第8話 本当の私
「お疲れ様です。」
「はいお疲れ様―!次は土日だよね?また宜しくねー!」
やけに元気のいいこの人は私が働くこのお店の店長。
基本ニコニコしている陽気な人で、私はもう付き合いも長いからなんとも思わないけど、昔は相当な悪だったみたい。
一度だけお客さんと揉めているところを見たことがあるけど、それは相当なものだった。
「はい、それじゃあお疲れ様でした。」
「はいはい気をつけてー!」
私の名前は桧森香夜(ひもりかよ)、二十五歳。
未婚で現在彼氏はいない。
十八歳のときに大学入学でこの土地に来て、それ以来ずっとここで暮らしている。
両親は、私の高校卒業とほぼ同時期に離婚。
父のことも母のことも私は好きだった。
二人の仲がよくない事にも気づいていたから私なりに二人の仲をなんとかしようとしたけど、どうにもできなかった。
書面上では母に引き取られた形になるけど、すぐに大学入学で家を出たので、実際には母と二人だけでの生活はほとんどしたことがないけど、年末年始には必ず、母が借りた新しいアパートに帰って一緒に過ごした。
奨学金と父から振り込まれる養育費で、大学生活は問題なく送ることができた。
大学三年生のときに迎えたお正月、そこで母から一人の男性を紹介された。
母が働く工場の同僚で、母より五歳年下の方だった。
相手もバツイチだけど子供はいない。
真剣に交際をしていて、再婚も視野に入れているという。
私は嬉しかった。
恋をした女の子みたいに笑う幸せそうな母を見て心から祝福した。
でも、同時に私は寂しかった。
相手の方はとても優しく、「父と思ってくれなんて言わない。でも、僕は君を本当の娘のように思う。困ったことがあればなんでも言ってくれて構わない。」そう言ってくれた。
だけど、やっぱり二人の間に挟まれる自分の姿は想像できなかった。
それ以来、なにかと理由をつけて実家には帰っていない。
大学四年生の夏、仲のよかった同じ大学の女友達四人で海外に卒業旅行に行く話が出た。
凄く行きたい!そう思ったけど、正直そんなお金はない。
母は例の人と春に再婚した。
その際、私を養子縁組するという話が出たのだけど、それは断った。
やっぱり私の父は実父以外ありえない。
相手の方は「君がそれでいいなら僕は反対しないよ。」と言ってくれたけど、やっぱりそれ以来少し気まずい。
そんな相手に、旅行の為のお金が欲しいとは言えるはずがなかった。
レンタルビデオ屋でアルバイトをしていたけど、海外旅行に行くための何十万というお金を用意できる自信はなかった。
だけど卒業旅行の話はどんどん盛り上がり、断ることができずに行くといってしまった。
ある日街を歩いていたらスーツを着た男性から声をかけられた。
これはナンパではなく、キャバクラや風俗店のスカウト。
正直、今まで何度も声をかけられたことがあるけど、いつも完全無視していた。
でも、「一日最低保障で六万、多い人では十万を超えることもできますよ。」という言葉に少し反応してしまった。
今思えば、そのちょっとの反応がいけなかったんだと思う。
スカウトの人はその一瞬見せた隙を見逃さなかった。
まるで私が海外旅行に行くためのお金が欲しいということを知っているかのように話をしてきた。
「お姉さん本当に可愛いので、とりあえず話を聞きに来るだけで一万、もし体験入店していただければ三万、お渡ししますよ!」
その言葉に心が揺らいでしまった。
「体験・・・嫌だったら帰っていいんですよね?」
「当たり前じゃないですか!その場合三万円のお渡しはできませんが、一万円はお渡しできます!とりあえず立ち話もあれなんで歩きながら話しましょうか!お店こっちですので、どうぞどうぞ!」
正直どんな世界が広がっているのか全然わからなかったから不安だったけど、話を聞くだけならとついていった。
「プレイガール」それが着いたお店の名前だった。
ビルに入るとすぐ階段があり二階に上がる。
二階にはエレベーターがあって、隣には受付と書かれた扉があったので、お客さんはこっちにまず入るのかなと思った。
「とりあえず上に事務所があるんで、そっちに行きますね!」
最上階まで上がると作りは二階と同じで扉があった。
スカウトの男性が扉を開けると、目の前右手が事務所スペースになっているようで、机や棚などが置かれている。
そしてそこに男性スタッフが二人座っていた。
左側には小さな暖簾のかかった入り口があった。
「どうもどうも!私は店長の熊坂です!おー本当に君可愛いねぇ!まぁまぁ!とりあえず座って座って!」
強面だけど陽気そうな店長と名乗る人に挨拶され、椅子に腰掛ける。
ここに着くまでの間に、スカウトの男性からお店のことについていろいろと説明を聞いていた。
市に届け出というものを出している正規のお店であること、街中でもかなりの老舗高級店であること、掛け持ちでもいいしなんなら月に一回の出勤でも構わないこと。
そういった話を店長さんから改めて聞いて、それ以外にも事前にお客さんの顔を見れるから知り合いにバレる心配がないことなどの話しをされた。
そこに一人の女性が入ってくる。
「おーくららちゃん、お疲れ様!」
「店長お疲れ様です。あれ、新人の子?」
「今日見学に来てくれた、あれ、えーと・・・。」
「あ、香夜です。」
「そうそう香夜ちゃん!彼女可愛いでしょ?!」
「ほんとに可愛らしい子。私はくらら、宜しくね。」
とても綺麗な人だった。
こんなに綺麗な人が働いているんだって、正直驚いた。
すると店長さんが「ちょうどいいからくららちゃん、控え室案内してあげてよ!それから仕事内容も簡単に教えてあげてもらえるかな?初対面の男に話されるよりかいいでしょ?がっはっはっは。」
「いいですよ、香夜ちゃんいらっしゃい。」
「あ、はい・・・。」
「そんなに怯えた顔しないでも大丈夫よ、とって食べたりしないから。」
そういってくららさんは微笑んだ。
「え、あ、いや、すみません・・・。」
この人の発する言葉、仕草、雰囲気。
全てに色気を感じる。
女性の私でもうっとりしてしまいそうになる。
暖簾のかかった入り口から部屋に入ると、広めの部屋があった。
腰の高さくらいの机が壁際にコの字型に配置されている。
そこに等間隔に六脚の椅子と壁に同じ数だけ大きな鏡がぶら下げられていた。
「ここは私たちキャストの控え室。そこの二つの扉が更衣室。その奥の曇りガラスのところがシャワールームよ。」
「はい・・・。」
「香夜ちゃんは学生さん?」
「大学生です。」
「ふ~ん。経験はあるの?」
「ふ、風俗ですか?」
「ふふ、まぁそれもそうなんだけど、エッチ、セックスのよ。」
「え・・・と、まぁそれなりに。」
初体験は、高校一年生のときに初めて付き合った二個上の先輩とだった。
その後何人かとお付き合いした。
どれもあまり長続きはしなかったけど、女性としてのある程度の経験はしていると思う。
「そう。風俗は・・・初めてよね?」
「あ、はい。」
「ここでの仕事内容はいたって単純よ。お店に来た男性を個室に案内して、恋人気分を味合わせてあげる。一緒にお風呂に入って体を洗ってあげて、その後ベッドでエッチをする。」
「エッチって、その・・・最後までですか?」
「そうよ。七十分から九十分、延長が入ればそれ以上、その時間だけは男性に尽くしてあげるの。」
正直、想像するだけで嫌になった。
勝手な想像だけど、初めて会ったおじさんとかと、キスしたり裸を見られたり触られたり・・・ましてやエッチまで?
やっぱり私にはムリだ。
「・・・ちゃん?香夜ちゃん・・・??」
「あ、すいません。」
「今、想像して・・・ちょっと嫌になってたんでしょ?」
見透かしているように微笑みながらくららさんが問いかける。
「正直、はい。くららさんは・・・くららさんは、嫌じゃないんですか?好きでもない人と、その・・・そんなこと。」
「ん~、好くはないわよね。でも、嫌だったら続けてないかな。私はお金が必要な事情があって始めたし。香夜ちゃんはなんで見学に来ようと思ったの?学費に困ってるとか?」
「いや、冬に卒業旅行で海外に行こうってなって、でも親にお金は頼めなくて・・・。」
「あなたにも事情があるのね。まぁ深くは聞かないけど。ここで働く私が言うのもなんだけど・・・正直、来ないで済むならそれに越したことはない世界よ、風俗は。だけど、払う代償の分得られる対価は大きいわ。女の体を売りにできるのなんて若いうちだけだし。私は必要な分だけ稼いだら、いずれは辞める予定よ。」
「必要な分?」
「まぁ、あれよ、“夢”かな。」
「はぁ。」
「ここは会員制のお店だからまるっきりわからない変なお客さんは来たりしない。そう言った点では結構安全なお店よ。香夜ちゃんが払った代償によって得た対価、それで作れる幸せがあるなら、経験してみるのもありかな?とは思うかな。いやだったらすぐに辞めちゃえばいいんだから。あの店長、顔は怖いけどすっごく優しいし、辞めたいって子を引き止めたりもしないから。」
「そうですか。」
「今日は体験したらお金もらえるとか言われたんでしょ?」
「あ、そうです。」
「なら、今日はとりあえず帰りなさい。」
「え??」
「このまま流れに乗ってしまえば、香夜ちゃんはただ体を汚すだけ。こんなに可愛い娘にそんな無駄な思いはして欲しくないわ。香夜ちゃんが望むものにどれだけの価値があるのか。その価値を見出せたのなら・・・また来なさい。今日帰ったって別になにも言われない。あ、でもこのことは店長たちには内緒よ。」
くららさんは優しい女性なんだろうか。
それともお店側の作戦なんだろうか。
今の私にはその判断ができない。
くららさんが私に言ってくれたことが本心なのか、セリフなのか・・・。
でも、どちらだとしてもそう言ってもらえたことは嬉しかったし安心した。
「わかりました。その・・・ありがとうございます。」
「いいのよ、また会うことがあれば、可愛がってあげるわね。」
そう言うと、くららさんは更衣室に入っていった。
くららさんの言うとおり、店長に今日は帰らせてもらいたいと話をしたらすんなり帰らせてもらえた。
名刺は渡されたけど、連絡先すら聞かれないことには結構驚いた。
ほんの三十分ほどの出来事だったのに、なんだかとっても疲れた。
私の知らない世界。
まだ足の指先すら踏み込んでいないその世界。
私が望むものにどれだけの価値があるのか・・・。
地下鉄に揺られながら、くららさんに言われた言葉を考えていた。
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