第二章
第4話
坂本曰く、彼が時間通りに行動するのは仕事と飲み会の時のみである。仕事に関しては高橋は解らないが、確かに飲み会以外で彼が予定通りの時間にやってくることはなく、必ず三〇分程度遅れてくる。そのため高橋が予定を組む時は、彼の遅れ分を考慮しなければならなかった。
しかしその日は予定通り午後二時に高橋のアパートにやってきた。
「……よう」
ラフな格好で玄関先で手を挙げる坂本は、いつにも増して表情は固かった。
今日は高橋をサイトに入会させるための登録をするために来たのである。時間通りに来たのも表情が固いのも、そのためなのだろう。
「まあ、あがれよ」
高橋は誰もいないアパートの中へと坂本を招きいれた。当初坂本のマンションで行う話も出たが、妻子がいる彼の家で二人きりで何か出来る機会は極めて少ないため、一人暮らしである高橋のアパートで行うこととなったのである。
「何か飲むか?」
「いや、いいよ。構わんでくれ。それより早速本題に入ろう。」
坂本はソファに腰を掛けると、持ってきたカバンからノートパソコンを取り出してテーブルに置いた。先日坂本の家で使っていたノートパソコンである。
「こないだメールしたけど、今使っていないパソコンはあるか?」
「……ああ」
高橋は押入れの中を探り、少し大きなノートパソコンを取り出した。それは二年前にパソコンを買い換えてから使っていないパソコンだった。少し古いがまだ使える。いずれ売りに行こうと思っていて忘れていたものだ。
坂本は起動させ、OSを確かめてから小さくうなずいた。
先日坂本から、パソコンを用意してほしい旨連絡があった。普段使っておらず、サイト接続専用に使用しても問題ないパソコン。古くても問題ないが、OSは最低でもサポートが切れていないものが動いて、常にOSの再インストールできるものでなければならない。押入れから出したパソコンは、一応この条件を全て満たしていた。
「それでいい。そのパソコンは使い終わったらその都度サイトが用意した専用ツールを使ってOSの再インストールをしてもらうからな。これはサイトのルールだ。最悪一人が逮捕されても、押収されたパソコンからの発覚がないようにするためだ。これは必ず守ってほしい」
「……解った」
「まあその他細かい決まりごとは後でサイトを見てもらうとして、入会手続きをしようか」
坂本は自分のノートパソコンを起動させた。見ると彼のデスクトップは初期状態の壁紙、アイコンであった。再インストール済みなのだろう。
インターネットを起動させ、先日と同じようにIPアドレスを直接タイプした。
http://xxx.xxx.xxx.xxx/
前回とは接続先が違うようだ。似ているが、少し違う。
「前のとアドレスが違うな」
「……よく覚えているな。こっちは緊急連絡用のアドレスだ。一応昨日のうちに連絡しといたんだ。したらこっちから会員登録してくれって」
坂本はそう言いながらパソコンを操作してゆく。前と同じように、何度かパスワード入力画面が現れ、その度にタイプしていった。そして「緊急連絡用ページ」なるサイトに辿り着いた。こちらは前と異なり、白地に黒文字のシンプルなページであった。坂本はページの中の「緊急の会員登録はこちら」という文字をクリックした。すると汎用的な会員登録の画面が表示された。
「会員登録は結構簡単だ。このフォームにしたがってお前の情報を入力するだけだ。まあ、面倒なのは写真が必要なことだけか。携帯の写真でいいから、これから撮っちまおう」
坂本は己の携帯電話をポケットから取り出し、高橋の上半身を撮影した。その写真データをパソコンに取り込む。「ほら」と坂本は身体をずらし、高橋に席を渡した。
登録用の画面はいたってシンプルであった。住所、氏名、生年月日、職業、連絡用メールアドレス、電話番号。どこにでもある会員登録画面である。高橋は次々と内容を埋めていった。
「あ、メアドはどこか適当なフリーのを使えよ?」
坂本にそう言われ、高橋はポータルサイトが提供している無料のメールアドレスを取得して、アドレス欄に入力した。
「あとは送信ボタンを押せば終わりだ。サイトからパスワードのメールが来る。簡単だろ?」
「……本当簡単だな。それでいいのか?」
高橋は少し拍子抜けをした。非合法なことを取り扱うサイトとは思えないくらいあっさりしている。まるでネットショップにユーザ登録しているようである。
「まあ、まだ仮登録段階だからな。これから運営がお前のことを徹底的に調べ上げて妥当かどうかを判断する。まあとにかくこれで登録は完了したから、二、三日もすれば正式に入会の審査結果がメールで来ると思う」
「審査の結果、NGだったら?」
「そんな後ろ向きに考えるなよ。まずダメってことはないさ。前科がない限りははじかれることはない。それよりも、今後のことについて話す」
坂本はパソコンを再起動し、OSの再インストールを始めながら、高橋を正面から見据えた。不意に坂本の視線が鋭くなった。先ほどまでの、いつも通りの坂本とは違う。なんだろうこれは。
「……なにボーっとしてるんだよ。大事なことなんだからちゃんと聞いてくれよ?」
坂本が苦笑しながらそう言った。改めてみると、坂本は普段の雰囲気に戻っていた。
「あ、ああ。なんでもない。ごめんごめん」
「とりあえず、メモは厳禁だから、しっかりと聞いてくれな。あと最初は理解できないかもしれないけど、そういうものだと思ってくれ」
坂本は高橋がうなずくのを待って、ゆっくりと口を開いた。
「まず、審査が通って本登録が完了すると、お前は一回戦わなければならない。その時の対戦相手はお前と同じ新規登録者になる。サイトのルールでな。ある程度の人数を維持するためにやっているみたいだ。新人同士で戦わせれば、一人は会員が増えるからな。で、お前の戦闘はいつになるかは解らない。もう一人の登録者がもう待機していればすぐだろうし、いなければいつまでも待たされることになる。こればかりは運だからな」
坂本はそこまで一気に言うと、わずかに表情を緩めた。
「まあ、そんなに構えることはねえよ。お前の戦闘は俺が見えない共闘で入るから。相手は俺がやる」
「共闘?」
「ああ。サイト内のルールな。要はお前の戦闘に俺が加勢するって事だ。お前はどこかに隠れていればいいさ。俺が何とかする」
「……なあ。そういうことを、葛西もやっていたのか? 本当に」
それだけが、坂本の話をいくら訊いても理解できない所だった。戦闘、対戦相手、共闘。そのどの言葉もあの葛西には似合わない。
高橋の言葉に、坂本は先ほどまで緩めていた表情を再び固めた。そしてしばらくの沈黙の後にポツリとつぶやいた。
「ああ。確かに参加していた。こんなこと言いたくはないが、あいつも人を殺していた」
「……なんで? なんであいつはその……殺し、をやっていたんだ?」
「それは俺も解らん。あいつも教えてくれなくてな」
「そうか……」
場に重苦しい空気が流れた。参加すればそれでも少しは解ることがあるのかと思ったが、中々難しそうである。
「ま、とりあえず目先の事から潰しておこうぜ。まずは初戦だ。これに勝たなきゃなんも始まらないんだからさ」
坂本は表面上は明るくそう言って腰を上げた。パソコンを片付け、身支度をした。
「とりあえず運営の承認が下りるまではお前はサイトが覗けないし、今日はここまでにしておこう。登録したアドレスにメールが来ると思うから、来たら連絡くれ。あ、連絡は直接的な表現は避けてくれな。そうだな。ひらがなで「きた」とだけ携帯にメールしてくれればいいから」
坂本は手早くそう言って帰っていった。
一人になり、高橋は葛西のことを考えた。やはりこのサイトは本当に人殺しを行うサイトなのだろうか。
だとしたら、どうして葛西はこんなサイトに足を突っ込んだのだろうか? どんな気持ちで殺しをしていたのだろうか。死んだときは何を思っていたのだろうか。
考えても答えが出ないそれらのことが、いつまでも頭から離れなかった。
なぜそんな葛西に気付いてあげられなかったのだろうか。何かおかしな兆候はなかっただろうか。高橋はあれこれ考えてみるが、結局建設的な答えは何一つ出てこなかった。
深い息を吐き、高橋は押入れから取り出したノートパソコンを起動させた。不要ファイルを整理してOSの再インストールをしなければならない。
パソコンの中身はほとんどが消しても良いデータだった。もう二年間使っていなかったのである。大切なデータはすでに退避済みだ。
そうしてファイルを切り捨てていっていると、写真が一枚出てきた。葛西がいなくなる少し前の写真だ。三人で飲んでいるときになぜか写真を撮ろうと葛西が言い出して、店員に頼んで撮ってもらった写真である。座敷の個室でテーブルには酒とつまみが並んでいる。左側手前に葛西、奥に坂本、右側に高橋が座っている。
改めてみると、葛西の顔は笑みを浮かべているが、その目は冷たく陰が出ているようだった。
この時の葛西は何を考えていたのだろうか。なぜこんなことになってしまったのだろうか。やはり答えの出ないことを考えてしまう。
これ以上知りたければ突き進むしかない。高橋はそう考えて自分を鼓舞した。
まだ人を殺すということに現実感はなかったが。
数日後、何気なく先日取得したメールアドレスに接続してみると、メールが一通届いていた。
「あ」
高橋は思わず声を挙げてしまい、慌てて口をつぐんだ。聞こえてしまっただろうか。高橋はチラとキッチンの方に目を向けた。高橋の位置からはキッチンの様子は見えないが、こちらに来る気配はない。気付いていないようだった。
キッチンには高橋の恋人である多田ゆかりが夕飯を作っている。同じ県内だが少し離れたところで働く二人は、週末になるとお互いのアパートに泊まりに行く。今週はゆかりが泊まりに来る番だったのである。
キッチンからはまだ調理する音が聞こえている。高橋は一応キッチンから来たゆかりに画面が見えない位置に移動してメールを開いた。
件名:運営委員会です
ご登録いただきありがとうございました。貴方様からの会員登録願を受理し、正式な会員として登録いたしました。
つきましては下記ログインユーザID、パスワードでサイトにログインしてください。なお、パスワードは仮のものですので、ログイン後ガイダンスに従い変更してください。
ログインユーザID:・・・・
(仮)パスワード:・・・・
高橋はメールを閉じ、言われたとおり坂本に「きた」とだけメールを送った。
「何してたの?」
メールを送り終えた直後にゆかりがキッチンから戻ってきた。夕飯を載せたトレイに気をつけながらも高橋が携帯電話を手にしていたのが目に付いたのだろう。抜け目がない。これからは気をつけないと。そう思いながら、「坂本にメールしてたんだよ」と平静を装いながら言った。
「ふうん」
ゆかりは素っ気ない返事をしてテーブルに皿を並べていった。
浮気でも心配しているのだろうか。彼女の平和ボケした考えにため息が漏れそうになり、寸前で止めた。
食事中に高橋の携帯電話にメールの着信があった。
「坂本からだよ。ほら」
ゆかりが携帯電話を気にしていたので、高橋は手にとってディスプレイをゆかりに示した。確かにメールは坂本からだった。本文には「了解」とだけ書いてある。「ほんとだ」と表情を崩した。
「ところで来週はどんな服着ていけばいいかな?」
「来週?」
高橋がそう聞くと、ゆかりは頬を膨らませた。
「なによ。来週は圭介のご両親に挨拶に行くんでしょ? そっちから言ってきて忘れるなんてひどいよ」
「ああ」
そうだった。高橋はすっかり忘れていた。来週末はゆかりを親に紹介する予定だったのだ。ここのところ葛西の一件など色々考えることが多すぎて記憶の外に追いやっていたようだった。
「そうだな。どんな服でも大丈夫だと思うけど」
「なによそれ。ちゃんと考えてよ。あと、ちゃんとご両親には連絡した? 何時に伺うとか」
「…………」
高橋が黙り込んだことでさらに怒りが増したのか、ゆかりはこれ以上ないくらいの膨れ面をした。
「とりあえず、今日はもう遅いから明日ちゃんとご両親に連絡すること。あと今週末私の服についても考えること。いい?」
「……はい」
高橋は一切の反論も認めないという勢いのゆかりに圧倒されながら、大きくうなずいて応えた。
「よし。じゃあ今度は絶対忘れないでね。今度忘れたらひどいからね」
「解ったよ」
ここでようやく機嫌を戻したのか、ゆかりは膨れ面を解き、食事を再開させた。その姿に高橋は息をつきながらも、先ほどまでの殺し合いの話から随分と格差があり、妙な気分であった。
結局その日は一日ゆかりがいたので、サイトに接続することができなかった。じっと待って翌日、ゆかりが帰ってから午後一〇時を待ってサイトに接続した。
接続方法は運営からのメールにはなかった。あくまでユーザIDとパスワードだけである。メールなどという誰に見られるか解らない方法では伝えず、紹介者から教えてもらえということなのだろう。高橋は先日坂本のマンションで見たIPアドレスを思い出してタイプした。すると中央に入力項目とボタンがあるだけの白いページが表示された。先日見たとおりの画面である。高橋はメールに記されていた仮パスワードを打ち込み、次々と認証を続けていった。
やがて坂本のマンションで見た黒い背景のページに辿り着いた。「本サイトは理解ある会員の方専用のサイトです。あなたは会員ですか?」との注意書きに「はい」をクリックし、ようやくサイトのトップページまで来ることができた。
よく見ると画面右側にログイン情報が記されており、「新着メッセージがあります」と書いてあった。高橋は「個人ページ」という文字をクリックした。
個人ページでは会員同士でのメッセージのやり取りや、ブログを公開などができるようになっている。高橋はその中からメッセージボックスを開いた。
「運営委員会」からのメッセージだった。
入会おめでとうございます。
今日より貴方は当サイトの全てのサービスが利用可能となっております。
しかし当サイト規則により、同じく入会希望者と戦闘を行っていただきます。
なお、初戦に限り、以下の制約がありますのでご了承願います。
1.戦場、日程、ルール等は当サイトで決めさせていただきます。
基本的には戦闘に関する詳細は当事者で設定していただくのですが、この初戦に限り当サイトであらかじめ決めさせていただきます。
(不都合がある場合は調整致します)
すでに制定しましたので、「対戦者連絡用掲示板」をご参照願います。
2.共闘(見えない共闘含む)を行い、対戦人数に不均衡が生じた場合、有利な方にハンディを設定します。
このルールは本来通常の共闘のみで、見えない共闘には適用されないのですが、初戦に限り見えない共闘も適用されます。
そのため、戦闘前日までルールの変更があるかもしれませんので、戦闘前日は可能な限り当サイトの確認をお願いします。
対戦相手につきましては「現在の戦況」をご参照ください。
それでは、当サイトをお楽しみください。
高橋はトップページに戻り、「現在の戦況」をクリックした。現在の戦況には今月予定されている対戦が記されている。その一番下、「新入会員特別対戦」という項に高橋の名前があった。
高橋圭介(0勝0敗0引き分け) - 渡辺裕也(0勝0敗0引き分け)
汗が一気に噴き出してきた。身体が熱い。脳裏に「殺し合い」という言葉が過ぎる。自分もこの「渡辺」なる人物を殺さなければならないのか? それができなかったら?
浮かんでは消える振り払うように高橋は席を立った。キッチンの冷蔵庫を開け、発泡酒を取り出した。景気付けである。呑んでいなければやってられない。
高橋はリビングに戻り、発泡酒の栓を開けてパソコンの前に戻った。一口口に含んで画面に目を向ける。喉に苦味が広がる。今日の酒はあまりおいしいとは感じられなかった。
高橋は気を取り直して「対戦者連絡用掲示板」を確認した。そこはどうやら対戦する両サイドがルールを決めるための掲示板のようだ。スレッド式にになっており、対戦する者同士が日程やルールを決められるようになっている。その中に「2009年3月新入会員特別対戦」というスレッドが立っていた。
先頭は「運営委員会」という名前で書き込まれていた。
本来ならば対戦者同士が話し合い、以下の要綱を決めていただくのですが、今回はこちら側で用意致しました。
問題ないかどうかを本スレッドに書き込んでください。
2009年3月対戦要綱
○日時:2009年3月28日(土)24:00~
○場所:病院跡地(東京都○市・・・)
○主なルール:
・戦闘のフィールドは四階廊下のみ、それ以外の階や、四階病室、トイレ、ナースステーション等は立ち入り禁止とする。
・定刻前に高橋氏は五階東側階段前に、渡辺氏は三階西側階段前に待機する。
・定刻となったらそれぞれ階段を使用して四階に移動、四階に到着したところで双方音を発して戦闘開始とする。
○制約事項:
・事前にフィールドに罠を仕掛けることは禁止。
掲示板にはそう書かれていた。
三月二八日。高橋は机の傍らにおいてある卓上カレンダーに目を向けた。三月二九日に「ゆかりを実家に連れて行く」と書かれている。実家には昼過ぎに行く予定になっている。
高橋はしばらく悩んだ挙句、予定は変えない方向で行くことにした。うまくいけば二八日深夜に終わる。延期すればそれだけ自分の中の気持ちに揺らぎが出るかもしれない。
高橋は問題ない旨書き込もうとした瞬間、坂本を思い出した。彼にも予定を確認しなければ。
高橋はメールボックスへ戻り坂本のIDにメッセージを送ろうとすると、既に坂本からのメッセージが届いていることに気付いた。
対戦の要綱は見たか?
俺はその日程で問題ない。お前も大丈夫ならその日で行こう。
場所とルールに関してもあの通りで大丈夫だ。
あと、俺が関わっている事は書かないでくれな。あくまでお前一人で闘うっていうスタンスで書き込んでくれ。
俺は俺で見えない共闘の申し込みするから。
「見えない共闘」先ほどの運営からのメッセージにも書いてあった。聞きなれない言葉であった。サイトを調べていくと坂本のマンションで見たページに内容が記されていた。
・非公認の協力(見えない共闘)
本サイト内に協力者の氏名は公表されません。
※そのため対戦相手には協力していることは、明言しない限り明かされません。
つまり対戦相手には坂本が参加することを明かさないのか。フェアじゃないような気がしたが、このサイトでの常識などをまだ解っていない高橋は、黙って従うことにした。
「了解」と坂本にメッセージを返し、掲示板に戻った。
すると既に書き込みが増えていた。氏名欄には「渡辺裕也」と記されている。
初めまして。渡辺です。
私はその内容で問題ないです。
高橋も同じ内容を書き込むと、しばらくした後に渡辺の書き込みが追加された。
高橋さん、よろしくお願いします。
お互い初心者同士、精一杯頑張りましょう。
「…………」
高橋は表情を歪め、深くため息をついた。
全てに現実感を感じられない。このサイトで殺し合いが行われていて、自分がこの渡辺と戦闘するということが、現実として受け止められない。
高橋には理解できないこと。それは先ほどの渡辺の書き込みである。このサイトが本当なら渡辺と高橋は来週末に殺し合いを行うのである。それなのにそれに関する書き込みが「精一杯頑張りましょう」である。
これだけではない。他の戦闘のスレッドを軽く流し読みしても、皆「頑張りましょう」など軽い言葉で言い合っている。そこには「殺されるかもしれない」という悲壮感も、「殺してやる」という異常性も感じられない。まるでスポーツでの対戦前の挨拶のようである。それが逆に気味悪く感じた。
本当に葛西もここに参加していたのだろうか。どうしてもそれが信じられなかった。
ログアウトをしてパソコンのOSの再インストールをしながら、高橋は葛西の事を考えた。
葛西もこのサイトの住人のように、「お互い頑張りましょう」という書き込みをして殺し合いを行っていたのだろうか。それがどうしても信じられなかった。
何度考えても高橋は葛西が殺し合いをしていたという事を受け入れることができない。本当に、優しい男だったのだ。いつも一歩引いて穏やかな笑みを向ける。自己主張することもあまりなく、「二人がよければそれでいいよ」といつも言っていた。一度それに対して坂本が怒ったことがあった。あれは高校三年の時か。卒業旅行にどこに行こうかという話をしていて葛西が「二人がよければどこでもいいよ」と言ったんだ。したら坂本が「俺はお前が何をしたいのか聞いてるんだ。どこでもいいんなら行かなくてもいいじゃねえか」と。
したら葛西は少し困った顔をしたんだ。「僕は二人が楽しそうにしているのを見ているのが好きなんだ。三人で時間を共有するのが僕の目的だから、行き先はどこでもいいんだ」穏やかな笑みを浮かべながらそう言う葛西に、坂本は毒気を抜かれた顔をしていたのだ。
「…………」
昔を思い出していたら、不意に涙が出てきた。なぜこんなことになってしまったのだろう。穏やかな葛西と底抜けに明るい坂本。そんな二人との友情を大切にしながら平凡な人生を歩んでいくと思っていた。しかし今は葛西は死んで、坂本と自分はその仇を討とうとしている。まだ確かな実感がないまま。
どうしてこんなことになってしまったんだろう?
そんなことを考えていると、携帯電話が鳴った。見てみるとゆかりからだった。高橋は目に溜まった涙を拭い、電話に出た。
「もしもし?」
「あ、圭介?」
「ああ。どうした?」
「ううん。別に用事はないけど何となく声聞きたくなって。別にいいでしょ?」
「ああ。別にいいけど……」
高橋は素っ気ない態度とは裏腹に、内心は少しホッとした。非現実的な話が続いている中で、ゆかりの声で元の日常に戻ったような気がした。
しばらくそのままゆかりと何気ない話をした。他愛のない話が高橋にとっては貴重な日常に思えた。
「……じゃ、そろそろ寝よっか」
ひとしきり話してゆかりが満足したのか、そう切り出してきた。見ればすでに一一時を超えていた。
「ああ。そうだな。明日も早いしな」
「うん。じゃ、来週は圭介の家に挨拶に行くから、よろしくね」
「ああ。解ったよ」
そんなやり取りがあった後に電話は切れた。
「…………」
高橋はしばらくそのまま空を見ていた。小さく息をついた後にパソコンに目を戻した。すでにパソコンの再インストールは終わっていた。
ひとまず、この渡辺との戦闘について考えなければならない。葛西についてはその後だ。高橋はそう自分に言い聞かせ、パソコンを片付けた。
二日後の夕方、坂本と戦闘についての話し合いを行うことになった。会場は坂本のマンションの近くにある寂れたカラオケ店である。住宅街の真ん中にあるそのカラオケ店は、規模が小さく今にも潰れそうだが、周囲の住人のかすかだが一定の需要によって何とか食いつないでいるようである。
渡辺との戦闘の作戦会議はそのカラオケ店で行うこととなった。坂本曰く、「ここは防犯カメラがないからちょうどいい」らしい。受付には一応若者向けの有線が流れていたが、奥の部屋からは演歌が聞こえる。夜だというのに老人の寄り合いをしているらしい。
「さて」
部屋に着くと、坂本は次々と曲を入れていった。前奏が流れる。高橋が知らない曲だった。ボリュームを少し上げ、外からは話し声が聞こえないようにすると、坂本は改めて高橋と向き合った。
「それじゃ戦闘について話そうか。心の準備は大丈夫か?」
坂本の問いに、高橋はうなずいた。本当は心の準備も何も、現実味すら感じられないのだが。
「とりあえず、戦闘の要綱は読んだよな?」
「ああ。会場は東京の病院跡地だったっけ?」
「ああ。基本的に会場は運営が所有している土地でやることになる。内容が内容だけに郊外の廃墟でやることが多いんだ。で、今回は廃病院が会場になる。まあ細かいルールは当日に現地の下見の時にやるとして、戦闘の一番重要になる『共闘』について話そうか」
「共闘……」
高橋は先日見たサイトの説明を思い出した。共闘には二種類ある。『共闘』と、『見えない共闘』である。『共闘』は連名となり、サイトの対戦の情報に乗る。今のところ両者共連名とはなっていないため、『共闘』ではない。
一方『見えない共闘』はサイト内には何も表示されない共闘である。つまり、当日戦闘が始まり、対峙するまでは相手は解らないというものである。
「まあ当然のことだけど、味方が多い方が有利だし、事前に相手の共闘の有無を把握できていればさらに有利になる。で、俺達は見えない共闘だから二人で闘うとして、重要なのは相手が見えない共闘を仕掛けてくるかどうかって所だ」
「まあ、そうだな」
「で、だ。多分相手は共闘はしないはずだ」
「……なんでそう言い切れるんだ?」
高橋が首を傾げると、坂本は口の端で笑みを作った。
「昨日はサイトを確認したか?」
そう訊かれて、高橋は首を振った。
「昨日俺の見えない共闘が受理された。それでルールが少し改正された。俺たちへハンディが追加された。後でちゃんと見てくれな。初戦に限りは見えない共闘でも相手に不利な事がないようになっているんだよ。逆に言えばこのハンディが前日まで残っていれば、相手は一人で来るって事だ。ま、そんなルールなくても渡辺に協力者がいないことくらい大体調べついてるけどな」
「どういうことだ?」
「この渡辺は三ヶ月前に入会して、今回初戦になるんだ。基本的には誰の紹介で入ったのかは解らないことになっているんだけど、こいつは入会当初に誰の紹介だったのかを書き込んでいる。瀬戸大介っていう男がこいつの紹介人だ。入会当初は紹介人くらいしか知り合いはいないから、見えない共闘で出てくるとしたらこの瀬戸大介って男が一番可能性が高くて、逆に言えば瀬戸が出てこないって確証が取れれば、ほぼ確実に渡辺は一人で出てくるってことだ。まあ、他に協力者がいないとも限らないから一〇〇パーセントとは言えないけどな。ただ、今までのサイトでの書き込みを見る限りでは他に知り合いはいなさそうだ」
「……それで、その瀬戸が出てこないって確証が取れたのか?」
「ああ。瀬戸は先月の戦闘で死んだからな」
「…………」
どうしても、その「死ぬ」という言葉に慣れることが出来なかった。それが現実に起こっている事だとは思えない。高橋はそれが表情に出そうになり、なんとかこらえた。
「……それにしてもこんなに細かく分析するなんて、お前らしくなくないな」
高橋のその言葉に、坂本は顔を歪めながらポツリとつぶやいた。
「葛西に教わったんだよ」
「……そっか。葛西は、本当にこんなことをやっていたんだよな?」
何度聞いたか解らないその質問に、坂本は小さくうなずいた。
「こんな事を言うのは何だと思うけど、葛西は本当に頭がいいと思ったよ。あいつと一緒だとほとんど危険はなかったからな。最後のは相手が悪かったんだ」
「相手は、どんなヤツなんだ?」
「このサイトで最強の男だ。立ち上げ当初からいるらしいが、今も負け知らずだ。そんなに強そうには見えないんだけどな。ま、そいつの事はまた今度な。とりあえず今は初戦に集中してくれ」
坂本はそう言って腕時計に目を向けていた。今は午後九時を越えた所であった。坂本は表情を緩めて立ち上がった。
「ま、今日はこのくらいだな。具体的な作戦とかは当日やればいいから、あとは当日までは特に集まらなくてもいいかな。集合時間や場所は後でメッセージするから」
「当日俺が用意するものは?」
「なにもいらねえよ。お前の道具は俺が用意しておくから。あとはまあ、心構えくらいかな。まだそういうことをやるって実感ないだろ?」
高橋はドキッとした。図星である。まだ具体的な実感は高橋の心の中にはない。
「ま、最初はそんなもんだ。でも、当日までにはちゃんと気持ちをいれてくれな。このまま戦闘になってどうなるか、解るよな?」
「…………」
高橋は無言でうなずいた。このままでは恐らく負けてしまう。負けはすなわち「死」である。そうならないためにも心を入れ替えなければならない。
しかし果たしてそんな数日で殺し合いをするための実感を持つことができるのだろうか。そう思い少し気が重くなったが、あえて口にすることはなかった。言ったところで坂本の返事は解っている。できるかどうかじゃなくて、やらなきゃいけないのだ。やらなきゃ、二人とも死ぬのだ。
カラオケ店を後にし、アパートに着くと高橋はソファに突っ伏した。坂本との会合は短時間で終わったが、一気に疲れが出た。
先ほどの坂本はいつもとは全く異なる。いつもならば「なるようになるさ」と笑い飛ばして当日まで何も考えずに突き進むであろう彼が、あれほど細かく分析して臨んでいる。それはすなわち、いつもとは異なることであるということに他ならない。いつもとは異なる。つまり本当に殺し合いは行われるということだ。
「…………」
高橋はそのまま眠りにつきそうな身体を何とか起こし、時計に目を向けた。現在午後一〇時一〇分。サイトが閲覧できる時間である。少なくとも今の状態では非常にまずい。当日までに少しでもサイトに触れて殺し合いについての実感を持たなければならないのである。
押入れからノートパソコンを取り出して机に広げた。パソコンを起動させ、サイトに接続した。
黒地に白い文字のそのサイト自体にはもう慣れてしまった。高橋は坂本に言われたとおり、まずルールを確認した。
確かに「○制約事項」の下にルールが追加されている。
○高橋側への制約:
・高橋側は誰か一人が音を発し続けなければならない。
その際、渡辺氏に聞こえるほどの大きさでなければならない。
そのルールがどのような効いてくるのかは解らないが、ひとまず高橋は考えないことにした。この辺の事は坂本に任せておけば問題ない。それよりも確認しなければならないことがある。
高橋は情報交換用掲示板を閉じ、その他の掲示板を見て回ることにした。
このサイトでは三つの掲示板が存在する。雑談用掲示板、情報交換用掲示板、それと対戦者連絡用掲示板。対戦者連絡用掲示板は先日見たので、雑談用掲示板から見ていくことにした。
雑談用掲示板は、その名の通り雑多な話題を行うための掲示板だった。このサイトのメインテーマである殺人に限らず、様々な「雑談」がスレッド形式で対話されている。このサイトではハンドルネームはなく、全員実名で発言している。見ると確かに投稿フォームに氏名を登録する欄が見当たらない。恐らくログイン情報から自動的に氏名を表示するようになっているのだろう。そのシステムのためか会員の平均年齢が高めのためか、場が荒れることもなく皆節度を守った距離感で交流をしているようだった。
話題は多岐に渡る。都内のオススメの飲み屋の話題から最近公開した映画の話。女性会員は夕飯のレシピについて話し合っているスレッドもある。一見するとどこにでもあるコミュニティサイトであるが、所々では「○月○日の戦闘について」や「好きな殺害方法」など、普通では考えられない話題で盛り上がっているスレッドもある。
その中で渡辺の書き込みを見つけた。「自己紹介専用スレッド」と表されたスレッドに書き込まれていた。
はじめまして。瀬戸大介からの紹介で来ました。渡辺裕也と申します。
早く一勝して皆さんの仲間になりたいです。よろしくお願いします。
その後は渡辺を祝福する書き込みが続く。坂本はこれを見て判断したのだろう。
次に高橋は情報交換用掲示板の方を覗いてみた。そちらは殺害方法、外で殺害する際の注意点など、技術的な話題が主となっていた。そのどれも礼儀正しく、理性的な文章である。
やはり。高橋は先日サイトを見たときの感覚を思い出した。先日対戦要綱の確認を行う時、渡辺の書き込みに殺し合いではなくスポーツの対戦前の挨拶のように感じた。
渡辺だけではない。掲示板の書き込みのほぼ全てが同じように感じる。
悲壮感がないのだ。悲壮感というと語弊があるかもしれないが、非合法な、それもヒトとしての最大の禁忌である殺人を話題にしているのに、口調が明るく、軽いのだ。
スポーツについて語っているようなそんな雰囲気なのだ。
高橋は薄ら寒くなってきた。強い殺意を持って殺し合いを行う。それなら高橋も理解が出来る。泣きながら、血反吐を吐きながら殺し合うのなら。
しかしこのサイトでは死を軽くとらえている。スポーツの勝敗を語るようにある人物の死を分析しているのだ。そんな世界がこんなに間近に存在するということが、理解出来なかった。
高橋は頭を振って気を取り直した。どんなに理解出来なくても、受け入れられなければならない。そうしないと、自分も坂本も死んでしまうのである。
深くため息をつき、ふと思いついて「過去の戦績」というリンクをクリックした。坂本の言葉ではこの瀬戸大介は先月の戦闘で命を落としているということである。それを確かめたかった。
過去の戦績では月ごとの戦闘の結果が記されている。先月の結果には確かに瀬戸大介の名前がある。
佐藤秋雄(64勝0敗0引き分け)○ - ×瀬戸大介(4勝1敗0引き分け)
「……え?」
結果を見た高橋は思わず声を挙げてしまった。瀬戸の対戦相手の名前に見覚えが合った。佐藤秋雄。職場で仕事が出来ない、名目上高橋の部下であるおじさんと同姓同名なのである。
高橋は一瞬驚いたが、次の瞬間にはバカらしいと笑い飛ばした。佐藤などという姓は日本中にいる。名前の秋雄もさほど珍しくもない。ここに同姓同名がいてもおかしくないのだ。
そうおかしくはない。しかしなぜか気になった。この佐藤秋雄なる人物は六四勝している。他の人の戦績を見てもここまで勝数を重ねている人はいない。そしてこの佐藤はほぼ毎月戦闘を行っているらしく、過去の戦績のそこら中に名前がある。
それがどうした。ただ、同姓同名の「佐藤さん」が毎月戦って勝っているだけではないか。そう思いながらも、いくつかの「気になること」が頭をかすめた。
それは坂本から聞いた話。
葛西は「佐藤」に殺されたという事実。そして坂本が高橋にこの話を打ち明けたときのこと。あの時坂本は「お前に伝えたのにはちゃんと意味がある」と言っていた。
もしかしたら、葛西を殺した人物と自分は知り合いだから……。
高橋はハッと我に返り、立ち上がった。考えすぎだ。第一高橋が知っている佐藤秋雄は虫も殺せないような小男なのだ。彼が殺しをしているなんてありえない。
高橋は流しに向かい顔を洗うと再びパソコンの前に向かった。それではこのサイトの佐藤秋雄がどのような人物なのか、調べてみようと思った。
しかし掲示板をクリックしてもページが表示されない。時計を見るとちょうど午後一一時を越えた所だった。
高橋はため息をついて画面を閉じた。多分、人違いだ。気にすることはない。そう自分に言い聞かせたが、一旦湧き出た疑念は高橋の心の中に鈍い痛みのように残り続けた。
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