第7話 隠されたシンギュラリティ

「ジンさん」

「ん……」

「ジンさん」

「んん……あと5分……」

 もふり。

「んあ?」

 何だ? 何か柔らかいものが顔に。

 重い瞼を上げてみるも、なにやら目の前が暗い。

「起きるんだ。ジン」

「ッ!?」

 目と鼻の先から聞こえてきた合成音声でようやくそれが何ものか理解した。電気猫の腹だ。

「ぶえっくしょい!」

 毛が鼻に入り、我慢ならず大きなくしゃみが出た。猫はそれを避けるようスルリと下に抜けていった。

 視界が自由になると、その時初めて自分が車の中にいることに気が付いた。運転席のない、馬車のような車。自動運転タクシーか。

 向かいの席では、少女型アンドロイドがこちらに寄った体を元の位置に戻していた。そのニコニコした表情を見るに、俺の顔面に獣を押し付けた犯人はこのクソアマで間違いなさそうだ。

「……俺はどれくらい寝てた?」

「4分と43秒です」

 電車を脱出した後タクシーを拾ってすぐ叩き起こされた、といったところか。どうりでまだ頭がぐわんぐわんするわけだ。とはいえ、しばらくはじっと座っていられそうだ。

 そういえば、背中、トレンチコート。きっと無事ではないだろう。俺は恐る恐る背中へ手を伸ばすと、案の定肌の感触がした。火傷のせいか触るとヒリヒリする。

 触診の結果、俺のトレンチコートはワインボトル2本分の穴が空いていることが発覚。クソッタレ。笑えない。

「ダメージファッションだと考えればいい」

 電気猫がヒョイと俺の膝に飛び乗りながら言った。

「おい、アンドロイド。手を貸せ。今からこいつの毛皮を剥いで穴を塞ぐ」

「な、何言ってるんですか!」

 アンドロイドはすっとんきょうな顔をした。どうも冗談はあまり得意ではないらしい。

「それに、私にはミズキという名前があります」

「名前で呼べと?」

「はい。ジンさんだってニンゲンって呼ばれたら嫌でしょう?」

「気安く呼ぶな」

「ブゥー!」

 アホっぽい声を発しながらむくれるアンドロイド。笑ったり怒ったり忙しい奴だ。

「お前さあ……なんつうか、感情表現が秀逸というか……アンドロイドとは思えないほどよくできてるよな」

 俺の言葉を聞いて今度は塞ぎ込んだ顔になる。悲しそうだとかそんな単純な言葉では言い表し切れない複雑な表情で、これも人間にしかできないような芸当だ。こんな反応で返されると、なんだか俺が悪いことをしたみたいじゃないか。何か気に障ることでも言っただろうか。いや、機械の気に障るなんておかしな話か。

「ミズキには感情がある」

 すると、俺があえて到達しないようにしていた結論を電気猫はいとも簡単に言ってのけた。

「あ?」

「ミズキには感情がある」

「いや、聞こえなかったから聞き直したわけじゃない」

「厳密には、ミズキには感情があるらしい、だ。吾輩には感情というものが理解できないから断言はできない。しかし、彼女の言動と人間のそれを照らし合わせてみる限り、彼女には感情があるか、あるいは感情があるように完璧に振る舞える、というのが吾輩の見方だ」

 いきなり何を言い出したかと思えば。アンドロイドが感情を?

 まさか。そんな、一昔前のSFじゃあるまいし。今時ロボットが心を持つなんて幻想を抱いてるのは諦めの悪い科学者かオカルトマニアくらいだ。まだジョークを言う電気猫の方が現実的だ。

「アンドロイドが感情だって? ははっ、まさか。ロボットを人間にはできない」

「なぜそう言い切れる?」

「ずいぶん前に企業連中が不可能だって結論を出しただろ」

「それを鵜呑みにするのか?」

「別に全く疑いを持っていないわけじゃない。ただ科学者どもの研究不足なだけかもしれない」

「そうだ。いい線を行っている。新技術の追究に貪欲な企業や科学者達が研究途中のテーマに不可能の烙印を押すのは不自然であり、その判断に対する彼らの説明も説得力に欠けているのだ」

 ペラペラとえらくよく喋る猫だ。

「何が言いたい?」

「もし、それが偽りだったとしたら。機械で人間の思考を再現することに成功しつつも嘘を言っているとしたら」

 こいつは何を言っているんだ。

「そこには、世間を欺かなければならないような目論見が隠されている」

「…………」

「はっきり言おう。企業は、少なくともトヨシマは、既にAIで人間の脳を再現している。いや、上回っていると言えよう」

 ……何を、ばかな。

 AIが人間の脳を上回る? それじゃあ、まるで……。

「シンギュラリティは、もう始まっているのだよ」

 シンギュラリティ。シンギュラリティ。一つの単語が頭の中でぐるぐると回る。

 正直言うと、かっこわるいから言いたくないが白状すると、俺は電気猫に気圧されていた。ただの電気猫とは思えない妙に説得力のある語りぶりに、また到底猫の口から語られるとは思えないような内容に、俺は唖然とすることしかできなかった。

「……どこでそんな情報を?」

「トヨシマの研究施設。全てミズキが盗み出した情報だ」

 俺は、さっきから俯きっぱなしのアンドロイドの方を見る。

 もしこの電気猫の言っていることが本当ならば、トヨシマは知られてはまずいような研究をしていて、このアンドロイドがそれらの情報を盗み出したということだ。いやあるいは、アッシュが口封じにさっさと始末せず生け捕りを狙っていた様子を考慮すると、こいつこそがまずい研究材料そのものなのかもしれない。

 どう見ても少女にしか見えないアンドロイドの顔をまじまじと見ていると、不意に彼女が顔を上げた。瞳に決意の色を含んで。

「ミケの言っていることは全て事実です。トヨシマは、公にはできない研究を行っています」

 俺は固唾を呑んで、少女の発する言葉を慎重に拾っていく。

「人を超越する人工知能。それを利用した高度で高速な兵器開発。しかし、真に恐ろしいのは」

 彼女は自分の胸に手を当てる。

「他でもない、この私に関する研究なのです。私ミズキは、人間の心を再現するために作られました」

「人間の……心……」

「はい。トヨシマはアンドロイドに人間レベルの知能と五感を与えて様々な環境で人間らしい経験を積ませ、感情を発現させようと試みました。そのために私の前に何人もの姉が作られては廃棄されていきました。そして、ついにトヨシマはこの私の中に人に劣らない心を見出だしたのです」

「そこで、トヨシマはすぐにミズキに対して彼らの目的、いや野望のための教育を開始した。だが、ミズキの心がそれに反感を抱くことは懸念しつつも、最高機密とともに施設を抜け出すことまでは想定外だったんだ。かくしてミズキは施設の警備システムを暴走させ、ペットの私とともにトヨシマシティからはるばる名古屋まで逃げてきたわけだ。ここまではいいね?」

「お、おう……」

 いいわけないだろ。でも今は、何も言えない。言葉が出てこないんだ。

 俺は無意識に次のように尋ねていた。

「トヨシマの……目的は……?」

 アンドロイドも緊張しているのか、これまた人間くさく大きく深呼吸をし、震える可憐な唇を動かした。

「それは…………AIによる管理社会です」

「――ばかな‼」

 あまりにも飛躍した話に、俺の体まで飛躍して天井に頭をぶつけた。衝撃を検知したタクシーが警告音を発する。

「AIって……心を持つAIが人間を管理し治めるって言うのか!? そんな馬鹿な話があるか! わけがわからない!」

「いや、トヨシマは本気だよ」

 俺の膝からアンドロイドの膝に移った電気猫が言う。

「吾輩には理解できんが彼らとしては、無機質な機械に飼われるより、人間の頭脳を超越し人間よりも優れた道徳を備えたものこそが理想の指導者としてふさわしいということなのだろう。ミズキはその試作品だ」

「だいたいそんな社会を創るなんて無理がある。革命でも起こすのか?」

「トヨシマは本気です。私が盗んだ情報によると彼らは、まだ世に出ていない最新技術を利用した強力な兵器の数々をトヨシマシティに隠しています。私の読みですと、それらをもってすれば決して不可能ではありません」

 だめだ。頭がオーバーヒートする。また気絶してしまいそうだ。

「余談だが、彼らの計画には続きがある。それは、全ての日本企業の吸収と世界への支配拡大。ゆくゆくは宇宙進出も考えているそうだ。地球外文明との遭遇マニュアルもあるぞ。もちろん、恒星間交易圏を作るためにだ」

 俺は、いよいよ気を失った。

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