第2話 猫と少女とトップランカー

「にゃあ!」

 三毛猫が元気な声を上げながら胸に飛び込んでくるのを慌てて受け止める。ふんわりとした毛の感触を楽しむ暇もなく、ずっしりとした体重が腕にかかる。おい、ぽっちゃりって言ったのはどこのどいつだ。これじゃデブ猫以外の何ものでもない。

 続けざまに少女型アンドロイドが飛び込んでこようとするが、あいにく猫に両腕が占領されているためそうはいかない。アンドロイドはあたふた足踏みをすると俺の両肩を無造作に掴み、

「助けてください!」

 年頃の少女のような透き通った声で叫んだ。

 これには驚かされた。アンドロイドにここまで人間らしい声が出せるなんて。普通のアンドロイドはもっとこうぎこちない音声を発するし、動きもまだ生身の人間を完全には再現できていないはずだ。それに、焦げ臭さに混じって女性特有の甘い香りも匂った。

 あんまりそれが本物の女の子っぽかったから、女慣れしていない俺は危うく一歩退きそうになったが、かかとに力を入れてなんとか防いだ。そして、

「ど、どうした……?」

 できるだけハードボイルドを保って言った。

 すると、少女、いやアンドロイドは鬼気迫った目で、

「追われてるんです! 助けてください! お願いします!」

 などとわめきながら俺の肩をガクガクと揺らしまくる。アンドロイドの馬鹿力でこうも揺さぶられちゃ溜まったもんじゃない。脳しんとうを起こしそうになる俺は、ふと通路の奥で何かがキラリと光るのを見た。

 コンマ数秒の後、一筋の赤い光線がアンドロイドのすぐ後ろの地面を砕いた。

「!?」

 立ち込める砂ぼこり。何が起こったのか分からず、俺は腕で口を覆いながら視界が晴れるのを待つ。

 すると、頼りない視覚の代わりに聴覚が状況を報告してきた。

 音が聞こえる。堅い材質が地面を打つ音だ。一定の感覚を保ち、近づいてきている。

 それが足音であると気付いた時には目の前はスッキリとしていて、十数mほど先に一つの人影が姿を現した。

「ここまでだ、ガラクタ」

 発されたのは男の声だった。機械のように冷たい声だが、肉声だ。灰色のアーマースーツで全身を覆った男が、レーザーライフル片手にこちらへ迫ってきていたのだ。フルフェイスのヘルメットに貼り付いた黒色のバイザーはまっすぐとこちらを捉えている。

 なぜそれが発した声がマシンの類いでなく人間のものだと分かったかというと、俺がそいつを知っていたからだ。

 今目の前にしているのはバウンティハンター。それも、ただのハンターではない。ゴールドウルフ社のバウンティハンターランキング第一位、この都市に住む誰もが知っている高名なハンター。奴の名はアッシュ。どれだけヤバい傷を負っても次の日には何事もなかったかのようにコロッとしていることから、しばしば『不死鳥の灰』とも言われたりする。もしかしたら身体中のあちこちを義体化しているのかもしれない。

 アンドロイドはそいつに向き直り、地面をじりじりと鳴らしながら後ずさる。スマートな背中が俺の腕にぶつかり、猫が腕から逃げ出す。

 このアンドロイドは奴に追われている、といったところか。どうしてまたトップランカーなんかに。猫を探していたらとんでもない子猫ちゃんに出くわしてしまった。だが、『助けて』なんて言われても、面倒に関わるのはまっぴらごめんだ。第一、今日バウンティハンターに就いたばかりの事実上最下位の俺にトップランカーをどうこうできるわけがない。俺は身の程はわきまえている。

「ん? 何だ貴様は?」

 ん? 俺のことか?

「そこのレトロな格好している貴様だ」

 このハードボイルドなスタイルをレトロの一言で片付けられるのは心外だが、おそらく俺のことだろう。好ましくない事態だ。アッシュの気がこっちに向いてきてしまった。心底関わりたくない。ここはなんとか穏便に済ますとしよう。

 別に何でもない。通りすがりの者さ。そう言うために口を開き、いざ喉に働きかけようとした瞬間だった。

「このお方は私の雇ったバウンティハンターです!」

 アンドロイドが先を越した。しかもあろうことか、全くの大嘘をつきやがった。いや、厳密にはバウンティハンターであるという部分は間違いないが、そんなことはどうでもいい。問題なのは、俺はこんなバグッたアンドロイドに雇われた覚えなどさらさらないという点だ。ふざけるな、なんてことをしてくれた。

「見かけないハンターだ」

 おい、よせ。お前はお前で信じてんじゃねぇよアッシュ。このイカれたくそったれマシンの言うことに耳を貸すな。

 今すぐ否定しなければ。俺は潔白だと主張しなければ。だが、うまく声がでない。喉に力が入らず、乾いた空気だけが虚しく抜けていく。

 俺は今酷く緊張しているらしい。背中にも気持ちの悪い汗がにじんでいる。無理もない。今まで平和にスーパーでレジ打ちをしていた身がいきなりトップランカーの前に放り出され、いつそのレーザーで体をぶち抜かれてもおかしくない状況に置かれているんだ。

 勘弁してくれ。話が違うぞ。俺には輝かしいハードボイルドライフが待っているんじゃなかったのか。初日の猫探しでぶっ殺されるなんて冗談でも笑えない。

「今日登録のルーキー……依頼は猫探し……か。フン、つまらないハッタリだったな」

 そう言うアッシュのバイザーが淡く光っている。どうやら俺のことをスキャンか何かし、ゴールドウルフ社のデータベースと照合でもしたらしい。無事誤解が解けたようで安心した。これで難を逃れることができそうだ。

「ルーキー。悪いことは言わない、今すぐ消え失せろ。くれぐれもそのガラクタをかばおうなどと思うな」

 こちらとしてもとっとと退散するつもりだった。

 だったのに、なぜだ。なぜ俺の心の内に一種の反抗心が芽生えているんだ。

 どういうことだ、と俺は自分の心を探ってみる。するとすぐに見つかった。

 なんと、俺の心のど真ん中に一人の男が陣取っていたのだ。それも俺の憧れのハリウッドスターではないか。

 最高にハードボイルドな彼は俺に近付くや否や、空のビール瓶で俺の頭を思い切りぶん殴った。瓶は粉々に砕け散り、鋭い衝撃が全身を駆け巡る。

「お前はとんだ玉なし野郎だ」

 彼は渋い声で言った。

「二度とハードボイルドを語るな」

 俺はハッとした。そして理解した。この方は、ハードボイルドの神様だ。要するに、彼はこう言っているのだ。ハードボイルドな男が恐れをなして逃げるのか。本当にそれでいいのか、と。

 その通りだ。全くもってその通りだよ旦那。俺が間違っていたようだ。舐められるだけ舐められて、しっぽを巻いて逃げるなんて全然らしくねぇ。俺はペロペロキャンディーじゃないんだ。

 なんて妄想をしていると、緊張は収まり背中の汗もいつの間にか引いていた。

 行きずりの女に助けを請われ、何でもないように引き受ける。それはそれでハードボイルドだ。いいだろう。その話、乗ってやろう。俺はアンドロイドの華奢な肩に手を置き、軽く口元を歪めて言った。

「お前は下がってろ」

 報酬は弾むぞ。

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