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なぜ最近になって竹内先生が音楽室を使うようになったのか?それだけではない。思い返して見れば,英語の先生は物理室を借りていたし,国語の先生は美術室を借りていた。いずれも3月に入ってからのことだ。
(3月…年度末……)そうかと松岡は一人ごちる。3年生がいなくなったからだと。3年生が卒業し,廊下の人通りが減ることで不足する発電量を補うために,数学やら英語やらの先生たちが生徒の教室移動を増やして廊下を歩かせていたのだ。学校という場所にはその学校独特の,世間から見れば頓珍漢きわまりないローカルルールが往々にして存在する。松岡も,自身が学んだ学校あるいは勤めた学校を見てきて,そのことは身に沁みて分かってはいたが,この学校のずば抜け度合には驚かずにいられなかった。
ほとんどの教員たちは,”任務”を終えて職員室に戻ってくるなり残業用の資料を鞄に突っ込みいそいそと帰っていった。そのおかげかあれからもう1時間ほど経過しているが,まだ照明は煌々と点いている。さっきの書類を作り直す気力は残っていないと確信した松岡は帰宅の途についた。
力の抜けた足取りで駅まで向かう道すがら,ふと脇のフェンスに括りつけられた看板が目に入る。
「徘徊している高齢者を見かけられた方は下記へご連絡を」
有料老人ホームのものだった。入居者が外へ散歩に行ったまま戻ってこない,そんな事案は日常茶飯事らしい。
(そうだ。)今までまったく気にとめることなく見過ごしてきた看板が,今日はなぜか松岡の視線を捕らえ,さらには閃きを与えた。
翌朝。職員室ではいつも通り朝礼が行われる。大島先生の「他に連絡等ある先生いらっしゃいますかー?」との呼びかけに松岡が「あ,ハイ!ちょっと私から…」と手を挙げる。
「あの,廊下での発電のことなんですが」
大島先生が声には出さずに「なんでしょう」という表情を作って見せる。
「私から一つ提案がありまして。あの,うちのすぐ近くに老人ホームがあるじゃないですか。あそこのお年寄りを校内に招いて,廊下を歩いてもらうっていうのはどうかなと思ったんです」
言い切る頃には教頭の視線が鋭く伸びていた。静寂を引き摺る職員室。松岡は焦り気味にさらに言葉を足す。
「えっとですね,まず高齢者なら静かに歩かれると思うので,授業の迷惑にはならないと思うんです。それと,日常的に高齢者の方に出入りして頂くことは生徒にも高齢者と触れ合う機会が増えて何かと良い影響を与えるのではないかと思いまして。あっ,あと…」
「いいんじゃないですか」
口を開いたのは校長だった。教頭も横で頷いている。かくして,弥生谷高校は電力不足問題をあっさりと解決するのだった。
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