第6話 僕はここを知っている
駅に着いた。
ここから陽夏はバスに乗って大学まで向かう。
右手に左手にと何度も持ち替えた大きな荷物を降ろす。
両手のひらには紐の痕が真っ赤に残る。
「お兄ちゃんありがと!」
「おー、気をつけていけよ。」
「今日夜ご飯はどうする?」
「んー、呑んで帰るかもしれないからとりあえずいいかな。」
明日は休みなので、日曜の夜は仕事終わりに呑みに行くことが多い。
店でやってく一杯、ではなく繁華街へと。
「わかった!あんまり呑みすぎないでよぉ。」
「へいへい。」
「じゃねー!」
陽夏はそう言うと、大きな荷物をひょいっと持ち上げてバスプールへと走っていった。
「いやいやひょいって。」
もう一度両手のひらを見つめ、ため息をつく。
いつもなら一番手前の入り口から下るが、今日はバスプールの近くに来るため一番奥の入り口から地下へと降りた。
その為、改札を抜けエスカレーターを下ればすぐに先頭車両が見える。
姫はいるだろうか。
少し駅に着く時間が遅くなってしまったので、いつもの電車より恐らく一本遅い電車になる。
本数は多いので、五分程の違いしかなく仕事に遅れるようなことはないが、姫に会えないのではないかという不安が募る。
そこに、発車を告げるアナウンスが響いた。
姫を探している余裕もなく、僕は急いで電車に乗り込む。
すると、ドア側の手前、まさに僕のすぐ右側に姫が座っていた。
「神様、仏様、姫様、ありがとう!」
心の中で叫ぶ。
僕はそのまま姫の向かい側の席につく。
あぁ、今日もなんと美しいんだろうか。
姫は、初めて会った時と同じブラウンのピーコートを着ていた。
残念ながら今日はマスクを着けているが、今となってはそんなことはどうでもいい。
マスク越しでも、本当の顔は目に浮かんでくる。
姫はどんな声をしているんだろう。
もし姫と知り合いになれたら、隣同士で座り楽しく談笑してそのまま職場までの道のりを一緒に歩けるのだろうか。
仕事終わりにご飯に行ったりして、そしてまた同じ電車に乗って帰って・・・。
頭の中で妄想が膨らむ。
どうやって姫にコンタクトをとればいいのか。
一番手っ取り早いのは、単純に声をかければいい。
・・・それはつまりナンパだ。
散々接客業をしてきたから、店に来た人に声をかけることはお手の物だ。
でもナンパとなれば話が違う。全然違う。
そもそもナンパなんてしたことがない。
突然知らない男性から声をかけられたらどう思うのか。
「休みの日に街中を歩いていたら声をかけられた」とか「繁華街で声をかけられた」とかならまだわかる。
だがそれでも成功率は決して高くないはずだ。
しかもタイミングが出勤前の地下鉄って、どうなんだ?
「地下鉄でいつも一緒になる本郷です!一目惚れしました!」
いやいやいや、唐突過ぎるだろ!
「昨日も一緒になりましたよね?あ、僕本郷と言います。」
いや知らんし!
「いつも先頭車両に乗ってますよね?僕もなんでなんか気になっちゃって・・・。」
んーかっこいいけどさりげなく言える気がしない!!
そもそも、なにかのきっかけで声をかけた後に言う台詞だ。
そう、きっかけだ!
きっかけはどうすればいい?!
職場に着くまでに知らない女性に声をかけるきっかけなんてあるのか?!
「ハンカチ落としましたよ?」なんてアニメ展開普通はまず起こらない!
となると・・・やはりストレートに行くしかないのか?
僕に許されたチャンスは多分一度きりだろう。
その一度を失敗すればもう二度と姫にはコンタクトを取れない。
頑張って何度もアタック!といこともできなくはないが、「気持ち悪いナンパ野郎」となってしまってはもう取り返しがつかない。
そもそもそこまで僕のメンタルが強いとは思えない!
もしかして・・・僕はとてつもなく難しいことに挑もうとしているのか・・・?
ナンパの達人に弟子入りでもしないと無理だろ。
外国人のようなフランクさ・・・「みんな友達、イェー」みたいなノリ?!
無理無理無理無理、ボク、ニホンジン、ムリ。
は?!大沼・・・大沼か!あいつに聞けばいいのか?!
大沼なら「みんな友達、イェー」みたいなノリ持ってそうだ・・・。
プシューと音を立ててドアが開く。
姫が立ち上がり電車から降りていく。
・・・ん?あ!!もう降車駅じゃないか!!
急いで僕も降りる。
もうどうしたらいいのか脳内はパニックだ。
朝からこんなに脳を働かせたことはない。
ひとまず落ち着こう。
落ち着いて、姫についてい・・・職場に向かおう。
決してつけていくわけではない。
姫が進むルートは知っている。
昨日と寸分の狂いもなく姫は進んでいく。
そして僕はその少し後を進む。
その道中も、僕はずっときっかけについて考え続けていた。
やはり時間をかけるのが一番だろうか。
こうして地下鉄で一緒になることを繰り返し続け、いつか姫にも「あの人よく一緒になるな。」と気づいてもらう。
しかし気づいてもらえる保障はないし、姫が向こう何年間も同じようにこの地下鉄に乗るとも限らない。
いつまでも猶予が残されているわけではないのだ。
そうなると・・・、僕がレストランで働いているということをうまく利用できないだろうか。
そうだよ、姫が「arc en ciel」に食事に来てくれれば簡単に会話ができる。
「あれ?もしかして朝九時過ぎの地下鉄にいつも乗ってませんか?」
「え?そうですよ、もしかして店員さんも?」
「そうなんです!いや、実は・・・ずっと綺麗な人だなって思ってたんですよ。」
「もう、褒めたってなにも出ませんよ・・・。」ポッ。
みたいな?!
運のいいことに姫は出勤の際に「arc en ciel」の前を通る。
もしかしたら存在だけならもう知っているかもしれない。
あとはどうやって店に来てもらうかだ。
ランチでもディナーでもいい、来てもらえれば姫との時間は動き出す。
谷地村が出勤したら作戦会議だ!
そう決めたところで、姫が間もなく小道に差し掛かる。
その小道に入った後どう進むのか、今日は警備の解除の前に確認してみようと思っていた。
すると・・・。
姫が曲がらない???
そのままアーケードをまっすぐ進んでいく。
どういうことだ?
今日はルートを変えたのか?
だか同時に一つわかったことがある。
まっすぐ進んでも行けるという事は、昨日は小道に入った後、左に曲がっているはずだ。
どこに行くんだろう。
そう思ったときには、僕もお店の前を通り過ぎていた。
ちょっとだけ・・・ちょっとだけ追いかけたらすぐに引き返す。
多分、このままだと一日中気になって仕事どころじゃない。
ちょっとだけ・・・ちょっとだけ・・・。
まるで初めて課金をしたユーザーのように、そうつぶやきながら進む。
アーケードはだいたい二百メートルごとに信号がある。
そっちの大通りまで行くのだろうか?
だがその疑問はすぐに解消される。
店を過ぎて五十メートル程行ったところの右手にあるお店に入っていく。
ここは、パチンコ・・・屋??
え、パチンコ屋で働いているのか?
どうしよう、入ろうか入るまいか・・・。
でもここまで来たんだ、とことん行ってみよう!
重課金ユーザーの仲間入りだ。
ここには何度か入ったことがあるのだが、最初の扉を開くと目の前にもう一つドアがあり、そのドアの先にはパチンコの機械がずらりと並んでいる。
だが二つ目の扉の右側には廊下があり、換金所やトイレ、二階のスロット場へと繋がる階段などがある。
姫は二つ目の扉ではなく、その廊下のほうへと進んでいった。
「ゴクリ・・・。」唾を飲む。
そして少し遅れて入っていく。
廊下へ進み、奥のほうをゆっくりと覗き込む。
「あれ?!」
驚いた、誰もいない。
こっちに進んでいったのは確かだ。
だがそこに姫の姿がない・・・。
また見失ってしまった。
もしかして上に行ったのか?
それとも僕が躊躇してる間に裏口から出てしまったのか。
この廊下の先には、老舗の飲み屋が並ぶ路地に繋がっている。
ちょうど「arc en ciel」の小道を入っていって最初の十字路を左に曲がった通りだ。
僕もここのショートカットはたまに使う。
というのも、「arc en ciel」の小道以外に他の小道はなく、二百メートル先の交差点を曲がるしかない。
そこで役に立つのがこのパチンコ屋と更にその奥にある地下のスーパーだ。
この二店舗はどちらも裏の路地へと繋がっている。
ただスーパーはわざわざ地下へと降りる必要があるが、パチンコ屋はそのまままっすぐ通り抜けられるため利用する人は多い。
僕は急いで裏路地へと向かう。
外に出て左右を見渡す。
だが、そこにも姫の姿はない。
「はぁ、また見失っちゃった。」
もう一度パチンコ屋に戻ってみてもいいが、どこを探すというのだ。
右方向にある自分の店に向かおうと少し歩き出すが、未練が僕の背中を引っ張る。
もうすぐ十時になってしまう。
そろそろ出勤しなくてはいけない。
でも姫は確かにここ周辺にいるはずなのだ。
どうしたものか、そう思っていたその時だった。
パチンコ屋の裏の扉が開く音が聞こえた。
焦った僕は、自分の店の方向左手にある飲み屋の入り口に身を潜めた。
出てきたのは・・・姫だ!!
すると姫はこっちへと歩いてくる!!
もしかしてつけていることに気づかれていたのか?!
それで文句を言いに出てきたのか・・・?!
「このストーカー野郎!!」
そう罵声を浴びせられるのか?!
いや、覚悟が・・・まだ覚悟が・・・!!
姫との距離二メートル・・・一メートル・・・。
もうどうしようもない。
今日で、姫との明るい未来は閉ざされる。
なにも始まりはしなかった物語が、終わりを迎える。
と思った瞬間!!
姫が右手にある、ちょうど僕から見れば小道を挟んで目の前にあるビルに入っていく!
「あぁ、た、助かった・・・。」
そう安心したのもつかの間、物凄く重たい、物凄く冷たい現実が・・・僕に圧し掛かる。
・・・僕は知っている、このビルがなんなのか。
ここら界隈でも老舗中の老舗。
僕はまだ行ったことはないが、たくさんの人が足を運んでいることだろう・・・。
「プレイガール」
・・・ソープだ。
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