッピングモールは人で溢れかえっていた。若いカップルやベビーカーを引く親子連れ、高校生の集団が所狭しと歩き回っている。お年寄りが少ないのは、中に入っている店舗が若者向けだからだろうか。吹き抜けのエントランスを歩いていると、すぐに人にぶつかりそうになった。

「あ、ゆかりちゃんと高橋さん?」

 エントランスを抜けようと歩いているとき、不意に後ろからそんな聞き覚えのある声がした。高橋は嫌な予感がして、慌てて振り返った。

「あ、やっぱり。偶然ね。こんな所で会うなんて」

 そこには高橋の予想通り、歩美と由紀が手をつなぎながら笑顔で立っていた。彼女らがいるということは、坂本も近くにいるのだろうか。高橋はさりげなく周囲を見回したが、それらしい姿は見えない。

「あー、歩美さん。こんな所で会うなんて偶然ですね!」

「本当、偶然ね。あれ? 高橋さん、なにそわそわしているんですか?」

 歩美に図星を突かれ、高橋は身を揺らせた。

「いや、別になにも……」

 高橋はそう言いながらもさりげなく再度周囲を見渡した。やはり坂本の姿はない。二人で来たのだろうか。高橋がそんなことを考えていると、由紀が見上げながら「そわそわしてるんですか?」と歩美に次いで訊いてきた。

「ねえ、なにそわそわしているのよ」

 ゆかりも同じように訊いてくる。特にゆかりは面白そうににやにやと高橋の顔を覗き込んでいる。なんだろう彼女達のこの反応は。まるで坂本とあまり会いたくない心を見透かされているような気がした。

「おい。なに急に先に行くんだよ……」

 高橋が疑問に思っていると、入り口の方からそんな不機嫌な声が聞こえてきた。坂本である。彼は高橋に気づき、バツの悪そうな顔をしていた。

 ああ。自分達はハメられたのか。男二人が気まずい表情を浮かべ、それをおもしろそうに眺めるゆかり達を見て、高橋は小さくため息をついた。


「……まったく急にここ来たいってって言うからおかしいとは思ったんだけどよ」

 坂本は舌打ちをしながらブツブツとそんなことを言っていた。

 二人のやりとりに興味津々の女性陣をひとまずカフェテリアに置き、高橋と坂本は二階の吹き抜けのエントランスを眺められる場所に移動した。そこには簡単なベンチと自動販売機が設置してある。二人は缶コーヒーを買い、ベンチには座らずにエントランスを眺めていた。

「俺達はまんまとハメられたんだな」

「言ったつもりはないんだけどな。高橋はどうだ?」

「俺もないけど、女の直感ってやつじゃないのか?」

「ははっ。やっぱりかなわねえな。女には」

「まったくだ」

 二人は小さく笑った。悪い空気ではない。会ってしまえばこんなものなのだ。高橋は先ほどまで悩んでいた自分がバカらしくなった。

「三勝目、おめでとう」

 高橋がそう言うと、坂本は小さくため息をつき、「どうも」と言った。二人の背後には多くの人が通りすぎているので、言葉は選ばなければならない。

「あの日さ、俺は佐藤さんと一緒にいたんだ」

「……ああ、そうだと思ったよ。同日だったからな」

「一線、越えてきたよ」

 高橋のその言葉に、坂本は目を見開いた後に高橋と向き合い、彼の瞳を見つめてきた。高橋もまた、坂本を見返す。そのまましばらくの間無言で見つめあった後に、

「越えたみたいだな」

 坂本はそう言って笑みを浮かべた。

「ああ。最悪な気分だけどな」

「で、何か解ったことはあったのか?」

「いや、全然」

 高橋が即答すると坂本は「なんだそりゃ」と小さく笑った。

「何が正しいとか全然解らないけどさ。でも、前に進むしかないんだなと思った」

「そっか。俺と同じ考えだな」

 坂本はそう言ってエントランスに目を向けた。高橋も同じ方向を向く。相変わらずエントランスは人で溢れかえっている。時折駄々をこねて泣き叫ぶ子供が見えるが、どれも楽しそうで、幸せそうである。そんな中、自分達はなぜ人を殺す話をしているのだろうか。高橋はふとそんな疑問が頭に浮かんだが、気にしないことにした。

「……なあ坂本」

 高橋は辺りを見回し、今までよりも声のトーンを下げて口を開いた。

「ん?」

「一つだけ教えてくれ。これは確かに葛西の仇討ちなんだよな?」

 高橋の言葉に坂本は一瞬だけ言葉を止めて、

「ああ」

 力強くうなずいた。

「それ以外には何もないんだよな?」

「ああ」

「……解った。こないだはごめんな。疑ったりして」

 高橋が頭を下げると、坂本は「いいって」とかぶりを振った。

「俺こそ意固地になって悪かったな。俺も加奈子との共闘の事、少し前向きに考えるよ。もう、俺達二人しかいないのに、喧嘩なんてしてもしょうがないのにな」

「そうだな……」

 二人は合わせてため息をついた。確かに坂本の言う通りである。二人が喧嘩した時、いつも仲を取り持ってくれたのは葛西だった。しかし今はその葛西はいないのだ。二人でやっていくしかないのだ。

「なあ、もう一度、二人でやらないか?」

 坂本はそう言って手を差し出してきた。

「…………」

 正直まだ解らないことは多い。渡辺を「ぐちゃぐちゃ」にした理由も解らない。坂本の言葉を手放しに信じて良いのかも解らない。

 しかし、そんな事はもうどうでもよくなった。高橋だって純粋に葛西の仇討ちだけが理由ではなくなった。加奈子のためでもあるのだ。結局進むべき道は同じなのだ。

「二人で、うまいことやろうぜ」

 高橋はニヤリと笑って坂本の手を取った。

「ありがとな」

 そして二人は笑いながら固い握手をした。


 しばらくすると、カフェテリアが飽きたのか、ゆかり達が笑いながらこちらに歩み寄ってきた。

「で、仲直りできた?」

 ゆかりが相変わらずニヤニヤと笑いながらそう訊いてきた。

「いや、別に喧嘩していたわけじゃないんだけど」

「またまた。こっちは解ってるんだから。ねえ歩美さん」

「そうそう。ま、どうせウチのが悪いんだろうけどね。高橋さんすいませんねえ。こんなのでも仲良くしてあげてね」

「なんだよその言い方さ」

「またあんたが瞬間湯沸かし機みたいにいきなり怒ったんでしょ? 大体葛西さんがいなくなって二人しかいないんだから、もっと仲良くしなさい」

 歩美にそう言われ、高橋と坂本は一瞬お互いを見合わせて、小さく笑った。

「なに急に笑ってるのよ」

「いや、お前の言う通りだな。これからは仲良くするよ」

 坂本は笑いながら歩美を背中を叩いた。いつもの坂本に戻ったような気がした。

 それから五人は一緒に買い物をすることになった。女性陣の洋服選びに高橋と坂本はため息をつきながらついてゆく。その姿はさきほどエントランスにいた幸せそうな人達と、大きな差はなかった。

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