第3話 恋と恋
昇降口で上履きに履き替えていると、優月の周りにどんどん見知った顔が集まってきた。彼らは日に焼けた肌を惜しみなくだし、いかにも夏休みを満喫しました、という顔をしている。
「おー優月。復活したか」
「お前風邪こじらせて旅行に行けねぇとかだせえ」
「なあなあ宿題やった? 数学見せてくれ!」
友達と連れ立って自分クラス、二―四の教室に入る。教室にはクラスメイトたちがそれぞれのグループを形成して隅の方や、主がまだ来ていない席を占領したりしている。
優月は自分の席につく、騒がしい音が耳に入ってくる。
周りの様子を眺めていると、ふいに視界に影が差す。おもむろに顔をあげると、陽人がにっと笑いながら、優月の前の席に座る。
「ほら、土産」
「あ、さんきゅ」
渡された紙袋には旅行先の名物なんだろう、お菓子の数々とキャラクターグッズ。キャラクターグッズは多分、優季への土産だろう。陽人はなぜか優季とも仲が良く、要領がいい。人との距離の詰め方が非常にうまいのだ。
友達と言えど尊敬してしまう。
「出席とるぞー」
そういって教室の扉が開くと、担任の
みんな慌てて席につくと同時に呼び鈴が鳴った。この先生はいつも時間ぴったしに教室に入ってきて、呼び鈴と共に出席を取るのだ。
今日も例にもれずその通りの行動だ。
「浅川」
「はい」
「相野」
「はーい」
飯田先生が名前を呼ぶたびに生徒たちは手をあげたり、返事だけをしたりしながら先生に返事を返す。
「小柳」
「はいはーい」
「返事は一回でいいだろ」
「アピールっす!」
陽人の行動一つで教室にわっと笑いが広がった。先生も苦笑しつつ、次の生徒を呼ぶ。
タ行に入り、つ、の番が来た。けど、先生は葛籠とは呼ばなかった。そのまま次の手塚由里の名前を呼ぶ。
優月はそこで疑問を抱いた。確か手塚由里の前に葛籠紗智の名前があるはずだ。ただの呼び飛ばしだろうか。そう思い、紗智の席に目を向けるとそこは空席だった。
主にいない席はぽつりとそこにある。違和感を覚えたと同時に、胸騒ぎがする。周りを見渡しても誰も指摘しない。それより気づいていないような、いや、気づいているが、指摘したくないのかもしれない。葛籠紗智の名前を呼び飛ばした時一瞬、教室の空気が変わった気がする。
「原田」
「はい」
「もう夏風邪はいいのか?」
「だいぶよくなりました」
そうか、と先生はそれだけいうと最後まで出席を取る。結局最後まで紗智の名前を呼ぶことはなかった。
出席を取り、ぱたんと出席簿を閉じると、こちらに向き直し、先生は神妙な面持ちで口を一文字に紡いでいる。何か言いたげだが、口に出しづらそうな雰囲気。口に出しづらそうなわりに、瞳だけは期待に満ちている。アンバランスさが妙に教室の空気に合っている。
「実はな……葛籠が目を覚ました」
その言葉にクラス中からどよめきの声が漏れ、ついで泣き出す女子が現れた。その子は紗智と仲のいい子で、確か藤村千代だったはず。一人呆然とする優月は何が起きたのかわからない。
目を覚ました、とはいったいどいうことだろうか。
優月がいない間に何が起きたのか。聞きたくても、この雰囲気で聞いていいものか悩んでいると、陽人と目が合った。
「優月は知らなかったっけ。葛籠な、お前が夏風邪こじらせている間に事故にあったんだよ」
事故。事故とはなんだ? 僕が夏風邪をこじらせている間に?
「お前が休んだ次の日、あいつお前の家にプリントを届ける最中に赤信号を無視したバイクに突っ込まれたんだよ」
バイク、事故。
その言葉はゆっくりと、鼓膜から入って、脳内に浸透していく。蟻が頭の中にいるのか、耳から入ってきた言葉を食い荒らし言われた言葉を拒絶しているようだ。
「……それで」
震える声で、続きを聞くと、陽人は続ける。
「すぐに救急車で運ばれて手術したんだが、意識が戻らなかったらしい」
そんなはずない。つい一週間前、優月は彼女に会ったのだ。図書館で一回、翌日の早朝の公園で一回。二回だけだが、確実に会っている。
「……僕、いってくる」
「え……っておい! 優月!?」
居ても経ってもいられず、気づけば優月は席から立ち上がり、教室のドアを乱暴に開いた。つい今まで大騒ぎをしていたみんなが怪訝そうに優月を見ている。それに構わず優月は教室を飛び出し、昇降口へ向かった。
後ろから陽人の叫び声が聞こえるが、聞いていられない。階段をずり落ちながら必死に降りて、靴を履きかえる間もなくそのまま外へ飛び出した。
上からクラスメイト達の声がする。
どこにいくんだ、と叫ぶ声。戻ってこい、という声。原田君、と優月の名前を呼ぶ声と様々だけどどれも聞いていない。
そのまま闇雲に走って、走って、走って、ようやく足を止めたのは交差点の前だった。ひどく息が乱れて呼吸がしづらい。吐く息が肺を刺激し、激痛となって優月の体を責めたてる。血液が足りないのか、心臓はポンプの役割を果たそうと必死に動くも、それが反って痛くてしょうがない。
ふいに、似つかわしくないメロディーが鳴ったと思うと、優月は自分のポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出した。
そこには陽人からのメールで、件名に『バカ』と書かれていた。呼吸を整えようと息を吸うと肺がきしきし痛んで、上手く吸えない。涙が零れるのを我慢しながらメールを開くと、そこには紗智が入院している病院名が記載されていた。
『お前、病院も聞かずに行くってバカか?』
罵詈雑言の書かれたメールに、優月は堪えていた涙が零れ落ちた。声を出さずに、涙だけが、地面に落ちていく。
そこには小さな小さな涙の水たまりを作って。
病院について、汗だくのままナースステーションに向かう。時間的に忙しいのか、看護師はあまりおらず、仕方なく一つひとつ確認しようと思った矢先、向こうから声を掛けられた。
優月があまりにも必死だったかららしい。看護師は優しげな目元が印象的で、汗だくの優月を落ち着かせようと空いているベンチに座らせてくれた。
「大丈夫? 少し落ち着きなさい」
「ぜぇ……はぁ……い……す、みま、せん……つ、づら、さちの病室は……」
途切れ途切れに言葉を紡ぐと、看護師はああ、といってベンチから立ち上がった。
ベンチから少し離れた病室まで案内されると、そこには病室番号と紗智の名前の書かれたプレートが掛けられている。
病室に入る前に一息、無理やり整え、そっとドアを開く。
白で統一された病室は簡素で、色味が全くない。冷え冷えとした印象が強く、足を踏み入れるのを一瞬戸惑う。その病室の奥、窓際に見慣れた人影が見えた。
色素の薄い肩より少し伸びた髪。ほっそりとした体。
それは見間違えるもない、紗智だ。
「……葛籠、さん」
彼女はゆっくりとこちらを向く。あの日の早朝の時に見た花が綻ぶような笑みを浮かべて、原田君、と名前を呼ぶ。
残り少ない体力を振り絞って、傍までいくと、血色の悪い顔だった。手にはいくつも点滴が刺さっており、白い肌がいっそう白く見える。
公園で見たのと同じぐらいの。
「来てくれたんだ」
「……入院、していたんだ」
「うん。君にプリントを届けた日にね」
そういって笑う顔は痛々しささえ思わせる。
優月は、その笑顔を見て、ついに膝を崩して地面に落ちた。溜まっていた不安が体の中を駆け巡って、吐き出されそうだ。
「私ね、ずっと夢を見ていたの」
彼女は言葉を紡ぎだす。独り言のように、それはゆっくりと。
「入院して、ずっと意識がなかったの。それが一週間前、突然景色が目の前に浮かんで、気づいたらあの図書館にいたの」
「…………うん」
「原田君を見かけて、ああ、夏風邪治ったんだって思ったの。声を掛けようとしたらまた病室に戻っていた」
「……そっか……」
「あの日の朝もね、原田君に会いたいな、って思ったらいつの間にかあそこにいて、目の前に君がいてびっくりよ」
「僕も」
「君に腕を掴まれた瞬間、自分の中の何かが危険信号を発したの。触っちゃいけない、触ったら戻れなくなるって」
「…………」
「それから何度祈っても君のもとに行けなくて」
紗智は困ったように眉根を寄せて、胸元に手を置く。穏やかな笑みを浮かべて、優月を見る。
「きっとあれは、君に逢いたいって思った私に、神様が見せてくれた幻なんだった思ったの」
幻。それは僕も思った。君に逢いたいと願った僕に、神様が見せてくれた幻。
「僕も、会いたかった」
優月は、手を伸ばして紗智の手を取った。ひんやりとしているが、あの朝握った手とは全く違う。
確かに血の通って人間の手。どくんどくんと脈を打って、生きていると実感させられる。
夢の中ではどれだけ必死に手を伸ばしも届かなかった手が、今この手の中にある。近いようで遠いように感じた距離感はどれくらいだったのだろう。
一メートルか、八十センチか、五十センチか、三十センチか。
――十五センチか。
その距離は、ゼロになっていく。
「ありがとう」
手を握り合って、優月は笑う。紗智もつられて一緒に笑ってくれた。
恋の距離感は、今は何センチ?
Fin
三日の間に起きたことは奇跡か幻影か 舞原桜水 @ouka_saku_
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