第977話 『交響曲第3番 『英雄』 大弦楽合奏のための』 ポポーフ
カブリイル・ニコライヴィチ・ポポーフ先生(1904~1972)は、ソヴィエトの作曲家さま。
当初は、ショスタコーヴィチ先生と張り合うくらいの勢いがあったようですが、やはり、ジダーノフ批判にひっかかり、それ以降は、当局の求めるものに沿いながら、作曲したようです。
大阪の1970年の万博のころ、やましんは、ショスタコーヴィチさまの名は知っていましたが、ポポーフさま、は、またく、未知の存在でありました。
ソヴィエト時代の音楽は、社会主義リアリズムに基づかなくてはならず、ショスタコーヴィチ先生も、批判の対象(まあ、ショスタコーヴィチ先生が、第一の狙いだったらしいしとも。)となり、命さえ危ない状態になりましたような。
しかし、このあたりの考え方は、やましんごときの頭では、理解しがたいのです。
結果的に、表題交響曲がたくさん作られ、個人崇拝的なカンタータとか、わかりやすく、楽観的で、民族音楽を積極的に取り入れた、前向きな作品と、当局のだれかから、認められる必要がありましたような。
やましんみたいな、くらあい、悲観的、皮肉的、自滅的なのは、ダメなわけです。
で、この『交響曲第3番』は、ポポーフさまの7つの交響曲のなかでも、一番長いのだそうです。
うーん。やましんには、かなり、『うつうつ』に聴こえます。
そうですね、冬の厳しいロシアの大地から浮かび上がるような。
これは、どちらかと言いますと、新古典主義のような、聴きやすい音楽ではあります。
で、最後第5楽章になって、突然、イケイケ音楽になります。
うむむむ。
なんか、複雑なあ。
そこまでの前半戦と、どう、結び付く?
戦後、西欧各国、アメリカ、日本も、調性のない音楽が主流になってゆき、流行歌や、子供のための歌などは、たぶん、別として(無調の流行歌は、聴いたことないなあ。でも、クラシック分野では、逆にうっかり調性音楽なんか書いたりしたら、激しい批判が来たような時代になりましたような。あ、近年の、ラップは、あれは、何だろう。日本のラップって、お経に近いぞ。)
もっとも、それにも負けずに、調性音楽を書き続けた方もありましたような。
で、つまり、なにが言いたいかというと、芸術音楽において、作曲家、国(独裁的、独裁者)、聴衆、演奏家、マスコミ、取っ組み合いの、わけわからない時代になったわけです。(わかんないじゃないか。)
でも、シュレジンガーのにゃんこさん状態で、外からは見えなかったりもしたみたい。
はこのなかで、何があったのか。
それは、『うつうつ』の範囲外。
ぼくたち、現在のアマチュアの音楽好きは、生き残っている作品には、素直に向き合えば良いのだとは、思います。
しかし、しかし、日本でも、当時、敵国の音楽は禁止だったりしましたような。
むかし、若い時代にカラオケに連れてゆかれ、ちょっと、唱歌とか、多少クラシック的なのを歌ったら、なんとなあく仲間はずれにされた。
それ以来、カラオケは、アニソンにしましたが、これが、もう、宇宙のかなたに行ってしまって、さっぱり分からないよ。🤷
戦時中は、戦争行け行け音楽以外は、検閲でひっかかったとか。
ナチスドイツでは、ユダヤ系の作曲家さまは、この世に居なかったことにされた例が、多数ありましたような。
なあんか、そういう、やましんの頭では解けない、絡まりに絡まった、ややこしい時代が、やましんの生まれる直前まであったのかあ、とか、なんとなく、考えるわけです。
人間て、やはり、残酷な生き物なのかなあ。
今回聴いているCDが、初録音だったらしいです。なんと、2008年の録音らしいです。(Northern Flawers NF/PMA 9972)
・・・・・・・・・・ うつ 😱 うつ ・・・・・・・・・・
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