第12話

 戦闘の見学を続けることで、いくつか解ったことがあった。

 まず、加奈子は相手方に見えない共闘がいる場合にのみ参加し、そっと相手を殺して父親にフェアな戦闘が行えるようにしている。相手方に見えない共闘がいない場合は参加すらしていないようなので、事前に情報を入手し、参加の可否を決めているようである。

 彼女はサイト内では目立った活動は行わず、掲示板などに書き込むことも一切ない。そのため会員では彼女を知る人はほとんどいないようである。

 高橋にとって加奈子と接触出来る唯一の方法が佐藤の戦闘を見学することなのだが、姿すら見えない現状ではそれも程遠いようである。

 それではどうすべきなのか。どうすれば加奈子に近づくことができるのか。高橋は考えた末に一つの結論に達した。

「あの、佐藤さん」

 最初の見学から数えて四回目の佐藤の戦闘。その戦場に向かう道中で思い切って佐藤に話しかけてみた。

「今回は見えない共闘はいるんですか?」

「ええ。一人いるようですよ」

 今回の対戦相手は山田弘一、現在七戦全勝の男である。サイト内での実力は高い。一対一を強調していたが、やはり見えない共闘がいるようだ。

 ちょうど良かった。高橋は腹に力を込め、車を運転する佐藤を横から見据えた。

「今回の戦闘、見えない共闘を倒す役の手伝いをさせてもらえないですか?」

 そんな急な申し出に佐藤は一瞬戸惑いの顔を見せたが、すぐに笑い顔に変えた。

「そう言えば高橋主任は私の見えない共闘に興味があったようですしね」

 高橋の思惑は佐藤にはお見通しのようだった。高橋はどう返そうか一瞬悩んだが、素直に応えることにした。こちらの佐藤は勘が鋭い。下手な嘘をついても見破られてしまう。

「はい。最初に訊いたときに教えてくれなかったので。どんな人があんなに鮮やかに殺しているのかなと思いまして」

「ははは。さすが高橋主任。目の付け所がいいですね。わかりました。今回は一緒に闘ってもらいましょう。でもそうなると作戦を練り直さないとですね」

 そう言って佐藤は車を減速し、脇道に入っていった。しばらく住宅街を走っていき、再び別の大通りに出た。高速道路下にある大きな駐車場に車を停め、佐藤は携帯電話でどこかに連絡を取り始めた。

「あ、私だけど、少し作戦変更を行う」

 連絡相手は加奈子だろう。高橋は鼓動が波打った。彼女に近づくためとはいえ、今日死の危険に身を置かなければならないのだ。

 二人がしばらくそのまま待っていると、やがて一台の軽自動車が駐車場に入ってきた。シルバーの軽ワゴンである。軽ワゴンは佐藤達が乗る車の右隣に駐車した。

 助手席に座る高橋の位置からは解りづらいが、佐藤の身体越しに軽ワゴンを運転するのが若い女性だということは解った。彼女は車を停車し、エンジンを切ると佐藤達の車の後部座席に乗り込んできた。

 高橋は後ろを振り向き、風貌を確認する。暗くて解らないが、先日カラオケ店で見た、無表情の加奈子で間違いなかった。黒髪を後ろで結った彼女は、相変わらず感情のない表情をしている。

「彼女は佐藤加奈子。私の娘です」

 佐藤がそう紹介すると、加奈子は小さく頭を下げた。彼女は高橋に初めて会ったような顔をしている。坂本の言葉を思い出した。「俺達は会わなかった。何も言わなかった。何も聞かなかった」。彼女はその約束を忠実に実行しているようだった。

「娘さん……ですか?」

 そのため、高橋も初めて聞くように驚いた表情を見せる。普通この様な場合で娘と共闘していると聞けば驚くはずだ。

「ええ。私の娘です。高橋主任はまだ会ったことなかったですね。まだ若いですが、幼い頃から教育しましたから、結構やりますよ」

 佐藤は自慢げにそう言っていた。彼の口から身内の自慢話を耳にするのはこれが初めてである。

「とりあえず、高橋主任は加奈子の指示に従ってください。年下でやりづらいかもしれませんが、そこは何とかご理解をお願いします。加奈子、今日の見えない共闘はこの高橋主任と一緒にやってもらう。とりあえず今回はリスクの少ない所から頼む。まだ経験がないからな。あと、失礼のないようにな」

 佐藤がルームミラー後しに指示をすると、加奈子は小さくうなずいた。

「じゃああとの細かい話は戦場でしましょう。加奈子、よろしく」

 佐藤のその言葉を合図に、加奈子は車から出て行った。自分の車に乗り換え、発進する佐藤達の車に追走していった。

「ちなみに今回の相手は二人ともナイフを持っている可能性が高いです。加奈子と一緒なら命を落とすことはないと思いますが、多少の怪我は覚悟してください」

 戦場に向かう途中で佐藤は思いだしたようにそう言った。その言葉に高橋は改めて戦場に向かうのだという事を実感し、身震いを感じた。今から自分は殺し合いの世界に入るのだ。

「ああ、脅かすつもりで言ったわけではないので、あまり硬くならないでください」

「ええ……」

「大丈夫ですよ。またこれを貸しますので」

 佐藤は信号待ちの間にいつものように暗視スコープを手渡した。今までは戦場をクリアに確認するだけのツールだったが、今回はこれが命綱なのである。高橋は受け取った暗視スコープをしっかりと握り締めた。

 今回の戦場は一回目の見学の時と同じ、県境にあるコンテナターミナルである。相手は関東の人間のようだが、佐藤に敬意を表し、佐藤の家から比較的近い場所にしたようである。過去の戦闘も同じように佐藤側の戦場である。一般的には両者が行きやすい中間地点で行われているので、これは佐藤と戦闘をする際の暗黙のルールのようである。

 もう少しでコンテナターミナルに着く。窓の外に流れる風景に見覚えがあった。最初の見学を思い出して、高橋は少し身震いをした。

 大きく右折をして、コンテナターミナルに入っていった。前と同じように入り口で身分を確認し、駐車場に車を停めた。しばらくして加奈子の軽ワゴンも到着し、高橋達から少し離れたところに駐車した。車から降りてきて高橋達の元へと駆け寄ってきた。

「さて、じゃあここからは別行動です。高橋主任は加奈子の指示に従ってください。では、お互い生きて帰りましょう」

 佐藤はそう言い残して運営委員と共にフィールドのあるコンテナヤードへと消えていった。いつも通り、散歩にでも行くような足取りである。

「では、私達も行きましょう。ここに長居して対戦相手に見られたらまずいですので」

 加奈子は抑揚のない声でそう言うと、完全な闇となっている奥の方へ足を向けていった。加奈子の姿が見えなくなりそうになり、高橋は慌ててついていった。加奈子はそのまましばらく闇の中を突き進んでゆき、打ち捨てられたコンテナを回り込み、フィールドから影になるとことに来たところで足を止めていた。

 高橋も何とか加奈子について行く。近くにクレーンのようなものがうっすらと見える。以前の戦闘の際にコンテナターミナルについて少し調べた。船へのコンテナの積み下ろしをするクレーンである。ということは、そこは岸壁に近いところということだ。ほんの少し先も見えずに、下手をしたら海に落ちてしまうかもしれないところで、加奈子はなぜあそこまで迷いもなく突き進んでいけるのだろうか。高橋は疑問に思ったが、当の彼女は涼やかな顔でフィールドを見据えていた。

 ともかく、ようやく加奈子の元に辿り着くことが出来た。葛西の事を訊きたい。しかし彼女は坂本との約束を守り、初めて会ったような顔をしている。どう訊けば良いのだろうか。高橋がそんな事に思案を向けていると、そんな考えを見透かしたのか、その冷やかな目を高橋に向けた。

「ひとまず戦闘以外の事は考えないでください。死にたくなければ」

 加奈子の言葉は高橋のそんな思惑を冷たくシャットアウトさせた。確かに加奈子の言う通りである。まず葛西の事よりも、自分自身が生き延びなければならない。下手をしたらこの加奈子までも死の危険にさらしてしまうかもしれないのだ。

「戦闘が終わったら、父は終戦の手続きをします。私も遺体の場所を申告しなければならないのですが、それまでのわずかな間なら話が出来ます。なので、今は戦闘に集中してください」

「……解った」

 加奈子の表情は相変わらず冷たいが、その言葉で高橋は幾分心が楽になった。戦闘に集中出来そうだった。

「それではこれからの戦闘の、私達の役割を説明します。事前の情報収集で、今回の戦闘では相手方に見えない共闘が一人いることが解っています。名前は岸田一平。現在五勝〇敗の男です。我々はその男を殺します。ここまでよろしいでしょうか」

 高橋は無言でうなずいた。どうやってそのような細かな情報を知りえたのか疑問に思ったが、あえて口にしなかった。どうせ訊いたところで答えてくれないだろう。

「相手は恐らくナイフを携帯していると思います。相手は投げナイフの技術を持っているので、距離があっても注意してください」

「投げナイフ……」

 高橋は加奈子の言葉を反芻した。高橋のこれまでの人生で出てこなかった言葉である。言葉の意味は解るが、それが自分の身に関連することだというのが、どうにも信じられない。しかしそうも言っていられない。高橋は心の中で繰り返し、その言葉を現実のものとしてとらえるようにした。

「それでは具体的な作戦に移りましょう」

 加奈子はショルダーバッグから一枚の紙を取り出し、床に広げた。ペンライトで照らすと、戦場の内部を描いた地図であった。正方形のフィールドで、四方の角から侵入可能となっている。中のコンテナの配置も、以前俯瞰で見たものと同一となっている。

「今回の戦闘は事前にフィールド内で待機することが禁止されていません。岸田は父のスタート地点に潜伏し、父を挟み撃ちをする作戦になっております」

 加奈子は地図を使い、これから戦場でそれぞれがどのように動くかの予想を説明していった。まず今回は対角線上から両陣営がスタートすることになる。佐藤は地図の右下の角から、相手側は左上の角から戦場に侵入する。岸田は佐藤のスタート付近に待機しており、佐藤がフィールドに入ると同時に彼を尾行する。山田は岸田が持っているGPSの位置情報を頼りに佐藤の位置を把握し、はさみ撃ちにする、という作戦らしい。

「……それにしても、どうしてそこまで解るの?」

「相手がこの戦場を下見する所を盗聴しました」

 加奈子はさも当然のようにそう言った。

「高橋さんは開戦前に岸田の方へと移動し、相手に存在を気付かせてください。相手がどこにいるのかはそれがあれば簡単に解ると思います」

 加奈子は高橋が手にしている暗視スコープを指差した。

「相手に気付かれたら速やかにその場から移動してください。岸田は高橋さんを排除しようと追ってくると思います。父の戦闘の邪魔にならないようできる限り本戦から離れるように移動してください。そして岸田と対峙した後は、一〇秒間生き延びてください」

「……え?」

 加奈子の作戦は途中までは理解できたが、最後の意味がよく解らなかった。一〇秒生き延びる。どういう意味なのだろうか。

 高橋がそう疑問に思っていると、加奈子は相変わらずの冷たい表情で口を開いた。

「私は高橋さんが耐えている一〇秒間に岸田の後ろに回り込んで相手を刺します。つまり、高橋さんは私の準備が整うまでのおとりになってください」

「…………」

「怖かったら止めてもらってもいいですよ?」

 急に黙り込んだ高橋に、加奈子は冷たくそう言い放った。怖ければ止めればいい。確かにそうだが、ここで引き返すわけにはいかない。もう後戻りは出来ないのだ。高橋は加奈子に向かって力一杯首を振った。

「とにかく一〇秒耐えればいいんだね?」

「ええ。私は高橋さんのそばにいるようにします。どんな状況であれ、相手の位置さえ解れば、後は後ろに回り込んで殺すことは可能です。しかしそれまでの間は私は高橋さんを助けることは出来ません。自身の身体はご自分で守ってください」

「……解ったよ」

「あと、念のため御守をお渡しします」

 そう言って加奈子が小さなショルダーバッグから取り出したものに、高橋は目を疑った。

 それはシルバーのリボルバー式の拳銃であった。

「これ、使ったことはありますでしょうか?」

 平然とそう言う加奈子に、高橋は喉を鳴らして首を振った。ここは日本である。拳銃は当然銃刀法により所持が禁止されている。なのに、なぜ彼女は拳銃を持っているのだろうか。高橋がそう考えていると、加奈子はフッと鼻を鳴らした。

「これはモデルガンで、実銃ではありません。ただ、見た目は銃口がふさがっている以外は実銃とほとんど変わりありません」

 加奈子は高橋にモデルガンを手渡した。手にした瞬間ズシリと重量を感じた。高橋は実銃を見たことはないが、確かに精巧にできている。昔観た映画を思い出してシリンダーを出してみると、弾丸が装填されている。一つ取り出して見る。確かに弾丸のような形であるが、弾頭と薬莢が一体型になっている。

「モデルガンはその薬莢に火薬を入れて、破裂音を楽しむものですが、今回は火薬は入れてません。なので、何も出来ない完全なおもちゃです」

「……こんなもので相手を騙せるのか?」

「今回の相手は二人共実銃を持った相手との戦闘を経験しております。一歩間違えれば命を落とす状況の中では、相手も慎重になると思います。まあ、どうなるか解りませんので御守程度に思ってください」

 高橋は小さくうなずいて、モデルガンをポケットの中にしまった。

「我々の戦闘は、開戦前に終わります。そうですね。一〇分前になったら開始しましょう。

 加奈子は自分の腕時計をペンライトで照らした。現在午後一一時四五分。あと五分である。

 ペンライトを消すと辺りは闇に包まれた。そのまま二人はジッと闇の中で時が流れるのを待った。

 ふと、高橋は坂本と行った初戦を思い出した。あの生きるか死ぬかの世界にまた踏み入れるのだ。そう考えると急に怖くなった。佐藤の戦闘を見学することでいくらか慣れたと思ったが、安全な場所で見ているのと実際にその中に身を置くのでは、明らかに違った。

 相手と対峙してから一〇秒間、自分だけの力で生き延びなければならない。今回は坂本はいない。自分一人で生き延びなければいけないのだ。

 もし出来なかったら? そう思ったら身体が震えてきた。出来なかったら、死ぬのだ。

「……もう一度言いますが、嫌なら止めてもいいですよ?」

 暗闇の中、加奈子の声が聞こえた。もう、いい加減聞き慣れた冷たい声。表情は見えないが、恐らく声と一緒で冷めているのだろう。

 その顔を想像したら、なぜか震えが止まった。

「……いや、やるよ。大丈夫」

「ならいいです。また生きて会いましょう」

 加奈子は高橋の背中を軽く叩き、立ち上がった。ペンライトをつけ時計を見ると、既に開始一〇分前、二人の作戦開始の時間になっていた。

「…………」

 高橋は覚悟を決めて立ち上がると、加奈子の歩く方についていった。


 暗視スコープをつけると、夜だというのに妙に明るく見える。先ほどまで辺りを覆い尽くしていた闇は消え、高橋の目には辺りの様子がよく解った。

 高橋達はフィールドの角に位置する場所にいた。そこには高橋と加奈子の姿しかない。ひっそりと静まり返っていた。

「とりあえず、相手を見つけるまでは私がやりますので、それ以降はお願いします」

 加奈子はそう言いながらポケットから高橋が持っているものと同じ型の暗視スコープを取り出し、装着した。

 フィールドの入り口周辺に誰もいない事を確認し、加奈子はフィールドの中へと入ってゆく。高橋はその後に続いた。

 一瞬時計に目を向けた。一〇分前。まだ戦闘は開始されていない。

 フィールドの中は管理棟から見た通り、コンテナで迷路のようになっていた。入ってすぐコンテナの壁にぶつかった。

 加奈子はコンテナに沿いながら、ゆっくりと歩を進める。角まで来るとその先に注意を払い、サッと次のコンテナに身を隠す。それを続けていた。

 加奈子の背中を必死に追う高橋は心臓が破裂しそうなくらい高く波打っていた。声が漏れ出そうになるのを必死で抑えながら、ただひたすら物音を立てないように加奈子の後ろを追った。

「いた」

 加奈子は立ち止まり、低い声でそう言った。胸が苦しい。高橋は苦悶に顔を歪めながら胸を押さえて、加奈子が見ているコンテナの先を覗いた。

 確かに加奈子の視線の先に男の姿があった。彼は佐藤がコンテナの影に隠れながら、佐藤がスタートする先をジッと見つめていた。相手はこちら側に背を向けているため、まだ気付いていないようである。

「では、あとは頼みました」

 加奈子はそう言うと後ろに後ずさり、一瞬のうちに姿を消した。そして高橋一人が取り残された。

「…………」

 相手はもう捕捉した。これからは一人で生き抜かなければなならない。高橋は深呼吸を一つしてから一歩足を踏み出した。

 相手の姿が次第に近く見えてくる。大柄な男である。タンクトップに迷彩パンツを着た屈強そうな男だ。あんな男と対峙して、果たして無事でいられるのだろうか。

 不思議な気分だった。こんな状況にあっても妙に冷静に判断できている。恐怖心はあるが、どこか他人事のように思える。こんな時だというのに現実感があまりない。これではいけない。今から行うのは殺し合いである。失敗が許されないのだ。現実感を持たなければ。そんな事を考えていると、反応が遅れた。

 相手がこちらの方を向いている。気付かれた。高橋は走ろうと足に力を込めたとき、不意に足に鈍い痛みを感じた。

 触ると生温かい液体の感触がする。血だ。高橋の股には細長いナイフが刺さっていた。相手がナイフを投げたのだ。そう思った頃にはすぐ前まで間合いを詰められていた。

 男は薄ら笑いを挙げていた。岸田。高橋は先ほど加奈子から聞いた彼の名前を思い出した。

「あんた、見えない共闘かい?」

 岸田は笑いながらさらに間合いを詰めてきた。彼の手にはナイフが握られている。

 高橋は岸田の動きに合わせて後ずさる。高橋が完全に呑まれていることを岸田は察知しいているのだろう。ナイフを構えたまま、さらに間合いを詰めてきた。

 高橋は一瞬頭が真っ白になった。何をどうするのか全く解らなくなったが、尻ポケットに感じる硬い感触で先ほどの加奈子との会話を思い出した。

 後ずさりながらもそっと尻ポケットからモデルガンを取り出し、岸田に構えた。

「…………」

 すると岸田の表情が一瞬険しくなった。警戒しているように間合いを取り出した。

「ハッ、そんなオモチャが俺に通用するかよ」

 岸田はそう強がっているが、明らかに警戒している。確かに加奈子が言っていたことは正しかった。

 そのまま膠着状態が続いた。高橋はモデルガンを構え、岸田は間合いを取ってナイフを構える。加奈子は作戦通り後ろに回り込んでいるのだろうか。作戦ではもう少し場所から離れることになっていた。今の場所は加奈子の想定内の場所だろうか。いや、そもそも彼女は本当に作戦を遂行してくれるのだろうか。もしこれが佐藤さんの罠だったら? 高橋は様々な事が頭に浮かんだ。呼吸がうまくできない。苦しい。

 しばらくその状態が続いていたが、やがて岸田は何かに気付いたのか、フッと笑った。

「あんた、銃を扱ったことないだろ。安全装置が掛かりっぱなしだぜ」

 えっと思ったときには岸田が高橋の手目掛けて前蹴りを放った。鈍い痛みと共に高橋のモデルガンが吹き飛んでいった。

 岸田はそのまま高橋を押し倒し、ナイフを振り上げる。

「悪いな。急いでるんでサクッと殺すわ」

 そのままナイフを振り下ろした。

 もうダメだ。高橋は目をつむり、全てが終ったことを覚悟した。

 が、いつまで経っても痛みが感じられない。恐る恐る瞳を開けると、

「…………」

 加奈子が後ろから岸田に抱きついていた。いや、抱きついているように見えるが、彼の鎖骨辺りにナイフを突き立てていた。岸田は力なく両手が垂れ下がっていた。

 加奈子は立ち上がって岸田を後ろに打ち捨てた。岸田は絶命したのか、高橋の身体から離れて後方に倒れこんだ。その後、ナイフの突き刺さった首筋から血が噴き出していった。

 高橋が呆然としていると、その血を頭から浴びてしまった。

 生ぬるさと独特の臭みに、高橋の胃が一気に逆流した。物音を立てないということを忘れて思い切り胃の中の物を吐き出した。

「…………」

 高橋が苦しんでいる中、加奈子は丁寧に高橋の顔から暗視スコープを外し、血と吐瀉物で汚れた頬を二発叩いた。

 頭に火花が散り、焼けるような痛みが頬に伝った。すると不思議と高橋の心が落ち着いていった。

「落ち着きました?」

 加奈子が手を差し伸べてきた。高橋は無言で手を借りて立ち上がった。自力で立ち上がりたかったが、腰が砕けて力が入らなかった。

 立ち上がり足元を確認すると、岸田が正座したまま後ろに倒れていた。すでに息はないようで、肉片と化していた。

 それを見て高橋は再び嘔吐した。嘔吐しながら高橋は、葛西の顔が浮かんだ。

 彼はなぜこんなことをしていたのか。岸田の死を目の前にしても、まだ解らずにいた。

 ただただ胃の痛みだけが高橋を襲った。


 高橋は加奈子に手を引かれながら、フィールドの外へと歩いていった。醜態を見せて情けないという感情は、今の高橋にはなかった。ただ、先ほど見た岸田であった肉片を思い出し、嘔吐を抑えることで精一杯だった。

 フィールドの外に出ると、加奈子は近くにいた運営委員に自分達の棄権を申し出ることにした。見えない共闘は途中で棄権することも可能である。それ以降フィールドには入れなくなるが、戦況には直接影響はない。

 加奈子が運営委員を探し棄権の旨を伝えると、運営委員はすんなりとそれを受け入れた。

「……そろそろですね」

 加奈子は腕時計に目を向けながらそう言った。ようやく開戦の時間である。随分と長い間フィールドの中にいたように感じたが、一〇分程しか経っていないのだ。そう思っていると再び先ほどの光景が頭によぎり、吐き気がこみ上げてきた。

 加奈子はそっとペットボトルの水とハンカチを高橋に差し出した。

「それ、差し上げますので」

 無表情のままそう言った。高橋は一瞬躊躇したが、礼を言ってハンカチを水で湿らせて顔を拭いた。水を一口飲むとようやく気持ちが落ち着いた。

「やっぱり、思った通りですね」

 高橋が深く息をついたのを見計らい、加奈子が口を開いた。

「あなたは弱い。まだ実力不足ですね」

「……そうだね。反論できないよ」

 高橋はうなだれるようにそうつぶやいた。加奈子の言う通りである。今回の高橋の役割はさほど難しいものではない。それなのにこんな有様なのである。こんな男との共闘を承諾するわけはない。

「なんでこうまでして父を殺すことにこだわるんですか? 高橋さんみたいな人にはこんな世界、似合わないと思いますが」

 そう言われ、高橋は顔を上げた。月明かりの薄明かりでよく見えないが、加奈子は相変わらずの感情のない表情をしていた。

「……葛西は俺の大切な親友なんだ」

「その大切な親友が『殺せ』と言ったから、殺すのですか?」

「いや……まあ坂本はそうかもしれないけど、俺はちょっと違うかな」

 「違う?」加奈子の眉がわずかに動いたが、暗闇の中の高橋にはそれは気付かなかった。

「俺は仇討ちが正しいかどうかはよく解らないんだ。でも、葛西が生前どんなことに悩んで苦しんでいたのかは、親友として知る必要があると思ってね。なんで佐藤さんを殺そうとしているかも全然解らないしさ」

「…………」

 高橋の言葉に、加奈子はしばらく押し黙ってしまった。何か変な事を言ってしまっただろうか。高橋がそんな風に思っていると、加奈子が向き直して高橋を見据えてきた。

「残念ながら私は葛西さんとは数回しか会ったことがないので、高橋さんが望む答えを提供することは出来ません」

 きっぱりとそう言われ、高橋は落胆した。そう簡単に葛西の事が解るとは思っていなかったが、今のところ加奈子がただ一つの道だっただけに、それが断たれたことはショックだった。

「……申し訳ないけど、加奈子さんと葛西はどんな関係なの?」

「葛西さんとお付き合いしていた明日美さんと私が交友がありました。葛西さんとの関係を一般的に言いますと、友達の彼氏になるのでしょうか」

 明日美。この名前も葛西の手紙に出てきた。

「……皆川明日美さん、だっけ? 昔このサイトの会員だった人」

「ええ。よくご存知ですね」

 坂本が調べ上げた情報は正しかった。皆川明日美。このサイトの会員。つまり、かつて殺し合いをしていた人。その人が葛西の恋人?

 確かに以前葛西は「彼女が出来た」と報告してきたことが一度だけあった。あれは確か彼が東京にいる時だ。葛西が帰省して三人で飲んだ際に、恥ずかしそうに報告していたことを記憶している。彼はそれまで彼女が出来たことがなかったため、坂本と一緒に大喜びした記憶がある。坂本は「今すぐ呼び出せ」とうるさかったような気がする。

 しかしその後葛西は東京から逃げ帰ってくる。その後の葛西はその彼女の話をしていなかったから、彼女と別れたのかと思い、それ以来話題には出さなかったような気がする。

「……え?」

 そこまで考えて、一つ思いついたことがあった。辺りに散らばっている点をつなぎ合わせただけだが。

「もしかしてだけど、葛西がこっちに帰ってきたのは、その皆川さんが戦闘で負けたことが原因なの?」

「ええ。明日美さんと一緒に父に挑んで、負けました。そのとき明日美さんは死に、葛西さんはなんとか生き延びたようです。私はその戦闘には参加していないので、詳しくは解りませんが」

 淡々と話す加奈子に、高橋は顔を歪ませて頭を押さえた。全てを理解するためには一度頭の中を整理する必要があった。

 皆川明日美は葛西の彼女だった。彼が東京にいる間に二人で佐藤に挑み、破れた。その結果明日美は死に、葛西は生き残った。

 葛西はその後地元に戻ってきてゆったりと過ごしていた。しかし再びサイトに戻り戦闘を繰り返すようになった。その時に坂本に見つかったのだろう。

 そして四年半前の秋に葛西は坂本と加奈子で佐藤に挑んだ。その戦闘で葛西は命を落とした。

「……なんで葛西と皆川さんは、佐藤さんと闘わなければならなかったんだ?」

 そもそもの原点はそこである。葛西の手紙にはそこが書かれていなかった。そもそもの起源はどこにあるのだ?

 高橋はなんとなく思いついたことがあった。加奈子にはそれを否定してほしかったのだ。

 しばらく沈黙があった。見ると加奈子は静かに空を見上げていた。その顔は、やはり相変わらずの冷たい顔。

「……今はまだ言いたくありません」

「なんで……」

 高橋が言いかけたところで加奈子に止められる。彼女は一点を見つめていた。そちらに目を向けると、こちらに向かって走ってくる姿があった。

「おおい。加奈子、高橋主任」

 小走りに近づいてくるのは佐藤だった。彼は開始前とまったく変わらない風貌だった。しかし彼がここにいるということは、つまり戦闘が終わったということ。佐藤が対戦相手を殺したということだ。

「加奈子、殺した相手の申告は済ませたか?」

「いえ、まだです。これからしてきます」

 加奈子は変わらぬ感情が抜け落ちた声でそう言うと、走り去って行った。

「やあ高橋主任、随分と汚れてしまいましたね。怪我はないですか?」

 佐藤にそう言われ、右足に痛みを感じた。今まで忘れていたが、岸田が投げたナイフが刺さったのだ。

「……まあ、大丈夫です」

「とりあえずここの管理棟にシャワー室があるので入ってきたらどうですか。このまま帰るわけにはいかないですし」

「…………」

 確かに佐藤の言う通りだった。今の高橋は返り血と吐瀉物で汚れきっていた。吐瀉物はともかく返り血はまずい。帰る前に洗い流す必要があった。

 高橋は佐藤の忠告に従い、管理棟にあるらしいシャワー室へと向かうことにした。運営委員に尋ねると、管理棟一階にあるシャワー室に通された。廃墟の中であるのに、そこだけきちんと整備されてある。元は多目的トイレか何かがあったところだろう。少し広い空間で中央の上部にシャワーのが備え付けられてある。蛇口を捻るときちんと熱いお湯が出てくる。もちろん灯りも点くようになっている。

 そのシャワー室は恐らくこのコンテナターミナルが廃墟になってから作られた物らしい。その他の部屋に比べて妙に新しい。なぜこのようなシャワー室が必要なのか。戦場で水場が必要な理由は、一つしかない。

 高橋はそれ以上深く考えないようにした。これ以上考えると、ここにいられないような気がした。

 気を紛らわせるように深く息を吐いた。それにしても、何とか生きて帰ってくることができた。一歩間違えば死んでいたかもしれないのだ。

 高橋は考えながらシャワーを浴びる。顔にべっとりとついた血液は、温かいお湯によって洗い流されてゆく。岸田の血液は、高橋の身体を通り、足から下の排水溝に流れていった。一歩間違えば、自分は命を落としてここで洗い流されたのかもしれないのだ。

 高橋は全身に震えが走った。強烈なまでに生を実感した。自分は生きている。このももの痛みも、生きている証だ。生きていると強烈に実感できる。日常では決して味わうことのない感情である。

 もしかして、葛西はこの感覚を味わいたかったのだろうか。よく言えば穏やかな日常、悪く言えば代わり映えのしない毎日に、次第に生きている実感がなくなってしまったのではないか。そして確かに生きているということを確かめるために、こうして殺し合いをしていたのではないか。

 それが真実かどうかは解らなかったが、その時高橋は確かにそう思った。あのフィールドにいた時、確かに高橋は代わり映えのしない日常を忘れられたのだ。

「…………」

 もちろんそれだけでは彼の行動全てが説明できるわけではない。全く見当外れかもしれない。だけどほんの数パーセントでもそんな要素があるのかもしれない。それだけでも解って良かった。

 しかし。今日のところで解ったのはここまで。これ以上の事を知るためには次の段階に行かなければならないのか。次の段階は。

 高橋は急に身震いを感じて慌てて首を振った。

 運営委員が用意したタオルで身体を拭き、用意されたジャージを着た。どこまでも用意がいい。こういうことも想定されているようである。

「汚れた服はこちらで処分しますが、よろしいでしょうか?」

 ジャージを渡される時にそう言われたが、高橋は無言でうなずいた。どうせ拒否したところで処分されるのだろう。殺人に関する重要な証拠になってしまうのだから。

「あ、高橋主任、さっぱりしましたね」

 管理棟を出たところに佐藤の姿があった。彼は先ほどと同じように笑みを浮かべている。辺りには運営委員が忙しそうに走り回っている。遺体処理が始まったのだろうか。

 軽く見渡したが、加奈子の姿はどこにもなかった。既に帰ってしまったのだろうか。

「手続きも全部終りましたから、そろそろ帰りましょうか」

 佐藤に小さくうなずき、二人は帰ることにした。

 駐車場に移動し、往路と同じく佐藤が運転席に座った。来た道をなぞるように佐藤は車を走らせる。まだ午前一時半になったところである。辺りを走るのは長距離トラックのみであった。

「……加奈子さんはいつからこのこういうことをやっているんですか?」

 高橋は車内に流れる沈黙に耐えられず、口を開いた。戦闘の帰りは佐藤は口数が少なくなる。いつもその沈黙が嫌だったのだが、今回の沈黙は格別に辛く、高橋は耐えられなかった。

「加奈子ですか? 彼女は一応物心つく前から教育して、このサイトに本格的に参加したのは……五年くらい前からですね。飲み込みが早くてすぐに馴染みましたよ。身内を褒めるようでなんですが、今では実力は私に次いで二番目ですよ」

「そうですか……」

 五年前。恐らく彼女はそのころ中学生か高校生の頃だろう。殺し合いで過ごした思春期というのはどういうものなのだろうか。彼女の表情を消した顔を思い出した。

 それからしばらく長い長い沈黙が続いた。暗い夜道を佐藤が運転する車が法定速度で駆け抜けていく。

 長い沈黙の中、高橋は先ほどの加奈子の話を思いだした。明日美と葛西は恋人関係にあった。そして五年前に明日美と共に佐藤と闘い、そこで敗れて明日美は命を落とした。

 その後葛西は地元に戻ってきて一時期は戦闘から離れるが、しばらくして再び戦場に戻っていく。そして四年前、坂本と共に佐藤に挑み、敗れて死んだ。

 ここまでの経緯で、高橋は一つの仮説が思いついた。それは先ほど加奈子の話を聞いたときに浮かんだ仮説。

 明日美は何らかの理由があり、佐藤と戦闘を行いたかった。葛西は彼女を守るために共闘して、結局葛西だけが生き残ってしまった。そして次に葛西は明日美の仇討ちとして、佐藤と戦ったのではないか。坂本と一緒に。

 つまり、葛西が坂本に手紙を遺してまで佐藤を討つことに執着したのは、恋人の仇討ちだからではないか。

 もちろんこの考えが正しいかどうかは解らない。最初に佐藤との戦闘の動機は完全に高橋の想像である。しかし、きっかけはどうあれ、恋人を殺された事実と、坂本に手紙を遺したことは事実としてある。明日美の仇討ちを葛西が考えていたというところは可能性としてかなり高いのではないか。

 つまり、この奇妙な憎しみの連鎖は葛西から始まっていたということだ。明日美の仇討ちを葛西が考え、葛西の仇討ちに高橋と坂本が動いている。醜い憎しみの連鎖。

 しかし。高橋はここまで考えて心の中に違和感を覚えた。本当にこの考えでよいのだろうか。なにか思い違いをしているのではないだろうか。

「高橋主任」

 不意に隣から声が挙がって、高橋は身体を揺らした。

「加奈子の戦闘は、いかがでした?」

「えっと……」

 急な質問に真っ白になりながらも高橋はなんとか頭を働かせた。

「……正直自分とは全然違うと思いました。技術もそうですが、刺す時に全然躊躇しないのがすごいですね。まあ、この世界では当たり前なのかもしれませんが」

「ははっ、そうですね。躊躇なしに殺せる人は珍しくはないですが、それでも彼女のように冷静に殺しができる人は少ないです。普通どうしても熱くなってしまいますからね。彼女は私の最高傑作です」

 最高傑作。高橋はその言葉に寒気を感じた。佐藤にとっては娘はモノでしかないのか。佐藤はそんな高橋の気持ちの動きなど気にも止めずに話を続ける。

「彼女は私にとって優秀なパートナーであり、なくてはならない存在です。ちなみに私が加奈子と共闘していることは、今のとこと高橋主任以外誰も知りません。一応、私の中の最大の秘密であり、弱みなんですよ」

「…………」

 高橋は返事をせずに話を聞いた。急に加奈子について語り出した佐藤の真意が読めない。今は落ち着いて言葉を発しなければならない。高橋は熱くなった頭を冷やし、冷静になった。

 そんな高橋の気持ちを見透かしたのだろう。佐藤は小さく笑って「要するにですね」と続けた。

「私は全てを高橋主任に見せた。だから、高橋主任も私に嘘をつくのをやめていただきたい、ということです」

 その言葉に高橋は身を揺らせた。全身から汗が噴き出し、頭が痺れた。嘘とはどのことだろう。高橋は一瞬混乱したが、すぐに思いついた。佐藤についた嘘は一つしかない。

「それはどういうことですか?」

 高橋はできる限り平静を装ったが、声が震えた。

「とぼけなくてもいいですよ。カマをかけるつもりもない。率直に言います。高橋主任がこのサイトに入会した理由です。以前高橋主任は『興味があったから』と答えましたが、これは嘘ですね?」

「えっと」

「ああ、ちなみに今嘘をつかないでください。私は高橋主任を殺したくはありませんので」

 あくまで平坦な口調で佐藤は言う。つまりは嘘をついたら殺すということだろう。彼の「殺す」は脅しでもなんでもない。額面通りの言葉である。高橋は喉を鳴らした。やけに喉が渇いた。

 高橋は覚悟を決めた。心の中で坂本に詫びた。ごめん。俺の単独行動で、せっかくの作戦が水の泡になるのかもしれない。

「そんなに深刻そうな顔をしないでください。悪い話ではないですよ。高橋主任が抱えている嘘を打ち明けるよりも、私に見えない共闘がいたという事実を知ったほうが、遥かに高橋主任にとって有益なのですから」

 気になる言い方だった。もしかしたら全てを知っていて、確認をするためだけなのかもしれない。それでもそれがカマをかけているのかもしれないので、高橋は不用意な発言を避けることにした。

「……なんで嘘だって解ったんですか?」

「あくまで予想ですが、高橋主任は『こちら側』の人間ではない。顔を見れば解ります。高橋主任は殺しが好きなわけじゃない。出来ればあんな危険な世界には関わりたくはないと思っています。そうなると、他に理由があって入会したのだろうと思いました」

「…………」

 返す言葉がなく、高橋が苦悶の表情で黙っていると、佐藤は小さく笑って応えた。

「別に高橋主任を追い詰めているわけではないですよ。ただ、高橋主任が抱えているものがなんなのか、知りたいだけですよ。もしかしたら私が力になれることもあるかもしれませんし」

 その言葉に胸が痛んだ。佐藤は道を踏み外しかけている高橋を心配しているのだ。本当は彼を殺すためにサイトに入会したのに。

 高橋はどうすべきなのかを考えた。本当の事を話すべきなのかどうなのか。どの道はぐらかしても済まされそうにない。佐藤がその気になれば高橋など一瞬で殺すことが出来るのだ。

 悩んだ末、高橋は正直に話すことにした。坂本と葛西の関係、葛西の手紙が出てきたこと、坂本と共に葛西の仇討ち、つまり佐藤と闘う事を決意したこと。加奈子と明日美の話は隠して、作戦上支障のない部分のみを佐藤に話した。

「……そうですか」

 佐藤は静かに聞き入った後にフッと息を吐いた。

「高橋主任が葛西君と坂本君の友人でしたか……」

「葛西と坂本の事を憶えているんですか?」

「ええ。まあ色々ありましてね。それでは、高橋主任の見えない共闘は坂本君なんですね?」

「…………」

 佐藤の問いに、高橋は言葉を返すことが出来なかった。どうしても「ぐちゃぐちゃ」という言葉が頭を離れない。その問いに答えることで坂本が遺体を「ぐちゃぐちゃ」にしたということを肯定することになるような気がした。

 しかし黙っていたからといって事実が覆るわけではない。高橋はしばらく悩んだ後に小さく「はい」と答えた。

「なるほど。坂本君でしたか……」

「あの、佐藤さんは以前、私の初戦の時に見えない共闘が遺体をぐちゃぐちゃにしたって言いましたよね?」

 高橋は意を決してそう聞いてみた。ずっと頭の中に残っていたことである。こんな形で訊くことになるとは思わなかったが、いい機会であった。

 しかし佐藤は眉をひそめながら首をひねった。

「はて、そんなこと言いましたかね?」

「言ったじゃないですか。見えない共闘がいるのか? って」

「ああ、そうですね。年を取るとどうも記憶力が悪くなっていかんですね。正確には戦闘終了後に相手の遺体がぐちゃぐちゃになっていて処理が大変だったという話です。坂本君がやったかどうかは解りません」

「でも状況からすると、坂本がやったとしか思えないんですよね?」

 出来ればこんな言い方はしたくはない。友を疑うことになるのだ。しかし、早くはっきりさせたいのも事実である。今は信頼し合わなければならない。そのためには解決しなければならないのだ。

 高橋が緊張しながら佐藤の返答を待つ。彼はしばらく言葉を溜めた後に、

「まあ、状況からして坂本君が行ったというのが一番可能性は高いでしょう。あとは運営委員が嘘をついているか、高橋主任がやったのか。高橋主任はやっていないですよね? ぐちゃぐちゃに」

 佐藤の言葉に高橋は身体を揺らし、大振りに首を振った。

「まあ、そうでしょうね。運営委員が嘘をつくというのも考えにくいです。そんな事しても意味がないですからね。もちろん私も嘘はついていません。この話を初めに高橋主任にした時、私は高橋主任達が私を狙っている事を知りませんでした。嘘をつく理由がありません。となると……」

「……坂本がやった」

「それが一番しっくりきますね」

「…………」

 坂本の笑顔を思い出した。彼は笑顔は相変わらず朗らかで、高校時代から何ら変わりはない。そんな彼が「ぐちゃぐちゃ」にしたということが今も信じられない。

「……サイトの中の坂本はどんな感じでした?」

 高橋は反射的に口からついて出た。出来ることなら訊きたくはない。それを訊くということはつまり、坂本が「ぐちゃぐちゃ」にしたことを肯定するということである。友を疑わなければならない事に強く嫌悪感を抱いたが、それでも目をそむけるわけにはいなかい。

「坂本君ですか……」

 佐藤はそう言ってしばらく考え込んだ。昔の記憶をたどっているのだろうか。しばらく沈黙が続いた後に佐藤は口を開いた。

「正直なところ直接接したことがないので詳しくは解りませんが、殺しは頻繁にやっていたようですよ。葛西君以外にも仲間を作って、見えない共闘で参加していたみたいですよ?」

「……見えない共闘で?」

「ええ。通常の対戦のどちらかに見えない共闘を持ちかけて、戦闘を楽しんでいた時期があったみたいですよ。見えない共闘だと勝数が増えないから回りの目も欺けますしね」

「…………」

 よく解らなくなってきた。葛西だけじゃなく、あの坂本も戦闘を楽しんでいるということなのだろうか。それでは、こうして一緒に佐藤を討とうというのも、嘘なのだろうか。結局のところ葛西の仇討ちなどどうでもよくて、戦闘を楽しむことが目的なのだろうか。

「……高橋主任には刺激が強すぎましたかね。失礼しました。決して高橋主任たちを仲間割れさせたいと思っているわけではないので、そこはご理解ください」

「はあ……」

 高橋が生返事をしているうちに車が停まった。いつの間にか高橋のアパートに着いたようだ。見ると空も明るくなっている。随分と長い間話に集中していたようだった。

「色々と正直に話してくれてありがとうございます。今日は話が聞けてよかったです」

 佐藤はそう言って笑みを浮かべた。葛西の仇討ちをを画策しているということは微塵も気にしていないようだった。

「最後になにか、訊きたいことなどはありますか?」

「……葛西は本当に佐藤さんが殺したんですか?」

 高橋がそう訊くと、佐藤は一拍言葉を溜めた後に、

「ええ。殺しましたよ」

 あっさりと、何でもないかのように言った。

「……ありがとうございました」

 高橋は小さく頭を下げてドアを開けようとした。

「あ、高橋主任」

 開閉ノブに手をかけたところで、佐藤に呼び止められた。

「これからも私の戦闘に来てください。なんなら、今回みたいに加奈子の補助をやるのもいいと思います。高橋主任は戦場に慣れることが先決ですよ」

「……私はあなたを殺そうとしているんですけど、いいんですか?」

「ええ。そうでないと張り合いがないですから。最近勝ちが解っている戦闘ばかりで飽きたところです。私を殺したいのでしたら、力をつけてください」

「……考えておきます」

「ぜひ、前向きに考えておいてください」

 佐藤はその言葉を残して去っていった。

「…………」

 一人取り残された高橋はしばらくその場で呆然としていた。まだ早い時間なのであたりには人の気配はない。

 夜明けの風が冷たく感じたころ、高橋はようやく動き出した。階段を昇り自室へと入っていった。

 部屋に入ると寝室に直行した。運営が用意したジャージのままベットに横たわると一気に疲労を感じた。数時間後にはゆかりが来ることになっていたが、もはやそんなことはどうでもよかった。

 薄れそうになる意識の中、高橋はぼんやりと考えた。ともかくこれで加奈子と接点を持つことが出来た。葛西がなぜ佐藤を殺すように坂本に託したのかも解った。佐藤を殺さなければならない理由も解った。

 それでも、高橋の心には深いもやがかかっていた。

 どうすればこのもやを晴らすことが出来るのだろか。高橋は意識がなくなる寸前までそれを考えていた。

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