第三章

第6話

 祝勝会じゃないけれど、生きて帰ってきたことに対してお祝いをしよう。

 坂本からそんな連絡があったのは、四月になってすぐのことだった。その頃高橋は佐々木の前情報どおり昇進して、主任の役職を得た。佐藤は正式な高橋の部下になって、席もそれに合わせて隣同士になった。

 昇進したとはいえ、今までと仕事内容はさほど変わらない。年度末のゴタゴタが通り過ぎた今は比較的早く帰れる状態にある。坂本に「いつでも大丈夫だ」と連絡すると、その週の週末に行う事になった。

 会場は前に打ち合わせで使ったカラオケ店を指定された。家や飲み屋では安心して話ができない。ここは寂れているけどメシも酒も悪くない、との事だった。

「じゃあ、まあ。お疲れ」

 坂本は運ばれてきた生ビールを持ち、グラスを軽く上げてから口に含んだ。高橋とグラスを交わす、いわゆる「乾杯」はしなかった。それがただの気まぐれなのか、死者を弔う席で行われる「献杯」を意味しているのか、高橋には図りかねた。

「……それにしてもすまなかったな」

 しばらくの間世間話をしていたが、話題が途切れた間に改まった口調で坂本が言った。

「初戦なのに危険なマネさせてしまってなあ。本当申し訳ない。怖かっただろ?」

「いや、まあ、怖かったのは確かだけど……まあいいよ。結果的にうまくいったんだし」

「そう言ってもらえるとうれしいよ。まあ、ともかくこれでお前も正式な会員になれたし、これで仇討ちに専念できるな」

 坂本は上気した顔でビールを飲んでいた。

 ふと高橋は「本当に殺したのか?」という疑問を投げてみようかと思いついたが、やめておいた。いまさら聞くことはできない。そんな雰囲気ではないのだ。

 それに、それよりも気になることがあったのだ。坂本を見ると、もう渡辺のことは頭に無いようである。すでに次の戦闘のことを考えている。

 なぜ、こんなに平気でいられるのだろうか。あの時、坂本は人を殺したのではないのか。なぜこんなに平気な顔をしてビールを飲んでいられるのだろうか。高橋は少し寒気がした。

「さて、じゃあ今後の話に移るか」

 坂本はビールを飲み干して一息つくと、傍らに置いてあったカバンからノートパソコンを取り出した。

「まず、お前も薄々は気付いているよな?」

「何を?」

「葛西を殺した相手」

 そう言われ、高橋は言葉に詰まった。薄々気付いているよな? 坂本がそう切り出してくるということは、高橋の嫌な予感が当たっているということだ。

「……サイトで一番勝数を重ねている人は確認した。名前は『佐藤秋雄』だったな。その人のことか?」

 坂本は無言でうなずいた。

「ウチの会社に同姓同名の人がいるんだけど、その人なのか?」

 再び坂本はうなずいた。

「……信じられないんだけど。俺の知っている佐藤さんは、ただの冴えないおじさんなんだよ?」

 高橋のその言葉に応じて、坂本はテーブルに置いていたノートパソコンを操作した。以前と同じようにマウスの中からマイクロSDカードを取り出し、パソコンにセットした。その中から一枚の画像を開く。

 初老の男の画像だった。証明写真のように正面からの表情のない写真である。半分以上白くなった髪は少し後退している。目は細く垂れ下がっており、気弱そうな顔をしている。

 それは高橋の知る「佐藤秋雄」だった。先輩であるが仕事ができずに高橋の部下として雑用を行っている。その雑用すらまともにできなく、高橋はいつも彼の尻拭いをやらされている、あの、佐藤秋雄である。

 高橋は顔を歪め、額を押さえた。坂本の言う通り薄々感づいてはいたが、こうして事実としてつきつけられたとしても、簡単に信じられる話ではない。

「……あのさ、こんなこと言うのもなんだけど。俺の知っている佐藤さんは簡単な仕事しかできないようなただのおじさんなんだよ。その人が殺しとか、信じられないんだけど」

「お前の会社での佐藤がどんななのかは知らないけど、仕事できないのは多分フリだろうな。無能なフリしてれば殺人の容疑もかけられにくいだろ? そんなそぶりはなかったか?」

「…………」

 高橋は先日起こった出来事を思い出した。高橋が忘れていた作業が、なぜか締切り日に完了していた。それが出来る人物は佐藤しかいなかった。もしあの作業を佐藤が行っていたとしたら……。

「……まあ、信じる信じないはお前の自由だけど、ともかく葛西を殺したのはこの佐藤秋雄で、俺達が仇討ちをするのも、こいつだ」

 坂本はノートパソコンの画面を叩きながらそう言った。その人物が高橋の知る佐藤秋雄かどうかは別として。坂本はそう言いたいのだろう。高橋は無言でうなずいた。

「じゃあ具体的にどうするかだけど、お前葛西の手紙の文面を覚えているか?」

 坂本の言葉に、高橋は首をひねった。ついこの前の話なのに、随分遠い昔のように感じた。

「佐藤の娘だ。彼女に会うように書いてあっただろ?」

「ああ」

 そう言えばそんな事が書いてあったような気がする。確か名前は「加奈子」だった気がする。

「とりあえずそこからだと思うんだ。俺達に協力するかどうかは解らんが、葛西のことを何か知っているかもしれないしな」

「まあな。でも具体的にどうやって接触を取るんだ? 俺もさすがに佐藤さんの娘さんなんて、見たこともないぞ」

「ああ。まあ、そりゃそうだよな。俺も面識はないから、サイトのメッセージを使って連絡を取るしかないな。とりあえず俺の方で何とかやってみるよ。接触できたら連絡するよ」

「解った」

「とりあえず、お前はサイトを覗いて空気とかを感じてくれ。それも重要なことだから。じゃ、そんな感じで」

 坂本は手を叩いて席を立った。伝票を手にしているので、これで話し合いを終わらせようと思っているのだろう。

「あ、ちょっと待って」

 外に出ようとしている坂本を引き止めた。

「なんだ?」

「悪いけど、お前が知っていることを全部教えてくれないか? お前がサイトに関わった時の事とか、その、葛西が殺された時のこととか」

「……ああ、そうだな」

 坂本はそうつぶやくと、伝票をテーブルに下ろして座り直した。

「ちょっと待ってな」

 坂本はそう言うと静かに目を閉じて口を閉ざした。恐らく当時の事を整理しているのだろう。沈黙はしばらくの間続いた。

「……よし」

 やがて坂本は気合を入れるように声を挙げ、高橋を見据えた。いよいよか。高橋は胸を高鳴らせながら坂本が口を開くのを待った。

 しかし。

「その前にビールを注文させてくれ。喉が乾いた」

「あ、ああ。いいよ」

 高橋が拍子抜けしている中、坂本は部屋に備え付けられているインタホンで生ビールを頼んだ。

 しばらく待つと中年の店員が生ビールを持ってきた。それに一口つけると、坂本はゆっくりと語り出した。

「……俺がこのサイトに入会したきっかけから話そうか。お前さ、一般人に殺害現場を見られたときの対処法は知っているか?」

 急に話を振られ言葉に詰まったが、すぐにサイトの注意事項に書かれていたことを思い出した。

「ええと……秘密を守るためにその人を『処理』しなきゃいけなかったっけ?」

「そう。基本的に殺害現場を一般人に見られた場合、その人を殺さなきゃいけないんだけど、一個だけ殺さずに済む方法があるんだよ」

「なんだ? それ」

「その一般人を会員に引き込むんだ。そうすれば会員が見学したことになって、問題は無くなる。まあ、基本的にそんなことはなかなか出来ないんだけど、まあ出来るケースもあるんだな」

 坂本は少し回りくどい言い方をしている。しかし「サイトに入会したきっかけ」という事から始まった話である。高橋には坂本が何を言わんとしているのか、何となくは解った。

「……つまり、お前は見たんだな? 葛西が……殺しをしている所を」

 高橋は少し言葉が詰まった。多少は慣れたとはいえ、「葛西」と「殺し」というありえない単語を口に出すのには抵抗があった。

「ああ。見たんだよ」

 坂本は顔を強張らせながらうなずいた。

「殺した所って、戦闘中の葛西を見たのか?」

「……葛西の家に飯食べに行ったときのことを覚えているか?」

 坂本のその言葉に、高橋は小さくうなずいた。確かに葛西が帰ってきてしばらくしたときに、突然葛西の家に呼ばれたのだ。なにかと思えば「今日は親がいないから飯を食べにこないか」とのことだったのだ。葛西が東京時代に学んだという妙に豪華な手料理を食べて、盛り上がったことを記憶している。かなり昔の話だが、今まではそんなことなかったのに突然そんなことを提案されたので、変だなと思ったことが印象に残っているのだ。

「あの時お前も変に思っただろうけど、俺も同じように思ってな。あの時気になって尾行したんだ。そうしたらな……」

 坂本は眉をひそめながら語り始めた。

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