第198話 『ノヴェレッテ 作品53・58』 ガーゼ

 ニルス・ウイルヘルム・ガーゼ(ガーデ)先生(1817~1890)は、ニルセン先生以前の、デンマーク最大の作曲家さんであります。


 お生まれになったころは、まだ写真も録音もない、つまり絵画や文学以外では、直接見たり聞いたりはできない時代で(宇宙人様とか地底人様とか、あるいは隔絶した天才様など、もし映像や音声記録を持っている方がいらっしゃいましたら御免なさい。=決まり文句です。)あります。


 写真技術は、その後間もなく、1825年から発展していったようでありますが、なかなか今のようにバンバンどこでも撮影できるというところにはゆかなかったでありましょう。現像なんて大変なことも(いまでもアナログ写真はそうですが)しなきゃあ、何が映ってるかわからないですし。(もちろん、後年のガーゼ先生のお写真は残っております。)


 ガーゼ先生の活躍は、こうした、まだまだ伝説の時代から始まります。


 先生は、ライプチッヒで、メンデルスゾーン先生の補佐として活躍します。


 あの超有名な『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』初演の指揮をしたのが、ガーゼ先生でした。(1845年3月13日)


 その後、戦争もあって、帰国し、北欧地域の音楽の発展に大きな功績を遺したというわけです。

 

 有名どころは、作品番号1番『オシアンの余韻』


 それから、カンタータ『妖精王の娘』


 という、初期の作品が早くから有名でした。


 『カンタータ』は、ガーゼ先生の得意分野で、生涯に渡って、かなりたくさん書いたようですが、後年に行くほど、マンネリ化が進んだとも言われておりました。


 しかし、聞きもせずに文句言うのは、作曲家さんに一番失礼にあたるとは思いますが、そうは言っても、ガーゼ先生のカンタータを、日本でばんばん上演してもらえるとは行きませんしなあ・・・・と、昔は愚痴っていたものですが、最近は、CDというありがた~~いものが普及した事に伴い、ガーゼ先生の8曲ある交響曲は全部聞くことが出来ますし、カンタータもいくつか聞くことが可能です。


 『交響曲』は、明らかに、メンデルスゾーン先生の影響が大きく、最後まで、その線を守った(乗り超えなかった・・・・)ので、ちょっと残念と言えば残念かもしれないですが、ま、そこがガーゼ先生の個性だからと言えば、それもまたそうでしょう。


 そこで、この2曲の弦楽合奏の作品ですが、これは、例のチャイコフスキー先生やドヴォルザーク先生の『弦楽セレナーデ』と同じ範疇にある作品と考えて良いと思います。


 特に、作品53の方が、たいへん親しみやすい、名旋律に溢れた傑作です。


 この分野の作品は、ニルセン先生も書いていますが、北欧だけでなくて、聞いておりますと、わりと欧州地域全般に、どことなく共通する語法が多いことが感じられる、なかなか興味深い分野です。


 むかし、この分野の作品ばかり、ずらりと集めたLPレコードのシリーズが輸入盤で出ていたことがありまして、どれも焼き物のお人形などがジャケットの写真に使われていて、いっしょけんめい、これを集めていた方もあったようですが(ま、やましんも、可能な限り集めましたが。。。)『わりと音楽的に同質的な感じがするよなあ』、と、神戸の輸入レコード店のご主人と話し合ったことがあります。震災のちょっと前のことです。


 作品53は、1875年に初演、一方作品58は、ガーゼ先生の死後1892年に初演されたようであります。


 ノルウェーのグリーグ先生に、世間に出るにあたって、『まず交響曲を書いて見給え』と助言したのは、だしか、ガーゼ先生だったような・・・・うろ覚えです。



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