第21話
シディアより北西、カーマインビル。
人口百人にも満たない小さな町にカイルたちはやってくる。腹の虫は喚き散らし、喉は渇きを超え、焼けているかのように痛みに暑さを伴っていた。一文無しになってしまったカイルにアーニャは少しだけならお金があると言って小さなこの町に立ち寄った。
少しだけなら。そのバッグの中には一週間丸ごと『暁』で豪遊ができる金が詰まっている。
二人はサルーンの二人席に座って昼間からウイスキーとチリを嗜んでいた。店内の人はまばらで、ろくでなしはカウンターに突っ伏していびきをかき、日没の近い老人はポーカー台にボトルを置いて何をするでもなく天井を見上げている。
突如やって来た余所者に向ける視線など持ち合わせていない。いい意味でも悪い意味でもこの町の人間は余所者に無関心だ。何かと胸倉を掴まれがちなカイルが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
「この食事を食べ終わったら俺は行くよ。さっき外に駅馬車が止まっていたのが見えた。ここから先は君の好きなように帰るといい」
本当ならこのままどこまでも二人で旅をしたい。その言葉を胸の内にしまい、詰まりそうになりながらもカイルはアーニャに別れを告げる。
「・・あら、ここでお別れするつもり?」
「・・そうだね。悲しいけど、ここから先に君を連れてはいけない。危険な旅路になる」
「そう・・。それは残念ね」
窓の外を見ながら悲し気に呟くアーニャの姿は寂寥に満ち、カイルの心をひどく痛めつけた。彼女の瞳には涙の膜が張って、空を映し出す水たまりのように、窓枠の向こうの歪んだ景色を映し出している。
「あ・・」
カイルは彼女に言葉を掛けようとした。何も頭に浮かんではいなかったが、何かを言葉にしなければこのまま彼女とさようならの一言だけを交わして何もかも終わってしまいそうだった。
「何?」
アーニャが尋ねる。その時、サルーンのスイングドアが音を立てて開き、コツコツと床を鳴らしながら二人の男が入って来た。
「親父、バーボンあるか?」
ブロンドと赤毛の白人二人組。カイルはアーニャに「こっちを向いて、振り返らないで」と声を潜めた。
アーニャはすぐに訪問者の存在を把握して小さく頷く。
まだ帰るわけにはいかない。頭の足らない強盗のおかげで稼ぎが少なくなってしまったところに、化け物退治を名乗る腕利きが財宝の話を持ってやってきたのだ。カイルが何と言おうと、アレンたちが何と言おうとアーニャはカイルについて行くと決めたのだ。
アレンとヒイロはカウンター席に着き、バーボンがグラスに注がれるのを黙って見ていた。暑さが二人の体力を奪っていた。和気あいあいと話す余裕もない。
「二人がこの町に来たって確信はあるのかい?」
「・・俺が動くとき、事実や根拠、まして確信なんてものは必要はない。分かってるよな?」
ああ。ヒイロは頷く。
「風の向くまま気の向くままさ。幸いそこまで運に見放されちゃいない。あいつらがどこへ向かうのかは知ったこっちゃないが、足跡くらいは見つかるだろ」
アレンはバーボンの入ったグラスを飲み干す。冷たいウイスキーが喉を通り抜け体の中心部から何もかもを満たしていく。
「っはぁぁぁ・・。まさに命の水ってやつだ。最近じゃ酒浸りで暴力的な男にしびれを切らした女どもによる禁酒運動が本土では盛んらしい。やつらはこのバーボンをなんて呼ぶか知ってるか?悪魔の水だってよ。馬鹿どもが。どうしようもなく疲れ切って、どうしようもなく喉が渇いた時に酒を飲んで同じことが言えるか?」
「・・まぁ、酒を飲まない婦人たちからしたら暴力的な男を作り出す酒は悪魔の水だろうね」
だとしてもだ。アレンはもう一杯マスターにバーボンを注がせてヒイロの下にグラスを滑らせる。
「酒に罪はねぇ。男たちから酒を奪ってみろ。それでまともに働くと思うか?女に優しくすると思うか?そうは思わねぇ。酒のために汗水流して働いている男が何人いると思ってるんだ?」
「アレン、俺は飲まないんだけど」
「いや、飲め。お前に拒否権はねぇ」
ヒイロは仕方なくグラスを傾けて静かにウイスキーを喉へと送り込む。
「どうだ?命が一つ増えた感じだろ?お前は命がいくつあっても足りないような奴だからな。しらふで敵に突っ込んでいくのが未だに信じられねぇ」
「・・命が増えたようには思えないけど、悪くはない。初めて飲んだ酒は粗悪だった。苦くて酸っぱかった」
「酸っぱい?そりゃ腐ってたんだろうよ。初めての酒はエルヴォイドにいた時か?」
「あぁ」
「なら
「かもね」
一方、奥の席に座るカイルは酒の味など感じてもいなかった。
「あいつらいつになったらここを出て行くんだ?」
「・・さぁ?ちょっと立ち寄っただけって言ってもお酒が入ると長いのよね。女性が身支度に多くの時間をかけるのと同じで、男はお酒に多くのお金と時間を使うの」
それなら今すぐテーブルの上に金を置いてここから出て行った方が良い。カイルは立ち上がる瞬間を見計らっていた。
「ところで親父、ここ数時間で男女二人組がこの店に立ち寄らなかったか?一人は背の高い北軍の崇拝者で女の方は・・あれだ。特上の娼婦だ」
「娼婦・・?君は娼婦だったのか?それはいけない。君の価値をはした金に変える必要はない」
「そんなわけないでしょ。適当言ってるのよ。それならあなただって北軍の崇拝者なわけ?悪いけど否定しようたってあなたのそのコートを見たら誰だってそう思うわ」
「それは本土の人間がそう思うだけさ。純粋なフローディアの人間ならそうは思わない」
「純粋なフローディアの人間?本土から移民がやってくる前にいた人間ってこと?ネイティブアメリカンならぬネイティブフローディアンってとこね。そんな人間がこの地にいるの?」
「ああ、実際俺がそうさ。アメリカの歴史なんて知ったこっちゃない。アメリカなんて大きな国が海を渡ってすぐあるなんて夢にも思わなかったさ」
バーテンはここ数時間の記憶を引っ張り出す。そして川の水が時間をかけて海に流れ着くようにバーテンの行きついた記憶がつい十五分前に行きついた。
「あぁ、そういやあんたの言うような二人組はそこでまだ食事してるよ。だが、荒事は余所でやってくれよ」
「悪いな親父。もう遅い」
アレンは音を立てずカイルに銃口を向ける。
「それじゃあ銃を見たのもつい最近ってことね」
「ああ。南北戦争とやらでフローディアにも銃器が流れ込んできた。驚いたね。こっちが化け物相手に銀の剣を振るったりしてる中でアメリカは簡単に人を殺せる道具をすでに実戦に投入してたんだ」
「正確に言えば銃は何世紀も前からあったのよ」
「本当かい?なんでもっと早くこっちに流れてこなかったんだろう?そうしたら化け物退治を担ってた人間が絶滅寸前まで追い込まれなかったのに。今じゃ正式な一族は俺しか残ってない」
「おかげで強くなれたんじゃない?」
「そうかもしれないね」
「・・・・何をいちゃいちゃやってんだ手前ら。おいのろま少佐。こっちが銃構えてんだからさっさと気づけ」
カイルはゆっくりと視線だけをアレンに向ける。
「とうの昔に気づいてる。撃つ気がなさそうだったから会話を続けてただけさ」
「そうかい。ったく舐められたもんだぜ。それじゃ今度は俺といちゃいちゃしてくれませんかね?」
「男とデートする気は・・」
「皮肉で言ってんだ馬鹿たれ。それじゃ俺たちの仲間を返してもらおうか。悪いが早撃ちで勝とうたって無駄だぜ。撃鉄は起こしてるし引き金に指もかかってる。あんたがどれだけ早かろうが引き金を引くだけの俺と、銃を抜いて狙いを定めて引き金を引かなくちゃいけないお前。どっちが先にあの世に行くかはノータリンのお前でも良く分かってんだろう?」
カイルは鼻でアレンを笑った。
「訂正が必要みたいだな。俺も引き金に指がかかってる。あんたよりずっと前からな」
テーブルの下、右手に持ったC96の銃口は確かにアレンに向けられている。
「ちっ・・用心だけは立派みたいだな」
「あんたも口先だけは立派みたいだ」
「二人ともお互い様じゃない?」
「黙ってろ。そもそもお前が話こじらせなきゃ済んだ話だろうが」
「えーなんのことだかわかんなーい」
「てめぇ・・・・」
「とにかく」カイルは左手でグラスの酒を煽りカイルに向き直る。「ここで撃つのはやめておいた方が良い。あんたは大層運がよさそうだが、ある程度のところまで行くと運否天賦が通用しなくなってくるぜ」
「・・そうは思わねぇが、だとしてもこっちは二対一だ。勝てる見込みはねぇだろ?」
アレンの横でヒイロはガンベルトに手を掛けている。冷たく青い炎のような殺気を纏いながら。けれどヒイロの心には今までの憎しみのような黒い感情はなく、代わりに何かを求めているような高揚感が滾っていた。ヒイロは知らず知らずのうちに待っている。時間が過ぎることを、銃がガンベルトから抜かれることを、刹那の時を。
「どうだかね」
刹那の時はすぐに訪れる。
カイルが意を決したことをヒイロは瞬時に理解しアレンの体に体当たりする。カイルの放つ銃弾はヒイロの脇を通り過ぎカウンターに突っ伏した飲んだくれのボトルを弾き飛ばした。
ヒイロは腰からピースメーカーを抜きカイルへと向き直ったがそこに二人の姿はなく、開け放たれた窓から風が吹き込んでいた。
「アレン、逃げられたみたいだ」
「今の一瞬でか・・!?」
わずか数秒の出来事だった。アーニャには手慣れたものだと分かっていたがあの男も相当手練れだ。アレンとヒイロはすぐさま馬を走らせ二人の後を追う。
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