第1004話 『交響曲第14番』 ショスタコーヴィチ
正統派『うつうつ』な音楽でありまして、やましんごときには、やはり、まず言葉の問題があまりに大きいです。
実際、この作品は、『交響曲』という名前の『歌曲』集という様相がありまして、ことば、が大切に違いないです。
もっとも、使われている歌詞自体が、ほんらいはロシア語ではなかったりもするようなので、そこらあたりは、訳詞で意味を調べてでも、構わないようにも思います。
全体は、11楽章に及びます。
訳詞を見ても、明らかに『死』と向き合っている作品だと思いますが、そこに、ショスタコーヴィチ先生の辿った、壮絶な時代背景が、あるのでしょう。
晩年のショスタコーヴィチ先生(1906~1975)は、いつ政府から殺害されるかわからない、というような危機的な状況からは、やっと脱していたかもしれませんが、人間には、歳をとるという、未解決の宿命がありまして、政府からではない宿命に、さらされていたはずです。
作曲されたのは、1969年であります。
このあと、もう一曲交響曲が書かれます。
そのときのことは、以前、『第15番』の項目で書かせていただいたような気がします。
ショスタコーヴィチ先生が亡くなった1975年は、やましんは、つい先日みたいに思えます。
いまのJRは、まだ、国鉄でしたし、『国電』でした。(関係ないけど)
大阪の万博は、すでに過ぎ去りし日のことでした。
でも、まだ、パソコンとか、スマホなんてない。スマホどころか、携帯も、自動車電話は、アメリカにはあったかもしれないですが、日本は、公共用など一部だけで、まだまだでした。
電卓という名前が固定化したのは、1979年だったようですし、子供たちが持ち始めたのは、やましんが高校生時代になってからだったと思います。
でも、昨日のことのように思うのも、人間の記憶という特質なんでしょうか。
さて、この交響曲は、やましんに、強烈な印象を与えました。
どうしても、わけわかんない『第15番』よりも、むしろ、アマチュアの指が、引っ掛かりやすい場所がたくさん、あるようです。
けっして、楽しい音楽では、ないですけれど。
しかし、マーラー先生の音楽が、ご先祖さまみたいに存在していることも、影響ありそうです。
いまや、人気のあるマーラー先生が、常に『死』と向き合っていたことも、聞き手に、ある種の手引きみたいな感じで働くのかもしれないです。
それにしても、やはり、ロシア語のバスの響きは、すごいですね〰️〰️〰️。
この作品の初演では、ちょっと、オカルト的な出来事も発生していたそうで、ショスタコーヴィチ先生の祟りではないか………とか………。
それは、ここでは、省略いたします。はい。
今回、聴いたのは、コンドラシンさまの指揮した全集で、ショスタコーヴィチ先生、まだ、ご生前に録音されていたものであります。
・・・・・・・・・・・ うつ 😇 うつ ・・・・・・・・・・
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