第20話 新人企画マンはお金がない

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございまーす」


 大型パッチ公開まであと数日の朝、最後の追い込みで開発室はデバック中に発覚したバグの修正、バランス調整にあけくれていた。

 出社してきた麒麟はとある違和感に気づく。いつも自分より先にいるはずの人物が今日はいないのである。


「あれ? 今日平山さんどうしました?」

「あー平山ちゃん明け方具合悪いですって言って帰りましたよ」


 会社に泊まり込んでいたらしい高畑が眠そうな目をこすりながら朝食をデスクでとっていた。


「えっ、さっき帰ったんですか?」

「なに言ってんですか、いつものことですよ」

「そ、そうですか」


 その時電話が鳴り、岩城が受話器をとって話をすると通話はすぐに切れた。


「平山氏やはり風邪のようでゴザル。熱が出ているので今日は休むと」

「ふん、この土壇場で風邪をひくなんて根性がたるんどるだけだ」

「矢島さん厳しいっす」

「まぁ後はほとんど部署の関係ない仕上げでゴザルから平山氏一人いなくても大丈夫でゴザルよ」

「そうですね……」


 そう気のない返事を返した麒麟だったが、不意に今まで彼の管理って誰がしてんだと不安になる。


「あの、平山さんの勤怠表ってどこが持ってるか知りませんか?」

「あの素人多分自分でつけてますよ。確か奴の共有ファイルに勤怠って表計算のファイルが」

「えっ、なんで彼が自分でつけてるんですか?」

「姫何を言ってるでゴザルか、ウチはタイムカードじゃなくて退社時に記入方式ですから、自前で記入するでゴザルよ」

「そうじゃなくて記入するのは自分ですが、勤怠の原本を自分で持ってるのはおかしいでしょう。自分で持ってたら総務が給与計算できないじゃないですか」

「それは確かに」


 全員に疑問符が浮かぶ。

 そんな時内線が響き、姉の玲音から第一に顔を出せと連絡が入る。

 どうやら先日のトラブルで連絡を取った時の話のようだ。そのことについては既に雪奈がヘルプに来てくれたことで解決済みなのだが、玲音に話すのを忘れていたのだった。


「すみません、少し第一行ってきます」

「了解でゴザル」


 第一開発室のフロアは第二、第三と違い少し離れた階にあり、他と違い独特な雰囲気が漂っていた。

 軍隊のように規則正しく第一開発のメンバーが働いている様子を見て、常々麒麟は首をひねっていた


「忙しいのに落ち着ている。どうやったらこんな動きになるんだろ……」


 そう思いながら、恐らく社長室より豪華な造りをしている第一開発室長室と書かれた真田玲音の勤務室へと入る。

 中には氷のように冷たい瞳をした麒麟の姉、玲音の姿があった。

 深紅のネクタイに、金のチェーン装飾、左目には鎖付きの眼帯と我が姉ながらどこぞの秘密結社の女幹部のようにしか見えない風貌である。

 性格は物静かで一番落ち着いている真田家の長女であるが、その実、権力は恐らく社長を凌ぐであろうと囁かれる人物で、美しい容姿と共に圧倒的なカリスマ、実力を兼ね備えた第一開発室無敵のリーダーであった。


「来ました玲音さん」

「ああ、すまない少し待て」


 玲音は難しい表情でPCを操作すると、しばらくして麒麟と向き合う。


「大丈夫だ」

「一息つけそうですか?」

「ああ」


 麒麟は部屋の中にあるコーヒーメーカーを使いコーヒーを入れると姉に手渡す。


「すまないな」

「いいですよ。玲音さんが一番忙しいですから」

「二人だけだ、くだけても構わないぞ」


 開発の指揮だけでなく、海外へ出張しヨーロッパ、アジア、北米圏のサーバーの管理、海外部署の人材管理、ハードメーカーとの交渉、ゲームメーカーとの打ち合わせ、新たな開発環境の構築など、彼女一人でまかなっていることは非常に多い。

 それもそのはず社長である父はゲームには疎く、ほとんどゲーム産業の方は玲音に任せっきりで自身は通信事業の方に足をのばしているからだった。


「もう少し作業の分業はできないんですか?」

「私が行くのが一番早い」

「でしょうけど、姉さんが体壊すと代用がききませんよ」

「少しずつ桃火には仕事をおろしている。あいつは嫌そうな顔をしているがな」

「桃火姉さんが手伝うには言語の勉強から始まりますよ」

「大丈夫だ、あいつは賢いから自身の進む先に必要とわかれば勝手に身に着けるさ」

「そういうものですか」

「ああ……甘いなこれ。お前甘党になったのか?」

 

 玲音は麒麟の入れたコーヒーの味がかわったことに一瞬で気づく。


「いえ、ウチに甘いのが好きな人が入ってきたので」

「そうか。すまなかったな連絡に気づかなくて」

「あの時姉さんロシアにいるって聞きましたから。すみません、ヘルプを頼もうと思って連絡したんです」

「お前が私を頼るなんて珍しい」

「切羽詰まってたもので。でもウチの新人さんのおかげでなんとかなりました。ロシアはどうでした? 姉さんの産まれ故郷ですよね?」


 玲音は桃火と麒麟とは違い、異母姉妹である。ロシア人女性とのハーフであり、産まれはロシアの地であった。


「特に感慨もなかったさ。私が日本に来たのは六歳の時だしな。もうこちらでの生活の方がずっと長い」

「確かにそうですね。それでロシアなんて遠いところで何をしに行ってたんですか?」

「新しいサーバー置き場を探していたんだ」

「やはり日本だとまずいですか?」

「日本にはホットスタンバイを用意しているが、やはり稼働機は海外がいい。日本のインフラはクラッカー達に狙われ過ぎている。土地も狭いせいで特定もされやすいしな」

「ほんと、人の迷惑にしかならないことする人ってなんなんでしょうね」

「多かれ少なかれ、企業はどこでもそう言った人間には狙われている。ゲームなんて特にその分野が多いだろう。ただゲームはほとんどの理由が遊びや己の技術を試したいという幼稚な理由だからまだ助かっている。これに宗教や思想が関与している分野はタチが悪いぞ。相手はそれを聖戦のように感じながらF5キーを連打してるわけだからな」

「今時DDOS攻撃なんて、って思いましたが過重負荷が一番単純で脅威なんですよね。ワンボタンで更新処理を1億回するプログラムなんてものもありますしね」

「今時どこもオンラインは止められない上に、素人の知識が上がってきている。その程度ならもはや誰でも作れるレベルになってるのが問題だ」

「そうですね。通信に関係しているところの宿命ってやつですか」

「ああ、バカに刃物ではなくバカにPCの方が今はよっぽど恐ろしい」


 玲音はコーヒーをずずっと飲み干す。


「話はこれくらいですか?」

「いや、そのことではなくお前のところに平山遼太郎という第四から入った男がいるだろう」

「ええ、彼のおかげで今一丸となって開発を進めてますよ。さっきの話も……」

「あの男を使うのはやめろ」

「えっ?」


 玲音の私室を出た麒麟は足取りがおぼつかない様子でふらふらと幽霊のように第三開発室へと戻っていた。

 姉から言われ衝撃的な事実が発覚したのだ。


「なんでですか姉さん! 彼はよくやってくれています。経験が少ないながらも立派にプランナーの仕事をまっとうして!」

「違う、私が言っているのは個人のスキルの話ではない。ただ単純にあいつは社員じゃないから、あんまり使いすぎると労基がでてくるぞという話だ」

「……はっ? 社員じゃない……えっ、もしかして平山さんって派遣だったんですか?」

「違う」

「えっ、じゃあもしかしてバイト?」

「違う、あいつはただのインターンシップの学生だ」

「……はっ? インターンってあれですよね? 学生が社会見学とかで実際に会社で何か月か働く」

「そうだ。前々から気にはなっていたんだ。こいつら無給の学生をよく開発の中枢に置いたなと」

「む、きゅ、う?」

「そうだ、インターン生だからあいつ給料でてないぞ。今までずっとタダ働きしてる」

「えっ、嘘でしょ。学校とか今まで何にも聞いてないんですけど」

「奴の学校は前桃火が通っていたところと同じの、文系の学部だ。あそこは本来四年制だから、今平山は三年だ」

「えっ、もうずっと学校に帰ってないんですけど、単位とか大丈夫なもんなんですか?」

「一応出社しているときは学校も出席扱いになってる。ただ何度か帰校しなければいけなかった時があるみたいだが、それは全部出ずに出社してるみたいだな」


 麒麟は口をあんぐりとあけて、目玉は真っ黒になりハニワのような顔をしていた。


「麒麟、女があまり面白い顔をするな」

「え、えええええええええ!!! 待って、私ずっと社員だと思ってたから泊まってるのとか何にも言いませんでしたよ!」

「お前の監督不行き届きだな」

「嘘でしょ……」

「あと気づいていないようだから話しておくが、こいつ親が二年前に亡くなって今一人暮らしだ。インターンの面接のときに、アルバイトで生計をたてていますと言っているが、大丈夫なんだろうな」


 玲音の鋭い視線が麒麟に飛ぶ。


「か、確認します」


 麒麟は慌てて踵を返そうとした瞬間、後ろから低い声がかかる。


「麒麟、私は別にこいつがどうなろうが知った事ではないが、この会社をブラック企業にした覚えはないからな」

「は、はい!」

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