第6話 一転攻勢

 アッシュのレーザーピストルの銃口から赤い光が放たれる。

 しかし、そのわずかコンマ数秒前、何か変なものが宙を飛んでいくのが見えた。

 毛玉?

 電気猫はただアホみたいにあくびをしているわけではなかった。あくびと見せかけ、ぎっしり詰まった毛玉を高速で発射したのだ。一回目のあくびは相手を油断させるダミーだったというわけか。なんてこった、やるじゃないかこいつ。

 毛玉はアッシュの銃に命中し、発砲寸前にその銃口を逸らした。放たれたレーザーは天井で跳弾、その先の椅子に綺麗な丸穴を穿った。

 すぐさま非常ベルがけたたましく鳴り響き、電車に急ブレーキがかかる。両隣の車両から甲高い悲鳴も上がった。

 フッ、ざまあみろアッシュ。今度こそペナルティだ。それもさっきよりずっと重いぞ。今どんな顔してる? ん? そのバイザーの下を見てやりたい。

「うにゃあ!」

 電気猫は急な減速による慣性力に乗ってアッシュの顔面に飛びかかり、小便だか何だかよく分からない液体をぶっかける。が、透明なので別に効果はない。

 すぐさま俺も猫に続き、デブ猫を引き剥がした奴の顔に正面から拳を叩き込んだ。しかし、これは止められる。しかも不味いことに、奴のバイザーの直前で手首を捕まれてしまった。

「グッ……!」

 アーマースーツが身体能力を強化しているのだろう、凄まじい握力に骨が軋み、思わず苦痛の声が漏れた。

 そのまま俺は怪力によってフリスビーの如く通路の奥へと投げ飛ばされ、車両の端の壁に体を強く打ち付けた。

 ……ってぇな! 背中がかちわれるかと思ったぞ。クソッ、息がしにくい。

 目の前が揺れる。ぼやける視界に映ったのは、高速で駆け寄ってくる灰色の物体だった。呼吸を整える暇を与えるほどアッシュは親切ではない。奴は俺の首を掴んで持ち上げ、手荒に壁に押し付けた。

 気道が絞まり、首の骨までポッキリ折れそうだ。ついでに俺自身もポックリ逝きそうだ。いや、冗談抜きに。

 力の入らない腕で奴の胸部を殴るが、小学生のパンチにも劣る威力しか出せない。

 ああ、三途の川が見える。でも、両親祖父母ともに健在だから誰も迎えに来ない。まさか俺が最初になるなんて。……よせ、やめろ。縁起でもない。

 意識の混濁が始まり頭にひよこが回っている俺はさておき、必死に俺を助けようとしているポンコツ少女。目の色を変えてこっちの方に向かってきているのだが、このアッシュが背中を気にしていないとは到底思えんぞ。

 ……そんな顔しやがって。また目に涙を浮かべて、唇を強く結んで。やはり俺を置いて逃げようとはしないんだな。つくづく、不合理なアンドロイドだ。感情に惑わさる人間みたいじゃないか。あるいは、本当にこいつには……。

 分かった、俺の負けだ。お前の熱意に打たれたよ。もう少しだけ頑張ってみよう。なんなら中日重工にだって送り届けてやらんこともない。もちろん中日には多大な額を請求するが。そしてその金で高い酒とプレミアムシガーを買って、今夜はゆっくりとハードボイルドな夜を過ごそう。

 そうと決まればだ。俺はなけなしの力で、潰れそうな喉から声を絞り出す。

「まだっ……言い残しっ……ことがっ……」

 応えるように、わずかに首を絞める力が弱まる。言ってみろ、ということか。どうやら聞く気はあるようだ。が、遺言のつもりはない。

「実は俺……マジで今日初めての新人なんだ……」

「…………」

「つい先日までスーパーでレジ打ちをしていた……けど、トップランカーってのは案外大したこと――」

 言い終える前に、一気に首にかかる圧力が強まった。怒ったらしい。だが、これでいい。これでいいんだ。

 今こいつを攻撃できるのはアンドロイドしかいない。しかし、アッシュも後ろを警戒していないはずがない。無闇に叩いてもどうせ防がれるかかわされるかがオチだ。だから、俺がなんとかしてこいつの気を引き付けないといけなかった。そこで考えた。物理的には無理だが、心理的にはあるいは、と。拳は通らなくても、言葉ならこの堅いスーツを貫通することができる。そして俺の言葉は確かにその堅い鎧を貫いた。最下位が第一位を一度は出し抜いたという現実を突き付け、煽ってやった。絶対効くとは言い切れなかったが、ははっ、まんまと引っかかりやがった。クール気取っちゃって、プライドの高そうな奴だと思ってたぜ。

 かくして俺の策は功を奏した。確かな手応えを感じ、自ずと皮肉っぽい笑みが溢れる。それを見たアッシュはさらに力を強める。もはや奴の意識は俺に釘付けだ。そんなことをしている場合じゃないということも忘れて。

 紺色の細長いものが宙に美しい弧を描くのが見えたのは、いよいよ首がもげそうになった時だった。スラリと綺麗な、アンドロイド少女の脚だ。意識の外からきた攻撃を、アッシュはかわすことができない。

 重い一撃が奴の頭部にぶち込まれる。クリティカルヒット。頑丈なもの同士がぶつかったような鈍い音が鳴り、アッシュの頭はサッカーボールのように飛んでいく。体もそのあとについていき、電車の側面の壁に激突する。ようやく俺の拘束も解かれた。しかしなんて威力だ。ステンレスの壁を粘土みたいにへこましやがった。

「今だ、ジン」

 そう言いながら電気猫はしっぽを器用に動かしてレーザーピストルを拾い、俺の方へ投げ渡してきた。

「それで奴を撃つんだ」

「は?」

「とどめをさせ。殺すんだ」

 気安く人の名前を呼んだかと思うと、なんて物騒なことを言い出すんだこのメカ畜生は。うん、まあ、理屈はよく分かる。アッシュを殺すには、奴が意識朦朧としている今しかない。ここで逃せば次こそこちらの命の保証はない。でも、人殺しはさすがに、ねぇ。

「早く。時間がない」

「せ、急かすなよ……」

 これまで真っ当に生きてきた俺はもちろん人なんて殺したことがない。引き金に人差し指を乗せはするが、これがまた酷く震える。

 殺すのか? 本当に。

「だめです!」

 そう言って俺の前に両手を大きく広げ立ちはだかったのはアンドロイドだった。

「ミズキ、聞くんだ。今ここで奴を殺さないと我々の身が危ない」

「だめです! 生き物を殺しちゃだめです!」

 なにやら機械同士で言い争いを始める。『人間』ではなく大きく『生き物』とくくるあたりはさすが非生物だ、などと場違いなことを思いつつも、俺は殺人に手を染めずに済んだことに内心ホッとした。

「理解できない。今は感情とやらに左右されている場合ではないんだ。我々が負けてしまうとそれこそ人類の損害と犠牲は人一人の命とは比べ物にならない」

「で、でも……」

 ちょっと、お2人さん。何の話をしてるんだか知らんが、喧嘩してる間にアッシュに対する警戒を怠っているぞ。

 ほれ、言わんこっちゃない。奴は今がチャンスとばかりに腰からこっそり何か取り出しているぞ。しかもそれをこっちに向けて投げてきたじゃないか。

 次の瞬間には、俺の体は自動的に動いていた。投てき物=爆発すると思った方がいい。FPSの経験がそう告げたからだ。

 俺はとっさにアンドロイドのスリムな体をガッチリ掴んで猫を遠くへ適当に蹴飛ばすと、可能な限りの飛距離で横に緊急回避した。

 直後、後方で起こる爆発。破裂とともに鋭い衝撃的が伝わり、ガクンと俺の背中を押し飛ばした。

 熱い! こりゃたぶんトレンチコートに穴が開いたぞ、クソッ。とはいえ、なんとかトリプルキルは免れた。

 さあ、逃げるぞ。逃亡劇の再開だ。爆発の熱のせいか顔を赤くするアンドロイドから手を離し立ち上がる。

 しかし、どういうわけか俺はたちまち地面に膝をついた。一瞬ばねにでも引っ張られたのかと錯覚したが、それはただの重力だった。地球の引力が急に強まったわけではない。単に俺の力が弱まったのだ。

「ジンさん!」

 俺の名を呼ぶアンドロイドの声が若干遠くに感じられる。目の焦点まで合わなくなってきやがった。

 どうやら俺の体が音を上げているらしい。思えば今日はずいぶんと体を酷使した。胸を撃たれたり、長いこと全力疾走したり、首を思いきり絞められたり、背中に爆風を浴びたり、普通に生きていたら経験しないようなことをものの一時間程度でみっちりこなしてしまった。そのあまりのブラックっぷりについに体がストライキを起こしたのだ。それにしてももう少し時と場合を考えてほしかった。

 あとは頼んだ、と目にメッセージを込めてアンドロイドの顔を見る。彼女はこくりと頷いた。

 どうするつもりだろうか。俺はふんわりとぼやけた頭でどこか他人事のように考えていると、細い手が俺の腰に回り、一思いに体を持ち上げられた。

 なんだこりゃ! と、平生ならこの無様な体勢を今すぐやめるよう抗議しただろう。だが、今の俺にはそれだけの元気がない。俺の身体はされるがままに、銀行強盗の大金の詰まったバッグの如く抱えられていた。

 電気猫が尻尾の銃をアッシュに向け、殺さないよう威嚇射撃をする中、アンドロイドは先程の爆発で車両にぽっかりと開いた穴に向かって走っていった。

 そして、彼女は電車をあとにすると、大きく跳躍して高架を飛び降りた。

 猛スピードで迫ってくる地面と出会う前に、俺の意識はどこか彼方へ飛んでいった。

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