第597話 『ヴァイオリン協奏曲ニ短調』 シューマン

 この、神秘的な作品につきましては、すでに、どこかに、登場済みかと、思います。


 しかし、それから、様々なことがあり、やましんも、終点に近づいたことは、事実ですし、なにより、初演のライブ録音が登場したという、ちょっと信じがたいこともありましたので、再登場です。


 この曲が出来上がったのは、1853年10月ということで、楽譜は、ヨーゼフ・ヨアヒム先生に送られ、初演の依頼が行われました。


 ヨアヒムさまは、もちろん、ブラームス先生のヴァイオリン協奏曲の初演者になりますが、それは、1879年のことです。


 ところが、なぜか、ヨアヒムさまは、初演しようとしなかったような。


 第3楽章に、問題があると、おっしゃいましたそうな。


 シューマン先生の奥さま、クララさまは、少々、手をいれてよいから、とまで言い、ヨアヒムさまも、やがては、練習を始めたらしいのですが、シューマン先生は、1856年には、すでに亡くなり、結局、そのままに、なってしまったようです。


 なぜ、この、この世のものとは思えないくらいに、美しい、感動的な作品を、ほったらかしてしまったのかは、やましんごときには、分からないのであります。


 もし、ヨアヒム様が、何かの理由で演奏はしなかったにせよ、この世にあって、重要な作品である、と認識していたら、図書館に売ってしまう前に、初演するべく、なんらかの手を打ってしかるべきでありまして、そうした力は、誰よりも、あったはずです。


 それに、ブラームス先生とは、後年に至って、喧嘩していたことが知られており(夫婦喧嘩にブラムス先生が、口を挟んだらしい・・・)、ブラームス先生が、仲直りしようよ、というつもりで、たぶん書いたのが『バイオリンとチェロ為の二重協奏曲』とされます。


 シューマン先生は、ブラームス先生が出世する手助けをしたことから、ブラムス先生には恩人であり、さらに、クララさまに対しては、ブラムス先生が、好意以上の感情を持っていたであろうとは、言われます。(もっと、過激な推察もありますが、省略)


 でも、そこに、ヨアヒム先生が、どうからんでいるのか、あるいは、単に、作品そのものを、評価していなかったのか?


 気にはなるけど、わかりませんです。


 なお、ここらあたりに関しては、奥様のクララさまが、初演しないように言っていたとも、また、図書館に『寄贈!』されるにあたって、100年間は演奏しないようにという条件が付いていたとか、そうした、もしかしたら、いくらか矛盾するかもしれない、いくつかの情報がございますが、やましんには、その確認はできません。


 年月が経てば、変わるところもあり、クララさまは長生きなさったし、詳細は、権威のある学術書などが、あればいいのですが、やましんには読めないし、で、そこらあたりは、あいまいです。



               🐼


 第1楽章の第1主題は、たしかに、ちょっと、しつこいかも、しれないですが、けして、平凡では、ないし、第2主題は、なににも、替えがたい、美しさに溢れた名旋律であります。


 構成も、がっしりしていて、どこにも、破綻したような感じはないです。


 終結部も、なかなか、感動に溢れる良い音楽です。震えそうなくらい、良くできてます。


 ヨアヒムさまから、問題があると指摘されたらしい、第3楽章は、テクニック的なことはわからないですが、いやいや、大変な傑作であります。


 けれど、ヨアヒム先生も、1907年に亡くなり、楽譜は、プロイセン国立図書館に、『売却?』されたそうです。


 そうして、月日は流れ流れて、1933年、ヨアヒム先生の甥の娘さん、あの、ダラニさまが、降霊術をしたとき、シューマン先生が現れ、演奏を依頼したらしいのです。


 このあたりのできごとの、詳細は、もちろん、わかりません。


 ダラニさまが、楽譜の存在を、あらかじめ、知っていたのかどうか?


 わからないです。


 知りうる、立場だったかも、しれないですが、だれにも、わからないです。


 いずれにしても、図書館長の、シューネマンさまの手で、校訂され、出版となりましたそうです。


 初演は、当然、ダラニさまによる、はずでしたが、それに、まったをかけたのが、ナチスだったそうであります。


 ダラニ先生は、ハンガリーうまれで、初演は、ドイツ人が行うべきだと、いうわけです。


 さらに、メニューヒン先生が、先に演奏しようとしたらしいですが、これまた、うまく行かなかったらしいです。


 結局、クーレンカンプ先生が名指しされ、1937年11月26日に、まだまだ、若きカール・ベーム先生の指揮で、初演となりましたそうです。(このあたり、詳細は『クラシック名曲初演&初録音辞典』(平林直哉さま著)を、さらに、CDの解説などを、どうぞ。ベーム先生は、最晩年に訪日し、大変尊敬されました。やましんも、一生懸命、ラジオやテレビを見たり聞いたりしました。ベーム先生は、その以前、オケの練習で、『日本人にブルックナーがわかるわけない』とおっしゃり、日本人楽員を、練習から追い出した、とかのお話もありますが、来日して、あまりに純粋に音楽に感動するので、びっくりもしたらしいとか。聴衆から腕時計贈られて(時計が趣味だったとか)喜んでいた、とかもどこかで読んだような。)


 さて、その演奏のもようは、世界に向けて放送されたようです。


 当時のこと、おそらく、短波放送でありましょう。 


 短波放送は、上空で反射されるので、遠方にまで届く利点がありますが、受信が不安定になりやすく、音質も、期待は出来ません。


 そうそう、まったく関係ないですが、シベリウス先生は、国から贈られた、豪華マルチバンド受信機(フィリップス製だったらしい・・・現在もアイノラ荘に残っているようです。)を聞くのがお好きでした、とのことで、これも、聞いていたのかなあ、と思ったりいたします。


 いっぽう、クーレンカンプさまは、1937年に、ハンス・シュミット=イッセルシュテットさまの指揮で、レコーディングしておりまして、これが、現在まで、聞きつがれています。


 いくらか、線の細い、クーレンカンプ先生の音が、シューマン先生には、ぴったし、合うようなかんじがしまして、音は古いですが、良い演奏だと、思います。


 で、この、初演のライブのCDが、PODIUMから、出てきて、びっくりしたわけです。(POL-1053)


 当時、シューマン先生のご遺族は、本人が承諾していないとして、初演には反対なさったことは、重要でしょうから、書き加えます。


 また、クーレンカンプさまの演奏したバージョンは、かなり、原典に手を加えていると、メニューヒン先生は、おっしゃっていたとのことです。


 やましん、楽譜がないので、わかりませんが、聞いた感じでは、いささか、はしょってる気はいたします。


 初演の録音と言われる、このCDですが、音は、悪くないです。


 ただし、これは、当時のものとしては、でありまして、私の奥さまなども、よく、こんな音が聴けるものよね❗と、言っております。


 つまり、このあたりは、こうした、歴史的録音に多少慣れている必要がありまして、一般的には、あまり、お薦めできないわけです。


 それよりは、新しい、良い録音を聞いていただくべきだと思います。


 マニアにとっては、少々、音が悪かろうと、シューマン先生のヴァイオリン協奏曲の、初演の録音となると、ほっては置けないわけです。


        🎻


 さて、ときに、この協奏曲、現在も、必ずしも、人気作品とまでは、言えないかもしれません。


 でも、やましんには、この世の、絶品のひとつだと思われます。


 第2楽章の、はてしなく、夢の中でさまようような、とても、やましんには、表現しがたい旋律は、涙なくして、聞けないです。

 


 ライン川に、投身自殺未遂のあと、病室で、悪魔から聞かされた、とか、言いながら、シューマン先生が書いて見せた旋律は、これだったらしいです。


 また、第2楽章から、第3楽章に、移り変わるところあたりは、大変に、感動的です。


 この、瞬間の、『間』は、限りなく、尊いです。


 天国にまで通じる、穴のような気がいたします。


 ヨアヒム先生、なにが、気に入らなかったか、ほかに、何かが、あったのか? 気になりますね。




・・・・・・・・うつ  🌃✨ うつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 

 

 

  


 

 



 


 



 

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