CHAPTER:2 DJANGO

第17話

 フローディアには名前のない町がいくつもある。たまたま住居を構えたところにいくつもの建物が出来上がっただけの集落未満の町、イエローダッヂのように荒らされて見る影もないがかろうじて人は住んでいるような町。そういった町は名称を持たない代わりに酷く閉鎖的だ。自分たちの住居をこれ以上荒らされないために流れ者には関心を示さない。

 シディアから西に位置する町もそんな名無しの町の一つだ。いくつかの住居があるものの人や駅馬車が通るたびに外に出ていた人間は屋内へと入っていく。唯一建物の外で来訪者を睨みつけるのはサルーンで雇われている用心棒だけだろう。そもそもこの場所自体滅多に人は通らない。シディアは遥か東にあり、この先は荒野が続くだけだ。そんな場所にサルーンがある理由も、まして用心棒を雇う理由も不明だ。


 そんな名無しの町に人影がやってくる。陽炎に揺れる紺のコートを着た背の高い男。サルーンの外でカードに耽る四人組の用心棒たちはすぐにその人影に気づき、ホルスターへと手を伸ばす。


 男はまっすぐサルーンの入り口を目指してやってくる。深くかぶった帽子の下の眼孔は鋭く、見る者を威圧する。用心棒たちは椅子から立ち上がりドアの前でガンベルトに収められた銃を手で撫でながら並ぶ。


「何の用だ?」


 自分たちの前で立ち止まったコートの男は鋭い目つきを崩すと愛想笑いを振りまきながら口を開いた。


「いやぁ・・このでっかいフローディアを歩いてると水筒に入れた水なんてすぐ空になっちゃうもんでさぁ」


 男は首から下げた皮の水筒を振る。零れ落ちた二、三滴の水滴が乾いた地面を潤した。


「この辺は町が無いからもう喉からっからで・・ここサルーンなんでしょ?一文無しだから水だけでももらえたらいいんだけど・・入れてくれるかい?」


「見て分からないのか?閉店してる」


 男は親指で窓を指す。ベージュのカーテンはすべて閉めきられ中には人の気配すらない。


「やっぱこんな真昼間じゃ開いてないかぁ・・。でも夜になるのを待ってもいられないんだ。こんな日照りの下じゃあと数時間で死んじまうよ」


「ここから立ち去らないで今すぐ死ぬって選択肢もあるぜ」


 男は銃を抜き銃口を向ける。


「ひゃー・・・おっかな。じゃあ水をここに持ってくるだけでいいんだ。コップ一杯でいい。金は払えないがこの恩は忘れないよ」


「何度言えば分かる?死にたくないなら・・」


 男が撃鉄を起こすと後ろのドアからノック音がした。男の一人が振り返り小さくドアを開ける。中の人間と話をしているのか男は数回頷くと「入っていい」と低い声で言う。

 

 ドアが軋む音を立てて閉められる。

 サルーンの中は酷く薄暗い。カーテンの隙間から漏れて埃を輝かせている陽の光と、かつては賑わっていただろう広い店内にあるランタン二つがそのサルーンの照明だった。

 コートの男は用心棒二人に挟まれながらゆっくりとカウンターに向かっていく。あとの二人は男を店内に閉じ込めるように入り口の前で立っている。このサルーンには酒の匂いも煙草の匂いもしない。古い木の板の香り、カビの臭い、埃の臭いが鼻を突く。


「お客さんかい?珍しいね。こんなところに」

 

 カウンターで座る背中の丸まった老齢の店主はモノクル越しにコートの男を見ながら言う。


「だろうねマスター」


 薄明りに照らされた店主の目は白く霞がかっている。彼は重度の白内障を患っているらしい。


「注文は?」


「水を一杯。できれば無料タダのがいいな。グラスを洗う水で構わないから」


 店主から反応はなかった。無視をしているというわけでも無さそうだった。店主はモノクル越しの真っ白な瞳で男の顔を見つめたままだ。


「じいさんは耳が聞こえねぇんだ。それでも話をしたがるけどな。水が欲しけりゃ紙とペンがそこにある」


「なるほどねぇ」


 男は笑いながら紙に『WATER』と書いて店主に差し出す。しかし店主の反応はない。男は肘をつき用心棒たちに尋ねる「どうなってる?」用心棒たちは声を揃えて笑う。


「あんた爺さんが目ぇ見えてると思うのか!?」


 なるほど。店主の真っ白な瞳を見ながら男は思う。仕方なく店主の腕を掴み、その手で紙を触らせる。店主は紙を文字通り目の前まで持って行くと紙に書かれた文字を舐め回すように見る。


「み・・ず・・・水、水ねぇ。確かこの辺にあったなぁ。しかし本当に水でいいのかい?」


「酒を頼んだらその間に陽が暮れちゃいそうだからねぇ。それは良しとしたくないんだ」


 店主は底の黄ばんだグラスにボトルの中の水を注ぎカウンターに置く。男は水が謎の浮遊物で白く濁っていることなど気にも留めずにその水を飲み干した。


 会話もまともにできない店主はまだ口を開く。


「それで、あんたどっから来た」


「至る所からさ」男は笑う「俺の名前はカイル・ビュシーク。フローディア大陸を身一つで渡り歩いてる。たまに雇われで牛追いやったり、農作物売ったりしてどうにか命をつないでるよ」


「ハッ」そんなカイルを鼻で笑ったのは後ろの席に座る用心棒だった。「紺色のコート着て北軍の崇拝者でもやってるのかと思ったらただのカウボーイじゃねぇか。こいつぁ笑えるぜ」


「あとは、用心棒や賞金稼ぎも収入源だけど」


「人間は牛とは違うんだぞ?知ってて言ってるのか?」


 三人の用心棒がとうとう噴き出して笑う。カイルも口を閉じたままにやりと笑う。

 導火線に火のついたダイナマイトの周りで手を繋ぎながら輪になって踊るような偽りの和やかな空気。そんな空気を引き裂いたのはサルーンの二階から階段を降りてくる二つの足音だった。用心棒たちの表情は一気に硬くなり顔から笑みが完全に消える。


「騒がしいな。その男は客人じゃあないんだぞ」


「す、すいませんでした。ステイン様、バアク様」


 二階から降りてきた二人の男は真っ黒なコートに室内であるにもかかわらず深く帽子を被っている。その下にある真っ赤な瞳がカイルの背中を捉えている。男二人はカウンターに立つカイルを挟んでカウンターに腕を乗せる。


「お前か、私たちのことを嗅ぎまわっているのは」


 帽子から額に伸びる白い髪をかき分けステインが口を開く。声を荒げるようなガンマンとは違い、その喋り方はいたって紳士的だ。


「ああ、でも嗅ぎまわっているって言い方は気に入らないな。俺は犬じゃない」


「私たちからすればみな同じだ。・・それで、なぜそんな愚かな真似をしたがる?私たちの首に賞金でもかかっていたか?残念ながらそんな話聞いたこともない」


「そうだな。賞金目当てでここに来たわけじゃない。すごく個人的な事情でここに来ただけだ。あんたらが夜な夜な悪い事をして回るっていうからな」


「なるほど、見返りを求めずに悪を制するか。英雄的じゃないか。だが、相手を間違えたようだな。私たちをいったい何だと思ってここに来たんだ?」


「それに答える前に一つ質問がある」カイルはランタンの下で雪のように落ちていく埃を見ながら続ける「俺の名前を知ってるか?」


「先ほど店主に話したばかりじゃないか。カイル・ビュシーク。二階にいた私たちには聞こえないと思ったか?生憎私たちの感覚は人の数倍鋭敏なんだ。ささやき声すら嫌でも耳に届く」


「違う。そうじゃない。あんたらが知っていなくちゃいけなかったのは俺のもう一つの名前の方さ」


 口を開いていたステインも閉じたままのバアクも止まる。


「知らないのか。そいつは気の毒なことになるな」


 巨体のバアクがカイルのコートの襟を掴む。百八十センチ近くあるカイルの体は一瞬宙に浮いた。カイルの体を投げ飛ばすのもバアクには容易いことだった。しかしバアクはすぐに襟から手を離す。しきりに自分の右手を見てステインに何かを訴えようとしている。


「・・どうしたバアク?」


 バアクの手のひらはぷすぷすと小さな音を立てながら煙草の火のように燻りながら燃えている。火を点けられた?そんなことはない。そんな素振りを目の前のカイルは見せなかった。コートの襟を掴んだ瞬間、自分の手が自然発火したようにしかバアクには思えなかった。


「火傷でもしたのかバアク?」


 カイルがバアクに向けて笑う。その後頭部へとステインの拳が襲い掛かる。


 カイルはすんでのところで拳を躱し振り向きざまに右腰から抜いたC96をステインに向けて放つ。その銃声で後ろにいた用心棒たちの頭がたたき起こされる。

 カイルは左腰にも差さっているC96を素早く抜くと振り返ることなくバアクの腹を撃ち抜く。ステインは銃を構え今にも引き金を引こうとする用心棒たちを左手で差し止める。


「・・・・なるほど」右頬を撃ち抜かれたステインは鋭い牙を露出させながら静かに笑う「確かに腕はいい。少なくとも並みの人間の反射能力ではないらしい。だがそれだけじゃ我々は倒せない。それだけでは傷一つ付けられないぞ」


「そうか?俺にはそうは見えないけどな」


 ステインは左手で自分の頬をなぞる。べったりとついたその血に何を思ったのかステインは口を半開きにしたまま何も言わなかった。


「・・何をした?」


「思い当たる節はいろいろあるだろう。あんたたちは欠陥ウィークポイントだらけだからな」


 ステインの表情がみるみる変わっていく。犬歯はギリギリと音を立てて軋み、開かれた口から出た言葉は先ほどの冷静さとは程遠いところにあった。


「・・このクソ野郎をぶち殺せ!!!!」


「うおあああああああ!!!」


 バアクが大きな腕を振り上げ再びカイルに襲い掛かる。カイルはバアクの肩を撃ち抜くと銃を床に落とし、振り下ろされた太い腕を掴んでステインの元へと投げ飛ばす。すぐさま銃を拾い上げて照準などお構いなしに弾を浪費する用心棒たちの胸に銃弾を撃ち込んでいく。


 男たちの足はまるで藁のように力なく地面へと崩れていく。人間の体とはこんなにも脆いものだったろうか。隣で倒れた仲間を見ながら用心棒は思う。次は自分の番だ。そう思った時、ステインは帽子掛けを容易く二つに折り、切っ先をカイルに向けて投げる。

 帽子掛けは銃弾のような速さでカイルの横を通り過ぎるとサルーンの壁に突き刺さった。


「惜しいなステイン」


「貴様ァッ!」


 ステインはサルーンの柱に対して垂直に立ち上がる。重力がそこにだけ存在しないかのようにステインにとっての天と地が九十度傾いた。ステインはそのまま柱を蹴るとカイルに向かって飛びかかる。木製の柱が削れるほどの反動にサルーンが揺れる。

 対するカイルは右腕をあげ、腰を落としていた。その手には銃が握られていない。それどころかステインをなだめるように手を開いただけで反撃の素振りすら見せていない。そんなことを気に留める余裕はステインにはなかった。用心棒の男にはその光景が見えてもいなかった。捉えきれていないと言った方が正しい。すべて人の目が追える速度ではなかったのだ。


 次に用心棒が見たのは壁に大きな穴を空けて倒れ込んだステインの姿だった。上半身を壁から外に突き出して悲鳴をあげるステインにカイルはゆっくりと近づいていく。


「どうだいステイン。陽の光を浴びたのは血の契りを交わす前が最後だろう。久々の太陽はどうだ?気持ちがいいもんだろう」


 ステインは喉から血を噴き出す勢いでしきりに熱い熱いと叫んでいる。カイルはその体を引き起こし、焼けただれた上半身の心臓部分に銃口を突き付ける。


「さて、俺の名前を思い出したかステイン」


「・・知らん!!お前なんぞ知らん!!人間の分際で我々吸血鬼に歯向かおうなど・・」


「・・・はぁ・・だめだこりゃ」


 カイルは大きなため息をついて引き金を引く。ステインは赤色の瞳を剥きながら断末魔をあげる。自分が死ぬことがまるで信じられないかのように。銃弾を撃ち込まれた心臓付近から黒い煤のような粒子が舞いそれがステインの全身に広がっていく。やがてステインの体は音もなく灰のように崩れ落ちて、サルーンに空いた穴から吹く風に乗って煙のように運ばれていく。


「バアク、いい加減起きろ。あんたはどうだ?俺の名前を知ってるか?」


 バアクの巨体に馬乗りになったカイルは銃口を心臓に突き付けて尋ねる。バアクはステインの死にざまを見たのか顔は青白く恐怖に引きつり、汗を噴き出しながら首を横に振った。


 カイルは半開きの口から大きく息を漏らす。


「・・・あれれぇ・・。まぁ、そりゃ吸血鬼共も再び美しきフローディアの地に跋扈し始めるわけだ。つーか普通忘れるかね。うちら何世紀も前からおたくらの天敵なんだぜ?知らないだけか?ええ?どうなんだバアクさんよ」


 バアクは首を必死になって振るだけだった。これ以上の話は望めそうにない。カイルは引き金を引きバアクも塵へと還す。


「な・・なんなんだお前!あの、ステインとバアクを・・!お前も彼らの仲間なのか!!」


「俺が彼らと仲良しに見えたかい?」


「い・・いや、全然」


「だろうね。さて、どういうわけだか俺に銃を向けたお前さんが生きてる」


「あ・・あ・・・・」用心棒は震えあがった。声をあげなければ良かった。心底彼は後悔する。これでは自分が撃たれる番を今の今まで犬のように待ってただけじゃないか。立ち上がるカイルを背に男は走りだそうとする。


「行きなよお兄さん。せっかく助かった命なんだ。あんたをここに張り付けてた化け物も灰になったわけだし、好きに生きればいい。・・あぁ、でも俺が賞金稼ぎもやってるってことを忘れないように。小銭でもいただけるもんはいただく主義だぜ」


 首を振る方向は違えど、用心棒の男は先ほどのバアクのようにガクガクと頷いて、ドアの外へと走り出した。


「・・・・さて、残るは一人だなマスター」


 店主は先ほどの乱闘がなかったかのようにカウンター裏の席に座って宙を見上げている。


「なぁマスター」


 カイルは銃をカウンターの上に置き、店主の腕を掴んだ。


「なんだ、まだ用でもあるのか。金を払わないなら酒は出さないぞ」


「酒はいらない。ただ一つ聞いておきたいんだ」


 カイルは店主の左手を掴み、今度はカウンターに置かれた銃に触れさせる。


「俺の名前を知ってるか?」


 左の手のひらから指先へとカイルの手が降りていく。人差し指と中指を掴んだまま銃に刻まれた文字をゆっくりと店主になぞらせる。


 左から右へとゆっくり店主の指が文字をなぞる。文字の中間まで行ったところで店主の手が震えだした。


「・・・お前・・・まさか・・・」


 文字をなぞり終えた店主の真っ白な瞳は大きく見開かれ、口は縦に大きく空いている。


「まだ、生きていたのか・・?」


「いいや、先代は死んださ。あんたらと同じじゃないんだ。歳をとっていつかはくたばる。そういう生き物だからね」


「・・・お前をずっと待ってた」


「そんな状態じゃなおさらだろうな」


「お前は・・私から視力を奪い、聴力も奪い取った。血の契りを交わした以上、お前以外には誰も私を殺すことができない。お前はそれを知っていて私をわざと生かした。闇夜でしか生きられない私をさらに深い闇に突き落としたんだ」


「さすがは先代だ。あんたらに恐れられるだけはある。やることがえげつなさすぎるぜ」


「お前を恨んではいる。殺したいと何度も思った。だが、お前を殺せば私は永遠にこのままだろう。陽の光を浴びたところで私にはかすり傷ひとつ付きやしない。お前にしか私は殺せないんだ。なぁ・・もう十分だろう。私は長い間生きてきた。暗く深い闇の底で、何もできずただ流れる時間に耐えてきたんだ。許してくれ。この私を救ってくれ」


 カイルは何も言わずに店主の額へと銃を向ける。


「・・お前から唯一奪い取れたものの場所はカウンターの裏にしまってある地図に書いてある。これでお前に返さなければならなかった借りは返しただろう。さぁ、やれ。私を撃て」


 カイルは数秒間立ち止まった後で引き金を引いた。カイルにとっては思わぬ報酬だった。


「先代から奪い取ったものだって・・?」


 塵になって消えていく店主を横にカウンターを乗り越えたカイルはカウンター裏の小さな引き出しを開けて古ぼけた紙を広げる。そこには大まかなフローディア大陸の地図とその北部に書かれたバツ印があった。


「・・これはまた随分辺鄙なところにあるなぁ」


 ともかく探しに行かない手など無い。けれど、カイルには一つ問題があった。地図に書かれた印の場所までは相当な距離があり、なおかつカイルは文無しの状態だ。飲まず食わずでは絶対に辿り着けはしない。


「どっかで賞金首が銀行強盗でもしてくれてればいいんだけどなぁ」


 カイルはカウンターに置いた紺色の帽子を被り、誰もいなくなったサルーンの扉を開ける。


 行きつく先は彼自身にも分かっていない。

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