第1001話 『交響曲第3番イ長調』 フランツ・シュミット


 さて、『第3番』であります。


 これも、かなり、でかい交響曲。


 しかし、先行した交響曲よりは、おとなしい編成のようです。


 さらに、この作品は、これまで、何度か『うつうつ』からみで、話に上がっておりまして、それは、1928年の、シューベルト没後100年を記念するとしてアメリカのレコード会社が開催したコンクールに出品された話です。


 スウェーデンのアッテベリ先生が一位になったコンクールです。


 もともと、『未完成交響曲』を完成させる、というお題だったけれど、批判が上がり、それは、取り下げたという、ちょっと興味深いいきさつがあったようです。


 半世紀くらいあとだったら、そのまま実行されたかも。


 なので、シューベルト先生的な要素を探したくなりますが、やましんが思うに、シュミット先生、そこにこだわったようではありません。


 むしろ、その後継者としての、プライドを持って、いささか古典的な趣を押し出しながら、自分らしい交響曲を目指したような。気がいたします。

 結果的に、アッテベリさまが一番で、シュミット先生は二番だったようです。


 たしかに、聴いた印象が、アッテベリ先生は、ものすごく強い。その最終楽章は、やりすぎみたいな気もしますし、アマチュア的な気もしまして、テクニック的には、やはり、現役プロのシュミット先生に分があるような気がしますが、そういうことを押し退けてしまった圧倒的な個性が、アッテベリさまにはありましたような。


 手元のCDでは、第1楽章アレグロモルトモデラートが、15分07秒。第2楽章アダージョが、11分38秒。第3楽章スケルツォ、アレグロヴィヴァーチェ、トリオ、モルトピュウトランクイロ、は、13分06秒。第4楽章レントは、14分41秒であります。


 第1楽章は、たいへんに、美しく、うつうつ。後半、ちょっと力が入りますが、でも、あっさり止めてしまいます。


 第2楽章が、なぜアダージョなのかは、第1楽章を聴かないとはっきりできないです。


 指揮者さまの、このテンポ設定が、結構、意味深いような。


 そこまできて、ああ、第1楽章は、実は、わりに明るい雰囲気があったんだあ!


 と、気がつきます。


 スケルツォは、なんだか、プチ・ブルックナー先生流みたいな雰囲気があるのです。


 シュミット先生は、当然、分かってやってるわけで、興味津々。


 シューベルト先生がお題だったコンクールに、なぜ、わざわざ、ブルックナー先生を彷彿とさせるような音楽を書いたのかしら?


 でも、全体的に、押さえめです。


 叫ばないのです。


 もちろん、多少盛り上がる場所はありますが、でも、あまり、絶叫しないまま、第3楽章まで行きます。なぜ?


 最終楽章は、わりに、開放的な音楽で、そこまでのみっつの楽章を、巧妙に融合させようとしたような気がいたしますが、モザイク的な、つまり、手法的には、シベリウス先生風なやり方に、やや近いかもしれないです。中身はまったく似てないですが。


 あまり、余計な、扇情的なフィナーレには、シュミット先生、興味がないのか、終結も、あっさり着けます。


 このあたりは、やはり、20世紀かな。


 なかなか、聴く機会がまだ少なくて、社会の中でも、こなれていません。


 まだ、これから、の交響曲かもしれない。


 そういう、息の長さが、クラシック音楽のよいところでもありますが、『死んでから誉められるより、やはり、生きてるうちに❗』と、おっしゃった方もありましたような。



・・・・・・・・・・ うつ 💨💨💨 うつ  

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