第9話 私の名前・・・

私はその後、結局お店には行かなかった。

旅行に行こうと話をしている友達には、金銭的な事情を正直に話した。

予定しているヨーロッパへは最低でも三十万はかかる。

今からバイト代をやりくりしても無理な金額。

「私は行かないから、みんなだけで行ってきて。」

本当にそれでいいと思った。

そう言うつもりだったのだけど、「だったらもっと安くいけるところにしようよ!弾丸でもいいじゃん!」そう言ってくれた。

結局、行き先はインドネシアに。

金額は三分の一の十万もあれば全然贅沢な旅行ができるし、その金額ならなんとかできる。

みんなはというと・・・その安さとできる贅沢にテンションが上がっていた。

話を聞いたら、みんなもヨーロッパはさすがに高いと思っていたらしい。

ヨーロッパへはどこに行ってなにをしたいというよりも、ただヨーロッパへ行くという憧れだけで話をしていたみたい。

だから私が言い出したことが、みんなにとってもいいことだったみようで安心した。。

私はとても嬉しかった。

本当にいい友達をもったと思う。


卒業旅行も終わり、卒業式も終え、四月から社会人一年生。

就職先は地元には帰らず、この土地で看護師として病院に勤務し始めた。

その年の夏の出来事だった。

知らない番号からの着信。

でも携帯番号ではなかったのでなんだろうと思い電話に出た。

その電話は地元の警察署からのものだった。


「母が自殺未遂で病院に搬送された。」という内容だった。


頭が真っ白になった。

なぜ・・・母が??自殺?!

職場に事情を話し休みをもらい、急いで地元に帰った。

病院には父がいた。実の父だ。

「お父さん!!」

「香夜、大丈夫か?」

「うん、私は大丈夫。お母さんは?!」

「まだ意識が戻らない。もしかしたら、ずっと意識が戻らないかもしれない。」

「そんな・・・なんで?!」

そこでふとあの人がいないことに気づく。

「お父さん、その、お母さんの新しい・・・。」

実の父になんて言っていいのか、口をごもらせていると父がそれに気づき話し始めた。

「お母さんの再婚相手なんだがな、連絡が取れないらしいんだ。」

「え?なん・・・お母さんと同じ職場でしょ??」

「それがな、三ヶ月ほど前に急に仕事を辞めてしまったらしいんだ。そしてお母さんのところにも戻っていないらしい。」

「え・・・?そんな話、お母さんはなにも・・・。」

「誰にも相談できなかったんだろう。」

そういえば、最近はお母さんとはほとんど連絡を取っていない。

働き始めてからの忙しさで、メールや電話の返事を後回しにしてそのまま連絡しないことが多かった。

「さっき警察の人に話を聞いて初めて知ったんだが、相手の男性は多額の借金をしていたようだ。その保証人にお母さんが・・・。あまり言いたくはないが・・・お母さんはだまされたか、利用されたのかもしれない。」

「そんな・・・。あの優しそうな人が?あんなに幸せそうな顔してたのに・・・。」

「警察に捜索願を出していたみたいだがまだ見つかっていないようで。恐らく、そのことが原因で・・・。」

父は言葉につまり、顔を伏せた。

信じられない。

信じられないけど、許せない!

病室に入ると、母はいつもの優しい顔でベッドで眠っていた。

呼吸器がつけられ、首には包帯が巻かれていた。

涙が止まらない。

今年のお正月に帰っていれば、なにか感じ取れたかもしれない。

メールをしていれば、サインに気づけたかもしれない。

ちゃんと電話に出ていれば、相談してくれていたかもしれない。

・・・後悔したってしきれない。

私はベッドで眠る母の手をとり、泣き続けた。


その日は父の家に泊まった。

父は離婚後そのまま一人で暮らしていた。

次の日、警察の人に簡単な事情聴取を受けた。

でも、私も義父のことはあまり知らない。

その後母の病院に行く前に、着替えや日用品を取りに行くため、父の車でお母さんの家に向かった。

家に入ると、リビングの上にある細い柱が折れていることに気づいた。

警察の人が言うには、その柱が折れたおかげで一命は取り留めたみたい。

母の部屋の真下の部屋には大家さんが住んでいて、大きな物音がしたから様子を見に行ったが返事がなく、不審に思い部屋に入ると母が倒れていたようだ。

また涙がこぼれそうになる。

必要なものを取り、車で病院に向かう。

その後病院側と父と私で話をして、このまま入院し意識の回復を待つことになった。

その間の入院費などは父が払ってくれることになった。


その日も父の家に泊まり、次の日もう一度母の顔を見てから私は帰ることにした。

さすがに仕事を休み続けるわけにもいかない。

それから三日が過ぎた頃、また知らない番号から電話が来た。

病院から?と思い電話に出てみると「もしもし?香夜さんの携帯でお間違いないですか?」

低い男性の声だった。

「はいそうですが・・・どちらさまでしょうか?」

「私は株式会社ヘイワマネジメントの青塚と申します。この度はお母さんが大変だったようで、心中お察しいたします。」

はっ・・・きっと金融関係の人だ。

「うちとしましてはね、お父さんと連絡が取れない以上、お母さんから返済のほうをしていただくようお願いしていたんですが、今回お母さんがこのような状況になってしまいましたので、どうしたものかと困っているんですよ。」

「それで、私に電話を・・・。」

「はい、お父さんから娘さんの電話番号も聞いておりましたので。」

あいつ!!きっと、逃げることは計画してたんだ。

お母さんが払えないときの為に私まで・・・。

「それでね、どうしましょうか?お母さんの意識は戻りそうなんでしょうか?」

「いや。あの・・・いくらなんですか??」

恐る恐る聞いてみる。

「総額二千四百万円程ですね。」

「に・・・?!」

何百万ならまだしも、二千万?!

そんなの無理よ。

「まぁお父さんから事情は聞いてましたよ。香夜さんが実の娘さんではないということは。まぁ香夜さんがそこまで背負う必要もないかとは思うんですがねぇ、こちらも仕事ですので。なんなら本当のお父さんにお願いしてもいいのでその場合連絡先を教えていただけますか??」

「いや!!・・・父はダメです。」

今後お母さんはどれだけ入院するのかもわからない。

きっとお父さんは途方もないお金を今後払うことになる。

そこに借金も背負わせるなんて、いくら父でもできるはずがない。

「ダメと言われましてもねぇ。」

「私が払います。払いますから、父には連絡しないでください。」

「んーそうですか。それではそれでお願いしますよ。今から振込先と返済金額を・・・。」

最初からそのつもりだったくせに。

あいつのせいで・・・あいつの・・・。


その後の話で、契約書は家にあるはずということだった。

滅茶苦茶だ。

こんな金額・・・どうやって払っていけばいいの。

病院の仕事をしているだけじゃ絶対に無理。

でも、この不規則な仕事じゃ掛け持ちなんかできたもんじゃない。


・・・掛け持ち?


その時ふと頭に浮かんだ。

自分の都合のいい時間で、都合のいい日にだけ入れて、高収入。

その後もいろいろ考えた。

考えたけど、もうその手しか思い浮かばない・・・。

そして気づいたときには、お店の前に立っていた。

でも・・・でも・・・。


「香夜・・・ちゃん?」

女性から声をかけられた。

立っていたのは、くららさんだった。

涙が溢れてくる。

「え、ちょっと・・・どうしたのよ??」

「くららさん・・・もう私、どうしたらいいのかわからないです。ここに来るしか・・・それ以外思いつかなくて・・・。」

「ちょ、ちょっと待ってて。・・・もしもし?あ、くららです。今日って私まだ予約入ってないですよね?・・・はい、じゃあ出勤時間少し遅らせたいんですけどいいですか?・・・はい、それでお願いします、すいません。香夜ちゃん、とりあえずいらっしゃい、話はそこで聞くわ。」

そういうとくららさんは喫茶店に連れて行ってくれた。


「そう・・・そんなことが。」

まだ一度だけ、少し話をしたことがあるだけの人なのに、泣きながら全てをさらけ出してしまった。

「さすがに簡単に助けてあげる、なんて言えない金額ね。」

「今の仕事だけじゃ、どう考えても返していけません。」

「そうね・・・。私が同じ立場でも、きっと同じ解決法を考えるわ。でも、覚悟はできてるの?」

「覚悟・・・正直わかりません。でも、私という代償を支払えば、解決していける話です。やるしかありません。」

「・・・そう。じゃあ、一緒に店長のところに行きましょう。」

「お願いします。」

くららさんは同情はしなかった。

でも、それがありがたかった。

きっと同情されていたら、いつまでもめそめそしてどんどんふさぎこんでいた。

そんな私の手を、くららさんが引っ張ってくれている気がした。


あの日から、三年が経った。

ちょうど一年前までは、くららさんと一緒に暮らしていた。

くららさんは本当に私を可愛がってくれた。

「今借りている家の家賃を払うのももったいない!」とくららさんの家に呼んでくれた。

仕事の全てを教えてくれたのもくららさんだった。

そんなくららさんは一年前、仕事を辞めてこの家も出て行った。

前に言っていた“夢”へ向かう準備ができたみたい。

私も、この三年間死に物狂いで働いた。

二年前に病院は辞め、今の仕事一本に絞った。

このままのペースなら、あと半年。

あと半年働けば借金は返済できる。

母は・・・まだ目を覚ましていない。

年に二回くらい、帰れるときには帰り様子を見に行く。

父には借金の金額を嘘ついている。

さすがに本当の金額を言えば、普通の仕事じゃ返せないことがわかってしまう。


私の名前はひめか、二十五歳。

プレイガールで働いている。

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