第3話 試練

あれから三日が過ぎた。

出勤の度に高まる期待とは裏腹に、姫に会うことはまだできていなかった。

家から歩いて地下鉄に向かい、一番最初に現れる地下への入り口。

そこから下ると、必然的に電車の最後尾にたどり着く。

ただ、電車から降りるときは先頭車両から程近い改札に向かうため、いつも先頭車両まで歩いている。

特に深い意味はなく、最後尾の車両に乗ってもいいのだがなんとなく先頭車両まで歩く習慣がついた。

僕は、気に入った洋服は遊ぶ相手がかぶらない限り同じものを着るし、洗ったコップや皿の位置も固定している。

ボールペンは必ず使い切る。

根っからのA型だ。

そんな繰り返しのおかげで姫に出会うことができたのだ。

是が非でも先頭車両まで歩く。

いつもなら、特になにを考えるでもなく歩くその道のりだが、ここ数日は違った。


ウィンドウショッピングでもしているかのように何気なく、窓から車内を眺めながら歩いてみたり、三両目くらいから車内に入り先頭車両まで歩いてみたり。

わざと一本遅らせて乗ってみたりもした。

しかし、そこに姫の姿を見つけることはできなかった。

あのときは本当にただ偶然乗り合わせただけだったのだろうか。

僕は、幻を見ただけだったのだろうか。

もう会うことはできないのだろうか。

あんなにも鮮明だった姫の姿が、少しずつ少しずつ、瞼の裏で薄れていく。


今日は土曜日。

平日のスーツの集団は影を薄くし、いつもより見渡しのいい車内になる。

僕の働くお店は月曜が定休日なのだが、毎週この土日の朝の車内だけは静かだ。

乾いた車内に、発車を告げるアナウンスとベルが響く。

あんなにも心の中を満たしていたものが、今はこの車内のように静かで、響くベルをかき消すようにイヤホンのボリュームを上げようと耳元に手を伸ばした、その時・・・。


ドアが閉まる寸前に入ってきた一人の女性がいた。

この電車に乗り遅れないよう小走りでもしてきたのか、座席から伸びるシルバーの手すりにつかまりながら一つ大きく息を吸い、僕の正面の席に腰掛けた。

艶のある黒い髪、閉じた瞼から伸びる長いまつげ、ふぅーっと息を吐く薄い唇。

それこそ、幻を見ているようだった。

目の前に現れたのは、僕の勝手な願望によって描き出された、アニメのヒロインそのものだった。


目を疑った、声を失った・・・。


黒のダウンコートの下にはボルドーのニットワンピース。

そしてコートと色を揃えたニーハイブーツ。

確かにこの間とは服装が違う。

いやむしろ服装は違って当然だ。

そこじゃない、決定的に違うところがある。


そう・・・マスク!!マスクをしていない!!


それにより浮かび上がったリアルな鼻と口、リアルなビジュアル!!

間違いない、間違いなく彼女は、“姫”だ。

固有名詞としての意味もそうだが、彼女はまるで本物のお姫様のように、美しい・・・。

「はっ。」

姫が顔を上げたところでようやく我に帰る。

いったいどれだけの時間目を奪われていたのだろうか、危なくもの凄く凝視してくる「気持ち悪い男」というレッテルを貼られてしまうところだった。

脈打つ心臓の音が聞こえる。

今僕の目の前には、数日前見かけ一目惚れした女性、姫が座っている。

今日は幸い、五駅目を過ぎても視界を遮るスーツの集団はいない。

太ももの上で操作するスマホに視線を送る姫を、僕もスマホをいじる素振りをしながら、気づかれないよう姫に視線を送る。

他にもたくさんの人が乗っていたと思うのだが、僕の視界では姫の姿しか認識していなかった。

夢のような時間が過ぎていく。


・・・が、降車駅が近づくにつれ一つの不安が浮かび上がる。


姫は僕と同じ駅で降りる。

それは確実なものではなく、あくまで前回エレベーターの先に「姫に似た黒髪の女性を見た」だけだ。

それが=姫だったという確証はない。

もしかしたら一つ前、二つ前の駅で既に降りていた、という可能性は十分にありうる。

そう考えると、今度は違う意味で心臓の音が響く。

二つ前の駅に着く。


姫は・・・動かない。


ほっと息を吐く。だがまだわからない。

そして、一つ前の駅に着く。


姫は・・・うご・・・・・?!


立ち上が・・・ったかと思いきや、おしりの下でたごまったコートを直しただけだった。

大きく息を吐く。とても心臓に悪い。

ただ椅子に座っているだけなのに、まるでリボルバーをこめかみに押し当てている気分だ。

そうこうしているうちに、ついに降車駅に着いた。

プシューッという音とともに姫側のドアが開く。

頼む、立ってくれ、姫!立ち上がってくれ!!

心の声が叫ぶ。


すると・・・?!


・・・立ち上がったぁぁぁ!!!よぉぉぉぉし!


第一関門突破!!

これで姫が降りる駅が一緒だということが実証された。

姫はゆっくりとドアを出る。

僕は少し遅れて同じドアから出る。

そんなとき、ふと脳裏に浮かぶものがあり運転手席の窓に視線をやる。

別に会うのが嫌なわけじゃない。

ただ、今日はなにがあっても姫を見失いたくないのだ。

ちょっとの立ち話をする時間も惜しい。

だが幸いなことに、窓から顔を出したのは知らないおじさんだった。


第二関門突破!!

もうもはやなんの試練なんだかわからないが、最高にテンションが上がり今の状況を楽しんでいる自分に気づく。

その後も、姫は僕が思い描いた通りのルートを進み、僕はその後を追うように同じルートを歩く。


ん?待て、待て待て。

これじゃあまるで、ストーカー??

いやいやいや、そんなんじゃない、本当に僕はこのルートを毎朝歩き、その先には自分が働くお店がある。

決してあとをつけているわけではない。


もう一度言う。


決してあとをつけているわけではないのだ!


そうして地下から地上へと上がった。

ここまではいい。

ここまでは限られた地下道を進むだけなのでどう進むかは容易に想像がつく。


問題はここからだ。


僕はアーケード街に向かうが、姫はそうとは限らない。

むしろOLだと仮定すると、アーケード街に進む可能性は低くなる。

アーケード内には飲食店やファッションビル、パチンコ屋などが立ち並ぶが、オフィスビルなどは基本ない。

故に、OLだった場合アーケードの周りにある大通りに立ち並ぶビル街へと向かっていってしまう可能性が高い。

だが、僕の中でその可能性は低いのではないかと推測していた。

まずもってOLにしては少し服装が派手・・・というか、私服感が強い。

確かに、職場についてから更衣室で制服に着替えて・・・なんてことも考えられるが、そもそも今日は土曜日だ。

OLならきっと休みのはずだ。

その場合他に考えられるのは・・・僕と同じく飲食関係、もしくはファッション関係?

アーケード内へ向かうのならば、雰囲気的にはアパレルのショップ店員の可能性が高いのではないだろうか。

以前僕がショップ店員をしていたときの経験上、お店のほとんどは十時半~十一時にオープンする。

現在の時刻が九時半ということも考えると、まさに今から出勤という流れにはつじつまが合う。

ましてやこの美貌だ。

アパレル店員、もしくは化粧品メーカーの店員なんじゃないだろうか。


姫はまっすぐ進む。

大事なのはその角を左に曲がるかどうか、その一点だ。

曲がれば僕と同じアーケードルート。

直進、もしくは右に曲がった時点で別ルートが確定してしまう。


さぁどうだ・・・?!あと五歩、四歩、三歩、二歩、一歩・・・?!


ん・・・曲がったー!!見事左に曲がったぁ!!


第三関門突破!!

ここまででも十分すぎるくらいの収穫だ。

アーケードを十メートル程進めば僕が働くお店に着いてしまう。

それ以上追いかければ、それこそストーカーになってしまう。

だが地下鉄に乗ってからここまでの時間、こんなにも姫の姿を追いかけることができ、新しい情報を仕入れることができたのだ。

これ以上望むのは野暮ってもんだ。

僕はその右の小道へ入っていく。

せめて最後まで見送り、気づかれることのない手を・・・心の中で振ろう。


そう思い右側に歩みを進めようとしたその瞬間!!


姫が予想だにしない動きを見せた!


なんと、僕がお店の警備を解除するために向かうその右の小道に、姫も入っていくではないか。

ショップ店員という予想が外れるにしても、まさかこの小道に入るとは思いもよらなかった。

僕が呆気に取られている間にも、彼女は小道を進んでいく。

僕もそれを追うように小道に入っていく。

小道には他の人影はなく・・・いやいやいやいや!

さすがに姫が僕の存在に気づいたら変な誤解をされかねない。

それだけは避けたい。

せめてその勘違いは防ごうと、姫が通り過ぎた裏階段の中へ鍵をじゃらつかせたくらいにして入っていく。

いったいその後どこに向かうのか。

繁華街?ってことは飲食店勤務?

それとも近道としてこのルートを使っているだけで、さらにその先にあるオフィス街へと向かうのか?

いろんな考えを脳裏に浮かべながら警備を解除する。


そこでふと気づく・・・?!


完全に姫から目を離してしまった。


急いで裏階段を出て右側を覗くが、そこにはもう姫の姿はなかった。

ここまで知れただけで満足だとさっきまで思っていたはずなのに、姫への好奇心、探究心は深まるばかりだった。

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