第637話 『ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47 1903年、04年オリジナルバージョン』その1 シベリウス
今回、ちょっと、長くなります。
シベリウス先生の代表作のひとつで、20世紀に書かれた『ヴァイオリン協奏曲』の中でも、最高の作品のひとつと目され、実力プラス人気の総合力から言えば、間違いなく、最高の作品であろうと思います。
ショスタコーヴィチ先生も、プロコフィエフ先生も、バルトーク先生も、2曲づつ、傑作を残しましたが、しべ先生の作品が持つ人気には、かなり、及ばないでしょう。
これは、いささか、珍しいことで、あまり、シベリウス先生は、大衆受けする作風ではなく、人気があるのは、交響曲では、圧倒的に第2番。次が、このヴァイオリン協奏曲ときます。(『フィンランディア』や、『悲しきワルツ』あたりは、また、別として。)
しかし、しべ先生の本領から言えば、交響曲なら、第4番から、第7番の、4曲がトップで(やましんは、第6番が一番好きです。)と、それから、第3番が次に来まして、最後が、第1番、それから第2番の順番になり、世評とは、逆になると考えるのが、たぶん、妥当でしょう。
なんて、いってますが、これは、シベリウスファンの口癖みたいなものです。
実際のところ、2番も、1番も、傑出した作品です。
やましんは、実は、全部均等に好きです。
ただ、第4、第5、第6、第7、は、別格。
こらこら、おなじこと、また、いってるじゃないの。
まあ、それは、きりがないので、本題ですが、『ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47』は、通常は、1905年の最終バージョンが使用されます。
しかし、この作品と、『交響曲第5番』、に関しては、しべ先生、完成までに、相当の苦労をなさったようであります。
苦労をした、と、言われましても、どう、苦労をしたのか?
まあ、一般の聴衆は、そこまで、知る必要がないだろう?
と、言えば、それも、そうなんですが、しかし、もし、その一端を知ることができたなら、より、理解が深まるのではないか?
と、またまた、勝手に思います。
さて、この協奏曲は、基本的には民族的ロマンティックな傑作というべきでありましょうけれど、非常に普遍的な視点があり、『シベリウス先生以外には誰にも書けない』音楽であると、考えられてきました。
今日では、個人的好き好きはあれど、20世紀のヴァイオリン協奏曲の最高作品のひとつとしての評価は、ほぼ、定着したと言えそうです。
世界的に人気が高く、その証明は、演奏会で取り上げられる回数、レコーディングの数の多さから、十分可能だと思います。
以前、『交響曲第4番』の項目で、いくつか数字のご紹介をしたことがございます。
しかし、この作品の初演は、かなりの混乱状態を引き起こし、また、あまりよろしくない批評もいただいたようであります。
これは、初演に当たっての、①事務的な手続きの問題。②しべ先生の経済問題。③演奏者の技術的、あるいは練習の問題。④音楽自体の問題。⑤改定の問題
と、いくつかに分けて考える方が、すっきし、しやすいでしょう。
①事務的な手続きの問題
この曲は、本来ヘルシンキ・フィルのコンサート・マスターをしていた、大ヴァイオリニストのブルメスターさまを念頭に置き、その演奏での初演を目標にしていたと、言われております。
まずは、この作品に着手し集中して書いたのは、1903年であります。
そうして、しべ先生は、年内の初演を主張しつつ、一方で、ブルメスターさまに献呈することを表明していたというわけです。
しかし、偉い人は、忙しい。
ブルメスターさんは、この作品についてたいへん賞賛の意を示していた(すっごく、乗り気だった。)けれど、翌年の3月までは、予定が立たない。
そこで・・・・・・
② しべ先生の経済問題。
1894年に、ガッレン=カレラさまが描いた『シポジゥム』は、男性4人がなんだか怪しい雰囲気の中で、話し合ってるんだか、ぼーっとしてるんだか、放心状態なのか・・・・・・いずれにせよ、この人々がなかなか並の人ではないことから、批判が起こったりもしたようです。
登場人物は、絵を描いたご本人、シベリウス先生、カヤヌス先生、それに、机にうつぶせになっている人がいます。これは、オスカル・メリカントさまでありましょうか。
このような感じで、しべ先生は、毎夜のごとく、ヘルシンキの街で、芸術を語りながら、一方で、非常に高級志向だったこともあり、酒代、葉巻代、洋服代。まあ、ずいぶんお金を使ったらしいです。
奥様のアイノさんは、事情は知っていながら、口は出さなかったようです。(ひのまどかさま著『シベリウス アイノラ荘の音楽大使』(1994年 リブリオ出版)
それでも、お金は使ったら払わなくっちゃ。
モーツアルト先生は、支援者からお金を借りても、ほとんど返さなかったらしいですが、時代が違います。
そこで、しべ先生は、お金が絶対的に必要な状態に追い込まれていたと思われます。
そこで、『ひっ迫した経済事情から』1904年の1月までに演奏会を行って、収入を得る必要性があると、ブルメスター様に伝えたうえ、どうしよもないんだと言ったのか、急遽、ヴァイオリニストをブルメスターさまから、ヘルシンキ音楽院の教授であった、ノバチェクさま(1873~1914)に変更します。(『シベリウス』神部智さま著 2017年 音楽之友社)
ところが、肝心の曲が、なかなか完成しない。
オーケストレーションにあたり、非常に苦労していたのだそうでありまして、まあ、こうしたあたりは、作曲家様は大変ですよね。ほんとうに。
『ピアノ伴』の楽譜は、1903年には出来ていたようです。
で、1904年の初めになって、ようやく完成。
その年、2月8日に初演となったのです。
なんで、そこまで行ったんだったら、もうちょっと、なんとかして、ブルメスター先生にやってもらわなかったの?
もう、ノヴァチェクさまに、頼んでしまったから、後戻りできなかったのでしょうなあ。
そこで③です。
この作品、やましんは、第1楽章と第3楽章を、へったくそなフルートではありますが、ピアノ伴奏版で、あくまで音楽教室の身内の発表会において、吹かせていただいたことがあります。(『入場無料』おかまいなし。)
そのさい、ヴァイオリン用の楽譜を使いましたが、これは、おっそろしく難しいだろうなあ。
と、思った訳です。
フルートは、音域狭いし、重音奏法なんてできないので、単純に旋律を追いかけることしかできないのですが、それでも、まあ、ダウンする前の時期でしたから、まだ良かったのですが、そりゃもう、おおごとでしたよ、まったく。
しかも、この1903年1904年版は、現行バージョンよりも、さらに、もっと、難しかったのです。
ほとんど、別の曲と言っても、よい位に、現行版とは、大きな違いがあります。
ノヴァチェクさまは、この、現在でも大変な技巧を要する作品を、1か月か2か月か、程度の練習時間しかないなかで、初演しなければならなくなったわけです。
まだ、誰も全体を聞いていない時期ですしね。
で、早い話し。あまりうまく演奏できなかったらしく、聴衆の反応も、芳しくなかったと、いうわけなのです。
一般の聴衆よりもやっかいなのが、批評家様です。
評論家カール・フロディ-ンさまは、この作品をかなり酷評したらしく、改訂版の作成の決心をさせた大きな要因のひとつらしいです。(『フィンランドの音楽』 オタヴァ出版 1997)
ただ、思いますに、もし、ブルメスター先生が、完璧な演奏を披露したという場合には、どうなったのか?
ちょっと、興味深いです。
さて、そこで、この1903年・04年バージョンの演奏ですが、これは、遺族の方の許可が出なかったことからも、ながく、一般の聴衆には聞くことができませんでした。
ところが、スウェーデンBISレーベルが、(ロバート・フォン・バール社長)シベリウス様の完璧な録音を行い(とにかく、演奏可能なものはすべて録音する!)この世に残すとして動き始めた後、ついに、一回限りの録音が許可されたわけです。
現在も、管弦楽版は、レオニダス・カヴァコスさまがソロを務めたものだけしかありません。
大物ヴァイオリニストさまが、自分もやりたいと申し出て来ているらしいのですが、許可が出ません。
一方、1903・4年版のピアノ伴奏版は、佐藤まどかさまがソロをなさいました録音のみが、一般に公開されております。
で、その中身です。
これが、たいへんです。
やましんは、現行版のミニ・スコアと、ピアノ伴奏のヴァイオリン版の楽譜が手元にあります。
大幅に疲れましたので、この続きは、また次回。
つづく。
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