第22話

 吸血鬼という存在を知っている者はこの広いフローディアでもごくわずかだ。個体数が少ない故ではあるが、ここ数年でネズミ算のように増えているとも言われている。

 多くの種族が息を潜めながら生活しているフローディアにとって、吸血鬼は突如として往来したアメリカ人のように招かれざる来客、つまりは移民なのだ。出所こそ不明だが彼らは何らかの目的をもってこの地に足を踏み入れている。

 人間とほぼ変わらぬ外見ではあるが圧倒的な力と反射神経を持ち、鋭い牙で人間を餌にする。また吸血鬼の血を人間に分け与えることによって人間を下僕としての吸血鬼にすることも可能だという。

 多くの場合、太陽や十字架、銀やにんにくを弱点としており、とくに太陽と銀に関しては彼らに致命的なダメージを与えるとされている。

 弱点が多い生き物ではあるが前述したとおり圧倒的な力や反射神経を持つ彼らには実際のところ対抗することができないのが現実だ。今はまだ都市伝説の域だが、彼らの存在が浮き彫りになったときフローディアは大混乱に陥るだろう。人間にもフローディアの先住民にも成す術などありはしないのだから。



 その場所は地獄の丘と呼ばれていた。うねるように凹凸の激しい赤土の大地が辺り一帯に広がり、岩は地面から上空を穿つかのように鋭く伸びている。夕暮れ時、この場所は夕日に照らされて深紅が目を眩ませんと輝きだす。その場に立つ者を地獄にいると錯覚させる光景がこの地名の由来だ。

 馬を走らせるカイルたちの眼前にも不気味なほど大地を赤く染めた光景が広がっている。井戸で汲んできた水筒を音を立てながら走るカイルの黒馬はさながら地獄の死者といったところか。


「しかし・・本当にいいのかい?」


 カイルは汗を拭って後ろのアーニャに尋ねる。夕方とはいえ厳しい暑さの残る中でもカイルはコートを脱がないでいた。その暑さは地獄のような視界からも来ているのかもしれない。


「何が?」


「宝探しに付き合うって。君がいてくれるならモチベーションはあがるんだけど、正直勧められないなぁ」


「突き放さなかったのはてっきり私の力を見込んでのことだと思ったんだけど」


「あの状況で君を突き放すほど俺が薄情な人間に見えるかい?」


「・・そうかもしれないわね」


 暑さでぼやけた頭を水筒の水を飲んで冷やすアーニャは意外にもこの暑さをものともしていなさそうだった。財宝がどれだけの価値なのかは知ったことではないがリスクが伴うのなら突っ込んでいかないわけにはいかない。ハイリスク・ノーリターンなどアーニャには慣れたものだ。そしていつの間にかリターンに興味を示さなくなった自分がいることに気づき始めてもいる。


「そりゃあ、君は強いかもしれない。間違いなく俺が見てきた中では一番に強い女性だと思う。・・でも、この先に何があるか俺にも分からないんだ。君の命は保証できない。なんなら引き返して近くの町に・・」


「構わないわ。それにここまできたら進むしかないんでしょう?」


 カイルは唾を飲みこんだ。

 ここはフローディアでも外れの場所。人の立ち入ってはならない場所。それこそ凶暴な先住民や化け物がいつ岩の影から出てきたっておかしくはない。追っ手の事は心配だがここまで来てしまったら宝のありかまでそう遠くはないのだ。


「いいさ。俺が君を守る。だからできるだけ離れないでいてくれハニー・バニー」


 アーニャはカイルの背中越しで頬を緩める。




「見えるかヒイロ」


「ああ。あいつと一緒だ」


「・・しかし、こんなとこまで来て何しようってんだ?あのスカした野郎もアーニャも」


「さぁ。でもここまで来たらあとは追うしかないだろう。あいつの目的が知りたい」


 丘の上から道行く二人をテレスコープで眺めるヒイロとアレン。カイルたちが町を離れ、荒野を行き進んだ時から二人は馬鹿正直にまっすぐ追うのはやめて、一定の距離を保ちながら様子を見ていた。


「この先に何かあるか知ってるか?」


「・・さぁ。この先には町はもちろん人もいないだろう。あるとしたら追いやられた先住民たちの住処だけだろうね」


 先住民の住処か。アレンは酒を煽って考える。


「もしかしたらあいつ先住民なんじゃないか・・?そんでアーニャを生贄にして血の儀式を」


「アレン、少し飲みすぎだ」


「馬鹿な考えだっていうのか?可能性はあるだろ。そうじゃなきゃ南北戦争で勝利を知らないまま逃げてきた北軍の集まりがあって、そこでアーニャは豚どもの餌食に」


「アレン」


「・・今度はなんだ?」


「意外と物書きが向いてるかもしれないね」


「お前が言うと褒められてるのか貶されてるのか分かんねぇよ」



 


 何に関しても日没後というものはフローディアで生活をする人にとって恐れられるべき時間帯である。日中の暑さはどこかへと消え失せ、肌寒さすら覚える夜風が木々や岩肌を撫で、濃紺の空には無数の星が光り輝くこのフローディアの美しい夜の中で命を落とす者は日中の二倍以上にも及ぶとされている。野盗に、猛獣に、先住民に、或いはそれ以外の何かに善良な人々が命を奪われている。


 夜通し馬を走らせるリックは常に自分はどちら側にいるのだろうと考えていた。

 悪党であるからして、善良ではない。それはよく分かっていた。だが自分が誰かの命を奪ったことは無かった。だからハモンドの部下という肩書だけで自分が悪党だと罵られるのは好きではなかった。こうする道しかなかった。それを言い訳にして善良な人間を保っていた。

 今のリックには痛みが残っている。未だに引きそうもない手のひらを貫いたタスクの痛み。手綱さえロクに持たしてもくれやしない。

 この痛みが今日この日までのリックを変えた。痛みがリックを悪党の道へと正した。言い訳も何も無しだ。この傷の礼は必ず返してやらなくては。腰に下げた銃の重みが馴染んだような気がした。


 かれこれ半日走らせた馬は酷く弱っている。息は上がり、筋肉は痙攣し、小さな小石にぶつかってもよろめいてしまうほどに。だが未だにその足音は力強く、リックをドルムドへと運ぼうと文字通り必死になっている。

 普通なら無理をさせるリックを落馬させていたのだろう。どんな手段を講じてでも生きようとしただろう。


「もう少しだ。もう少し頑張ってくれればいい」


 馬は今、死に向かって走っている。思うところなど何もないのだろう。リックもまた死に向かって走っている。ハモンドと、あの『暁』と同じように。

 道を囲むような大きな岩を抜けるとドルムドの小さな明かりが目に入った。リックはため息もつかず、安堵も何も感じなかった。痛みだけが疼いていた。



 闇夜の中、ドルムドの建物の輪郭が目に入るほど近くまでやって来た時、リックは心臓を強く打ち鳴らされた。『暁』のアジトからここにやってくるまでリックは時計を目にはしていなかったがとうに深夜を回っているのは分かっていた。朝日が昇るのもそう遠くはない。


「どういうことだ?」


 枯れかけた喉から声を絞り出す。

 街が、明るすぎる。


 的中する確率の高い嫌な予感が足元からぞわぞわと襲い掛かってくる。馬を駆りリックはドルムドに目を凝らす。一軒一軒の家の明かりは消えている。黒煙とともにフローディアの大地を照らし出しているのは町の中心部のようだ。


「まさか、そんな、嘘だろ」


 看板を通り抜けドルムドの町へと入る。深夜にもかかわらず大勢の人が家の外に出て町の中心部に目をやっている。視線の先にあるサルーンはもくもくと勢いよく黒煙をあげながら燃え盛っている。灼熱を肌で感じながらリックは言葉を失った。


 馬から飛び降りて人ごみをかき分け、更に近くまで行くと見知った顔が真っ黒な顔を曝しながら並べられているのが見えた。リックにとっては家族も同然の仲間たち。兄の代わり、弟分、一緒に育ってきたハモンドの一味の中でも若い衆。それだけではない。学の無いリックに色々とものを教えてくれた大人たちまでいる。焼けただれてはいるが一瞬で彼らだと分かった。


「何があったんですか」


 リックは隣に立っていた保安官に尋ねる。あまりの自分の冷静さに自分を疑いかけながら。


「・・・さぁ。詳しいことはよくわからんね。ただ普通の火事じゃないってことは言い切れるが」


 保安官の口は重たく、事実の一つ一つを丁寧になぞるかのように話し始める。


「街の人間が火の手に気づいて、俺がここに駆けつけた時には今と大差ないくらいに燃えていたよ。住人が言うには銃声がどうとか・・もっともこのサルーンにいた奴らは筋金入りの悪党だ。昼夜問わずで銃声が鳴るのは珍しいことじゃなかった」


 事実、このサルーンにはハモンドやその取り巻きが開けた弾痕がいくつか刻まれていた。その銃声を間近でも聞いていた。


「どうにか引きずって来たあそこの遺体だが・・あの仏さんたちは火事で死んだわけじゃないらしい。並べられてる遺体の首は見事に切り裂かれてる。喉掻っ切られて死んだんだよ。そのあとでサルーンごと燃やされた」


 襲撃。間違いない。それもかなりの手練れによる犯行だ。保安官がそう語る前にリックは一つの結論に行きついていた。心の底が冷たく燃え上がる。視界は途端に狭まりリックに業火だけを見せつける。


「・・・あんたあのサルーンの奴らと知り合いか?」


「ええ」


 それどころかもはや家族同然だ。一緒に育ち一緒に事を成してきた。それが悪行であれ、リックにとってはそれが誇りだった。ハモンドの一味とはそういうかけがえのない存在だった。


「・・そうか。なら、こいつの意味が分かるか?保安官事務所の壁にナイフで突き刺さってたんだ。俺にはさっぱり意味が分からねぇ。詩にしちゃあ簡潔すぎるし、あんたなら何か分からないか?」


 保安官はリックに一枚の紙切れを渡す。そこにはペンでこう書かれていた。


「明けない夜はない」


 リックは怒りに身を震わせる。

 それがお前たちのやり方か。ハモンドの一味が徹底的で容赦がないなら、お前たちは冷酷非道で血も涙もない。


「・・・アカツキ・・・」


 歯向かわなかった代償は手の傷では収まらないというのか。

 なら、次は歯を突き立ててやる。その姿が目に入ったのなら皮膚を引きちぎり肉を切り骨を噛み潰してやる。確実にお前たちを殺してやろう。


 徹底的に、容赦もなく、冷酷非道に、血も涙も見せず、お前たちを殺してやる。


 リックの目は空に浮かぶ月のように、冷たく銀色の火を灯す。


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