第3話 きょうだい

「いいんだ。もう一年辛抱したらここも出られるし、そうしたら好きなことやろうと思っているの」

「ここ、卒業したら摩子はどうするの?」

「うーん。とりあえず遊んで暮らすかな」

「摩子ったら」

 玲美は苦笑してピアノから指をおろした。

「じゃ、どんなことして遊ぶの?」

「とにかく出たら考えるけれど。でも、ここ出たらすぐマックに行きたいなぁ」

 摩子の声からは切ないほどの欲望がひびき、玲美も死ぬほど外の世界が恋しくなった。

「わかる。わたし、ポテトにマヨネーズかけて食べてみたいぐらい」

「それに、コーラも」

 想像するだけでよだれが出てしまいそうだ。ついさきほどすませたばかりの味気ない昼食を思い出すと、やるせなくなってくる。

 玲美は気をまぎらわすように窓の外をながめてみた。金魚ちゃんは、虫でも見つけたのか足もとの土をいじっている。

 玲美は自分が金魚ちゃんと同じ歳ごろのときを思い出そうとしてみた。金魚ちゃんは、小学……二、三年ぐらいだろうか? 土をいじったり花や蝶に見とれたり、世界のすべてが夢と冒険と自由に満ちあふれていた季節が自分にもあったろうか。もう思い出せない。

「玲美はどうするの? 地元にもどって大学にすすむの?」

「地元にはもどらないと思うの」

 玲美が生まれ育った町はしずかな地方都市で、のどかでいいところだとは思うけれど、どうしても帰りたいとは思わない。

「わたしねぇ、したいことがあるの」

 そうつぶやくと、玲美は摩子とならぶようにして窓辺に立ち、いっしょに金魚ちゃんを見つめた。金魚ちゃんの両耳のところでおさげにくくられている髪が、兎のしっぽのように可愛らしくゆれる。

(あんな妹、ほしいなぁ)

 玲美には二歳年上の姉がいるが、姉妹仲はあまりよくなく、性格もまるでちがい、実家にいたときはいつもぶつかって喧嘩ばかりしていた。こうしてはなれてみても、すこしも会いたいとは思わない。姉は地元の大学へ進学して元気にやっているらしいが、どこでなにをしていようが、なんの興味もわかない遠い存在だ。家を出た父より遠い。

 ひとりっ子の摩子は玲美に姉がいるのをしきりとうらやむが、世のなかの姉妹がみんな仲良しなわけではない。玲美と姉のように、おなじ家に住んでいてもほとんど口をきくことがないような、そんな冷えた姉妹関係というのもあるのだ。

「したいことって、なに?」

「わたしねぇ、カウンセラーになりたいの」

「へー」

 摩子が意外なものでも見るように玲美を見つめた。

「びっくり。そうだったんだぁ。カウンセラーか。山下みたいになりたいの?」

 ふたりが苦手な舎監教師は寮ではカウンセラーも兼ねている。入寮した日、そのことを告げられ、悩みがあればなんでも相談しに来るようにと言われたが、一度も行ってない。

「うーん。あんな頭でっかちで、きゃんきゃんうるさい人に相談しようなんて思わないけれど」

「山下のカウンセリング受けた生徒って多いらしいけれどね」

「役に立ったの?」  

「どうだかね。でも、ひどい不眠症にかかった子が山下のカウンセリングを受けて治ったって言ってたけれど」

 玲美は舎監教師のつりあがったするどい目を思いだした。気安く相談したり頼りにしたりしようとは思えないが。

「たまたま自然に治っただけかもよ」

「かもね。……でも、わたしだったら山下じゃなくてもカウンセリングなんて受けようって気にならないけどなぁ」

「摩子、そういうの、きらいなの?」

 摩子は目じりをさげるようしにして、考えこむように天井を見つめた。

「なんかさぁ、自分の心のなかを見透かされるような感じじゃない? ろくに知りもしない人間にあなたの気持ちがわかるわ、なんて理解をしめされると、かえってムカつく」

 玲美はだまってしまった。

「人の心のなかなんて、複雑なもんじゃない? それをちょっとしゃべっただけで調べられるもんだなんて思われたら、いやだな。それにさぁ、人の悩みなんて、結局、当人でしか解決できないもんだと思う」

「それは……そうだろうけれど」

 摩子があわてて手をふった。

「あ、べつに玲美の夢を否定するわけじゃなくて、ただわたしがそう思ってるだけ。玲美がなりたいなら、わたし応援するよ。あれ、金魚ちゃん、帰るみたい」

 うずくまっていた少女は、立ちあがってスカートについた土をはらうように両手で足のあたりをはたいている。それからこちらを向くと、照れたように笑った。

「可愛い子だよね。わたしひとりっ子だから、あんな妹欲しいな」

「そのうち摩子のお父さんと新しい人とのあいだに赤ちゃんができるかも」

 そうしたら、妹か弟ができるわよ――そう思ったが、その言葉を玲美は口にすることはできなかった。摩子が一瞬、ムッとしたような顔をして唇を噛んだのだ。

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