第19話

 俺たちは共有スペースに居た。エラディオの遺体を皆で彼の部屋に運んでから、まだ誰も言葉を発していなかった。二人のアンドロイドでさえ、エラディオの死を本当に心から悼んでいるように無言だった。シェーンは、自分の言った通りになった、と言いたげに軽く薄笑いさえ浮かべていたが、流石にそれを口にするような馬鹿な真似はしなかった。従って他の人間たちは何にも邪魔されずに、個々が心の中で思う存分、エラディオの死を嘆くことができた。


 重い沈黙を破って、最初に口を開いたのはブランドンだった。


「俺は臆病だった。あのとき、電子ロックの解除なんかより君らを助けることを優先していれば……」


 ブランドンはずっとその思いを抱えていたに違いなかった。腰が抜けて立てなくなっていたホンファでさえ、エラディオの危機に奮い立って動いたというのに、ブランドンはずっと安全な位置でそれを見守っていたのだ。俺はそのことを責める気はない。きっとホンファも。だが、ブランドン本人は自分のことを責めずにはおれないだろう。きっとこれからも、死ぬまでずっと。


「違うわ。あのとき私が倒れなければ、倒れてもすぐ立ち上がって走れていれば、きっとこんなことにはならなかった」


 ホンファはそう言うと髪を掻き毟ってまた泣き出した。多分この場の誰よりも彼女はエラディオの死の責任を感じているだろう。ホンファは失禁したために服を着替え、シャワーを浴びていた。それがどれだけ惨めで恥辱に満ちたことか、想像するだけでナイフで抉られるように胸が痛む。


「誰のせいでもない」と、俺は言った。「エラディオは自分の意思で、リスクを承知で自らが食料を取りに行くことを決意したんだ。彼は誰も責めはしないだろう。……いや、責めるべきは犯人だけだ」


 ブランドンが頷く。「お前の言うとおりだ。しかしこれではっきりした。あのロボットは人工知能が故障しているわけじゃない。明らかに論理的で、狡猾な悪意を持って俺たちを殺している。ロビンが一体始末したが、もう一体、デイジーを襲ったやつが居る。残りの一体も敵と考えて間違いないだろう」


「ロボットは停止しただけです。今頃再起動されているかもしれません」


 ライアンの言葉に、足の折れたデイジーが真顔で付け加える。


「そこが疑問ね。ロボットが一体だけで私たちを襲えば、停止される可能性が高いことは犯人も分かっていたはず。分散せずに三体が束になってかかられた方がこっちは危なかったのに、なぜかロボットたちはそれをしなかった。犯人の意図が分かれば良いんだけど……」


「もう、お前らアンドロイドは役に立たない」

 とシェーンが半ば鼻で笑うように言った。

「お前らの人工知能がいじられているか否かだけが問題じゃない。狂った殺人鬼の考え方なんて、お前らの人工知能に理解できるわけがない。所詮お前らは機械なんだよ」


「犯人の意図は分からない。それは俺も同意だ」


 ブランドンはシェーンの言葉を遮るように言った。シェーンの言葉は皆を悲観的にする以外何の役にも立たないとブランドンは考えたに違いなかった。皮肉なことに先刻まではブランドン自身がそんな言動をしていたのだが。


「分からないから、それについて議論していても仕方がない。それより今はとにかくこれからの方針を決めなきゃいけない。情けないことだが、正直に言って、エラディオが俺たちのリーダー的存在で、精神的に頼っていた面があった。俺たちはそんな彼を亡くした。またリーダーを選ぼうとすると争いになるだろうからそこまでは言わないが、方針は必要だ」


「方針? そんなのもう必要ないだろ?」


 シェーンは声を荒らげた。反論しているというよりも、ブランドンの態度を快く思っていない様子だった。


「食料の奪還はもう不可能だ。シャッターは閉まっている。あとは各自、ここに居る人間に襲われないよう気を付けながら一週間過ごすだけだ」

 

 一週間……。この環境と精神状態の中、食料もなく一週間過ごすということは本当に可能なのだろうか。もしかすると発狂する人間も出てくるかもしれない。犯人はそのために生かしておいたのではないか。そんな考えが頭を過ぎる。


「一つ言っておきたいことがある」


 シェーンは立ち上がってソファに座っている俺たちを見下ろすと、威圧的に俺たちを見回した。


「これからは、僕は僕の考える最善の方法をとる。誰にも異論は言わせない。誰にも僕の邪魔はさせない。分かったか?」


 誰も返事をしなかった。シェーンはそれをイエスと受け取った。


「ライアン、バケツか何か、水を沢山溜められるものはないか?」

「あれはどうですか? 15リットルは入るでしょう」


 ライアンは共有スペースの端に置いてある四角いゴミ箱を指差した。


「ああ、それでいい。中のゴミをどこかに捨ててシャワールームで洗って水を目一杯溜めてエラディオの死体がある部屋の中に置いてくれないか。今すぐに」

「分かりました」


 ライアンが言われたとおりにすぐ立ち上がってゴミ箱をシャワールームに運んで行く。

 ブランドンが不思議そうにシェーンに尋ねる。


「部屋に閉じこもるつもりか。だがなぜエラディオの遺体がある部屋に?」

「そこに食料がある」


 その意味を悟って、全員が絶句した。


「最初に言っただろう? 誰にも異論は言わせないし、邪魔はさせない。僕は生き残るために最大限努力する。モラルだとか何だとかそんなこと言ってられない。考えてもみろ。シャッターを開けないならこの空間はもう大海原の上で遭難したボートと同じなんだ。食人のため人を殺すことすら正当化される。しかし僕は殺人をするわけじゃない。死体を食べるだけだ」

「しかし、いくらなんでもそれは……」そう言った俺の言葉は、もちろんシェーンの心を変えたりはしない。

「君たちは馬鹿なんだ。論理的にならずに陳腐な団結感に浮かれて食料を取りに行って、その結果一人失った。論理的に、自分の命を第一に考えれば、食料を取り戻したいやつには取り戻させておいて、自分はこの居住区域で待っていれば良かったんだ。そして今度も僕に非論理的に反論する。一週間何も食わず飢えろというのか? それが犯人の望みかもしれないのに? 生きる可能性を少しでも上げる、それは人間として、生物として、当然のことじゃないか?」


 俺は返す言葉を見つけられないでいた。この場の全員がそうらしかった。ライアンが水が溜まって15キログラムとなったゴミ箱を、生身であるがゆえに重そうに運んできた。シェーンは彼に黙って着いて行った。


「狂ってやがる」


 ブランドンが嫌悪感を丸出しにして呟いた。ホンファは顔面蒼白になっていた。今ならまだシェーンを止められる、と思いつつ、俺は何もできないでいた。

 ついさっき死んだエラディオを食べるなんて想像するだけで吐きそうだったが、理性ではシェーンの言い分に納得してもいた。彼はあの刑務所で話した食人鬼と違って、純粋に生きるために死体を食べようとしている。確かにそれは多くの人にとって生理的に、また文化的、宗教的にも受け入れがたい行為だろう。しかし、食べられるものを食べずに衰弱して、いざというときに逃げることも反撃することもままならず死んでしまうこともまた、せっかく授かった生命を侮辱することになりはしないか。

 少なくともこれは善悪の話ではないと俺は思う。


 ライアンが戻って来た。


「火星に到着するまで誰も部屋に入って来るな、とのことです」

「ふん、入るかよ」ブランドンは肩を竦めて苦笑いを浮かべた。

「ああだけは死んでもなりたくないな」


 ブランドンはいかにも同意を求めるようにこちらを見たが、俺は同意も不同意もしなかった。ホンファも俯いたままだったので、場が静まり返って白けた空気が流れた。

 気が付けば、二人が欠けて俺たちは五人になっていた。その内二人がアンドロイドなので、人間を数えるだけならたった三人だ。


 ブランドンが、ぼそりと呟いた。「多分、あいつだぜ」

「……何が?」

「分かっているだろ? あいつだよ、犯人。ああやって一番ビビっているように見せかけて、内心ほくそ笑んでいるのさ。あいつは直接手を下さない。ロボットが事前の命令通りに動いて俺たちを一人ずつ殺していく。そうしてあいつが最後の一人になって、警察に証言するんだ。ずっと部屋に鍵をかけていたから助かったって。ロボットの人工知能が細工された痕跡はわざと残されるだろう。あいつに関わること以外は。そうして外部犯の犯行に見せかける。最初からそういう計画なんじゃないか?」

「まさか」

「可能性は大いにあると思うね。大体、あいつだけが食料を取りに出なかったのだっておかしかったんだ。シャッターの外が怖いってんなら、一人だけ居住区域に残ることも怖いはずだ。どっちも怖いなら普通は皆と一緒に行動する方を選択する。そうしなかったのは、ロボットが不自然にあいつを避けて他の人間を襲いでもしたら、あいつが犯人だと一発でバレてしまうからだ。あいつは居住区域を出たくなかったんじゃない、出られなかったんだ」


 太っている女性の前でダイエットの話をするような空気の読めない男ですら、ブランドンの口調から彼がずっと前からシェーンを疑っていたということを察するに違いない。それに、彼のシェーンに対する個人的な感情が疑念を助長しているということも。ブランドンは明らかに冷静ではない。しかしまあ彼の説の筋は一応通っていたし、俺もシェーンが一番怪しいとは思う。


 だが、俺には彼の説をそのまま信用してはいけない理由が二つある。一つは、決定的な証拠がないこと。もう一つは、そう言っている彼、ブランドン自身が犯人である可能性もゼロではないということ。


 ブランドンは興奮して喋り続けた。


「そうか、そうだ。あいつはきっと、自分の殺した人間の一部を切り取って勲章にしているんだ。船長の顔の皮を剥いで、それをロボットにこれ見よがしに貼り付けているのも、俺たちを怖がらせるためじゃなく、あいつにとっては自尊心を満たすための儀式なんだ。きっとエラディオの死体も今頃切り取られてる。……いや、切り取るだけじゃなく、食うのか。そう、食うんだ! それがあいつの、おそらくずっと昔から抑えてきた衝動だったんだ。そして遂に堪え切れなくなって今回の事件を計画した――そう考えると全て辻褄が合う。居住区域に食料がないことなんて、あいつには端から問題じゃなかったんだ。あいつにとってはもう食料はあったんだから。そうすると、君が一番危ない、ホンファ。猟奇殺人犯が最も欲するのは大抵若い女の肉だ。性欲と食欲を同時に発散できるからな。普通の殺され方はされ――」

「もういい、言い過ぎだ!」


 俺が大声で制すと、ブランドンはようやく自身がアクセルを踏みすぎていたことに気付いたらしかった。彼はばつが悪そうに口を噤んだ。


 大声を出したことで、どっと疲れが出てきた。体力はまだあったが、精神はもう限界に近かった。まるでありとあらゆる負の感情でできた毛虫たちが頭の中を蠢いているみたいだ。それでもこの面子ではどうも俺がしっかりしないといけないようだ。何とか呼吸を整えて言葉を続けた。


「シェーンの味方をするつもりはないが、今のは少し妄想が過ぎているよ。だが自分の推理を皆と共有するのは俺も賛成だ。それで疑心暗鬼になるのは良くないと思うけど、一つしかない自分の命がかかっているんだから、どんな考えでも聞いておきたい。それと……そうだ、話が途中になっていた、今後の方針も決めなくちゃいけない」

「あの」


 ずっと人形のように黙っていたホンファが、手を上げて発言した。


「彼――シェーンは正しいと思います」


 驚く俺たちを見て、彼女は慌てて言い直す。


「もちろん、死体を食べることに賛成しているわけじゃありません。発想を柔軟にすれば食料はあるってことです。人間の肉じゃなければいいんです」

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