第22話 新人企画マンはお金がないⅢ

 麒麟は父との舌戦を終え、学校側への報告や給与計算などを終わらせあと急いで遼太郎の自宅に走っていたが既に日は傾いていた。


「確かこの辺りに……メゾン皇帝ペンギン……ってここかな」


 麒麟が見上げるとそこにはもう築何年だよと言いたくなる、それはもうオンボ……風情のある二階建てのアパートが建っていた。

 外にある階段は錆びて赤茶けており、ブーツで踏みしめるとメキメキと嫌な音が鳴る。

 登ってみるとヒールがべキッと音をたて、錆びた階段に穴をあける。


「う、うわぁ……」


 カラスが屋根の上でギャーギャーと鳴き声を上げ、隣家からよくわからない怒声が聞こえる。

 大丈夫かここ、人が住める環境なのかと不安になる。

 二階にある平山と書かれた部屋をノックするが中からの反応はない。

 まさか中で倒れているのでは? そう思いドアノブをガチャガチャするが開かない。


「平山さん、真田です大丈夫ですか?」


 声をかけても反応がない。これはまずい、伝家の宝刀回し蹴りで扉をぶち破らなくてはならないかもしれない。

 だが、その心配はなかったようでアパートの下から犬がワンワンと吠える。

 麒麟が下を向くと、そこには犬を連れたマスクにマフラーをまいた遼太郎の姿があった。


「平山さん、何してるんですか!?」

「あっ……」


 しまった、まずいところを見られたなと遼太郎は頬をかく。

 遼太郎は犬を外の犬小屋につなぐと、二階へと上る。


「どうしたんですか? 開発の方はいいんですか?」

「そんなことより、風邪は大丈夫なんですか!?」

「昼すぎたくらいにはだいぶ良くなったので、今はもう大丈夫ですよ」


 外にいるのもなんなのでと遼太郎は鍵をあけて部屋へと導く。


「す、すみませんお邪魔します」


 やはり外観と内装は大してかわらず、しみだらけで剥がれかけた壁紙に、きしむ床。一体何年使ってるんだと言いたくなるガスコンロに痛んだ畳。大丈夫かと言いたくなる内装に麒麟は不安になる。


「あの、大丈夫ですかここ?」

「ああ、大丈夫ですよ。多分いきなり腐って落ちることはないと思います」

「そ、そこまでの心配はしてなかったんですけど」


 多分というところがまた恐ろしい。

 畳敷きのワンルームには布団が敷かれているが、それ以外に物は少なく、あるのは仏壇とゲーム機とモニター、それにゲーム開発のことが書かれた書物くらいのものである。


「大丈夫ですか?」

「ええ、多分明日には出社できると思いますよ」


 そう言ってヤカンに火をかけ始める遼太郎。


「ちょ、ちょ何やってるんですか!?」

「えっ、お茶でもと……お茶嫌いでした?」

「そうじゃなくて寝ててください! 寒いんですから! 私なんか狸の置物程度に思っておいてください!」

「いや、でも」

「いいですから!」


 麒麟は遼太郎の背を押して、無理やり布団に押し込む。


「私がやりますから」


 お茶の葉を急須に入れ、かわりにお茶を入れる。


「すみません、急に休んだりして。まさか真田さんが来るとは思ってなかったので」

「いえ、大丈夫です。外の犬は平山さんが飼われてるんですか?」

「いえ、元はここの住人だった方のペットなんですが、昨年亡くなられたので手の空いたものが順次見るというのが暗黙の了解となってまして。最近世話を出来なかったものですから」

「そうですか、お優しいんですね」

「そんなことはないですよ。好きでやってることですから」

「仕事もですか?」

「えっ?」


 気づけば麒麟は正座して遼太郎の間近まで迫っていた。


「お仕事も好きだからでやってたんですか?」

「それはまぁ、そうですね」

「無休、無給で」

「…………」

「すみません、今から私逆ギレしますけど、言ってください。あなたがインターン生であることずっと知りませんでした。私はもうてっきりあなたは社員だと思っていて、時間外労働も会社に泊まることも全て黙認してきましたし、迷惑をかけているなと思っていました。ですがそれは給料が出ている社員に対して思うことであり、給料の出ていない人を開発の中心に組み込むなんて本来こんなことは絶対にあってはならないんです」

「……はい」

「会社で働く人は当然給料が出るから苦しい会社で働き、そこに利害の一致があるからこそ雇用関係が産まれるんです。ですがそのどちらか、いえ社員が働かない分にはまだマシです。世の中そんな社員抱えている会社山ほどあるでしょう。しかしですね、会社が給料が支払っていないというのは法的にも世間的にも非常に良くないことくらいわかりますよね? 会社側が無給で一方的に平山さんを働かせれば当然労基が動きます。労基が動いたことが世間にバレれば会社の大きなイメージダウンにつながり、これからの雇用や協力会社などの取引にも大きく影響します。あの会社は学生を無給で働かせて利益をあげているのだと」

「決してそんなつもりは……」

「はい、私はあなたの人柄を見てそんな邪な考えがある人ではなく、ただの面倒見のよいお人よしのゲームバカでしかないとわかっています。私はそんな人を気づかず社員と同じように使い続けていた自分が許せないんです。給料が出てない人には責任が発生しません、ボランティアと同じです。あなたがこの局面で逃げ出したとしても誰も非難することができません。たとえあなたが今逃げだしたとしも、逃げたことに納得するでしょう。こんな大変なことを給料無しでやるなんて馬鹿げています」

「ですが僕は直に現場の技術を学ばせていただけるだけで……」

「なんですか二宮金治なんですかあなたは。開発を遠巻きに見て勉強している程度ならそれでも構いません。ですがあなたはもう立派に第三開発室の主要メンバーとなっているのです。それを勉強が報酬です、なんてものではすませられないんです。わかってますか?」

「はい、すみません」


 しょぼんとしてしまった遼太郎に小さく息を吐く。それは遼太郎に対してのものではなく自身に対してだった。なぜこうも言い方がきついのか。これでは本当に逆ギレして追い詰めているだけではないか。

 麒麟は持参したバックの中から分厚い封筒を取り出し遼太郎に手渡す。


「あの、これは?」

「給料です。あなたの学校とバトルしてなんとか時間を遡っての正規雇用を認めさせようとしたのですが、なかなか折れなくて途中裁判沙汰まで発展しそうでした」

「えっ……」


 さらっと恐ろしいことを言う麒麟に目を丸くする遼太郎だった。


「すみません、最後まで折れてはくれなかったのでこの期間中はアルバイト扱いとしての雇用形態にしかできませんでした」


 麒麟は両手をついて遼太郎に頭を下げた。


「いや、頭を上げて下さい! 僕みたいなものにそんな! それに金額が多すぎますよ」

「多くありません。第四開発にいた時の三カ月と、第三に移ってからの三カ月分で基本労働時間分と、当社で決められている限界残業時間までの残業代しか出すことが出来ませんでした。休日出勤分とその他夜勤手当等は入っていません。私の力不足です。平山さんがこれに不服であるなら労働組合の方にかけあってもらい、そこからしかるべき手順を踏んでいただければ時間はかかりますが勤怠表通りの給料が」

「いえいえ、そんなこんなに渡されて驚いてますし。正直十分なくらいです」


 しかし遼太郎は目を伏せ、封筒をゆっくりと麒麟に戻す。


「すみません、ですがやはり僕は学生の身です。それに僕自身にもインターン生であると言わなかったことに原因があります。ですのでこのお金は……」

「受け取らないとか言ったらぶっ殺しますよ」

「…………」


 遼太郎は一部の隙も無い切れ長の瞳にやばい本気でやる目だと気づき冷や汗をかく。


「労働には対価が必要なんです。受け取ってください。いえ、受け取る義務があります」

「す、すみません」

「謝ることは何もありません。全てはこちらの不手際が招いたことで、体調を壊すほど酷使した私に原因があります。すみません」


 麒麟はもう一度両手を畳につけて深々と頭を下げる。


「いや、もうほんとやめてください、お願いします」


 遼太郎も慌てて頭を下げ、両方で土下座合戦となっていた。


「すみません、とりあえず暫定的ではありますが、これから先も学校側とは交渉は続けていきますが、卒業するまではバイト扱いということになってしまいます。不安定な雇用形態になってしまいますが、どうか第三開発にお力添え下さい」

「いえ、こちらこそ」


 二人でもう一度頭を下げ合う。

 そして両者で目と目が合う。なんだかその光景がよくわからなくて笑いがこみあげてきてしまう。

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