第19話

立て付けの悪い粗末な銀行のドアがギィギィと音を立てて開く。誰もがそのドアの前に立った紺色のコートの男に目をやった。間髪入れずに引き金を引いたすきっ歯の男は見かけによらず無能ではないのかもしれない。

 コートの男は首を傾げただけで声をあげることはおろか怯えることもしなかった。傾げた首の後ろには九ミリ弾が木の壁に開けた弾痕が残っている。すきっ歯の男は頭を狙ったつもりだった。だが偶然というものはよくあることだ。だから二発目は撃たずに、今撃ったのは牽制のつもりだと言わんばかりに声をあげる。この男のくだらないプライドこそ、この男が無能と言われる所以なのだ。


「か、金を下ろしに来たのか?ざ、ざんねんだったな。今俺たちが有り金をぜ、全部奪いにきたとこだ。次の二発目を喰らいたくなかったら、て、てを上にあげてしゃがむんだな」


 コートの男は指示には従わずに銀行を見回し、目の前で銃を構えたすきっ歯を濁った青色の瞳で睨みながら口を開く。


「アレックス・マクレガー。賞金七百ドル・・」


「おい、聞いてんのか!?」


 男は続けてしゃがんだ町民に銃を向ける小さな体躯の男に目をやる。


「タイニー・チャーリー。賞金四百ドル・・」


 名前を呼ばれたことに気づいたのかチャーリーは視線をコートの男に向ける。だがその時には男は銀行の奥にいるボスに目を向けていた。


「アレハンドロ・モレッティ・・。賞金二千五百ドル・・」


「おい、てめぇ!あ、あと三秒で言う通りにしなかったらその空っぽの頭に弾ぶっぶち込むぞ!!」


 男が最後に視界に入れたのは、アーニャを人質をとった男だった。


「ホセ・マルティネス・・・・・・・・・」


 賞金千五百ドル。だがそんなこと、カイルの脳からは散り散りになって消えていく。この世には大金を超える価値のあるものが存在する。それを目の前にすれば紙幣などなんの価値を持たぬ紙切れにすぎない。


「食らいやがれぇっ!!」


 三秒が終わる。堰を切ってアレックスに怒りと激情が流れ込む。引き金が引かれる。

 三秒が終わる。意識がそこにある存在にとりつかれる。目の前ではなく哀れにも人質に取られてしまった世にも美しい女性に。カイルはC96を目にもとまらぬ速さで抜くと視線をアーニャに向けたままアレックスの心臓に撃ち込んだ。

 アレックスの放った銃弾は明後日の方向へ飛んでいき壁の上方を抉る。


 チャーリーはすぐさま散弾銃をカイルへと撃ち込む。十分に至近距離といえる距離だ。避ける間もカイルには与えられない。与えられたわずかな時間でカイルがしたことといえば体を反転させてコートを広げただけだった。十分とは言い切れない。銃弾はもちろんまともに食らった。叩きつけた鋼鉄の雨にカイルはうつぶせに倒され吐血する。


「や、やった・・へへ・・馬鹿が・・!」


 それがチャーリーの最期の言葉になった。右手で床を突き、腹から忍ばせた左手でカイルはC96の引き金を引く。何が起こったのかも分からずにチャーリーは心臓へ銃弾をぶち込まれ仰向けに倒される。土壁の天井からぶらさがった照明を大きく開かれた丸い目で見つめながら絶命する。


「このクソ野郎!!!」


 ボスのアレハンドロは立ち上がり、九ミリ弾をカイルに浴びせながら駆けてくる。弾がカイルのコートや床を削る。それでもカイルは膝を突き、立ち上がろうとする。


「参ったな・・。散弾銃はなかなか痛かったぞ・・」 


 血痰を吐き出してカイルもアレハンドロの元へと駆けだす。引き金を引き続けるアレハンドロ。銃をホルスターにしまいこんだカイル。その距離がお互いの腕一本というところで、カイルは強く踏み込み左手でアレハンドロの顎に掌底を打ち込む。アレハンドロの脳は大きく揺さぶられ、意識は一瞬で遠のく。カウンターにアレハンドロの上体を押し付けるとこめかみに銃口を突き付けた。


「そこまでだ!!」


 ホセが声をあげる。


「お前が引き金を引けばこの女の脳みそが弾け飛ぶぞ」


「・・・それは・・・やだなぁ。とてもいやだ。散るときにこそ花は美しく咲き誇るなんていうけど、俺にはどうしてもそれが信じられないんだ。頼むから彼女には手を出さないでくれよ」


 カイルは二丁のC96を床に落として両手をあげる。


「じゃあおとなしくお前が死ぬんだな」


 ホセが銃口を向ける。カイルは彼女の姿を目に焼き付ける。別に今この場で死ぬ気は到底ないが、これが自分が最後に見る光景だと思うと彼女はよりいっそう美しく輝いて見えた。やはり花は花のまま、散るときを知らぬままに咲いている方が美しい。


「ねぇ」

 

 アーニャがポツリとつぶやく。


「なんだ女、喋ってんじゃ・・」


 アーニャはがら空きになったホセのみぞおちへと肘鉄を入れる。唾を吐き散らしながらホセがよろよろと後退していく。アーニャは体をひねり、回し蹴りをがら空きになった顎へと放つと、アレハンドロ同様意識のとんだホセに捨て台詞を吐く。


「あなたさっきから隙だらけじゃない。今までに八回は殺せたわよ」


 後頭部から床に倒れたのか、ガンと堅い音を立ててアレハンドロは白目を剥いたまま起き上がる素振りすら見せなかった。

 カイルはその光景に見惚れていた。

 彼の目には今の今までそよ風に揺られながら咲き誇る可憐な花が映っていた。いや、そうじゃない。カイルはため息すら忘れて彼女へのイメージを拭う。

 彼女は薔薇だ。大きな花弁を広げた真っ赤な薔薇だ。茎に生える棘は鋭利に伸びて、気安く触れようとする人間に傷を与える。その棘すら見る者は皆触れたくなるほどに美しい。

 カイルは息を忘れた。立つことさえも忘れていた。自分の存在はまるで希薄で、音もなく飛び回る小さな小さな羽虫の気分だった。


 彼女は大きなバッグを抱えて地下の階段へと消えていく。その後を追おうとしたカイルのコートを支店長が掴む。


「ああ・・ありがとうございます!!あなたは命の恩人です!!いや、それだけに留まらない!!あなたはこの町を救ってくれたのです!!」


「ああ、いや、でもほら、俺賞金稼ぎだからさ。これも仕事のうちってことで。そんな感謝されるいわれはないよ。当然のことをしたまでさ。自分に無利益なわけじゃないしね。悪いんだけどさ、そこどいてくれないかな」


「ああ!待ってください!このことはきちんと市長にお伝えしなければ!市長はきっと今夜中にでもあなたをもてなしてくれるでしょう!!ところであなたのお名前は?」


「カイルだ。カイル・ビュシーク。でもそんなお礼とか大丈夫だから」


「いえいえそんなわけには・・!!」


「だーいじょーぶだってぇ!!!」


 


「さて・・こういう場合どうしたらいいんだろうな」


 アレンは悩む。計画が丸つぶれだ。こっそりスマートに行く予定だったのに、突如現れた英雄のおかげで入り口では人がごった返している。アーニャなら抜け切れるだろうが、襲撃後に大きな荷物を抱えて馬で走り去るのを誰かに見られれば明らかに倒された強盗とグルだと思われてしまうだろう。真昼の喜びと安堵感に取り巻かれる町でそれをゼロにするのは容易いことではない。


「なぁヒイロ・・」


 アレンはヒイロに答えを求めようと首をひねる。その先にいたヒイロの目は燃えるような髪の色とは対照的に冷たく重く、さながらナイフのように鋭く前方を睨んでいた。


「なんにしても・・あのコートの男はどうにかするべきだ」


 重たく口を開くヒイロ。

 たった数秒の出来事だった。しかし、ガンマンの世界はそれよりももっと短い時間の中ですべてが決する世界だ。コンマ一秒、いや、それより短い時間が勝負を左右することだってある。たった数秒、それはガンマンにしたら十分すぎるほどの猶予だ。その時間でヒイロは彼のすべてを見抜いた。


「なんとしてもドンパチは避けるぜ。俺も絶対に相手したくないタイプの野郎だ」


 それはアレンも例外ではない。ヒイロのとは意味合いが違うのだが。彼は単純に自分より強そうな人間を相手にはしたくないのだ。その時が彼にとって最高の運気でもない限りは。

 控えめに見ても、彼はヴィジェのように素早く動き、フランクのように正確な射撃を身に付けている。それほどの技術を身に付けながらなぜ勝負を一撃で決する額に撃ち込まなかったのか、ヒイロは納得がいかなかったが、いずれにしろ弾が心臓を撃ち抜いたのは偶然ではなく彼の思惑通りだろう。


 問題はもう一つ。自分のよく使う武器でもある散弾銃が効かないという事。この前の騎兵隊の顔すら脳裏に浮かぶ。あんな至近距離から弾を喰らって傷一つなく立ち上がるなどあまりにも理にかなっていないのだ。


「できるのか・・?」


 ヒイロは小さく呟く。


「やらなくていい。どのみちあとはアーニャ次第だ。金が手元にあるうちは奴は信用できる。五十万ドルの賞金首様がうまいことやってくれるさ」


 アレンに肩を叩かれ、ヒイロは自分を取り巻く闇のような影から引き戻される。そうだ。アーニャならきっと最善の手を尽くしてくれる。自分はただここに居ればいい。あのガンマンのことなど気にせずに突っ立っていればいい。


 それがもどかしく思うようなヒイロは、自分が今、好敵手を見つけたことに気づいていなかった。


 


 アーニャは人気の無い金庫で錠をてきぱきと破り、堂々と大きなバッグに金を詰めてあろうことか正面口から出て行く。人手が足りずすべての金を持ち運べないことを多少残念には思ったが、今は状況が悪い。持ち運ぶバッグは一つだけ。一万ドルの収穫すらない。

 この場にいる人間の注目は専らあの紺のコートのガンマンに向けられている。用が済んだ利用客のように平然と出て行っても誰も気づくことは無いだろう。

 しかしすべての注目が彼女に向けられているというわけではなかった。視線が合った時から彼女の姿を捉えて離さない存在があった。


「ねえ君!」


 アーニャは立ち止まらない。馬車に乗るまでは振り返らない。そんなつもりだったアーニャに人込みをかき分けてカイルは声をかける。


「大丈夫だったかい?ケガはない?」


「・・ええ。おかげさまで体も服も無傷で済んだわ。一時はどうなる事かと思ったけど、あなたみたいな強い人が来てくれて助かったわ。本当はお礼がしたいのだけど今は忙しくて」


「なら俺の馬に乗っていくといい。自慢じゃないがここいらの誰よりも早く走れる自信はある。さっきの連中の仲間が君を襲うかもしれないだろう」


「それは嬉しいけど、賞金首は引き渡さなくていいの?あのままだと誰かに持ってかれちゃうんじゃない?」


 カイルは銀行の奥に転がる死体の顔を見てから口を開く。


「いいんだ。所詮はした金さ。それよりももっと高価なものを知ってる」


「ならあなたはきっとすごいお金持ちなのね」


「それはどうだろう」


 立ち去りたいアーニャの右隣で張り付くようにして歩くカイル。どうにかして振り切れないものだろうか。アーニャは首を捻って後方で機を待つ二人に助けを求める。


「・・・・うまいことやってくれてねぇなあの女は。見たまんまナンパされてるだけじゃねぇか」


「俺たちが行くしかないさアレン」


「ったく世話かけやがって」


 壁に背にしたまま両手を壁から突き放すとアレンとヒイロはずかずかとアーニャとナンパ男の元へと歩み寄っていく。


「おい、そこの兄ちゃん。その女は俺たちの仲間だ。手ぇ出すんじゃねぇぞ」


 カイルは振り返る。薔薇を前に緩んでいた頬が引き締まり、ここぞとばかりに癒しを受けていた目は鋭く、ヒイロやアレンを威圧する。


「・・仲間・・?・・・そうは見えないな。あんたらは彼女に比べてみすぼらしすぎないか?」


「余計なお世話だくそったれ。イかれた北軍の信奉者よかずっとマシだ」


「北軍?まさかこのコートの事を言ってるのか?これは俺の仕事着だ。政治も思想も何も関係ない個人的な仕事のな」


「そうかいそうかい。じゃあこのみすぼらしい服も立派な俺たちの仕事着だ。これで文句はねぇな。さっさと女を離せ」


「いや、まだまだ信用できないな。自分で言っていておかしいとは思わないのか?彼女のような気品のある女性が君たちみたいな泥臭くて理性も知性もないような男たちの仲間だと?」


「口が減らねぇみたいだなオカマ野郎・・。じゃあそこの女に聞いてみればいいだろうが」


「なるほど。なぁお嬢さん。君は本当に彼らの仲間だっていうのかい?」


「そうねぇ・・。確かに顔に見覚えはあるけど、やっぱり見間違いだったわ。あなたみたいな素敵な騎士ナイトだった気がするんだけど、彼、泥臭くて理性も知性も無くておまけに口が悪くてレディに対する扱いがなっていないもの。あ、隣の赤い髪の子は別よ?」


「だってさ」


「てめぇ、人がせっかくうまくことを運ぼうとしてやってんのに・・」


「とにかく」カイルは自分の馬にまたがり、アーニャの手を引く「麗しきレディに手を出すような奴から守るのが俺の人生のテーマなんだ。悪いが失礼するよ」


 走り出すカイルにアレンはレミントンを抜き地面へと発砲する。


「・・逃げれると思ってんのかてめぇ」


「そう思ってる。それに、あんたは別だが隣の奴に銃を抜かせたくないんだ。彼のハートに火を点けちまいそうなんでね」


 いつでも銃を抜けるように体は脱力しつつも意識のすべてをカイルへと向けていたヒイロは困惑する。


「アディオス、アミーゴ!」


「誰がアミーゴだ!俺はアイルランド系だ馬鹿ったれ!!」


 喚くアレン。引き金を引くたびに地面を削るレミントン。言葉通りカイルはアーニャを連れてサント・エル・ロコを脱出する。


「あのクソ野郎の後を追うぞヒイロ!」


「でもアーニャならきっと抜け出して一人で帰ってくるさ」


「だろうよ!だがなぁ!バッグに詰めた金は帰って来ねぇ!奴が帰ってくる途中で俺たちの分け前はゼロになる!その前に奴を捕まえるんだ!」


 素性のしれないガンマンと五十万ドルの賞金首を追う。それがどんなに無謀かはアレンにも分かっているだろうに。だが金の事となれば別だ。アレンの性格をヒイロもよく分かっている。

 呆れ半分のヒイロにもどこか二人を追わずにはいられないところがあった。燻った火が燃え上がる瞬間を待っている。


「行こうかセレベラ」


 栗色の馬に乗りヒイロはアレンとともに走り出す。

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