第870話 『ヴァイオリン協奏曲第3番ニ短調作品58』 ブルッフ
マックス・ブルッフ先生(1838~1920)、みっつめのヴァイオリン協奏曲。1891年の作品。
ブルッフ先生は、長生きしましたので、おかげさまで、山田耕筰先生が教えを請うていますし、けっこう沢山の作品があるのですが、いまひとつ人気が盛り上がらないみたいです。
ご本人が、生前のインタビューで、自分の作品で後世に残るのは、『ヴァイオリン協奏曲第1番』くらいだろうと、いくらか自嘲ぎみなのかもしれませんが、おっしゃいましたそうな。
しかし、こちらの第3番。
40分くらいかかる力作です。
ちょっと、何回か聴かないと、頭の中で分析しにくいかもしれないですが、どうして、どうして、立派な傑作です。
曲の立ち上がりも、いくらか、悲劇的な、しかし、壮大で、ついでに、ちょっと泣かせる旋律を持っております。
切々と歌いながら、訴えてくるところなど、いやあ、どうしましょう、と、思ってしまうのです。
それも、けっこう、あの手この手で訴えてくるのですよ。
なかなか、これは、平気でいられましょうか。
これに比べると、有名な第1番は、やはり、若書きですから、親しみ易いが、奥深さでは、かなり負けるなあ。なんて、思ってしまうのです。
それでも、人気は、圧倒的に第1番にあることは、この先も変わらないとは思います。
人気があるから、深淵とは限らないのは、音楽もそうです。
それでも、人気があるのは、良いことです。
お年寄りの話は、じっくり聞かなければならないのですが、どうしても、みんな忙しいから、聞き切れないのです。
歳をとるということは、話したいことが山ほどたまるということでもありますが、自分からは話したくないこともたくさんあります。
歳をとるというのは、矛盾が溜まるのかも。
なんの、お話でしょうか?
第2楽章は、さらに、深く、ふかあく、沈潜してゆきます。
ブルッフ先生の、ハートの中に、侵入、いや、取り込まれる、イメージですね。
この雰囲気は、若い方には出せない種類のものかなあと。
しかし、ソロの動きは、どうして、なかなか新鮮なのです。
こうした音楽には、やましんみないな、いわゆる雑魚は、ただ、ひたすら、めり込んでゆくのです。
自らのいたらなさを、自らに問いかけさせられてしまうのです。
自分は、なにをしてきたか?
なにも、しなかったのか?
間違いばかりではなかったのか?
それでも、多少、生きた意味はあったのか?
そういう意味では、いささか、辛いところでもあるのです。
第3楽章は、一転して、ラプソディックになり、いくらか、派手目になります。
ちょっと、安心する。
ここは、良いですなあ。
ブルッフ先生らしい、巧みな節回しが健在です。
ソロも、嬉々として駆け回り、そうして、精一杯歌うのです。
協奏曲というよりは、交響曲のような管弦楽の爆発もあります。
スコットランド幻想曲に通じるような、フレーズの、押したり退いたりもあります。
最後は、かっきり、終わらせます。
やましんが聴いているのは、ジゥイムス・エーネスさまのソロによる、録音です。
カナダCBCの、CDであります。
・・・・・・・・・うつ 😭😭 うつ ・・・・・・・・・・
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