第2話 虹

地上に出ると、アーケード街が広がっている。

そしてそのアーケードの一本右の狭い通りは老舗が並ぶ飲み屋街、もう一本右には街一番の繁華街が広がっている。

僕が働くお店はその繁華街ではなく、アーケードを五十メートル程入ると左右に細い小道があるのだが、ちょうどその小道の手前右手の角にあるビルの四階にある。

レストラン「arc en ciel」(アルカンシエル)

フランス語で虹という意味だ。

このお店のオーナーは昔フランスで修行していたのだが、このまま料理人としてやっていけるのか、そう悩んでいた時期にふと凱旋門の上にかかる虹に感動し、それを店舗名にしたらしい・・・のだが、本当のところは多分大好きなビジュアル系ロックバンドを由来としているんだと思う。

そのバンドのコンサートがあるときは必ずお店を臨時休業にしていたのだ。


お店はランチタイムとディナータイムで営業しており、僕はこのお店で店長という立場だが、いわゆるホール長、接客をしている。

お店のオープンは十一時三十分。

その前の開店準備の為、僕はいつも十時前には出勤する。

その際、メインエレベーターで四階に上がる前に一度小道に入り、十メートルほど行った右側にある裏階段の中にある機械でセキュリティーの解除をする必要がある。

ディスプレイに向かってキーをかざすと「ピー」という音とともに警備/解除の選択コマンドが出てくる。

それを解除して表に戻り四階へと向かう。


エレベーターを降りると右側にお店があるのだが、突き当たりのお客様用入り口の手前左側には従業員用の休憩室へ繋がる扉がある。

そこから中へ入り、椅子の上にカバンを置いた。

飲食店の休憩室にしては少し広めな空間には、棚やテーブル、ラックなどが置いてあるくらいで、その広さを有効活用できていない感は否めない贅沢な空間だ。

このお店でメインで働くスタッフは僕のほかにもう一人、料理長がいる。

「ジャランジャランジャラン・・・」

ドアの向こう、エレベーターからやかましい金属音を鳴らしながら降りる人の気配。

「あ、来たか。」

ガチャン。金属製の重いドアが開く。


「うぃ~す。」

黒のニット帽に黒の丸ぶち眼鏡、あごには無精ひげを生やし黒のコートに黒のデニムパンツ、黒のブーツと完全に暗黒面に落ちた騎士のような男性が入ってくる。

「相変わらず眠そうだね、またゲーム?」

「ちげーし、春の新メニュー考えてたんだし。」

「それで、ちょっと休憩がてらモンスターハンティングやりはじめて?」

「そうそう、一狩りだけのつもりが気づけば四時で・・・ってうるせぇし!その通りだけどうるせえし!」


気だるそうに肩をすぼめながらも軽快な乗り突込みを見せるのはこの店の料理長、谷地村圭太。

彼は僕の一個上なのだが、実は昔僕がアパレル関係の仕事をしていたときの同期なのだ。

彼は調理師の専門学校を卒業した後、一時は料理人として働いていたのだが、元々ファッション関係に興味が強く、仕事を辞めアパレル業界に飛び込んだ。

僕も高校卒業後大手シューズ販売店に勤務していたのだが、働いていくうちに「僕が売りたいのは靴じゃない、服だ!」という若いなりの無鉄砲さで転職をした。

今考えれば若気の至りだが、そんな転職先で一緒になったのが彼、谷地村だ。

もうかれこれ十年の付き合い。


ちょうど五年前、僕らの住んでいる街で大震災が起き、働いていたお店が閉店することになってしまい、お互い仕事を辞め彼は田舎に帰った。

僕も二ヵ月間は日雇いの瓦礫撤去などの仕事をしていたのだが、いかんせん腕力にはこれっぽっちも自信がなく、正直かなり辛かった。

そんな時期に、高校の同級生から「街も落ち着いてきたし、久々に集まらないか?」という誘いがあり、同級生六人で集まったのだ。

今では元気を取り戻している繁華街だが、当時はガス・電気などがようやく復旧し、食料もわずかだが調達でき始め、やっと営業を再開し始めるお店が出始めた、そんな時期だった。


集まった仲間同士近況報告を行う。

ガソリンスタンドの店員、学校の先生、大手製薬会社、広告代理店とみんなバラバラな仕事をしているのだが、その中でも一人目立って特殊な男がいる。

大沼というそれはもう綺麗なスーツを着たナイススタイルな男だ。

彼は学生の頃から少し変わっていた。

絵を描くのが好きで美術部に入っていたのだが、どちらかというと少し根暗であまり話をするやつではなかった。

高校卒業後、彼は日本の大学ではなくなんとフランスに留学した。

そんな話を聞いたのは卒業してから結構経ってからだった。

僕のやっているSNSに友達申請が届いて、誰かと思うとプロフィール画像は白人の男女グループと楽しげに笑顔を見せている大沼だった。

どうやら本気で絵の勉強をするために単身フランスに旅立ち、海外での大学デビューも果たしていたようだ。

なにより、この今日の会を企画したのも彼だ。

彼は絵も続けているが、今はフランス料理店で働いているようだ。

フランス語の勉強も兼ねて選んだ接客業だったようだが、そこのオーナーに気に入られて今では星付きの店舗を一つ任されているという。

そのお店で、自らの個展を開いたりもしているらしく、なんだか違う世界へ行ってしまったんだなぁと驚きが止まらない。


近況報告は僕の番になり、日雇いのバイトでとりあえずやり過ごしているという話をすると、その大沼が「もしかしたら紹介できる話があるんだが・・・」と言う。

どうやら今働いてるお店のオーナーの友達が料理長をやっているお店があるということなのだが、そう、それがまさしく今僕が働くこのお店だった。

震災の影響でアルバイトがみんな辞めてしまったので、料理長であるオーナーだけになってしまった。

そこで、誰かホールを任せられる人間を探していたらしい。


そこからは完全に大沼のペース、あれよあれよという間に会う日取りが決まった。

彼がオーナーに僕のことをなんと言って紹介したのかは知らないが、着くなり「今日から宜しく!」ばりなテンション。

僕にはもうこのビッグウェーブを乗り越えられる手段はなかった。

流されるままに、ただ「はい。」とうなずき続けた。

まぁ正直、瓦礫撤去の仕事の何倍も魅力を感じたのは事実だ。

ずっと接客業をしていたということもあり、接客にも自身はあった。

そんなこんなで次の日からはもうこのお店、「arc en ciel」でエプロンを巻いていた。


それから二年が経った頃、オーナーが少し体調を崩してしまい、一人料理人を雇い負担を減らしたいと相談された。

誰かあてはないものかと考えていたとき、「あ。」と彼のことを思い出した。

そう、かつての同期谷地村だ。


久々に電話をしてみると、田舎で派遣社員としてサラリーマンをやっていたようだが、またそっちに出て行こうか迷っているというので、これはチャンスと話をしてみた。

オーナーの元で修行をし、ゆくゆくはこのお店の料理長として働いていく気はないかと。

谷地村は少し悩んでいたようだが、「今の生活よりは楽しそうだし、いいか。」と快諾してくれた。

僕は彼のいい意味で行き当たりばったりな適当さが好きである。

そこから二年間修行を積み、去年から料理長として頑張っている。

オーナーは時折ソースなどの味のチェックには来るものの、基本的には谷地村に任せている。

体調もよくなり本格復帰かと思いきや、オーナーとしての手腕が達者なのか、もう一店舗クラブを経営し始めそれが思いのほか順調なようで、今ではオーナー風吹かして自由に生きている。

まぁ、そのオーナーに食わせてもらっているのだから、当然感謝しかない。

むしろ僕と谷地村の二人で自由にお店をやらせてもらえている今の状況は非常に居心地がいい。

最近ではバイトで雇った三人の学生を養うため、店長としてそれなりに頑張っているつもりだ。


「ってかやっちん聞いて!」

まだ寝ぼけ眼な谷地村が眼鏡の奥で目を丸くする。

さほど大きい声を出したつもりはなかったのだが、朝の出来事を話そうと思った途端、消えかけていた胸の高揚が自然とボリュームを上げていた。

「なに?」

履いていた黒のデニムを脱ぎ、仕事用の黒のデニムに履き替えながら谷地村が聞いてくる。

・・・その履き替える行為については無駄しか感じないのだが、今は置いておく。


「はい僕、出会っちゃいました。」

「なにに?」

「運命の人に。」

Tシャツの上にコックコートを着込み、エプロンの紐を縛りながら谷地村がこちらを見る。

「・・・よーし仕込むぞぉ。」

なにも聞いてませんと完全無視を決め込み厨房に向かおうとする。

「ちょちょちょ、ちょっと待って、まじ、まじだから。」

歩き出す彼の腰に巻かれた紐をつかみ引っ張る。

綺麗に結び目が解ける。

「ちょ、やーめろし。」

仕方なさそうにこちらを振り返り紐をまた結びなおす。

「まじまじまじまじ、僕の姫に出会ったんだよ。」

ここでもまた“姫”という言葉を使った自分がいた。

そして、僕の中で“姫”が彼女の固有名詞に確定した瞬間だった。

「ひめぇ?」

呆れた声で谷地村が言う。

「いやぁね・・・」

二人で厨房へと向かいながら、今朝あった一連の流れを谷地村に話した。


「いや出会ったもなにも、見たってだけじゃんよ。」

笑いながら谷地村が言う。

「ん・・・まぁ、ね。」

彼の言うことはごもっともだ。

姫とは話したこともなければ名前も知らない。

「出会い」とは、その人と接し会話をし、自分という存在を認識してもらえたとき、初めて出会いなんだと思う。

そう言った点で考えれば、僕はまだ出会ったわけではなく、見ただけなのだ。

それでもそんな理屈をすっとばして、僕という存在は姫という存在に出会ってしまった。

完全に、まだ一方通行な出会いだが、この出会いをただ同じ電車に乗り合わせたうちの一人と終わらせたくはなかった。

どうせ終わらせるのであれば、せめて僕という存在を知ってもらい、悪魔にさらわれた姫を助けに行くがあっけなくやられてしまう、そんなオチとともに華々しく散りたい。

「いやでもね!きっとまた会えるはずだから、必ず近づいて見せるよ。」

なんの根拠もない話だが、むしろその身勝手な願望を込めてそう言った。

「まぁせいぜい頑張れや。」

厨房のコンロに火を点しながら、話半分にすら聞いていないであろう谷地村から心ない声援を受け、それぞれ開店準備に取り掛かった。

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