第380話 『歳末特集 《ニーベルングの指輪》 楽劇「神々の黄昏」 』 ワーグナー  

 いよいよ、このなが~~~~~~~~~~~~~~~~い 「楽劇」も、最終章となります。


 しかし、これがまた、とにかく長い。


 永遠に終わらないのではないか?


 くらいに、長い。


 ワーグナー先生にとて、この、とてつもなく、長いということは、おそらく非常に大きな意義があったに違いないだろうな。


 長大なもの、巨大なもの、豪華なもの、派手なもの、・・・・・


 こうしたものは、多くの人、各権力者、金持ち、民衆に、大いにアピールするわけけです。


 織田信長様の、幻の「安土城」も、そうした意図はあったとおもいます。


 ただ、「安土城」は、わりとすぐに「廃城」にされたらしい。


 このあたりの、戦国時代のお城に関する日本人の感覚は、江戸時代とも、現代とも、違うようです。


 ワーグナーさんは、音楽で、永遠といいたいくらいの、巨大なお城を築いたわけですか。


 これが、少し後の時代、独裁者Hと、バイロイトが結び付くことにより、いささか危ないイメージを残してしまいました。


 しかし、演出家のみなさまは、こうした歴史上の事実も踏まえながら、びっくらするようなことを、行うことがあります。


 たとえば、宇宙船が出て来たリ、コンピューターが登場したり、ナチスの意味をあらわす服装の人々が出て来たリ。


 さらりまんの、ネクタイ姿だったりも、あった。


 音楽は同じなのに、衣装や舞台をパラレルワールドに置換することで、音楽自体が語らない意味を与えるのです。


 とうぜん、議論が沸き上がったりもする。


 しかし、ワーグナーさんの子孫が、ナチスと関わったことは、事実のようですし、時代はそのように要求していたろうし、これは、日本もまたそうでありましょう。


 第2次大戦中のことで、国民がまだ知らない事実は、たぶん、いっぱいあるのでしょうけれど、戦った双方に、そこを利用したような、民衆を支配するためなどに、事実じゃない事実が、もしあるとしたら、それもまた問題のように思います。


 歌劇(楽劇でも)の演出は、そうした疑問などを、ぶっつけてくることがある訳です。


 さて、最終の『神々の黄昏』には、これまで、出てきていないキャラクターが、どかっと出て来ます。


 アリベリヒが人(グリムヒルト・・・ギービヒ家の兄妹の母)に、産ませた子供、ハーゲン。


 この、最終話では、準主役級。


 悪役と言えば悪役だけれど、悪役たるように運命づけられた、ちょっと、気の毒な役どころ。


 ギービヒ家の、グンターと、グートルーネ兄妹。


 エルダの娘、三人のノルンたち。


 ハーゲンに『忘れ薬』(なんていうものが、突如現れるのも、まあ、おとぎ話しならではか・・・)を飲ませれ、過去の記憶がなくなったジークフリートは、グートルーネと婚約。


 一方、ブリュンヒリデは、むりやり、グンターの奥さん候補に。


 なんで、彼女にはお薬を使わないのか?


 在庫切れかな?


 まあ、悪気もなく、グートルーネとの婚約を発表し、なにもしらないブリュンヒルデは、激怒します。


 さて、指輪はだれが持っているのでしょう?


 ジークフリートから、ブリュンヒルデに、愛の誓いとして、名馬グラーネと交換されていたのです。


 怒りに燃えるブリュンヒルデは、ジークフリートの弱点をハーゲンに教えてしまうのです。


 さて、どうなるのでありましょうか・・・・・・・・・・・


 最後まで、指輪への執念を失わない、ハーゲン。


 ヴォータンは、入手して、もう、ラインの乙女達に返してやろう、と考えています。


 そうして、ついに、惨劇が巻き起こるのだあ。




             ⚡ 🕷 ⚡



 というわけで、ここで、おしまい。


 あとは、聞いて見て、みてくださいね。


 この『神々の黄昏』には、聞きどころが多くあります!


 『指輪』自体が、あまりに長すぎて、ハイライト盤にしようとすると、ほどんど、うまく『はいらないと』。(そりゃまあ、CD14枚はかかるのを、1~2枚に収めるのは、どだい、無理といふものですな。)


  そこで、ロリン・マゼール様のように、管弦楽だけの編曲版をみずから作ってしまた方もあります。


 そのラスト。


 最後は、いやあ、音楽は、すっごいです。


 『ブリュンヒルデの自己犠牲』


 と、呼ばれる全体です。


 そのまえの、『ジークフリートの葬送』の音楽も、すごい。


 これは、あまり、ワーグナーさんには、お近づきになりたくない、やましんも、すっごいと思う。


 非常に感動的な音楽です。


 それに、なんだか、若い頃に、VHSビデオで深夜までかかって見ていた時代が、なんだか、なつかしい。


  

 ときに、ワーグナーさんの作品は、巨大な影響を周辺に与えたのですが、反ワーグナー派というよな方々も、それなりに大きな勢力がありました。


 代表格が、ブラームス先生です。


 そうして、ブルックナー先生や、弟子のマーラー先生は、ワーグナーさんサイドでありましょうけれど、辛口評論家、ハンスリック様は、ワーグナーさんが嫌いで、ブルックナー先生を、つねに批判していました。


 北欧でも、ワーグナーさん支持者は多かったようですが、シベリウス先生は、最初はワーグナーさんに魅かれてもいたようですが、(なんせ、先生のヴェゲリウス様は、熱烈なワグナー支持者。)実際上演などを見て、ブラームス先生のような音楽を支持する方向に向きました。


 ヴェゲリウス先生は、そこで、反対陣営の、ロベルト・フックス先生に、教え子を託す判断をしたようです。(ふとっぱら~~~~!!!と、言われる。フックス先生は、この弟子ほど、現在一般には、作曲家としては有名じゃないけど、CDもあります。なかなか良い音楽を書く方。)


 マーラー先生の交響曲と、シべリウス先生の交響曲が目指す方向は、正反対のように見えます。


 しかし、最近は、巨大なものと微小なものは、実は、同じ基礎があるんだという方向に、宇宙の研究では進んでいるようで、いよいよ、巨大と微小の軋轢が、解消されて行く機運が見られるかあ!


 なんて、思うのは、社会的には、結局は的外れかな。


 弱肉強食は、かあらない、か。


 ときに、しべ先生は、意外にも、ブルックナー先生の音楽は、高く評価していたきらいがあります。


 ワーグナーさんは、多くの、種をまき、巨大な収穫を挙げましたが、それを、どう考え、どう受け止めてゆくか。


 そこんところは、まだまだ、ずっと、続くのでありましょう。


 やましん、ようは、どう、考えたって、いいじゃない。


 自分が、直に、感じて見ることが重要なんですな。


 きらいなものは、きらいでもよいじゃないですか。


 

 強制される理由はないのだあ!、ということだけは、守ってほしいな。


 と、思うのです。


             ひや~~~~、ぐったり。おしまい!




 ******** 歳  うつ  ⚔  うつ 末 ********




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