第4話 噂

「……もうできてるよ」

 言ってはいけないことを言ってしまった自分の無神経さに玲美は気落ちした。

「そうなんだ」

 ではひとりっ子ではないではないか、という言葉もけっして口に出すことはできなかった。

 摩子と友だちをつづけたければ、今後二度とこのことについては玲美から口を出さない方がいいだろう。それでも、このままだまりこんでしまうと、かえってとりかえしのつかない傷をふたりの間に残してしまいそうで、それが怖くて玲美はぎこちない言葉をなんとかつづけた。

「男の子? 女の子?」

「……男の子」

「じゃ、おとうと、だよね」

 弟ではなく、異母弟。微妙なひびきがその言葉にはこめられている。

「可愛いでしょうね」

「……そうだね」

 ふたりともだまって窓の外をながめた。金魚ちゃんはまだそこにいる。うららかな日差しのなか、ぼんやりとあらぬ方を見ている。

「今日もママはお買い物なのかな」

 摩子がつぶやく。

「でも、変じゃない? こんなところにお店なんかある?」

「それを言うなら、あの子自体こんなところにいるのがおかしくない? ね、こんな話知っている?」

 摩子がいたずらっぽく笑ってみせた。なんとなく、感じ悪い笑い方だと玲美はこっそり思ってしまった。

「隣のクラスの子から聞いた話。もうずっとまえに卒院した先輩から語り継がれてきたある生徒の話なんだけれどね」

「うん」 

「その生徒は院になじめなくて、ひどいホームシックにかかって、いつも窓の外をながめては家に帰りたい、帰りたいって思いながら涙ぐんでいたんだって」

 気持ちはよく解る。

「あるとき、その生徒は昼休みに見知らぬ小学生ぐらいの女の子を見かけたの。ちょうど今のわたしたちみたいに窓から外を見ていると目について、そのうち規則をやぶってその子と少しずつ話すようになり、仲良くなっていったんだって」

「うん。それで」

「けれど、どんなに仲良くなっても女の子は名前を聞いても名のらない。住んでいる場所を聞いても答えない。ただ、にっこり笑っているだけ。その生徒はだんだん不思議に思うようになっていったの。第一、考えてみれば、バスで駅から五十分近くもかかるこんな森の果てに、いったいどうして小学生ぐらいの女の子がひとりで来ているのか、考えれば、考えるほど奇妙に思えてきたの」

 玲美はだまって話を聞いた。

「保護者らしき大人といるのを見たことは一度もないし、人が住んでいる家もこの付近には一軒もない。なにを訊ねてみても、女の子はにこにこ笑っているだけ」

 なんだか、金魚ちゃんとそっくりだと思ったものの、口には出さず摩子の話に耳をかたむけつづけた。

「その生徒はやがて女の子を見かけることが多くなり、教室で授業を受けているときも、体育の授業のときも、食堂で昼食をとっているときも、寮の部屋でいるときも、窓の向こうで笑っている女の子を見かけるようになるの。だんだん、生徒は気持ち悪くなってくるの。いったい、あの子はどこの子なんだろう? 小学校に通っていないのかしら? 家はどこなんだろう? 考えてみればみるほど、変に思えてくるの」

「ふうん」

 玲美は両肩がはってくるのを感じた。

「ついに、ある夜、消灯時間に電気を消そうとしたとき、窓の外に立っている女の子を見て、生徒は悲鳴をあげてしまったの」

 夜、真っ暗ななか、かすかな門燈の明かりに照らされて、やっぱり少女は笑っていたという。にこにこと、こちらをながめて笑っていたという。窓ガラスのむこうで、生徒にむかって笑いかけてきたという。その生徒は悲鳴をあげて失神したそうだ。

「同室の生徒に介抱されてすぐ意識をとりもどした生徒は、事情をルームメイトに説明するんだけれど、ルームメイトはそんな女の子など見ていないというの。念のために窓をあけて外を確認してみるけれど、誰もいなかったし、夜遅い時間にこんな森の奥に小学生ぐらいの女の子がひとりで立っているわけがない、あなたの錯覚だろうと説得するんだけれど、生徒はとても納得いかない」 

 いやな予感に玲美はおびえて、あとずさったが、摩子の話は終わらない。

「ちょっと……やめてよぉ……」

「それから三日後よ。その生徒がいきなり心臓発作をおこして亡くなったのは」

「嘘でしょ」

 玲美は泣き笑いの表情をうかべてしまった。怪談やホラーは大の苦手なのだ。

「同室の生徒は、ふと思うの。もしかしたら死んだ彼女が見た女の子は、彼女のことをむかえにきた死神だったんじゃないか、って」

「ちょっ、ちょっと、やめてよ。それじゃ、金魚ちゃんも死神だっていうの? わたしたち死んじゃうの?」

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