第9話 アルバートとルシール
— 数時間前。
「アルバート様、今日も行かれるのですか?」
シャンセマムは、アルバートの後ろに付き従いながら声をかけた。
「あぁ、今日こそはこの件を承諾してもらう。早くしないと・・・・・」
前を歩くアルバートは、眉根を寄せながら苦渋の表情をしている。
アルバートより数十センチ背の高いシャンセマムは、アルバートの後姿を斜め上から眺めながら無言で付いて行く。
いつもの角まで来たところで、アルバートはシャンセマムを振り返った。
自分より背の高いシャンセマムを見上げて、アルバートは一つ頷いた。
シャンセマムは、深くお辞儀だけして踵を返した。本来なら授業以外は従者として、常にそばにいなくてはいけない。しかし、ここに向かう時はアルバートが一人で向かう。付き従うことは許されない。
アルバートは、シャンセマムの姿が見えなくなるのを確認して杖を取り出した。
杖を壁に向けて、クルッと3回円を描いた。そして、壁のレンガを杖でトンッと叩いた。
すると、レンガが左右に消え始めた。そこには薄暗い通路が続いていた。
アルバートは、一歩一歩とゆっくり足を進めた。アルバートが通路に入ると、レンガは元に戻っていった。それとほぼ同時に通路に明かりが灯った。
アルバートは大きく息を吸い込んで、奥へと進んで行った。コツコツと一定のリズムで、アルバートの足音が通路に響く。
数メートル進んだ先に、黒く古い扉があった。アルバートがコンコンと二回ノックした。
すると、扉は自然と開いて、中から声がした。
「お待ちしておりましたわ、アルバート様。さぁ、中にお入りくださいませ。」
アルバートはもう一度大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと部屋の中に足を進めた。
大きな長椅子にゆったりと座っている黒髪の女性が、アルバートが入ってくるのを確認して、持っていた杖を横にすっと動かした。
「ルシール嬢、先日の件は考えてくださいましたか?」
部屋のドアが閉まるのを確認してアルバートが話し出した。
「そんなに焦らないでくださいまし。まずは、座ってお飲み物でもいかがかしら?」
ルシールと呼ばれた女性は、薄く微笑んでアルバートに椅子を指し示した。
「結構です。今まで色々と手伝ってきましたが、このままでは戦争になります。それは父上もあちらも望んではいません。ですので、これ以上は、あなたの為にもやめて頂きたいのです。」
アルバートは、目に力を込めてルシールを見据えた。手には、入ってくるときからずっと握りしめている杖がある。ルシールは、表情を変えることもなく、アルバートを見つめている。
「ふふつ、私の為ですか?やはり、アルバート様は何も分かってらっしゃらないのね。これは、皆が望む未来ですよ。いつまでも若く、老いることも死ぬこともない世界で、自分が一番美しい時の姿のまま生きていくのに何がいけないのです?アルバート様も老いていくリリーシュ様を見たくはないでしょう?」
口に手を当てて笑いながら、ルシールは話を続けた。
「それに、もうアルバート様も戻ることはできないのですよ?私に協力してきた事実は、変えられないのですから。」
ルシールの言葉を聞きながら、アルバートの顔はどんどん険しくなる。
「それとも、自分の罪を公にして、王位でも捨てるおつもりですか?」
「あぁ、そのつもりだ。君に騙されていたとはいえ、学校の備品や王国の宝物を盗んだ事実は変えられない。」
「騙したなんて、失礼ですわ。アルバート様がリリーシュ様を信じてあげられなかっただけではありませんか?私は、そうかもしれないと伝えただけで、行動に移したのはアルバート様ですわ。」
アルバートは口をつぐんだ。その様子を見て、ルシールは笑顔を作って話を続けた。
「アルバート様、杖をしまってそろそろお座りになったらいかがですか?」
アルバートは、小さく肩を震わせて、さらに杖を強く握った。ここで折れてはこの国の未来はこの魔女に乗っ取られてしまう。僕が無知で、馬鹿だったせいで国民を危険にさらすことはできない。
「結構だ。こちらの提案を断るのであればここで、あなたを拘束します。」
アルバートは、杖を持ち上げてルシールに向けた。
ルシールは、笑顔を崩すことなくアルバートを見つめている。
「あら、私を簡単に捕らえられると思っていらして?」
アルバートが杖を動かすより早くルシールが先に杖を振った。
アルバートは宙に浮いてそのまま扉に張り付けられた。小さくうめき声をあげることしかできないでいた。
「私を甘く見すぎましたわね、王子様。さあ、そのまま私の奴隷におなりなさい。」
ルシールは立ち上がって、アルバートの方へと近づいた。そして、アルバートのおでこに杖を合わせた。杖からは白く細い光が出て、アルバートの頭の中に吸い込まれていく。
アルバートはそのまま意識を失ってしまった。
ルシールは、その様子を見て薄く笑った。
「さあ、王子様、私と共に生きましょう。」
ルシールは、アルバートを先ほど入ってきた壁の前まで連れて行き、そこに放置した。
それから、ルシールはまたどこかに消えていった。
― 現在
リリーシュは身体が重たく感じて、目を覚ました。部屋の中はまだ暗く、目を開けても周りの様子があまりよく分からなかった。何度か瞬きをして少し目が慣れてくると、自分の身体の上に人がうつ伏せに倒れているのが分かった。
リリーシュはどうにかして身体を起こそうとした。しかし、その人物が自分よりもはるかに重く、大きくなかなか上手く身体が起こせない。
下敷きになっていた腕は出せたので、倒れている人を揺り動かして起こそうとした。だが、その人は目を覚ます様子はなく、揺らしてしまったせいかリリーシュの身体からずるずるとずれていき、布団と共にベッドから落ちてしまった。
リリーシュは慌ててベッドから降り、その人の様子を窺った。
「あの、大丈夫ですか?どこかお怪我をされていませんか?」
暗闇に慣れてきた目でその人物を見ると、シャンセマムだと分かった。リリーシュは身体を起こせないかシャンセマムの腕や脇の辺りを持った。その時、ぬるっとした生ぬるい液体が手を滑らせた。
「これって・・・もしかして・・・・」
リリーシュは自分の手を見つめた。鉄の様な臭いもする。血だと分かった。
シャンセマムが血を流すほどの怪我をしていて、さらに意識もない。リリーシュはとりあえず、布団を巻き付けて血を止めようとした。そして、灯りをつけなくては状況を判断しなくてはと、自分のベッドから離れて、部屋の灯りを付けた。
リリーシュは目を疑った。
あの綺麗だった医務室の姿が一変していた。リリーシュの寝ていたベッドだけ何かに守られるように無傷で、それ以外は無残にも壊されていたり、横倒しになっていたりする。
アルバートの姿はなかった。
王子を狙った誰かの仕業なのか、なぜ私だけ無傷なのか、シャンセマムはどうして私の上に横たわっていたのか、他の人はこのことに気が付いていないのか、リリーシュの頭に中はほぼパニック状態だ。
「ゔ・・・・・」
小さくシャンセマムのうめき声が聞こえた。リリーシュはそこで意識をシャンセマムに向けた。もう一度、シャンセマムのそばに戻り、自分でできる手当を始めた。
「カーライル様、私ができるのはこれくらいですので、先生を呼んできますね。もう少し、お待ちください。」
そう言って、リリーシュはその場を離れようとした。しかし、シャンセマムに腕を掴まれた。
「お、お待ちください・・・アルバート様を・・・た、助けてください。」
声をどうにか振り絞るようにかすれながら、シャンセマムはリリーシュに訴えた。
「アルバート様がどこにいるのかご存知なのですか?」
リリーシュはシャンセマムのそばにもう一度寄って、話を続けた。
「あの・・・女のところ・・・ル、ルシールという・・・・王子は・・・魔法をかけられている・・・」
意識を失いそうになりながら、シャンセマムはリリーシュにどうにか分かるように伝えてきた。
「ルシール?・・・その人はどこにいるか分かりますか?」
リリーシュは聞き覚えのない名前を頭の中で繰り返した。
「いつも・・・・動物たちの・・・・・小屋の前で・・・・・」
そこまで話してシャンセマムはまた目をつむってしまった。
リリーシュはシャンセマムが息をまだしていることを確認して、ケイヨウを呼びに部屋を出た。
シャンセマムをケイヨウに任せて、リリーシュはルシールという人を探しに魔法動物たちのいる小屋へと向かった。
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