第20話
リックには考えることが山ほどあった。考える時間も同じくらいに与えられていた。けれどその実、椅子に座ったままで一日が過ぎた。途方もなく、あっという間の時間だった。
自分がこうして座っている間にボスは何を思っているのだろう。グラスを叩き割り、怒りに震えているのだろうか。あの人はそろそろ動き出すだろう。持てる限りの武器を持ち、『暁』すら恐れる吸血鬼とやらの元へ向かうのだろう。
砂塵のハモンドとはいえ、吸血鬼という存在に叶う相手ではないのは頭の隅で理解し始めている。
彼を止めなければ。それが無理なことも分かっている。その現実は切れたまぶたよりもずっと痛いことだった。
フランクが席を離れて半日ほどの時間が過ぎてからようやくリックの下に人影が現れた。それはフランクや特徴的な耳を持った女性でもなく、ましてあのえもいわれぬような外見の男でも無かった。列車を襲われた際に確かに見た人影だった。
「いつまで、そこに、座っている、つもりだ」
上手くしゃべることができないのか、口を閉じて唾液を飲み込んでから喋るその声にリックは聞き覚えがあった。そしてその声に少しの恐怖を覚えた。肩につけられたナイフの傷が自らを主張するように疼く。
小さな体。体格だけ見れば彼女は完全に子供で、けれど間違いなく自分に襲い掛かった『暁』の一人である。深くかぶったフードの下から見える彼女の銀色の髪の毛はランタンの光で照らされると黄金色にも見えた。
「拘束した君たちが言うセリフじゃないだろ」
「拘束?見張りを、つけた覚えは、ない」
「冗談だろ?」
ヴィジェは何も言わなかった。フードの下からリックを見ていた。或いは睨みつけていた。
ヴィジェは音もなく歩きだし椅子を引いて席に着く。
「フランクは、何もしなかった、みたいだな」
フードの奥からじろじろとリックの姿を見ながらヴィジェは切り出す。
「ああ。強盗団に堕ちたとはいえ、さすがは伝説の賞金稼ぎだ。うちのボスとは大違いだと思うよ」
「フランクは・・、」ヴィジェは小さな体をできるだけテーブルに近づけて身を乗り出した。「立派に、悪党をやってる。敵に対しては、容赦もなく、残酷だ」
「そうは見えなかったけど」
「それはお前が、敵として見られて、ないからだ」
確かにそうなんだろう。彼もそう言っていた。彼からしたら自分は臆病者の腰抜け野郎に過ぎず、視界にも入らないのだろう。
「安堵しているか?」
「どうして?」
「敵として、見られていたら、お前は拷問されて、いただろう」
「・・・・なるほどね。確かにそうなのかもしれない。前線に出たのはこれが二度目だ。いつもは銃を腰に下げていても基本ペンを握ってる。敵に捕まるなんて実のところ思ってもみなかった。ここに連れてこられて無傷でいられるのは幸運としか言いようがないよ」
「幸運、か」
ヴィジェは乾いた笑いを天井に向けてこぼす。
「どこまでも、頭の中が、お花畑みたいだな。女みたいに、スカートを履いたら、どうなんだ?」
「その言いぐさ、君のお仲間に似てるね。真似をしない方が良いと思うよ。なんていうか、馬鹿みたいだ」
「余計な、お世話だ」
「それで?要件はなんだい?まさか僕をからかいに来ただけってわけじゃないんだろう」
ヴィジェはリックに向き直る。
「ここから、出ろ。フランクの、命令だ。いつまでも、居座られたんじゃ、邪魔だ」
リックは言い返したくもなったが、ヴィジェの言う通り自分はいつでもここから出られた身だ。自分から引き出せる情報をすべて引き出した『暁』にとっては用済みだ。しかも用済みは殺すでもなくご丁寧に解放してやると来た。リックはもう一度安堵して深くため息をついた。
「力が、抜けたか?」
「ああ。捕虜の扱いが丁寧とはいえ敵のアジトに」
固い音とともにヴィジェはテーブルに置かれたリックの手のひらにナイフを突き立てる。リックは一瞬何が起こったのかさえ分からなかったが手の甲から流れ出た血を見て絶叫する。
「ああああ!!ああああ!!・・・何を・・!!なんでこんな!!!」
ヴィジェはその問いに答えずにナイフを抜く。かえしのついた刃がさらにリックの悲鳴を大きくさせた。
ヴィジェは何事もなかったかのように自分のローブでナイフの血をふき取るとようやく悶えるリックに口を開いた。
「それが、なんだか、理解できるか?」
「・・理解・・!?理解だって!?何を理解しろってんだ!!」
「お前は、それに気づかないようだから、与えてやった、だけだ。私、自らな」
ヴィジェはここにきてようやくフードを下ろして、火傷顔をランタンの下に晒す。リックはそれを見てあげかけた悲鳴を飲み込んだ。真っ白の瞳とは対照的に鋭く光る獣の瞳が射貫くようにリックを捉えている。不思議とそのまなざしは父に似ていた。
「この火傷跡に、お前は何を思う?」
「何をって・・。分からない、分からないよ。不気味だとも思うし、同情だって感じる」
「それは客観的に、見ただけの意見だ。街で、私を、ゴミだと、思っている、見栄えだけはいい、クソ袋と、何も変わらない」
息をあげるリックにヴィジェは続ける。
「反対に、お前は、その傷に何を思う?痛々しい、傷跡に、同情するか?自分は、可哀そうな人間だと、そう主張するか?」
リックは頭をくらくらとさせながらもまっすぐに流れ出る血をみつめた。赤黒く流れ出た血は押さえつけたもう片方の手でなびられて茶褐色が手の甲全体に行きわたっている。普段は気にもしない刻まれた細かな皺が今は容易に見て取れた。
「私は思う。この傷は、私の、生きる意味だ。あいつは、わざと、私を生かした。両親の目の前で、私の顔を焼き、私は、目の前で、両親を殺された。そして、私は、殺されなかった。醜い、姿のままで、放り出された。この顔じゃ、誰にも、受け入れられない。それを、分かっていて、わざとそうした」
長い沈黙。リックはかける言葉を失っていた。ここがいくらフローディアとはいえ、無法地帯だとはいえ、幼い少女に一生を続く地獄を与える必要がどこにあるだろうか。彼女の体にも心にも一生かかっても癒えない大きな傷が刻まれているのだ。
「だが、同時に、生きる意味を、もたらした。一生癒えない傷は、殺すべき相手を、一生忘れずにいられる。だから、一生かかっても、そいつを殺してやる。逃げている間に、何か大事なものが出来たのなら、私は、それらすべてを、奴の目の前で、ぶち壊して、それから殺してやる。できるだけ長い時間をかけて、ゆっくりと」
ヴィジェは立ち上がり、タオルをとりだすとリックに向かって投げた。リックは手を拭ってから包帯のようにタオルをクルクルと手に巻いてからきつく縛る。
「その傷は、お前の誇りだ。自分が、自分で居るための。憎むべき相手を、憎むための。フランクが、そうしなかったことを、お前は、恥と思うべきだった。傷をつけないと、いうのなら、対等に、扱われないと、いうのなら、相手を殺そうとしてでも、自分の、立場を主張するべきだった。座らされた、豚に成り下がることを、これからは、恥と思え。私からの餞別が、その傷だ」
リックはようやく椅子から立ち上がる。血が出ていたからか、それとも急に立ち上がったせいからなのか、一瞬リックは倒れそうになったが持ち直して先へと向かう。
「・・ありがとう」
通り際、リックはヴィジェに礼を言った。奥から微かに届く陽の光を見据えたままで。
「礼を、言うな。私はお前の、敵だ」
リックは洞窟の外へと走り出す。強い光と未だに痛みを大きな声で訴える手がリックの目をくらませたがすぐにリックは走り出した。山の上、見渡す限りの森の海。ここがどこだっていい。早く帰らなければ。自分にはまだやることが残っている。待っている人たちがいる。いや、仮に待っていなくても、自分はこの足で帰らなければならない。
成すべきことが、往くべき道がリックには見えていた。
「・・あのお坊ちゃんを逃がしてやれなんて一言も言ってねぇぞヴィジェ」
テーブルに座ってアマツユソウを齧るヴィジェは落ち着き払った様子でフランクに返す。
「どうせ、あとで、引き渡す予定だった、はずだ。タイミングは、いつだっていいはずだ」
「それを決めるのはお前じゃないんだが・・・まぁ、いいか。珍しく良くしゃべるお前を見れたことだしな」
「弱虫を、相手にしたくない、だけだ。せめて、殺す価値が、ついてから、殺した方がいい」
「分からんでもないな」
「それより、アーニャたちは、どこへ行った?起きたら、いなかった」
「奴らのやることにいちいち構ってられねぇさ。どうせ今頃は個人で好き勝手やってるんだろう」
むうう。とヴィジェは小さく唸る。アレンやアーニャだけならともかくヒイロまでどこかに行ってしまった。そういう時は大抵小遣い稼ぎで出ている時だ。
「置いてけぼりにされて悔しいか?」
「・・・少し」
アーニャとカイル。大量の金を積んで北へ進む。長らく荒野を走っていれば日の流れを嫌というほど実感できる。周りの景色は変わらず、馬と自分たちの影は伸びたり縮んだり。日傘の下、暑さに身を焼かれ、ほんの少し吹いた風に感謝を覚え、照りつける太陽に憎しみをぶつけ、ようやく陽が落ちてきたという頃、二人は数時間ぶりに地面に腰を下ろした。
暗がりの荒野、誰かが残していった焚火の後に拾い集めた薪を入れて火を灯す。遠く向こうの夕焼けと、目の前で燃える火の色はよく似ていた。燃えるような夕焼けとはよく言ったものだ。
「調子はどうだいハニー・バニー」
「ハニー・バニー?それ私のこと言ってる?」
カイルはコーヒーをカップに注いで眉間にしわを寄せるアーニャに渡す。
「ああ。俺は君の名前を聞いてないからね。だから見たまま付けたのさ。可愛いうさぎさん」
「子供じゃないんだからハニー・バニーはよしてよ」
「じゃあ君の名前は?」
アーニャは沈みゆく太陽を見つめたまま答えなかった。偽名はしっかりと用意してある。それを名乗る気にならないのは、偽名を使っての仕事が済んだから。それとなんとなく、この男には自分たちに近いものを感じていた。少なくとも並みのガンマンではないことは確定している。ヒイロと同等、もしかしたらフランクに比肩するほどかもしれない。フローディア風アメリカ西部の住人ではなく、彼はフローディアの人間なのだ。アーニャは彼の隣に言いようのない居心地の良さを感じていた。
「・・好きに呼べばいいわ」
「じゃあそうさせてもらおう」
カイルは自分のコップに注いだコーヒーを一口飲んでアーニャに尋ねる。
「できれば君を安全な場所まで送っていきたいんだけど、どこがいいかな?やっぱりシディア?」
「そうね。あそこなら鉄道もあるし泊まる宿もある。でも、少しあなたの事を聞いてもいいかしら?」
「答えられることなら」
「あら、答えられないことでもあるの?」
「銃を使うような仕事をしていればいくらでもあるさ。聞き分けの無い連中を法の外でぶち殺したり・・あのフランク・レッドフォードだって輝かしい戦績の裏で醜い殺しを請け負ってると思うよ」
「フランク・レッドフォード?」
アーニャはあえてその人物を知らない素振りで答えた。
「ああ。伝説の賞金稼ぎさ。一昔前までは彼に並ぶ賞金稼ぎはいなかったそうだ。もっとも、俺が賞金稼ぎに手を出すころには彼は辞めていたけど」
「彼を尊敬してるのね」
「いや、尊敬ってほどじゃない。あくまで『そういう人がいた』って話。それに俺の本業は賞金稼ぎじゃないんだ」
「あら、あれほどの腕前で賞金稼ぎじゃないのは少しもったいないと思うわ」
彼女の称賛にカイルは頬を緩ませる。それから胸の奥で今か今かと解放されるのを待っていた本当のことを告げようと口を開いた。
「笑わないでくれよ?俺の本業は化け物退治なんだ」
これまでにカイルは何度か、彼女に勝るとも劣らない美貌を持つ女性に本業を打ち明けたことがあった。別に隠しておかなくてはならない職業じゃない。そうしろという上司もカイルにはいない。後継者の候補はいても化け物退治を請け負う人間はフローディアでカイルただ一人なのだ。
大抵の女性は何かの冗談だと笑って彼を凄腕のガンマンくらいにしか認めなかった。化け物って?体が大きくて、角が生えてて、鋭い爪と牙を持っているの?
アーニャは彼をまっすぐ見つめていた。大半の人間が冗談だと思い込み笑う話を真正面から聞いているようだった。
「興味深いわね」
「・・本当かい?化け物の存在を信じているのかい?」
「言い出しっぺのあなたは信じていないの?」
「・・いや、この目で何度も見て、この手で何度も殺してきた」
「ええ、そうみたいね。信じるわ。だってあなたの立ち振る舞い、人間を相手取るようなものじゃなかったもの」
それが確信の一つ。戦う時の視線の位置、反射速度、足の運び、それらすべて人間が相手なら必要のないほどに洗練されている。自分の中でヒイロとフランクを並べたのは彼らが彼と同じものを相手にするからだろう。
銃弾一発で大抵の人間は動けなくなる。頭や心臓を撃ち抜けば一発。腕や足を撃ち抜いてもそう簡単に立ち上がることは無い。だから、人間を相手にする場合、いかに自分が弾に当たらず、弾を当てるかが重要になってくる。
だが化け物の相手は別だ。固い表皮であれ、再生能力であれ、大抵化け物と恐れられる種族はそう簡単に銃弾一発で倒れたり動けなくなったりすることは無い。できるだけ早く弱点を見つけそこを突くか、相手が消耗するまで弾を撃ち込まなければならない。ゆえにヒイロのような命を曝したまま突っ込んでいく戦い方が化け物には必要になってくる。カイルの戦い方は片鱗しか目にしていないとはいえまさにそれそのものだった。
「立ち振る舞いをって・・君は何者なんだ・・?」
「私が何者かはどうでもいいでしょ?」
アーニャは天使のように笑う。カイルにとってそれはとどめの一発だった。体中を彼女の笑みで撃ち抜かれたうえでの死体蹴りだった。
「そうだねどうでもいいね」
「それで今度は賞金稼ぎ?化け物退治?」
「いいや、今度は宝探しさ」
「宝探し・・?それってとっても素敵な響きじゃない」
とっても素敵な響き。アーニャにとっても思いもかけない報酬。カイルはアーニャに操られるように宝探しのすべてを話す。興味津々に頷くアーニャにカイルの口は気前よくぱくぱくと開く。吸血鬼の話、先代の話、吸血鬼が先代から命からがら奪い取った宝物。
そうして夜は更けていく。二人を追う男たちが荒野の果てで息を切らしているということなど頭からとうに抜けたままで。
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