第18話
サンタモレラより南、サント・エル・ロコ。
この町に立つと目が眩む気がしてならない。真っ白の土壁で出来た家々が今日も頭上でギラギラと照る陽の光をあちこちに反射させている。かれこれ十分ほど土壁の小さな家が作った日陰から正面にある銀行の様子を窺うアレンの額やこめかみからは小さなコップ一杯を満たしそうなほどの滝のような汗が流れている。隣に座るヒイロも時折額を拭ってはヴィジェから買ったアマツユソウの茎をかじる。
アマツユソウはフローディア大陸のごくわずかな水源付近だけに生えている草で、本土にある似たようなものではサトウキビがあげられる。その名の通り固い茎をナイフで削ると多くの水分が含まれており、サトウキビ同様糖分の摂取も可能なことから長旅をする旅人や御者からは「第二の水筒」という呼び名で親しまれている。
ヴィジェはこのアマツユソウを大好物としていて、暇さえあれば発達した犬歯で茎の表面を削り、芳醇な、それでいて後を引くことのない自然由来のすっきりとした甘さを持つ汁を啜っている。
金銭に関心がないヴィジェでさえこのアマツユソウに関してはタダで譲るようなことはしない。アレンにはもちろんヒイロでさえも。数が少ないので市場では一本あたり五ドルと高値で売られているが、ヴィジェはその倍の値段をふっかける。市場はできるだけ売りたい、ヴィジェはなるべく売りたくない。けれど『暁』に所属している以上、手に入るアマツユソウのすべてはまずヴィジェの手元に行きわたるので、今回のように必要だと思った時には十ドルを手放すしかないのだ。もちろんヴィジェはその十ドルを手にアマツユソウを二本買いに行くのである。
「十ドルも出した草の茎は美味いか?」
「喉が渇いてるからそれなりに」
「そりゃあ良かった」
アレンは皮肉を述べると素直にボトルに入った酒を飲む。今日もいつものように頭痛を催しそうなほどに暑い。ドッグデイズと呼ぶにはまだ少し早いが暑さで倒れるには十分すぎる。息を切らし汗を拭う狼たちの午後。それはこれから始まるのだ。
フランクから束の間の休暇をもらった彼らがすることは、のんびりと
彼らはここで突っ立って下見をしているわけではない。駒は既に動き始めている。
「ようし、馬車が止まったぞ」
銀行の前に一台の馬車が止まる。馬車からは黒のドレスを着て赤毛のウィッグをつけたアーニャが大きな荷物を抱えて降りてきた。アーニャは運転手にここで少し待つよう声をかけ、彼に三ドルを握らせる。
『暁』の銀行強盗はいたってスマートだ。できるだけ銃は使わない。大事になればなるほど成功確率が低くなっていく。それにこういった小さな町での強盗の場合、運が良ければ何事もなかったかのように事が済んでしまうのだ。それは銀行側の意向でもある。大事になれば銀行は「簡単に金を盗まれてしまった」という事実を隠し通すことができない。信用はガタ落ちし経営が困難になる。
結果的には金を盗まれてしまったことに変わりはないが、大きな銀行でさえ強盗による被害額が目も当てられないようなフローディアだ。最終的には金か命かという選択を迫られたとしてこの小さな銀行がとる選択は後者に決まっている。銀行員はおろか警備員でさえ。
銀行からすれば『暁』のような銀行強盗はいたわりの塊だろう。一般の客の次に聖人ともいえるのだ。
ゆえにアーニャは銃を持たない。口先とレイナが調合した即効性のある睡眠薬が彼女の武器だ。レイナからもらった、と言っても今この瞬間、薬の調合に必要な材料を採取しているレイナはヒイロが使うものだと思っているのだが。
今のアーニャはジーナという名前の調査員だ。主に小さな町における銀行の警備員の配置状況や金庫の防犯対策を調査し、今後に役立てていくための仕事でもある。言わずもがな調査員が来ることも銀行側は承認済みだ。アーニャは抜け目なく身分証明を警備員に渡す。
今頃本来はここに来るはずだったジーナ・マッケンジーは駅馬車に乗ったまま深い眠りにつきあらぬ方向へと旅をしている。
調査とは言ってもすぐに金庫へとはたどり着くことはない。ジーナの仕事通りまず警備員の配置や銀行員の強盗への対処がどうなっているのかを調査しなくてはならない。「銀行に入ってからおおよそ二十分程度」その後でヒイロたちは金の回収へと向かう予定だった。
「・・俺が何を考えてるか分かるかヒイロ」
アレンは小さな窓からちらちらと姿を見せるアーニャを睨みながら言う。
「・・さぁ。『失敗するんじゃねぇぞ』とか?」
「その逆だよ」
なんでまた。とヒイロは尋ねかけてアレンの身に起こった悲劇を思い返し「だろうね」と告げる。
さらにレイナはとある人のために愛情ではなく憎しみを込めた薬の隠し味を使った。薄い生地の寝間着を着て横になってソファを占領するアーニャのために。
「毒じゃないだけ私の優しさを感じてほしいんですけどねぇ」
しかし彼女はただでは転ばない。自分に借りを作ってしまった以上、彼女は自分が出す料理を警戒しているはずだ。すり替えは当然行うはずだろう。ゆえにレイナは彼女がすり替えを行う相手を予想し、あえてその人物にアーニャへの料理を提供する。
晩餐の時間はかくして訪れる。フランクとアレンはレイナの腕を褒めたたえ、ヒイロは控えめに、それでも彼にとっての精いっぱいで美味しさを伝える。ヴィジェは何も言わず黙々と料理を口に運んではふとした拍子に「うまい」と言葉を漏らす。アーニャはというと静かに少量ずつスプーンにとっては口に運んでいる。
静かにスープを啜る彼女は心の中で笑っているのだろう。「あんたの計画はすべてお見通しだ」と決め台詞を心の中で告げているに違いない。だが実際はそうではない。「あなたの計画はすべてお見通し」なのだ。
知らぬふりをして料理を食べるレイナは食事の途中で誰かが席を立つ音を耳にする。とうとうその時がやってきた。レイナは顔をあげて席を見渡す。
その中にまだあの女はいた。優雅にのうのうと食事をしている。まだ効き目がないとでもいうのだろうか。食事を始めて数分後には一、二時間は戻って来られない有様になるはずなのに。
「あんまし言いたくはないけど、なんだかんだで美味しいのよね。あんたの料理って」
アーニャは笑いながらレイナをほどほどに褒める。
「どうしたんだアーニャ。珍しいことを言うじゃねぇか」
「みんなが美味しいっていうものをいくらレイナの事が嫌いだからってマズいなんて言うほど性格悪い女じゃないのよフランク」
「普段からそれくらい素直ならもうちょっと仲良くやっていけるんじゃねぇのか。そう思うだろうレイナ」
「は・・はい、そうですね!」
何かがおかしい。レイナは苦し紛れに笑顔を作り返答した後でアーニャの方へと向く。
彼女は笑っていた。しかし、これからの友好関係を築き上げるような笑いではない。悪意に満ち、相手をあざけるような彼女の得意とする笑い。
レイナは察した。私はしてやられてしまった。この円卓でヴィジェを挟んで隣にいるこの女はすべてを見透かしたつもりの私でさえも見透かしたのだ。すり替えは行われなかった。
私はただ単に無関係な人を自分の憎しみのえじきにしてしまっただけなのだ。
レイナの目の前には空席がある。先ほどまでレイナを褒めたたえ場の空気を盛り上げていたアレン・ウィリアムスが座っていた空席がある。ごめんなさい。レイナは心から謝罪する。彼はきっと今頃、洞窟を出た先にあるトイレで神に叫んでいるのだろう。
「なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ・・」
アレンは未だに銀行を睨みつけている。
「あの女、下剤の入った料理をすり替えやがった。分かっててやったんだぞ?信じられるか?」
「アーニャならそうするだろうね」
「豪勢な料理を少しだけ食べてあとは血が出るほど上から下から出まくったんだぜ。この世に自業自得の理はなくなっちまったらしい。そりゃ悪党も幅を利かせるってもんだ」
薬を盛ったのはレイナでもあるのにアレンは完全にアーニャを恨んでいる。さすがは世界を敵に回す女性だ。ヒイロは同情どころか尊敬の念すら覚える。
「失敗しねぇもんかな」
「それじゃあ困らないか」
「構うもんか。どうせたいした利益は見込んでねぇ。はした金と五十万ドルの賞金首がヘマをする様子を特等席で見られる権利、どっちが欲しいかはすぐに決められる」
銀行の中のアーニャは毅然とした態度で警備担当と会話を交わしている。銀行を利用する人はまばらで、あくびが出そうなほど平穏な空気が流れている。この後にはまだあくびが出そうなほど退屈で簡単な仕事が待っているだけ。顔には出さないがアーニャはこのゆっくりとした時間の流れから一刻も早く逃げ出したかった
「ここの警備はしっかりしていると思いますよ。配置にも問題ありませんし銀行員の防犯意識も素晴らしいものです。ここのような小規模な銀行では十分と言ってよいでしょう」
「それは光栄です」
アーニャにとっては人二人分が通り抜けられるほど幅の広い鉄格子の中に金が置いてあるようなものだ。見せかけの防犯対策。「どうぞご自由にお
「ではそろそろ金庫の方に向かいましょうか」
支店長がアーニャを金庫の方へと誘導する。出納係のいるカウンターを抜け、小さな階段を降りたところにある地下へ続く扉へと。
しかし、それは突然やって来た。これからというところで何も考えていないどうしようもない愚か者たちが銀行の扉を蹴破って押し入ってきたのだ。
間髪入れずに四人の男たちは天井に向けて発砲し声高らかに叫ぶ。
「強盗だ!!手前ら全員伏せやがれ!少しでも変な動きをしたら命はないと思え!!」
「・・馬鹿四人追加入りましたー」
アレンはため息をつきながら言う。
「随分と典型的な強盗だね」
「呆れるくらいにな」
「それでどうする?助けに行くかい?」
「別にいいだろ。退屈な仕事だ。面白ければ面白い方が良い」
アレンにとってはもはや他人事だ。動くだけ労力の無駄。それに四人組の攻撃的な馬鹿たちと明らかに格上の馬鹿がはした金目当てに戦うというのだからなかなかの好カードだろう。酒を煽り賭場にでもやってきたような気分のアレンはテレスコープで銀行内の様子を探る。
「・・おい!お前らはこいつらを見張っとけ!動いたら殺していい!」
「分かったよボス」
四人組の中で一番頭の足りなそうなすきっ歯の男と背の小さい男が頷き、怯える銀行員たちに拳銃を振りかざす。リーダー格の顎髭の男は金庫の場所を銀行員に尋ね、アーニャの元へ二人でずかずかと歩いていく。
「・・すいません。まさかこんなことになるとは」
支店長が声を潜めアーニャに謝罪する。
「別に構いませんよ。今日はたまたま運が悪かっただけだと思います。それよりも両手をあげて姿勢を低くした方が貴方の身のためだと思いますわ」
支店長は頷いてアーニャの言う通りにしゃがむ。
「貴女はしゃがまないんですか・・?」
ええ。喜んで人質になってあげるもの。アーニャが返答する前に男の一人がアーニャの腕を掴み銃口をこめかみにあてた。
「見えるかお前ら。もしお前らうちの一人が英雄的な行為をしたらそのツケはこの若い女が払ってくれるそうだ。俺らが立ち去るまで一切動くんじゃねぇぞ」
「きゃーたすけてー」
何もかも隙だらけの男に掴まれたアーニャに緊張感などかけらもないが一応は人質らしく叫んでみる。
「黙ってろ女!」
「きゃー」
「あの馬鹿何する気だ・・?」
「さぁ?一応もしもの時のために出る準備は」
「しなくていい。アリが象に喧嘩売ってるようなもんだ。まかり間違ってもアーニャがやられることはねぇさ・・・・待てよ、なんだあいつは」
アレンはテレスコープを銀行ではなく町の大通りに向ける。住民たちは銃声が聞こえた後で家の中に閉じこもったので町には保安官が駆けつけるまでの間、白昼の町だとは思えないほど不気味で静かな空気が流れている。その中に一人、紺色のコートを着た背の高い男がゆらりゆらりと銀行へ向かっていくのが見えた。
「銃声が聞こえなかったんじゃないか?」
「んなわけねぇだろ。あの見てくれはたぶん賞金稼ぎだ。もしくは南北戦争の亡霊だ。今度は南軍じゃなくて北軍の方のな」
しかし賞金稼ぎにしたってわざわざ犯行中に出向かなくてもいいだろう。ああいう奴は何人かのどてっぱらに銃弾をぶち込んだだけで自分が最強無敵のガンマンだと思っているような馬鹿に違いない。ということでアレンは男が銀行へとゆらりと入っていったのを見届けると先ほどのように呟いた。
「馬鹿もう一人追加でーす」
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